何かをやりたいけど整理できていない方へ、行動を起こすヒントを伝えるブログ -26ページ目

ペタくださった皆様へ

こんにちは

私が最後に押したペタ、3/14。
10日近くペタが押せていません・・・
ペタ返しできずにごめんなさい。
しばらくペタを押せない生活が続きそうです。
来週終わりには日本に帰国できると思いますので(たぶん)、帰国して落ち着いたら皆様のブログ拝読させていただきます。


ボストン便り2

こんにちは

アメリカに来てから8日が経ちました。
さすがに時差ぼけはだんだん良くなってきた?気がするのですが、まだぐっすりは寝れていません・・・
今日は土曜日ということもあり、少し余裕があったので周りの散策をしてみました。

強みハイライトインタビューアー りょうのブログ-散策道
ここは原生林を切り開いて作った街らしく、ホテルの周りは自然がいっぱいです。
今朝は野生のリスやアライグマ、飛んでいるカモに会えました。

強みハイライトインタビューアー りょうのブログ-アンドーバーの川
川沿いはお気に入りの散歩道。

強みハイライトインタビューアー りょうのブログ
ボストンから北に30分ほど、アンドーバーの街です。
今はこの街で仕事をしています。
街中をドライブすると、アンドーバーの高校を見つけました。
私は高校時代に一年間アメリカで過ごしましたが、懐かしい思い出がタイムスリップしました。






ボストン便り

こんにちは


土日の雨と深夜までの作業で、なかなか外に出るチャンスがありませんでしたが、

昨日の朝は久々に晴間が見れました。

時差ぼけで朝4:30 に起きられることをいい事に、朝の散策した写真です。



強みハイライトインタビューアー りょうのブログ-近くの川

近くに川がありました。

ボストンといっても実際はボストンから30分ほどの街なので自然がたくさんあります。

強みハイライトインタビューアー りょうのブログ-水溜りが凍っていた

アメリカでも北の方のボストンはまだまだ寒く、水溜りは凍っていました。


強みハイライトインタビューアー りょうのブログ-泊まっているホテル


宿泊しているホテルです。

ボストンは1630年にイングランドから来た清教徒たちの手によって築かれた街だそうです。

レンガ造りの家が多くあり、街もヨーロッパの雰囲気があります。


このホテルは長期滞在型で部屋にはキッチンがついています。

日曜日はスーパーで買った冷凍食品のチキンパイを買って食べました。


今は朝の6:30 。そろそろ出勤準備です。

過去に反響の大きかった記事

フィードバック

こんにちは


コーチングが機能する理由の一つにフィードバックがあります。

フィードバックとは、目標に向かうために現在がどの位目標からずれているかを知るもの。

コーチとの話し合いで常に目標との差分を確認していくことにより、目標に近づいていくことができます。


このフィードバックの大切さを私はボストンに来てまざまざと感じました。


初日。

乗り継ぎの飛行機に乗り遅れ、遅い夕食をボストン近郊でとりました。

やはりアメリカンサイズ、こんなでかいどんぶり食えないよーと思いながらペロリと食べてしまった私。


いつもならばこんな時に体重計が「やばいよむかっと教えてくれます。


このフィードバック機能を失った私、

朝、バナナ一本に抑えようと思いつつソーセージ、ポテト、オムレツを追加(追加というレベルではありませんが・・・)

昼、サラダメインにしようと思いつつピザを追加(カロリー的にはこっちがメイン)

夜、お客様とディナーで、当然のごとくすごい量の食事。


フィードバックが無いことが、これほどまで危機感を失わせるのかと、30回腹筋やってダウンしました。

今は自分の満腹感だけがフィードバックの頼りです。

もうすぐ夜の11時、明日は控えめにしておこう・・・

無事到着です。

こんにちは


どたばたの出張ですが、無事ボストンに到着しました。


経由地を全くチェックしておらず、どこに行くのか分かってなかったり、

経由地の通関で時間がかかって次の飛行機乗り遅れたり

いろいろトラブルもありましたが、無事に到着です。


ボストンは日本よりも肌寒く、コートを着ていても少し寒いです。

時差は14時間、今朝5:30 です。

睡眠改善薬を飲んでいつもよりか寝られましたが、まだ多少時差ぼけ感がありますね。


30代への想い

こんにちは
強みハイライトインタビュー、40人目はこの人
達成欲 活発性 社交性 未来志向 成長促進
を持つ

日浅さん

です。


勉強カフェ

の副社長で日本の30代を明るく元気にしたいという組織、DW30 の発起人でもある日浅さん
今回は、日浅さんの30歳2日目に、DW30を立ち上げるまでのお話を伺いました。


私の人生の目標は、80歳までに「世界から貧困と戦争をなくすこと」。
今の目標は、「前向きな大人を全力で支援し、その方の人生に少しでもお役に立てること」
その中で、30代の支援活動を具体的に行う【Design the Way of 30's】 を運営中です。


■30代の見えないパワー


以前の会社でマネージャーをしていた時は、部下に30代の年上人達が多かったのです。
20代の私から見ると30代の人達はあまり会社で生き生きとしているようには見えなかったのですね。
論理的で話しは上手い。でも発言は減って何より熱さが感じられませんでした。
20代の方が粗いけど熱い。


ところが、30代の一人ひとりと話をするとみんな熱いものを持っている。

海外に出て働きたいという人もいるし、
結婚直前の人は結婚しても主婦でよりよい生き方をするグループを作りたいという人がいる。

みんな熱いものを持っているのに、会社ではそれが出てこない。
みんな自分を出せる箱さえあれば出せると思ったのです。
DW30 を立ち上げたのはそんな想いもあります。


■人生のミッション


もともと戦争と貧困と無くしたいと思ったきっかけは20歳の時です。
その頃私の通っていた学校に、ザンビアから「キム」と「マサシ」という
20歳後半の国費留学生がやってきました。


「ザンビアってどこ?」
って言う感覚しかなかったのですが、
彼らは一番近くのバス停まで6時間かけて歩いて、
そこから空港まで一日半バスに
乗って、パリ経由で日本に来たのです。


日本に来ているのは国費ですから
決して彼らがお金を持っているわけではない。


■ザンビア人の夢


彼らの夢を聴いたら、「長生きがしたい」って言うのですね。
いくつまでって聞いたら80歳まで生きたいて言うのです。
日本では平均寿命が80歳ですから最初はピンとこなかったのですが、
これって自分の国の常識をひっくり返すことなのです。


ザンビアは当時平均寿命が世界ワースト5に入る国で、平均寿命が32歳なんです。
子供も5人に一人は亡くなる環境で大人になっても戦争で死ぬリスクが高いのです。

生きたくても生きられない、死がとなりにある社会です。

日本では信長の頃が平均寿命50歳といわれていましたから、
それよりも前の時代と同じ事になるのです。

平均寿命の倍以上生きたいということなので、
日本で言うと200歳まで生きると言っているのと
同じ意味になるじゃないですか。


「同じ国民でも80歳まで生きられるという所を見せて、
 国民の希望になるんだ、国に勇気を与えるんだ」

自分にとってはありえない発想だと思ったんです。


彼らの言葉は10年経った今でも
少しずつ自分の中に染み込み続けています。


■ミッションを持った人の魅力


彼らは希望に満ち溢れていて発する
エネルギーがすごいんです。

彼らは子供の目のまままっすぐ大人になった目で、
日本人の大人でそんな目の
人に会った事は無いと思いました。


彼らが日本にいた一年弱の間、
そのエネルギーを浴び続けました。


彼らの「80歳まで生きたい」という最初の言葉は、
胸にドーンと響きました。

そして一年くらいかけて考えて、
戦争と貧困をなくすという目標を立てました。


自分の中では戦争と貧困、
どっちかだけ無くしてもしょうがない、
同じ意味に近いと思っています。


■先進国に生きる人間の役割


日本を含む先進国は、ザンビア等の資源国から
多くの資源をもらって豊かにさせてもらっています。


先進国である日本人として生まれたか自分は、
彼ら資源国の人たちに対して
何かをしなければならないと思ったんです。


その何かには、非常に悩みましたが

「自助努力できる環境を彼らに
作っていくことが何かないか?」

それが、「教育」だと思ったのです。


ODAでいくら先進国が援助を行っても
末端の人々までは届いていないのです。


そこで学校が社会に及ぼす影響を扱う
社会教育学を学ぼうと大学院を目指しました。


親父にも

「30歳になるまでは好きにしていていい。
そのかわり30になったら責任ある行動をしろ」

と言ってくれていました。


■転機


しかし、そんな夢も長くは続きませんでした。

2003年1月6日---

仕事の昼休みの時間に
突然祖母から電話がかかってきました。


「お父さんが死んだよ」

と。

「誰の?」

って聞き返してしまいました。


当時親父はまだ53歳でしたが
心臓発作での突然死でした。


あまりに突然の出来事に
悲しみに暮れそうになりましたが、
二人の妹はまだ学生の身、
母は悲しみを表に出すような人で無いので、
家族を支えるのは長男の俺しかいないと
その時想い、悲しい部分は伏せました。


仕送りなんて大それたことはできなくても、
少なくとも自分の生活は自分でしないとという
責任感が強くでていました。


無事に葬儀を終え、東京へ2週間ぶりに帰ってきました。
最初に立てた大学院のビジョンは捨てましたが、
学者ではなくビジネスパーソンとして夢に近づこう。


夢だけは絶対あきらめなければ
ルートは変えてもたどりつけるだろう


■ビジネスパーソンとしてのスタート


人のご縁もあって、就職はすぐに決まりました。
順調に仕事での成果も上がり、一年程で役職につくことになりました。

しかし、いつの間にか最初の志を忘れ
テングになっていました。


仕事でも結果が出て25歳である程度の権限も持たせてもらって、
「できるやん、俺」みたいな感じで
毎日飲んで、夜中になったら会社に戻って
朝から仕事みたいな生活を続けていました。


お金ができたら飲みに使うという生活で
半年くらいたった頃、非常にまれな口内ヘルペスができ、
4日間入院したのです。


何も食べられない、まともに水も飲めない生活になり、
自分を見つめる時間が多くなりました。


そんな時にベットの上でザンビアの留学生の事を思い出し、

「あいつらと約束した生き方ができてないなー」
「彼ら何しているのかなー」

なんて考えたら恥ずかしくなってきたのです。


ちょっと仕事上手く行って
調子にのってハメを外して。

自分が本当に情けなかった・・・


■ビジネスパーソンとしての自覚


本当のビジネスモードになったのはここからです。
飲みに行く回数も減らして、その分自己投資に回しました。


25歳から年間500冊の読書に挑戦し、
28歳までのべ2000冊の本を読みました。


そんな中、
近代マーケティングの父、フィリップ・コトラーや
世界最高のコンサルタント、トム・ピーターズ
世界一のコーチ アンソニーロビンズ等の本を読む中で、
彼らが尊敬するというピータードラッカーに辿り着きました。


僕、かなり極端なんですね。
決めたらガーって行くのです。


ステージが変わったっていう感覚が自分の中にあるんですが、
そうなると、今までと優先順位がガラっと変わるのです。


そこからは超インプットで自己投資に年間何百万と使いました。
年収500-600万の頃でしたが家賃は五万円位でしたので
貯金ゼロで2-3万仕送りしてあとは全部自己投資に回しました。


会社の外で学んで学んだ事がすぐビジネスに生きるのです。
人との交流は好きなので飲みにもいくのですが、
時間を空けて飲みにいくという感じでした。


■ヒューマンエラー


そんなことが続いたある日、私はヒューマンエラーを起こしました。

メールの添付資料が、予定のものと違うとのことです。
しかし、送信先とは事前に協議をしていて、
その資料でもかまわないと確認はとっていました。


しかし、社内規定もあり、
事前の予定と違うものだからこれは、
大問題だということになりました。


「日浅さんを外してください」


私は、言い訳をせずに、
そのプロジェクトから外れました。


当時の上司も、
クライアント側の意見には逆らえず、
更には、なんてことをしてくれたんだと
私は責任を取らされました。


私が完全に正しいとは思いません。
しかし、一抹の理不尽さは感じました。

「正しいことが通るわけではない。」

それが、
社会の有様なんだと自分を納得させました。


ちょうどこの頃は、軽度の鬱だった頃でした。

毎朝6時に起きていたのが会社にいく7:30ギリギリまで起きれなくなっていたのです。

一日一回トラブルが報告されてくるという頃でした。

毎日トラブル処理をしていてすごく疲れていました。


私の上司とも折りが合わず、
自分で責任を取るしかないと感じていた頃でした。


朝の一時間は本を読んだりする時間で自分にとっては
大事な時間だったのですがそれができなくなって
やる事に追われてしまって、自分の中で焦りが出てきました。


産業カウンセラーに相談したところ、
過労だから病院に行って来いと言われました。

そこで軽鬱と診断されました。


なんでそんな診断になるの?と先生に尋ねたところ、


「上手く行っていない事を肯定しているから
 軽鬱で済んでいるのですよ。
 本来の自分がやりたい事と違うと思う人は
 だんだん本当に鬱になっていくのです。
 脳も内蔵なので、過労になると脳も疲れるんです。
 脳の疲れが軽鬱病なんです。」


と言われました。


その話を聴いて

「あー、そうそう。上手く行っていない事認めてるな。」

と思いました。

そこで根本から変えてテコ入れをする事にしました。


■正直さと誠実さ


私の直接の部下の事を考えた時、
彼らを不幸にしてしまう事はやってはいけないと感じました。


部下にとっては上司である私と
その上司がいがみ合って異なったメッセージを発しているのです。


私の上司はこまめに報告を欲していたのですが、
私はそれがめんどくさい。

週に一回ミーティングして
報告しているからいいでしょう。


相談するのは重要な問題にして
現場で解決できることは現場でやるべきでしょう。


というのが私の考えだったのですが
そこが彼にとっては良く思っていない部分でもありました。


私も成果を上げて成功して、注目される立場でしたので
その事をよく思わない人もいるのです。


もしかしたら自分の上司も僕自身の事を嫌いなのではなく、
逆転されるかもしれないと思っているのではないか
と仮説を立てました。


だったら脅威でもなんでもない、
本心を話せばいいと思いました。

上司を蹴落とそうなんて気持ちは全く無く、
部下が苦しんでいるのを何とかしたいという気持ちで、
「報告書をちゃんとあげます。申し訳なかったです。協力してください」
と頭を下げました。


自分が折れて彼らが改善するなら謝っちゃえーという感覚でした。


今でもアホに見られたい、
できない男に見られたいと思っているのは
そんな所からきているのかも知れません。


上司に「ホウレンソウ、正直苦手なんです」と切り出し
「わかりました、できる限りやります」と伝えました。


上司も、笑いながら「お前は目立ちすぎなんだよ」と言ってくれました。

この和解が大きく、軽鬱はそこで終了しました。


私が別なコンサルティング会社に転職した時も、
「お前だったらできるから」と最大の敵が最後は最大の味方になって
気持ちよく送り出してくれました。


この経験で自分というものに固執しなくなったように思います。
「今何を最も重要視しないといけないのか?」

を考え、
自分のプライドよりも優先しないといけない事に
出会う事ができました。

自分を殺す事に違和感が無くなり、
良い意味で転機になったのです。


■マネジメント


そうするとみんなも聞いてきてくれるようになるのです。
当時で述べ100人以上のマネジメントを行いましたが、
彼のため・彼女のために合うアドバイスの在庫はたくさんありました。


最初は自己顕示欲もあり、
アドバイスをするのですがアドバイスを与えられると
失敗した時にアドバイスをしてくれた人のせいにしてしまう。


その感覚が1%でもあるとその人の中の
蓄積率が変わってしまう。


それがもったいないので
自分で考えて決断してもらい、
成功・失敗という経験をしてもらうようにしました。

その方がその人の人生ではプラスになりますので。

ヒントを助言する、
決断を迫る事も無いというスタイルに変えました。

人は誰かに頼りたいという気持ちがあります。

自分もそうです。
だからこそ、そこを分かりつつその人の可能性を信じて
マネジメントしていきました。


一人ひとりにかける時間がとれないという
部分もあるのですが、ヒントを与え続けていくうちに
組織が回り始めました。


■勉強カフェとDW30~30歳からの新たな挑戦~


「戦争と貧困を世界からなくしたい」

これを人生の使命と決めてから10年が経ちました。

振り返ると20代は自分のために生きてきました。
戦争と貧困をなすくために、自分自身が成長する20代でした。


世の中では、30歳になると「大台に乗った」と言われることが多いですが、全然そんなことはありません。確かに、社会的な責任が増えて、
家庭を持つ人も増えて、20代の頃のように、夢や希望を語る機会よりも、現実的な常識を見る方が多くなってきます。


でもでも、30代になっても夢はありますよ。だって私なんて、
30歳になっても、新しい夢や目標が沢山出てきていますから!!!
そんな熱い思いをもっともっと共有しましょう。逆に、どうしようもない悩みだって共有しましょう。

私には特別な能力はありません。だからこそ、真っ直ぐに思いを語り合える場を作って、
皆さんが何か思い立ったときに、駆け込んでくれる場所を作ります。


「貢献することが、自分の人生」なんて、偉そうなことは言えません。
私はこのDW30の活動を「自分のため」にやっています!!
ただ、その「自分のため」のほんの1%でも「誰かのため」になったらいいじゃないか!!
ぐらいの気持ちです。


DW30を作り、ブックマークスの副社長として勉強カフェを運営し、
今では毎日ディズニーランドに来ているような感覚です。


人間として夢を実現したい。
みんなで支え合う環境を作る。
その最初の一歩がDW30 だと思います。


これが世界規模に広がれば、
戦争と貧困が無くなるだろうと本気で思っています。

もっと身近では人生で悩んだ人が、
同じように苦労をしていきた年代同士の
空気に触れ夢を支え会う事ができればそれでいいと思います。


親父の言っていた30歳からの責任が形としてできたものが
DW30なんじゃないかと思います。


今まで41名の方にインタビューのご協力をいただきました。

インタビューの様子は、
人生のハイライトインタビュー集の目次

をご参照ください。

ありがとうございます。


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ありがとうございます。

明日から

こんにちは

すっかり更新が滞ってしまいました。

昨日決まったのですが、明日からボストンに出張です。

今回は2週間の長期滞在。

ゆっくりできる時間があるとよいのですが…


無駄だと思っていた2年間は、一番大切な事を学んだ2年間

こんにちは

今回のインタビューは、
最上志向、ポジティブ、社交性、コミュニケーション、自己確信を持つ

きっしゃん寿司
の岸本さんです。

大学時代のラクロス部内のなんでもランキングで
『女好き』1位、『エロい人』2位に見事ランクインしたきっしゃん、

今回は、
「僕のピークは、高校野球の頃ですよー。あと一勝で甲子園でした。
実は兵庫大会は地区予選の4回戦から甲子園球場を使わせてくれるのですけどね」
と明るく笑うきっしゃんが、教師を目指して勉強カフェに通うまでのお話を伺いました。


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教師になる夢は予備校の時に決めました。

僕最初中学で野球をやっていた時には補欠だったんです。
そこそこ強いチームだったんですけどね。
引退して、高校でも補欠だったらくやしいだろうなと思いました。

僕足があるわけでは(俊足では)無いし、バッティングも特別良いわけではなかったですから。
何なら勝負できるかなと考えて、キントレだったら努力だけで勝負できると思ったんですよ。
今でもキントレやっているルーツはそこからですね。

野球部に入って一年夏になると3年生が引退するじゃないですか。
秋の大会までガムシャラにやっていたら、たまたまプロ級の野球選手にバッティングを教わる機会が
あったんです。
その一ヶ月で急成長できて、そこからレギュラーをとったり取られたりというところまで来ることができました。

でも1年から2年になったとき、監督が変わったんです。
野球をあまり知らない監督だったのですが、
そこで突然スコアラーやれ言われて、全然試合に出れなくなってしまいました。
レギュラーとして試合に出ているあいつらより自分の方がうまいよ
野球も知らない監督がなんで・・・
と腐りかけて家でも愚痴っていました。

やってられんわと言っていたら、親父に一言いわれました。
「お前がイチローや松井くらい実力があればその監督でもお前のこと使っているぞ。」
この一言で目が覚めて、そこから誰よりも練習して、誰よりも声出すようにしました。

そんな時、また監督が変わったんです。
その監督が、突然試合中に代打で使ってくれて、その時は三振だったのですが
5月から6月も試合で使ってもらえるようになりました。

そして2年生の夏の大会が終わると、
「岸本、キャプテンやってくれ」
といわれました。

引退した後で、
「何であの時補欠だった自分を出してくれたのですか」
と聞いたところ、
「一番元気そうだったから」
と答えてくれました。

いろいろ厳しい監督でキャプテンとしては部員や保護者との間で大変なこともありましたが、
自分にとっては恩師ですね。

僕高校3年時には、そんなに将来こうなりたいっていうものは無かったのです。
3年になって、大学いかなあかんねんな、
将来なりたいもの無いなー
と思いながら、体育大ばっかり受けていました。
勉強全然してなかったですからね。
結局全部落ちて浪人でそこから予備校に行くようになりました。

予備校になると一気に自由です。
その中で、世界史の川野先生がとても面白かったのですね。


30歳前後のブーツはいているような女の先生だったのですが、全身全霊で授業する人です。
大声張り上げて、教室中を歩き回って、感情を込めてといった感じで授業をして、
授業が終わるとヘロヘロになっていました。

最初は衝撃でした。
なんやこの人って思いました。
その中でみんなもバンバン手を挙げるのです。

川野先生が、「歴史は人が歩んできた人生だ。
社会とのつながりを考えて、こういう風に考えたら自ずと歴史で起こったようになるでしょう?
それが実社会との関連性になるんだよ。
じゃあ君たちはどうするの?」っていつも言っていました。

毎回フィードバックの紙を書かせるのですが、僕ら100人近くに対して一人ひとりコメントするんです。


強みハイライトインタビューアー りょうのブログ

(写真はきっしゃんがインタビューの時にもってきてくれた川野先生のコメント)


毎回授業のあとに先生を囲んで話がしたいって10人位で集まっていましたね。

第二次世界大戦はヒットラーのファシズムとなっていましたが、
ヒットラーが暴走するって分かっていて放置していた人達もいたのです。
歴史って事件があると人のせいにしているけど、
問題が起こるまで原因を放っておく周りにも責任があるんだって知りました。

歴史を学ぶって事は、行き方を学ぶ事だって実感しましたね。
僕の大学時代、体育会で遅刻する人を周りが批判する場面があったのですが、
自分から自然に遅刻を許す空気があったのが問題なんと違う?と聞けました。
今思えば、あの時の先生の授業の影響かなーと思いますね。

先生と仲の良い10人位で授業が終わった後に、
先生ここわからんわーっていう話にすぐなるのです。
その時に先生が、誰かこのこと授業してみーって言うのですね。

僕も、授業で発表したらすごい良かったのですね。
川野先生にもとてもわかり易く良かったと言って頂きました。
元々人前で話すの好きなので、自分が生き生きしている場面に出会ったという感じでした。

勢いがあって、夢をもっていて、
こういうのって子供達に伝えなあかんなーと思いました。
受験する頃には、教師になるんだ。そのためには世界史・地歴がとれる学校という事で
社会学部のある学校を選びました。

でも大学に入ると、目的をもって学校に来ている人がほとんどいなかったのですね。
違うよなーと思いました。
僕は部活に熱中しましたが、みんながんばってないなー、なんでかなーと考えていました。

その時に大人や教師、親が目的意識を持って接してないなと思いました。

将来こうなりたい、じゃあ大学一年のときにはこういう勉強をしないと、
じゃあどこの学部に行こうかって本来は逆算すべきなのに、日本はできてないなーと。
社会人2年目で飲み会に行っても愚痴が多いし、仕事が楽しいっていう人も少ないんです。
これはそういう夢を伝えないといかんな、と教師になる想いが更に強くなりました。

教員免許の教職実習をしても楽しいし、やっぱり教師にならないとあかんなーと強く思っていました。
しかし、あるとき立派な社会人になれって送り出す教師が社会人の経験が無かったら偽者やないかと感じたのですね。
教職の座学を勉強していて「知識がある=良い教師」ではないなとはずっと疑問に感じてました。
このまま社会人になったこと無くて教師になって、
どうやって生徒に「夢を持て」って言えるのかと思ったのです。

3年の終わりまで教職ばっかり取っていましたが、
大きな企業に入って社会を知ろうと思って、最後の3ヶ月で就職活動しました。
そして試しに就職活動を始めてみるとそれが面白くて
「じゃそのまま社会にでちゃおう」ていう感じでした。

社会人になると、全然違う学部の人、遊び人の人、年上の人、つき合いが広がってとてもギャップを感じました。
学生時代は人と深く入りこむのが得意ではなく、野球部やラクロスの体育会など限られている人だけと付き合っていましたからね。
人と話す時には作り笑いをしていて、無理しているから心から楽しめないんです。

あせっているから変にしゃべって、笑わせないと、仲良くならないとって一方的に話しすのですが、
相手を見ているとうまく行っていないことが分かるんです。
お互い腹割って話していないフワフワした会話して、笑っているけど全然楽しく無いなーと感じていました。

愛想笑いをしていた相手と別れて一人になった瞬間に
自分からため息が出てくるんです。
そのため息で、あー自分無理していたんだなーと気づきます。

和の中に入れていないのかな、自分だけとけこめていないのかなー、
なんか違うなーという疎外感を最初の3ヶ月位感じていました。

じゃあどうしようと、少しポジティブになって新しい事を試すのですがうまく行きません。
大学時代は楽しかったよな、どうやって接していたのだろうと考えすぎても答えは出ず
またどうしようと考えてを繰り返して、しんどいなーと感じていました。
昔の仲間と会ってはほっとして、やっぱりお前らいいよな、とそこばかり求めていました。

そんな時に、救ってくれたのは昨日も3時まで飲んでいたゆうすけという会社の同期です。
ゆうすけは、僕と2人になった瞬間に
「きっしゃん、一対一で話したかってん。きっしゃん壁つくっているよなー、悩んでいるやろ」
と言いました。

その話を聴いた瞬間に僕泣いていました。
自分事を理解してくれる人がいるんだって、気が晴れて泣きました。
最初は周りに壁を感じていましたが、
「そうか、自分が壁を作っていたんだ。
なかなか周りが開かないって思っていたけど、コイツと同じことすればいいんだ
難しく考えなくていいんだ」
って思えたんです。

そこからは一気に回復しました。

社会人も2年目が終わろうとする最近、最初とイメージ変わったってよく言われるのです。
裏表が一切ないよねって。
嫌なときは嫌な顔をするし、上司・後輩・同期にも同じ対応するし。
誰に対しても裏表無くありたいって思っていたので、そう言われるのは嬉しいですね。
前はしたくてもそんな事ができなかったので、それが2年間の一番の成長かも知れません。

今日はインタビューでいろいろ引き出してもらってありがとうございます。
最初インタビューを依頼されたときは高校時代の話がメインになるのかなーと思っていたのですが
こんなに最近大切なことを学んでいたって気づきました。
社会人になっての2年間は無駄が多かったって思っていたのですが、
教師になるために一番大事なことをちゃんと学んでいた大切な2年間だったのですね。

教師になる夢のため、最近また世界史勉強し始めたのですよ。
熱く情熱的に教えてくれている予備校の先生だったのですが、
本を読む、授業を受ける、教科書を読む、問題集をとく、間違ったところを復習するって
実は僕が学ぶまでの仕組みをちゃんと体系化してくれていたんです。
川野先生、仕組み化までやっていたんだと今だから気づきました。


きっしゃんと始めてお会いした印象は、さわやかな笑顔と軽快なトークの好青年。
まさしく、社交性の強みが出ていました。

野球部時代、自分の持てる力を筋トレに求めた所に最上志向、
壁にぶつかってもすぐ立ち直る所にポジティブさを感じました。
ラクロス部で『女好き』1位、『エロい人』2位になったのも
社交性とコミュニケーションの強みからだと思いました。

そして教師になる夢もコミュニケーションの強みで生徒たちに大切な事を伝えていきたいという意志を、
どんなに逆境にあっても信じている道を進む所に自己確信が出ていると感じました。



今まで41名の方にインタビューのご協力をいただきました。

インタビューの様子は、
人生のハイライトインタビュー集の目次

をご参照ください。

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Design the way of 30's セカンドミーティング

●始動から激動へ。再び30代の同志が北参道に集う~Design the way of 30's セカンドミーティング

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2009年12月20日、北参道を舞台に「30代が自分の人生を歩む第一歩」が幕を開けました。Design the way of 30'sのキックオフミーティング です。


キックオフでは、30名の30代が集い、自分たちの今後について、自ら手綱を握る方法を学び・語り合いました 。記念すべきあの日から2カ月と少し。勇気ある第一歩に続く、着実な第二歩・第三歩が必要なタイミングです。当日参加された多くの方からも「第二回のイベントはいつですか?」とのお声をいただいています。


いよいよ、DW30セカンドミーティングの開催です。


「前回、すごくやる気になった!あのときの情熱をもう一度!」という方も、「前回は出られなかったが、今回はぜひ!」という方も、ぜひ日程をおさえてください。

★「DW30って一体なんだ?」という方はこちら


【セカンドは更に熱く!】


第二回である今回は更にパワーアップしています。

今回はワークを強化し、『明日からすぐできること』をよりたくさん持ち帰っていただきます。前回のご参加者はもちろん、今回初参加の方も大丈夫。しっかり前回内容の振り返りも行います!


「今よりも、もっと輝きたい。輝けるはず!」という30代の同志の方々、自分のハートに火をつけるため、確かな学びを得るため、そして共に高め合う仲間と出会うため、北参道に集まりませんか!?


【セミナー詳細】


【日時】4月3日(土) 18:00-22:00 (受付開始:17:30)
【参加費】5,000円 (懇親会費込み)
【定員】30名
【場所】東京・北参道 勉強カフェ
【途中入退場】可


※尚、大変恐縮ですが会場及び懇親会準備の都合上、下記の通りキャンセル規定を設定させて頂いております。


一方、お忙しい皆様にも諸事情おありと存じております。万が一お申し込み後にキャンセル料が発生してしまった場合も、セミナー内容は後日共有頂けるようフォローさせて頂きますので、諸事情ご賢察の上どうかご了承お願い申し上げます。


<<キャンセルポリシーのご案内>>

DW30主催の全開催イベントのキャンセル料規定は下記の通りです。

・前日21:00まで:無料
・前日21時以降~当日(連絡あり):参加費の50%

・当日(連絡なし):参加費の100%

30代の相互支援と相互成長を促進する成長戦略を是非一緒に描きましょう!(その後一緒に飲みましょう!)


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