風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -37ページ目

仄暗い海の中に、身を委(ゆだ)ねる生命があった。暖かな海に揺蕩(たゆた)う萌芽は、恐れという言葉の存在しない世界で、とろとろと眠った。

風が吹き、雨が降り、日が昇り日が沈み、やがて時が満ち、命は産声を上げた。
海の中で聴いていた父母の声を、あなたは初めて間近で耳にした。それは懐かしく恋しく、あなたは魂を震わせた。



あなたが生まれた時、世界は光に満ちていた。
その眩しさに怯(ひる)まぬように、生まれたてのあなたの目は明暗しか見分けられなかった。

一点を見ることなく眼球を動かすだけのあなたが、やがて見つめる、という人らしい仕草をするようになった。そのとき、あなたの父や母は不思議に思った。なぜこの目を見ないで、額のあたりを見ているのだろうと。

それはもうわかるだろう。モノクロームの世界では、髪の黒と肌の白がコントラストを描く境目、そう、髪の生え際は認識しやすかったためだ。

そうやってあなたは、確かな視力と色を得、やがて両手をぺたりと前について、座るということを覚えた。
その日も、あなたが生まれた日と変わらぬぐらいに喜ぶふたりに、優しく陽は降り注いだ。

言葉を得たときもそうだ。ふたりは手を叩いた。つかまり立ちをしたとき、歩いた日もそうだ。今を見てごらん。あなたはそのふたりに、感謝をしているだろうか。

もしもそうできない何かがあったとしても、それをゆるそうと試みただろうか。

ゆるしなさい。開放しなさい。すべては、あなたたちの計画なのだ。その母のもとに生まれたいと希求したのは、あなたなのだから。

あなたは咀嚼し、味わい、飲み込み、知識を得てきた。そう、その舞台の上で。

海に身を任せる前、あなたは見ていた。かつて自分が立っていたその場所と、そこで繰り広げられる物語を。そしてこう望んだ。もう一度そこに立ちたいと。

あなたは今、その舞台に立つ演者であることを忘れてしまっている。その中で、さらに劇中劇を演じていることさえ、うっかりと忘れてしまうあなた方には、むべなるかな。

あなた方は、実に様々な役割を演じている。ものを作る人、それを売る人、さらに買う人。送る人、届ける人、それを受け取る人。頭を下げる人、お金を払う人。上に立つ人、仕える人。雇う人雇われる人。

その役に没頭しすぎて、人として何ひとつ変わりのない相手を軽んじたり、必要以上に恐れたり、媚びへつらったりする。

忘れてはいけない。今のあなたは舞台に立つ役者のひとりだということを。そして、それを望んだのはあなた自身にほかならないということを。

そこには役不足も力不足もない。あなたは何者にもなれる千両役者なのだから。だからこそ今、それを選んだのだから。

出番が終われば舞台袖に引っ込む。あなたのいない劇はまだつづく。一抹の寂しさ。けれどもう、あなたは知っている。死が終わりではなかったことを。

栄光のライトを浴びる人生も、一敗地に塗れる人生も、それぞれに意味があり、それぞれに素晴らしい。
ただ忘れてはならないことは、そのいずれも演じているのだということだ。

苦しくとも音を上げてはいけない。悲しくても立ち上がりなさい。それはあなたが決めたこと。あなたが決めたのだから乗り越えられることなのだ。


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暖かくなったと思ったら、また冬に戻るらしい。

ところで、『冬の女王』広瀬香美は元気だろうか。
Amebaにブログを立てていたけど、今はどうなんだろう。
なんか、コメントを書いた記憶もあるのだけれど。

広瀬香美とくればAlpine!
でも僕は、『ICE』という地味な曲が好きなのです。地味すぎでYouTubeにもDailymotionにもありませんけど。

彼女が大活躍したのは、もう20年も前になるのですね。光陰矢の如し。しかし、歌、うますぎ。

分かる人だけに捧げます。
ゲッダン!

たまには広瀬香美。なくした温もりが痛いくらい恋しくなる歌声です。

けれどそれは、なくしたのではなくて、きっと生まれてくる前の約束。
でも、痛いね。絶対痛いもんね。しょうがないね。うん、しょうがない。

恋の始まりも 夢の続きも
きっと あなたと………。

広瀬香美 / promise


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「詩織はさ、季節が変わっていたように感じた?」眉をちょっと持ち上げて首を傾げる。彼が質問するときの仕草は、まるでドラマに出てくる先生のようだ。

「ん? どうかしら? それは……感じなかったわね」
電車の窓を透過した、1月の午後らしい柔らかな日差し。
草むらを這うオオイヌノフグリが、チロチロと風に揺れていち早く春の近さを告げる季節。それは間違いないだろう。
違っていたら違和感を感じたはずだ。



「うん、おじいさんと話してるときも、それは感じなかったんだよね。一年後ならそれもわからないけど、未来へ行くなんておかしいしね」

ひとつ思い出した。「駅に停まったっけ?」
「駅?」彼が腕組みをして首をひねった。「そういわれれば、ドアが開いたような記憶はないな」
そう、じっくりと読み返して時間がかかったはずなのに、駅には停車していないような気がするのだ。

「まあ、夢、なんだろうからね。目覚めたときにはその週刊誌もなかったし」
「あったら逆に怖いわよね。あたしたちだけが持ってる未来の週刊誌なんてさ。あ、競馬とか記事になってたら、あたしたち大金持ちね。競馬の結果なんて出てるのかしらね」

「ギャンブルしないから知らない」彼はふっと鼻で笑った。脱線するなと言っている。私はエヘッと笑ってみた。

「この文章がネットで拡散したってところは読んだよね?」
「読んだ。今は削除されて読めないけど、コピペされたのが拡がっているって」

少し微笑んだような彼の目が私に止まる。これはきっと同意を求めている。ふたりだけの秘密の作戦。
「やってみよっか」私は頷き、彼はにゅっと笑った。

「じゃあ、もっと突き合わせて完全なものにしよう」
椅子を並べて座り、ふたりの文章を合わせたものを彼が打ち込み、お互いがじっと目を閉じて思い出す。ああ、こんな話もあった。こんなのもあったわよ。それを繰り返した。

そうやって、それは出来上がった。おそらく原文に近いだろうその文を私たちはよしとした。

「タイトルは付いていなかったって書いていたけど、どうする?」彼を見た。
「おじいさんがさ、愛と恋のエチュードって言ったんだ」
「愛と恋の、エチュード?」

「うん、教えてくれたんだ。隣で眠る人、だから詩織だね。それに代わる人はいないだろうって。大事にしなさい。否定をしたい気持が湧くこともあるだろうけど認めてあげなさいって。100%ですよって。
過剰も不足もなくて、ちょうどいいんだって。すべてにおいて不安と怖れは抱かないことだって。これが、愛と恋のエチュード・ワンだって」

「愛と恋の練習曲かあ──素敵かも。ねえ、これは絶対、本物の神様の声よね。山の上にいる怪しいのじゃなくて」

私の弾んだ声に、彼は目を閉じた。違うのか。
「うーん……神様がそんなことまでする必要はないだろうね。代弁してくれるであろう存在は宇宙にたくさんいるんだから」

「そっかあ」
「残念がるなよ。これはこれでいいメッセージだ」

「じゃあ、早速上げてみる?」
「そうだな、やってみるか。メジャーなところでアップしてみよう」


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背中にシャワーを浴びながら歯を磨く。熱いお湯が冷えた体に心地いい。
決して忘れていたわけではないけれど、帰りがけに見た、石畳に広がる焦げたような染みは、やはり正視するのが辛かった。

強い日差しと蝉の声が降りしきる去年の夏、涼やかな風に紅葉が揺れた秋。春を待たずして、あんなところで燃やされ、殺されるなんて、あの若い男女は夢にも思わなかっただろう。

私たちの意志などお構いもなしに、力づくで舵を奪ってしまう運命とは、いったいなんなのだろう。

浴室を出てドライヤーで髪を乾かす。彼はノートパソコンを開いて缶ビールを飲んでいる。
「智也は入らないの?」
「うん、あとで入るよ」

「あたしさ、ちょっとまとめておきたいことがあるの」椅子に座りノートパソコンを開いた。あとで私がいいものを見せてあげる。あなたが少し食いつきそうなもの。

「ああ、かまわないよ。じゃあ、こっちももう少し続けてるから。ま、乾杯」
ビールの缶を合わせた。

食事はいらないという彼の言葉で、近くのコンビニでビールとお惣菜と軽いおつまみだけを買ってきた。

「これ、うまいよね」彼がチョリソをつまんだ。
レンジアップするだけなのに、このソーセージシリーズは馬鹿にできない。お手軽の割に美味しい。

「あたしはね、普通のあらびきのほうが好きかな。白いほう」
こんな会話をしていても、スパークが頭から離れない。この怪現象はきっと、何気ない人々の日常を奪い続けている。

忘れないように頭で反芻していた文章をノートパソコンに打ち込んでいく。それでも間違いはあるだろう。抜けている箇所も多いに違いない。

仕事関係のことでもやっているのだろうか。彼にしては珍しいけれど、静かにしていてくれることは嬉しかった。



ふたりがキーボードを打つ音、缶ビールをテーブルに置く音、ときおり彼がふぅと吐く、ため息の音、そして、コチコチと刻まれる秒針の音がリビングに響く。

静寂は無ではなくて、様々な音の背後に広がる無限のカンバス。人類が生まれいづる前、世界はどんな音を奏でていたのだろう。暖かな音だろうか、冷えた音だろうか。

どんな風が吹いていたのだろう。生温(ぬる)かったのだろうか、それともひんやりとしていたのだろうか。

掛け時計を見たら2時間が過ぎていた。ひとまずプリントアウトをした。彼に読んでもらいたい。どんな反応をするだろう。私がひとりでこんな文章を書けるはずもないから、少しは信じてくれるだろうか。

「電車の中でね」
「うん」ふわぁ、あぅ。彼が伸びをしながらこちらを見た。
「夢を見たのよ」
「夢?」彼が伸ばした手を組んで頭の上に乗せた。「どんな?」
「うん、スパークが終わったって夢。週刊誌を読んだの。でね、それを思い出しながら書いたの」

「え!?」彼が真顔になった。「それ、見せてくれる!」
前のめりに奪うように手に取り、じっと読んでいる。その眉間が険しくなってゆく。

「こっちにきてごらん」
彼に促されて椅子を立ち、ノートパソコンを覗いた。

え……これは、なに。

私が夢で読んだ文章と酷似したものが、彼のパソコンにも表示されているではないか。

「やだ! 同じ?──あたしたち同じ夢を見たってこと?」
それには答えず、眉間にしわを寄せたまま、彼は、じっと何かを考えているようだった。

「おじいさんに話しかけられたんだよ。でね、週刊誌を拾ったんだ。落としたんだと勘違いをしたらしくてさ」腕組みをして椅子の背もたれに体を預けた。

「そのおじいさんと会話して、おじいさんが電車から降りていって──週刊誌を読んだんだ。それから詩織を起こした」

「そうそう、智也に起こされて週刊誌を読んだのよ──ねえ、同じ夢じゃなくて、現実だったんじゃないの?」
「詩織、スパークは終わっていないだろう」
「あぁそうだよね……」

「ということは、同じ夢を見たということになるのか……」
「ひょっとしてさ、二人で未来に行ったんじゃないの?」
「うーん」彼の目が宙の一点を見つめた。


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積読の中から先週選びだしたのが、あまりにも有名なこの小説。何年放置していたのだろう。見てはいないけれど、テレビドラマにも映画にもなった。




逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。
心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。
─ 「BOOK」データベースより─

公園で読み始めてすぐにやめた。ダメだ、僕はもう重い小説など読む気力がない。
そしてBOOKOFFに向かった。

読みたい小説はあった、軽いもの、スポーツもの。
誉田哲也の『武士道シックスティーン』
この作家さんは書くジャンルが広いのに当たりハズレが少ない。警察物の、僕が大好きな姫川玲子シリーズもこの人の手によるものだ。

結果は、なかった。その代わり『武士道エイティーン』が並んでいた。おぉ、知らぬ間に続編が出ていたのか。

諦めて読み始めた。角田光代だし、内容はいいに決まっている。
そして、引き込まれていった。



話はそれるけれど、映画で誘拐犯を演じた永作博美はいい役者だ。少し狂気を含んだ役なら右に出る人はいないだろう。それを認識したのは20年以上も前だと記憶している。

小説に話を戻そう。
会わせてあげたかった。誘拐犯希和子と誘拐された子供薫を。成長した薫と老いたであろう希和子を会わせてあげたかった。

絶対にそうなると疑わずに、残り少ないをページを読み進める僕の目には、先走った涙が浮かんだ。
けれど結果は、港の待合室でお互いに気づくこともなくすれ違ってしまった。

一縷の望みを賭けて、読みかけたまま開いた次のページは終わりだった。
あぁーっ、と声にならない息を吐いた僕は解説を読む気力もなく文庫本を閉じた。

これは一読者の期待にすぎないけれど、どうして会わせてあげなかったのだろう。
僕の頭には、エンディングの二人の言葉と様子さえ、瞬間的に浮かんだというのに。
あのふたりに、イミテーションとはいえ昔のような母娘に戻って欲しかったのに。

そのラストだったら、僕は滂沱の涙を流し、この小説に最高点をつけただろう。
まあ、あくまで個人の感想にすぎないのだけれど。

薫は忘れてしまっていたが、母と信じていた希和子が港で捕まり、連行されてゆく時に叫んだ言葉をふいに思い出すシーンがある。物静かな希和子が上げる初めての叫び声。

「その子はまだ、朝ごはんを食べていません!」

さすが角田光代。この作家さんはやっぱり女だ。これ以上の描写はないだろう。


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カタッ、コトン──カタッ、コトン─カタコトン

車輪がレールの継ぎ目を通過する音が聞こえる。意識を集中しなければ聴き逃してしまいそうなこの音、私には濁音には聞こえない。彼に訴えたことがある。ガタンゴトンって嘘よねって。

彼は笑いながら教えてくれた。外で聞けば間違いなくガタンゴトンだよ、電車が通過するまで鳴ってるよと。
レールも以前より長くなったから、車内ではほとんど聞こえないくらいだと。

カタッ、コトン──カタッ、コトン
耳をすませば心地いい。ときおりすれ違う電車の風圧がボンッとドアを揺らす。

ついでに彼が教えてくれた。夏と冬とではさ、音の高さが違うんだよ。金属が膨張する夏は継ぎ目の隙間が短くなって音が小さくなるんだ。車内ではまぁ、わからないはずだけど。

世界の中に、世界がたくさんある。大きな世界、小さな世界。窮屈な世界、おおらかな世界。

こんなふうに、世界の内と外では聞こえる音も違うのだろうか。見える景色も変わるのだろうか。私たちは、世界のどこにいるのだろう。正しいところにいるのだろうか。

電車の揺れが眠気を誘う。なんだかひどく疲れてしまった。
「象の話、智也は知ってたんだよね」

「うん、もちろん。群盲象を評す。象を撫でるとも言うけど、ジャイナ教とか仏教とかイスラム教──」ふわ。彼があくびをひとつした。柔らかな日差しは午睡(ごすい)の誘惑。

「あと、ヒンドゥー教なんかでも使われている教訓だね」涙が出たのか目をこする。
「あの人の説明はだいぶ抜けていたけど、まあ、細かいことはどうでもいいんだ」

おとなしく男の話を聞いていたことに彼も疲れたのだろう。ふう、とため息を吐いた。

「要は一部とか一面だけを見て、 すべてを理解したと錯覚しちゃったりすることへの戒めだね。木を見て森を見ずに似てるかな。情報の断片を集めても、象にはならないよってこと。詩織はハネジネズミって知ってる?」
「ネズミ?」

「ネズミじゃなくて、ハネジネズミ科の哺乳類でさ、ちっちゃくて長い鼻がぴょこぴょこ動くんだ」こうやって、こうやってさ。鼻に寄せた人差し指を動かす。

「あの人もさ、もともとは町の素人。だから、人類を造った宇宙人以外に神様はいないなんて、あんなバカげた話を信じちゃうんだ。迷える子羊、ついに象を見たつもりがハネジネズミだったぁっ!」ゆらゆらと話していた彼が、やけくそ気味に目を覚ました。



パオーン、顎のあたりに寄せた右腕をくねくねと振った。「ハネジネズミだぁ」ついに壊れてしまった。
「やめなさいって、恥ずかしいから」

パオーン、今度は両の手のひらを耳のあたりでひらひらさせている。「ハネジネズミだぞぉ」絶対ストレスがたまっている。もっと気を引かなければ。

「あの山に、象がいるの?」
「パオ、ん? 詩織、あそこはアフリカでもインドでも上野動物園でもない」正気に戻った。
「神様がいるの?」
「だからあ、まさかでしょ」横顔でニッと笑った。「それって冗談キツイよ」やっぱりこの人のほうが強情だ。

「詩織」あらたまったような低い声を出して顔を寄せた。
「神はどこかにいるものではない。遍在(へんざい)するものさ。ちなみにだけど、偏(かたよ)るの偏在じゃないからね」右手で宙に文字を書く。

「遍(あまね)くの遍在だからご用心。偏(かたよ)るにんべん。どこにでもシンニョウね。ここ大事。試験に出るからね」
力尽きたように、座席の背にダラっともたれた。

「出ないと思う」ふう。
彼は時々、私を置き去りにして先に進む癖を持つ。

都心に近づき、駅でドアが開くたびに電車も混み始めてきた。
「どうする?」私は彼を見た。
「夕ご飯?」
「違うでしょ。にゅうかい、の、ことッ」
「うん。するよたぶん。まだ死にたくないし」

組んだ足先をくるくると回している。何かを考えているのか、ただ足がだるいのか。
冬の午後の低い日差しは黄色みを帯び始めて、少しまぶしかった。もう少しすれば日は瞬く間に傾いて、街を藍色に染めてゆく。

そうだ、スパーク除けのお守りをもらってから、ずいぶん気が楽になったことは確かだ。本意では決してないけれど。

「それに、君を巻き添えにするわけにはいかない。その前にさ、ちょっと考えたいことがある。それ次第かも」彼は目を閉じた。一心同体だと思っている私の前で、巻添えとは言ってくれたものだ。どうしてこうもクールなのだろう。クールないたずら坊主。


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信じるって、なんだろう。
疑わないこと?

けれど、信じるなんて言葉を使ったからには、心のなかに、いくらかの疑いは持っているはず。
だって、信じるってものすごく自然体で、疑うなんてありえないことだから。

昨日の次が今日のように、今日の次が明日のように。東から登る朝日が、西に沈むように。
それはまるで、子供が親に寄せる信頼のように揺るぎないもの。

信じて裏切られたら、それは失敗でも、後悔することでもなくて、大事な経験。

イメージの詩/吉田拓郎


これこそはと信じれるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり

悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうネ
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうネ

男はどうして女を求めて
さまよっているんだろう
女はどうして男を求めて
着飾っているんだろう

いいかげんな奴らと口をあわせて
おれは歩いていたい
いいかげんな奴らも口をあわせて
おれと歩くだろう

たたかい続ける人の心を
誰もがわかってるなら
たたかい続ける人の心は
あんなには 燃えないだろう


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「それが──宗教と関係あるんですか? 盲目の人たちが象に触る寓話が」
「表現しているのはごく一部で、誰も象の実体を表してはいないという話です」
ここからが重要ですと言わんばかりに、男の目は私を捉えていた。

「怪しげな宗教を除き、ですが、真理の一部しか表してはいない。ただ、世界的に広がる宗教は、全能なる神が地球に遣わされた預言者たちの教えです。嘘をついているわけではない。嘘も方便とでもいいましょうかね。時にかなった教えを説いたのです。しかし今ここに、すべてを説明しきれなかった象が姿を現したのです」

ふっと視線を上昇させた男は、うっとりと宙を見た。恍惚──よだれでもたらせば似合いそうな嫌な顔だ。

「ですから」再び視線を戻した男は、喜びでも噛みしめるように何度も小さく頷いた。

「宗教などというものは、やがて全て消え失せます。宗教法人の登記をすれば色々とメリットがあるのは事実ですが、『愛を知る会』はしていません。唯一絶対神の前では、宗教などという愚かしい括りは意味を持たないからです。ちなみにヤハウェは単一の神ではありません。正確には宇宙より飛来した神たちです」
男の声は湿ったような熱を帯びてきた。



「旧約聖書のモーセ、エリヤ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルらの大預言者。仏陀、キリスト、さらにはイスラムが最後の預言者として崇拝するマホメット。彼はアラビア語名でムハンマドと呼ばれますが──」

「どんなことを教えていただけるのですか?」彼が話を断ち切るように質問をした。
「ああ」男は我に返ったように笑った。
「瞑想をされたことはありますか?」
「いえ、ないです」
「まずは瞑想をお教えします。次にあらゆることを手放すことを学びます」男はものでも放るように両手をぱっと広げた。
「手放す?」彼が首を傾げた。

「はい。自分の社会的地位、自尊心、こだわり、信条。ありとあらゆることを手放します。手放してから学べば、まさに砂漠に水のごとく神の教えを吸収できます。男女の別さえ手放します。無になってから、新たに生まれ変わります。そして、愛し合うのです。結婚という人間が生み出した契約も消えてゆくでしょう」

「神の教えとは、どのようなものなのですか」
「それを今、口にすることはできません。モーセの十戒をご存知ですか?」
「ええ、内容は知りませんが、聞いたことはあります」
いや、彼なら間違いなく知っている。

「モーセもまた、人類のレベルに合わせた教えを授かりました。神がまた現代の十戒をお示しくださいました。第1戒と第2戒は変わりません。わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。偶像を造ってはならない。という箇所です」

「神の他に神が存在する可能性があるのですか?」私は口を挟んだ。男は一瞬、嫌な顔をした。
「いえ、ありません」
「ではなぜ、第1戒だか、第2戒だかの、わたしのほかに、ほかの神があってはならない、が必要なのですか?」
「世界には、さまざまな宗教が存在するからです」
「大元は、一緒なんですよね」
「それを頑なに信じる人がいるからです」男はやっぱりうんざりしているようだ。

「今日はありがとうございました」彼が立ち上がり頭を下げた。唐突に話を断ち切ったような感じだった。男の話に嫌気が差したのに違いない。

「ああ、はい」もっと話したかったのだろう。男は面食らったようだ。
「この後、人と約束があるものですから。申し訳ありませんがこの辺で」
やはりそうだ。約束などない。

「ああ、そうでしたか。はい、またいらしてください」男も立ち上がり笑顔を見せた。
「またお伺いします。そのときまたゆっくり聞かせてください」彼の声に男は嬉しそうに頷いた。

御しやすそうな男に、煮ても焼いても食えなさそうな女。男の目にはそう映っただろう。
その女の隣に立つ男のほうが、遥かに強情で手強いというのに。


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私の黒のストレートパンツの膝あたりに置かれた彼の手に、手のひらを乗せて揺すった。男の手前、言葉にはできないけれど、もうひとつだけ質問させて、次は本気で真面目だから、と。

クリスチャンだった彼が、一転して宗教否定派になった話は出会った頃に聞かされていた。
ちょっと怪しいけど、こんな男で良ければ。その照れたような笑顔には、そんな含みがあったに違いない。これから口しようとしている質問を、そんな彼ならゆるしてくれる。

神などというものを追い求めたことがない私が、スパーク現象によって聖書を開き、驚き、気づき、疑問を感じた。そう、それは彼の足跡。短い時間だったけれど、それをたどったのだから。

「これは──」前のめりに口を開いた私に、男が微かに眉を曲げた。厄介な女だと思われているのかもしれない。やたらと柔和そうに振る舞う男の本心は、心の奥底で黒くとぐろを巻いている。だから、目の前に座る中年男の優しげな物腰はいかにも怪しい。

「これは、宗教──なんですか?」
ほぉ、という息とともに尖った唇は、今にも口笛が聞こえてきそうだった。

鋭い質問だったのか。男の意表をついていたのか。それとも、難なくクリアできる幼稚な問いだったのだろうか。
どこかもどかしい。どんな答えが返ってきても、彼が口を開いたら、たちまち論破してしまうはずの質問だったから。

「そうですねえ」男は宙に視点を止めた。勧誘のマニュアルがあるとすれば、それに従うのだろうか、それとも自分の知識を総動員するのだろうか。隣りに座る彼が、くしゃみをひとつした。

「風邪ですか? 寒いですからね」男は彼を、心配そうな顔で見た。
「失礼しました」

「いえ、お大事に。インドの寓話で、盲人たちが象に触る話をご存知ですか?」
視線を私に戻した男の目は、どこか自信に満ちて見えた。

「盲人が、ゾウに触る?」
「ええ、鼻の長いあの象です」
知ってる? 隣りに座る彼に一瞬目を大きくして少し首を傾げてみた。彼は引き結んだ口角を少し上げて、知っているよ、と伝えてきた。
なら、聞いてみよう。男が嘘を並べたら、あとできっと彼が正しい説明をしてくれる。

「聞かせてください」
私の声に、男は鷹揚に頷いた。



「足を触った者は『象とは柱のようなものです』と答えたんですね。確かに柱のようです。鼻を触った者は『象とは太い綱のようなものです』と答えました。さらに脇腹を触った者は壁のよう、耳を触った者は──」男は自分の耳たぶを人差し指でぴょんぴょんと弾いた。
「団扇のようだと答えました。そんな話です」

頷きながら次の言葉を待ってみたが、男は口を開かない。ほんの数秒にすぎないけれど、長く感じる。これが、もうわかるでしょう? の間だとしたら、明らかに馬鹿にされている。


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誰かに何かをしてほしいと思うのは、ただの願望。
心を察してほしい、見つめて欲しい、認めてもらいたい、というのは恋。

ああして欲しい、こうして欲しい、どうしてわかってくれないの? と思うのは独りよがりの恋。

誰かのために、ただただ何かをしたいと思うのが、きっと愛。
愛だけがきっと、心を開放する。それは報いを求めていないから。報いを求めた時、それは愛の座から転落する。



中島美嘉/雪の華


雪が深々と降り続いています。

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