日曜夕方の放送で “ベトナム戦争” を取り上げていた。
現地での進行は、やらせだの専門家のパクリだのと何かと批判があったりする池上彰。お供はアシスタントと思われる女性と宮崎美子。
その中で報道カメラマン “沢田教一” が撮った一枚の写真『安全への逃避』が紹介された。
この写真ずいぶんと昔に見たような気がする。もちろん本物をではなく、テレビかネットだったと思うんだけど。
アメリカ軍の爆撃を逃れ、子供を抱いて増水した川を渡るふた家族。女性ふたりが母親のようだ。大きく映ったその必死の形相が胸を打った。
これは写真をクリックしてアップで見てほしい。

「安全への逃避」
だるくて横になっていた僕の目からは拭っても拭っても涙があふれ、ついに起き上がることになった。
これを書いている今だって、プレビューでふたりの母親の表情を見ると駄目だ。
写っている子供3人が写真を展示してある場所に現れ、池上彰と話をしていた。母親は終戦の年に亡くなったそうだ。
当時、朝食の準備をしていると自宅近くでナパーム弾の爆撃が始まり、家族や近所の人々とともに川に飛び込んだところ、撮影していた沢田に助けられた。周辺にいた米兵の一部は銃を向けていたが、発砲はされなかった。
沢田はその後も村を何度か訪れて子供たちにケーキを配り、死亡の知らせが伝わると村中が悲しんだという。また生き残った一家にピュリツァー賞の賞金36万円のうち6万円と、「幸せに」と書いた「安全への逃避」の写真を贈ったという。
─Wikipediaより─
沢田教一撮影
1966年(昭和41年)
1月29日 - 2人の米兵が塹壕から引きずり出したベトコン女性兵士を連行する写真『敵を連れて』を撮影。

「敵を連れて」
2月21日 - アメリカ軍のM113装甲兵員輸送車がベトコンの死体を引きずっている写真『泥まみれの死』を撮影。

「泥まみれの死」
4月22日 - 『安全への逃避』が1966年度アメリカ海外記者クラブ賞第1位を受賞した。
5月2日 - 前年撮影した『安全への逃避』を含む全28点の写真集について日本人としては2人目のピューリッツァー賞 写真部門を受賞。
12月16日 - 1966年ハーグ世界報道写真展で『泥まみれの死』が第1位、『敵を連れて』が第2位を獲得した。

この後UPI通信社とライバルだったAP通信は二倍の給料を提示し、またナショナルジオグラフィック協会からも引き抜きがあったが、沢田はどんなに好条件を出されても全く応じなかったため、「サムライ・フォトグラファー」と呼ばれるようになっていった。
─Wikipediaより─
カンボジアで取材中に銃撃され、34才で殉職した。生涯ライカを愛用したという。
風に吹かれて / ボブ・ディランが原点の吉田拓郎
Blowin' in the Wind / Bob Dylan
どれだけの砲弾を発射すれば
武器を永久に廃絶する気になるのか
為政者たちは いつになったら人々に自由を与えるのか
どれだけ耳があれば 悲しみが聞こえるのだ
人はどれだけの死人を見れば これは死に過ぎだと気づくのか
答えはただ風に吹かれている
友よ 答えはただ風に吹かれているんだ
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