「やっぱり仕事ができないから……」
その先の言葉が読めた僕は、発注端末から顔さえあげなかった。
「辞めます」
「そんなこと、俺に言っても無駄」
「店長に電話します」
3日目の新人だ。それも全くの未経験者。
”鉄は熱いうちに打て”
それが僕の信条だ。だから僕が一番口うるさかっただろう。ビビるぐらいに。
かつてこんなことがあった。
ヘルプで来ていた人間が、チケット3枚の内の1枚を違う客に渡してしまったのだ。
女の子3人がなかなか手に入らないコンサートチケットを入手できた。
しかし、結果はどうだ。
ひとりだけが行けなくなってしまったのだ。3人で行けることを楽しみにしていたのにひとりだけ行けないのだ。
無言の中で、あるいはお店への批判の中で、誰が行かないのかを彼女たちは模索しただろう。
これがどういうことかを痛切に分からなければならない。
間違えた男はただ黙っておろおろしていただけだ。
「俺に謝ったって意味はない! なんで枚数を確認しないんだ!」
どうにかならないかとチケットセンターと電話で交渉したのも、女の子に謝罪したのも僕だ。
コンサート当日はどうだったろう。間違えて渡された客が行ったり人に売ったりしない限り、その席は空いていたはずだ。
もしも人が座っていたら、その席の正当な権利者は他にいる。
そこを当日なんとかならないのかと、僕は粘った。
しかし、ダメだった。
そこが決まりごとの限界なのだろう。もしもその席のチケットを失ったのが著名人だったなら、その言葉は通ったのかもしれない。
マニュアルの限界である。みんな”仕事”なのだ。
辞めますと言った男も、チケットの発券をした。2度目の経験だ。
「チケットの枚数が出るから必ず確認しなさい」最初に僕は教えた。それでも気になった僕は発券機を見た。
「もう1枚出てるじゃないか!」
「何枚なんですか?」
「そんなこと俺が知るか。枚数は出るから確認しろと言っただろう!」
なぜそんなにぞんざい口の利き方なのか……僕だって接客の真っ最中だからだ。
手が空いてから口にした。
「とんでもない問題だぞ! お前どうやって責任を取るつもりだ。取れるのか?! 取れる訳ねえだろ!」
いや、チケットの渡し忘れなら方法はあるのだ。チケット自体はあるのだから。
”鉄は熱いうちに打て”だ。
飲食業界における僕の師匠は、やさしく丁寧に教えてくれる人だった。
けれど僕はその真逆になった。その理由は多分、人手が足りない上に忙しすぎるからだ。
でも、うるさいのは最初だけだ。慣れてしまえば、僕ほど放任な人間はいないだろう。
だから、そこを越えた人は懐いてくる。
人を否定しているわけではなくそのことだけを叱責するのだから、30秒後くらいには普通にしゃべっている。
「最初は誰だって何も知らないんだ」
「レストランの方が合ってます」
日本語の理解力がイマイチの人間が言うレストランが、僕たちの考えるイタリアンのリストランテとかトラットリアとか、フレンチのレストランとかビストロではないことは確かだろう。
「逃げるな」僕は顔を上げた。
「負け癖をつけちゃダメだ! レストラン? 俺だってそうだ。ずっと飲食に携わってきた。いいか、最初は誰だって素人なんだ。一度逃げだら癖になるぞ。今を、そこを、乗り越えろ!」
スガシカオ / 春夏秋冬
僕の言葉は多分通じなかっただろう。持ち場が変わったから、それ以降顔を合せなかったからだ。笑顔が接客向きだと思っていた男だっただけに、ひどく残念だ。
もしも近くにいたら、僕は熱く何度でも口にしただろう。
「逃げちゃダメだ。慣れてしまえばすぐに楽になる」と。
そして気づく。
それは、過去の自分に対する叱責なのだと。
だから、ひどく熱くなるのだと。
もしも若い頃、僕のそばに僕みたいな人がいたら、いったいどんな影響を受けたのだろうと思ったりする。
今日の勇気と 昨日のイタミを
同じだけ抱きしめたら
明日のあなたにぼくができること
ひとつくらい見つかるかな
明日に向かう意味を探して
ぼくら立ちすくむけど
大切なもの 守るべきもの
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