風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -20ページ目



高校生の時、偶然ピアノ調律師の板鳥と出会って以来、調律に魅せられた外村は、念願の調律師として働き始める。

ひたすら音と向き合い、人と向き合う外村。個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら、調律の森へと深く分け入っていく―。

一人の青年が成長する姿を温かく静謐な筆致で描いた感動作。


「BOOK」データベースより



2015年のブランチブックアワード大賞に始まり、第154回直木賞候補に選ばれるなど、数々のアワードを受賞。
さらには2016年に全国の書店員が選んだ「いちばん!」売りたい本「本屋大賞」に。



宮下奈都は多くの小説を書いているけれど、初読だった。
読み終えて思うことは、追いかけて損はない作家さんだろうということだった。

山里に流れる小川のせせらぎのように静かな小説だった。
しかし、その静寂の中に音が見えるようで、不思議な引力を持っていた。

とんでもない何かが起こるわけではないけれど、期待感を持たせ続ける力を持っていた。

登場人物もくどすぎず、それでいてはっきりと個性が現れていて苦労なく読めた。
高い評価を受けたのも納得である。

これはきっと、続編が出るのではないだろうか。
だって、物語は始まったばかり。

うん、期待を裏切らない見事な小説だった。


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駅に帰り着きスーパーに寄る。
駅からスーパーを経由して部屋へ向かう道はいつも同じ道だ。

でもたまに、たとえば雨が降り出したのに傘が無かったりとかすると、一本先の道を入る。
すこしでもアーケードを歩くためだ。

たまたまその日は、気まぐれに一本先の道を入った。そのまま歩いて1本目の十字路、左を見るとコンビニがすぐそばに見える。小石をひょいと投げたら軽く届きそうな距離だ。

次の十字路、同じく左を見る。
あれ……遠ざかってる。明らかに遠ざかってる。

気になって次の十字路でも左を見る。
もっと遠ざかってる。
これ、小石を投げても届かないんじゃないのか?



4本目の十字路。もう絶対石は届かない。
いつも通る道って、曲がってるのか?

部屋の建物の角に出て左折するとエントランスだ。
コンビニの通りからすれば、目測およそ3倍ぐらいに離れている。

次の夜、確かめてみた。
いつも通る道は、コンビニの先の十字路から左に角度を変えていた。

そんなこと、今までまったく気づかなかった。
カクンと大きく変わっているならわかったはずだけど、普通に歩いていると気づかないぐらいだ。

ということは、僕は今までずっと遠回りをして帰っていたことになる。

人生でもそんなことってあるんじゃないのかなぁ……。

乃木坂46 『帰り道は遠回りしたくなる』


いいえ、遠回りしたくありません。

そうだそうだ、出勤で駅に向かう時、明らかに遠回りをしている人を見かける。
なんでその道に入るの? という人だ。

午前中に駅に向かう人は明らかにこれから仕事の人だ。
なんで最短コースを通らないのだろうと訝しく思うことが多い。
ほら、僕より前を歩いていたのに後ろになっちゃった。

でもそんな僕だって、本当に駅への最短コースを歩いているのだろうか。


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このタイトルだと、僕が上野の森美術館で開催されている『フェルメール展』を見に行ったと勘違いされそうなので、最初にお断りしておきます。

「行ってません」(;'∀')

かなり気にはなっています。今見ておかないと、もうこの目にすることはできない。

だって、世界に35点しか現存していないフェルメール作品の内8点が東京に来ているのですから。

躊躇している理由のひとつが「青いターバンの少女」が来ていないというのもあります。

2012年の「マウリッツハイス美術館展」で初来日を果たしているからでしょうか?



以前はPCの背景画に長らく使っていたぐらい好きなんですが、縦長の作品なので画面の両サイドが空いてしまい、落ち着きが悪かったです。

そのときだったでしょうか、この作品の名前が変わっていることに気がついたのは。
「真珠の耳飾りの少女」になっていたのです。

ち、違うだろう?
「青いターバンの少女」か「ターバンの少女」でしょ?

気になったので調べてみました。ネットより拝借↓↓↓↓

マウリッツハイス美術館が「真珠の耳飾りの少女」という名前を使うようになったのも1995年以降で、それ以前は 「ターバンの少女(Girl with the Turban)」と呼ばれたり、「少女の顔(”Girl’s face”)」といった名前で呼ばれていました。

「真珠の耳飾りの少女」と正式に名乗り始めたのも、(同名の映画が公開されたこともあり)この名前が広まったのも、実はごく最近のことです。

現在では「真珠の耳飾りの少女」と呼ばれているこの作品ですが、少女が身につけている「耳飾り」は、実は「真珠じゃない」というのが定説です。


フェルメールの作品には「真珠の首飾りの少女」というのがあります。紛らわしいことこの上ない。

これは来日しているようです。フェルメールは黄色が好きです。
鏡を見つめる少女の心が現れているような愛らしい作品です。


「真珠の首飾りの少女」

元の名前に戻して欲しいものです。
だって、僕が恋したのは「青いターバンの少女」なのだから。

フェルメール・ブルーとも呼ばれるウルトラマリンブルーのターバンを巻いた、「北方のモナ・リザ」と呼ばれる謎めいた少女なのだから。

ではここで、臨時のフェルメール展を開催します。


「手紙を書く婦人と召使」



「マルタとマリアの家のキリスト」

「ワイングラス」


「牛乳を注ぐ女」

「手紙を書く女」


「リュートを調弦する女」


「赤い帽子の娘」


「フェルメール展」
会場:上野の森美術館 〒110-0007 東京都台東区上野公園1-2
会期:2018年10月5日(金)~2019年2月3日(日)

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「やっぱり仕事ができないから……」
その先の言葉が読めた僕は、発注端末から顔さえあげなかった。

「辞めます」
「そんなこと、俺に言っても無駄」
「店長に電話します」

3日目の新人だ。それも全くの未経験者。

”鉄は熱いうちに打て”
それが僕の信条だ。だから僕が一番口うるさかっただろう。ビビるぐらいに。

かつてこんなことがあった。
ヘルプで来ていた人間が、チケット3枚の内の1枚を違う客に渡してしまったのだ。

女の子3人がなかなか手に入らないコンサートチケットを入手できた。

しかし、結果はどうだ。

ひとりだけが行けなくなってしまったのだ。3人で行けることを楽しみにしていたのにひとりだけ行けないのだ。

無言の中で、あるいはお店への批判の中で、誰が行かないのかを彼女たちは模索しただろう。

これがどういうことかを痛切に分からなければならない。

間違えた男はただ黙っておろおろしていただけだ。
「俺に謝ったって意味はない! なんで枚数を確認しないんだ!」

どうにかならないかとチケットセンターと電話で交渉したのも、女の子に謝罪したのも僕だ。

コンサート当日はどうだったろう。間違えて渡された客が行ったり人に売ったりしない限り、その席は空いていたはずだ。
もしも人が座っていたら、その席の正当な権利者は他にいる。

そこを当日なんとかならないのかと、僕は粘った。
しかし、ダメだった。

そこが決まりごとの限界なのだろう。もしもその席のチケットを失ったのが著名人だったなら、その言葉は通ったのかもしれない。

マニュアルの限界である。みんな”仕事”なのだ。

辞めますと言った男も、チケットの発券をした。2度目の経験だ。

「チケットの枚数が出るから必ず確認しなさい」最初に僕は教えた。それでも気になった僕は発券機を見た。

「もう1枚出てるじゃないか!」
「何枚なんですか?」
「そんなこと俺が知るか。枚数は出るから確認しろと言っただろう!」

なぜそんなにぞんざい口の利き方なのか……僕だって接客の真っ最中だからだ。

手が空いてから口にした。
「とんでもない問題だぞ! お前どうやって責任を取るつもりだ。取れるのか?! 取れる訳ねえだろ!」

いや、チケットの渡し忘れなら方法はあるのだ。チケット自体はあるのだから。
”鉄は熱いうちに打て”だ。

飲食業界における僕の師匠は、やさしく丁寧に教えてくれる人だった。
けれど僕はその真逆になった。その理由は多分、人手が足りない上に忙しすぎるからだ。

でも、うるさいのは最初だけだ。慣れてしまえば、僕ほど放任な人間はいないだろう。
だから、そこを越えた人は懐いてくる。

人を否定しているわけではなくそのことだけを叱責するのだから、30秒後くらいには普通にしゃべっている。

「最初は誰だって何も知らないんだ」
「レストランの方が合ってます」

日本語の理解力がイマイチの人間が言うレストランが、僕たちの考えるイタリアンのリストランテとかトラットリアとか、フレンチのレストランとかビストロではないことは確かだろう。

「逃げるな」僕は顔を上げた。
「負け癖をつけちゃダメだ! レストラン? 俺だってそうだ。ずっと飲食に携わってきた。いいか、最初は誰だって素人なんだ。一度逃げだら癖になるぞ。今を、そこを、乗り越えろ!」

スガシカオ / 春夏秋冬



僕の言葉は多分通じなかっただろう。持ち場が変わったから、それ以降顔を合せなかったからだ。笑顔が接客向きだと思っていた男だっただけに、ひどく残念だ。

もしも近くにいたら、僕は熱く何度でも口にしただろう。
「逃げちゃダメだ。慣れてしまえばすぐに楽になる」と。

そして気づく。
それは、過去の自分に対する叱責なのだと。
だから、ひどく熱くなるのだと。

もしも若い頃、僕のそばに僕みたいな人がいたら、いったいどんな影響を受けたのだろうと思ったりする。


今日の勇気と 昨日のイタミを
同じだけ抱きしめたら
明日のあなたにぼくができること
ひとつくらい見つかるかな

明日に向かう意味を探して
ぼくら立ちすくむけど
大切なもの 守るべきもの
やっと少しだけわかったんだ



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何が真実か、そもそも真実とは何か。
100の人に100の真実があったって不思議じゃない。

心はどこにあるのか。思いは何色なのか。
細い糸を手繰り、タイトロープを渡り、僕たちは手探り合い確かめ合う。

相手の存在が大きくなればなるほど、僕たちはすれ違ってゆく。

すこしの理解と少しの誤解が僕たちの世界を型取り、僕たちは思いもしないどこかへ向かう。

心裏腹に。迷走気味に。


スガ シカオ(SUGA SHIKAO) / アシンメトリー



涙の色はきっと にぶいぼくには見えやしないから
自分が思ってるよりも 君は強い人間じゃないし

抱きしめるぼくにしたって 君と何もかわりなんてない
ヒドイ嘘をついてふさぎこんだり
あてもない夢を見たり
生きてくことになげやりになったりして…

君の涙の色はきっと にぶいぼくには見えやしないから
そう…だから何度も 君のその手を確かめる

きっと ぼくらの明日なんて 始まりも終わりもなく
そこにぼくと君がいればいい


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〇〇館〇〇〇号室にお住まいの方へ
帰ってくるとチラシが入っていた。

ケーブルテレビの定期点検だ。
前回はぶっちぎったから、4日の日曜の午後に入れてあったのだ。午前中が埋まってしまっていたので、しかたなく午後だ。

公園で『横道世之介』を読み終えて、買い物をする時間はなかったのですぐに帰った。
2時間半、訪問指定時間まで待ったけど来なかった。

長引いてしまって時間内に来られなかったのだろう。
お休みの日をこういうのに振り回されるのが一番困る。

時間ピッタリまで待った僕はすぐに自転車を飛ばした。
いつもの買い物プラス、またもや文庫本ケースだ。

キャン★ドゥはどこかにないだろうか。
電車に乗るのは面倒だけど、自転車で行ける所ならとネットで探したら、地元にあった。

ヨーカ堂の中だ。
行ってみて気がついた。何年か前にも来たことがある店だった。
広くはないから期待はできない。

あった!
でも、seriaで買ったものと全く同じものだった。
ダイソーは相変わらず売り切れていたので、しょうがなく2つ買った。

そしてそれは、すぐに満タンになった。
パソコンデスクの横に3段積みで2列、壁ができてしまった。

もう少し、いらないものを捨てて、文庫本置き場を作らなきゃな。

BOOKOFFに持っていくつもりはない。読んだ小説は自分の歴史だし、持っていくだけ無駄! な値段しかつかないだろう。

学生の頃、バッグにたくさん本を積めて古本屋に持っていったことがある。高田馬場だった。

『日本沈没』小松左京。
それを手にした店主が目の色を変えて言った。

「上下巻揃ってる?」
「ありますよ」
僕は期待した。

でも、全部売っても安かった。電車賃の無駄だった。
それ以来、僕は本を売ったことがない。売るぐらいなら潔く捨てる。
引っ越しのたびに僕は、何百冊と捨ててきた。

本をゴミにしてはいけない。
それぐらいの強い意識を持ってほしいと思う。

それができるのは、独り勝ちのBOOKOFFだけだろう。



もうかる商売だけがしたいのか。
それとも、本を大事にしたいのか。
BOOKOFFに問いたい。

ふと今思い出したことがある。
新刊本を買う。
カバーがちょっと大きかったりすることがある。
それを放置するとへこんで見苦しくなる。

僕はそれに定規を当てて、慎重に慎重にカッターで切ったりしていた学生時代だった。

BOOKOFF本社の経営者に物申す。

世の中に古本をもっと回すためには、己の利益を圧縮してでも、買取価格を上げるべきである。

それが本に対する、愛である。


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大学進学のため長崎から上京した横道世之介18歳。
愛すべき押しの弱さと隠された芯の強さで、様々な出会いと笑いを引き寄せる。

友の結婚に出産、学園祭のサンバ行進、お嬢様との恋愛、カメラとの出会い…。

誰の人生にも温かな光を灯す、青春小説の金字塔。第7回本屋大賞第3位に選ばれた、柴田錬三郎賞受賞作。


「BOOK」データベースより


読んでいて気になったことがある。これ時代が古そうだけどいつの発刊だろう? 確認すると単行本が2009年だ。

どういうことだろう……。

読み進めるうちにようやくその謎が解けた。
20年後がクロスオーバーしてる小説なんだと。

後半になって、歌を始め時代のキーワードはいくつか出てくる。

俵万智の『サラダ記念日』
フィリピンのアキノ大統領誕生。

ということは、横道世之介が生きていれば還暦に手が届く年齢になる。

いい意味で、吉田修一らしからぬ小説だった。

読んでいて笑えるとかすごく面白いという内容ではなかったけれど、後半から期待が高まった。最後まで読み切ったら、後々印象に残る傑作に違いないと確信に近いものを感じた。

終わりに近づくにつれて、ページを捲るのが惜しくなってきた。

結末は哀しいのだけれど、それは途中でネタばらしをしている。
その数行を読んだときは、え?! と驚いてしまった。

「絶望ではなく希望を撮り続けたカメラマン」
「この子はダメだ助けられないとは思わず、大丈夫、助けられると思う子」

学生時代世之介の恋人だったお嬢様、与謝野祥子の言葉が印象的だ。
「いろんな事に『YES』と言っているような人だった」

僕の最高に近い誉め言葉で閉じよう。

いい小説だった。


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夜空を見上げてふと思う。

胸の奥でふつふつと熱を持ち続けたもの、なりふり構わず叫んだもの、心の奥底から希求したものたちを。

それには、若かったな、子供だったな、とだけでは片づけられない、迷いながらも確信めいた、不思議な力があった。

大人になるにつれ、そんな情熱や純粋さや一途さから遠ざかってきたこと気づく。

それを冷めたというのか、それとも正気に戻った意味で醒めたというべきなのか。

ふぅと吐いたため息だけが、それを知っているのかもしれないけれど。

狂気と正気と、沸騰と冷却の狭間で見つけるものは何だろう。


黄金の月 / スガシカオ


ぼくの情熱はいまや 流したはずの涙より
冷たくなってしまった
どんな人よりもうまく 自分のことを偽れる
力を持ってしまった

大事な言葉を 何度も言おうとして
すいこむ息は ムネの途中でつかえた
どんな言葉で 君に伝えればいい
吐き出す声は いつも途中で途切れた

知らない間にぼくらは 真夏の午後を通りすぎ
闇を背負ってしまった
そのうす明かりのなかで 手さぐりだけで
なにもかも うまくやろうとしてきた

君の願いと ぼくのウソをあわせて
6月の夜 永遠をちかうキスをしよう
そして夜空に 黄金の月をえがこう
ぼくにできるだけの 光をあつめて
光をあつめて…

ぼくの未来に 光などなくても
誰かがぼくのことを どこかでわらっていても
君のあしたが みにくくゆがんでも
ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても

夜空に光る 黄金の月などなくても


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「恋」のドキドキ感は、時とともにやがて失せる。
けれどそこに「愛」が芽生え、最後にそれだけが残れば、それをきっと、成就と呼ぶ。

海ゆく魚が水に恋しないように。
流れる雲が空に恋しないように。

なぜならそれは、何疑うことのない存在だから。

「愛」は高揚感じゃなくて、とても静かで、とても確かな温もりだから。


スガシカオ / 愛について


『愛について』
作詞:作曲 / スガシカオ

ただひとつ 木枯らしにこごえる日には
かじかんだ手を 温めてほしい

なにひとつ 確かに見えなくても
おびえる事は 何もないから

ぼくらが もう少し 愛についてうまく
話せる時がきたら くらしていこう
すばらしく すばらしく 毎日が過ぎて
悲しみに出会う時は 涙を流そう

夜がきて あたたかいスープを飲もう
明日も きっと また寒いから

Oh baby ぼくは君に 話しかけてる
あの日のように いつものように

ぼくらが もう少し 愛についてうまく
話せる時がきたら くらしていこう
すばらしく すばらしく 毎日が過ぎて
悲しみに出会う時は 涙を流そう


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寒くなってきましたね。
空気が乾燥してきたよと、かなり前から手が教えてくれてました。
今日はすごく乾燥しているよと、唇が教えてくれました。

みなさま、風邪など召しませんように。
おやすみなさい。

ぷくっと生まれたちいさな水泡が、ゆらりゆらりと水中を駆け昇り、やがて水面で音もなく弾ける。

そんな風に、古い歌に耳を傾ければ、当時の情景が浮かぶものというのは多かったりする。

けれどこの歌は、なにひとつ映像を結ばない。
それなのに、ひどく切なくて心を締め付けてくる。



そのころの僕は、誰かに恋していたのだろうか、それとも、木枯らしに耐える木のように、孤独だったのだろうか。
今の僕にはわからない。

恋する過程のある瞬間と、孤独は似ているのかもしれない。


My Love / Paul McCartney & Wings



1972年3~12月に録音されウイングス4枚目のシングルとして翌1973年3月23日に発売。イギリスでは最高位6位だが、アメリカのビルボード(Billboard)誌では1973年6月2日よりランキング第1位を4週間飾った。

ビルボード誌1973年年間ランキングは第5位。また、キャッシュボックス誌でも、6月2日付けから第1位を4週間獲得し、年間ランキングでは第6位を記録した。

リンダへの愛を歌った甘いラヴバラードで「心のラヴ・ソング」と共にウイングスの代表曲。

─Wikipediaより─

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