背中にシャワーを浴びながら歯を磨く。熱いお湯が冷えた体に心地いい。
決して忘れていたわけではないけれど、帰りがけに見た、石畳に広がる焦げたような染みは、やはり正視するのが辛かった。
強い日差しと蝉の声が降りしきる去年の夏、涼やかな風に紅葉が揺れた秋。春を待たずして、あんなところで燃やされ、殺されるなんて、あの若い男女は夢にも思わなかっただろう。
私たちの意志などお構いもなしに、力づくで舵を奪ってしまう運命とは、いったいなんなのだろう。
浴室を出てドライヤーで髪を乾かす。彼はノートパソコンを開いて缶ビールを飲んでいる。
「智也は入らないの?」
「うん、あとで入るよ」
「あたしさ、ちょっとまとめておきたいことがあるの」椅子に座りノートパソコンを開いた。あとで私がいいものを見せてあげる。あなたが少し食いつきそうなもの。
「ああ、かまわないよ。じゃあ、こっちももう少し続けてるから。ま、乾杯」
ビールの缶を合わせた。
食事はいらないという彼の言葉で、近くのコンビニでビールとお惣菜と軽いおつまみだけを買ってきた。
「これ、うまいよね」彼がチョリソをつまんだ。
レンジアップするだけなのに、このソーセージシリーズは馬鹿にできない。お手軽の割に美味しい。
「あたしはね、普通のあらびきのほうが好きかな。白いほう」
こんな会話をしていても、スパークが頭から離れない。この怪現象はきっと、何気ない人々の日常を奪い続けている。
忘れないように頭で反芻していた文章をノートパソコンに打ち込んでいく。それでも間違いはあるだろう。抜けている箇所も多いに違いない。
仕事関係のことでもやっているのだろうか。彼にしては珍しいけれど、静かにしていてくれることは嬉しかった。

ふたりがキーボードを打つ音、缶ビールをテーブルに置く音、ときおり彼がふぅと吐く、ため息の音、そして、コチコチと刻まれる秒針の音がリビングに響く。
静寂は無ではなくて、様々な音の背後に広がる無限のカンバス。人類が生まれいづる前、世界はどんな音を奏でていたのだろう。暖かな音だろうか、冷えた音だろうか。
どんな風が吹いていたのだろう。生温(ぬる)かったのだろうか、それともひんやりとしていたのだろうか。
掛け時計を見たら2時間が過ぎていた。ひとまずプリントアウトをした。彼に読んでもらいたい。どんな反応をするだろう。私がひとりでこんな文章を書けるはずもないから、少しは信じてくれるだろうか。
「電車の中でね」
「うん」ふわぁ、あぅ。彼が伸びをしながらこちらを見た。
「夢を見たのよ」
「夢?」彼が伸ばした手を組んで頭の上に乗せた。「どんな?」
「うん、スパークが終わったって夢。週刊誌を読んだの。でね、それを思い出しながら書いたの」
「え!?」彼が真顔になった。「それ、見せてくれる!」
前のめりに奪うように手に取り、じっと読んでいる。その眉間が険しくなってゆく。
「こっちにきてごらん」
彼に促されて椅子を立ち、ノートパソコンを覗いた。
え……これは、なに。
私が夢で読んだ文章と酷似したものが、彼のパソコンにも表示されているではないか。
「やだ! 同じ?──あたしたち同じ夢を見たってこと?」
それには答えず、眉間にしわを寄せたまま、彼は、じっと何かを考えているようだった。
「おじいさんに話しかけられたんだよ。でね、週刊誌を拾ったんだ。落としたんだと勘違いをしたらしくてさ」腕組みをして椅子の背もたれに体を預けた。
「そのおじいさんと会話して、おじいさんが電車から降りていって──週刊誌を読んだんだ。それから詩織を起こした」
「そうそう、智也に起こされて週刊誌を読んだのよ──ねえ、同じ夢じゃなくて、現実だったんじゃないの?」
「詩織、スパークは終わっていないだろう」
「あぁそうだよね……」
「ということは、同じ夢を見たということになるのか……」
「ひょっとしてさ、二人で未来に行ったんじゃないの?」
「うーん」彼の目が宙の一点を見つめた。
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