30代への想い | 何かをやりたいけど整理できていない方へ、行動を起こすヒントを伝えるブログ

30代への想い

こんにちは
強みハイライトインタビュー、40人目はこの人
達成欲 活発性 社交性 未来志向 成長促進
を持つ

日浅さん

です。


勉強カフェ

の副社長で日本の30代を明るく元気にしたいという組織、DW30 の発起人でもある日浅さん
今回は、日浅さんの30歳2日目に、DW30を立ち上げるまでのお話を伺いました。


私の人生の目標は、80歳までに「世界から貧困と戦争をなくすこと」。
今の目標は、「前向きな大人を全力で支援し、その方の人生に少しでもお役に立てること」
その中で、30代の支援活動を具体的に行う【Design the Way of 30's】 を運営中です。


■30代の見えないパワー


以前の会社でマネージャーをしていた時は、部下に30代の年上人達が多かったのです。
20代の私から見ると30代の人達はあまり会社で生き生きとしているようには見えなかったのですね。
論理的で話しは上手い。でも発言は減って何より熱さが感じられませんでした。
20代の方が粗いけど熱い。


ところが、30代の一人ひとりと話をするとみんな熱いものを持っている。

海外に出て働きたいという人もいるし、
結婚直前の人は結婚しても主婦でよりよい生き方をするグループを作りたいという人がいる。

みんな熱いものを持っているのに、会社ではそれが出てこない。
みんな自分を出せる箱さえあれば出せると思ったのです。
DW30 を立ち上げたのはそんな想いもあります。


■人生のミッション


もともと戦争と貧困と無くしたいと思ったきっかけは20歳の時です。
その頃私の通っていた学校に、ザンビアから「キム」と「マサシ」という
20歳後半の国費留学生がやってきました。


「ザンビアってどこ?」
って言う感覚しかなかったのですが、
彼らは一番近くのバス停まで6時間かけて歩いて、
そこから空港まで一日半バスに
乗って、パリ経由で日本に来たのです。


日本に来ているのは国費ですから
決して彼らがお金を持っているわけではない。


■ザンビア人の夢


彼らの夢を聴いたら、「長生きがしたい」って言うのですね。
いくつまでって聞いたら80歳まで生きたいて言うのです。
日本では平均寿命が80歳ですから最初はピンとこなかったのですが、
これって自分の国の常識をひっくり返すことなのです。


ザンビアは当時平均寿命が世界ワースト5に入る国で、平均寿命が32歳なんです。
子供も5人に一人は亡くなる環境で大人になっても戦争で死ぬリスクが高いのです。

生きたくても生きられない、死がとなりにある社会です。

日本では信長の頃が平均寿命50歳といわれていましたから、
それよりも前の時代と同じ事になるのです。

平均寿命の倍以上生きたいということなので、
日本で言うと200歳まで生きると言っているのと
同じ意味になるじゃないですか。


「同じ国民でも80歳まで生きられるという所を見せて、
 国民の希望になるんだ、国に勇気を与えるんだ」

自分にとってはありえない発想だと思ったんです。


彼らの言葉は10年経った今でも
少しずつ自分の中に染み込み続けています。


■ミッションを持った人の魅力


彼らは希望に満ち溢れていて発する
エネルギーがすごいんです。

彼らは子供の目のまままっすぐ大人になった目で、
日本人の大人でそんな目の
人に会った事は無いと思いました。


彼らが日本にいた一年弱の間、
そのエネルギーを浴び続けました。


彼らの「80歳まで生きたい」という最初の言葉は、
胸にドーンと響きました。

そして一年くらいかけて考えて、
戦争と貧困をなくすという目標を立てました。


自分の中では戦争と貧困、
どっちかだけ無くしてもしょうがない、
同じ意味に近いと思っています。


■先進国に生きる人間の役割


日本を含む先進国は、ザンビア等の資源国から
多くの資源をもらって豊かにさせてもらっています。


先進国である日本人として生まれたか自分は、
彼ら資源国の人たちに対して
何かをしなければならないと思ったんです。


その何かには、非常に悩みましたが

「自助努力できる環境を彼らに
作っていくことが何かないか?」

それが、「教育」だと思ったのです。


ODAでいくら先進国が援助を行っても
末端の人々までは届いていないのです。


そこで学校が社会に及ぼす影響を扱う
社会教育学を学ぼうと大学院を目指しました。


親父にも

「30歳になるまでは好きにしていていい。
そのかわり30になったら責任ある行動をしろ」

と言ってくれていました。


■転機


しかし、そんな夢も長くは続きませんでした。

2003年1月6日---

仕事の昼休みの時間に
突然祖母から電話がかかってきました。


「お父さんが死んだよ」

と。

「誰の?」

って聞き返してしまいました。


当時親父はまだ53歳でしたが
心臓発作での突然死でした。


あまりに突然の出来事に
悲しみに暮れそうになりましたが、
二人の妹はまだ学生の身、
母は悲しみを表に出すような人で無いので、
家族を支えるのは長男の俺しかいないと
その時想い、悲しい部分は伏せました。


仕送りなんて大それたことはできなくても、
少なくとも自分の生活は自分でしないとという
責任感が強くでていました。


無事に葬儀を終え、東京へ2週間ぶりに帰ってきました。
最初に立てた大学院のビジョンは捨てましたが、
学者ではなくビジネスパーソンとして夢に近づこう。


夢だけは絶対あきらめなければ
ルートは変えてもたどりつけるだろう


■ビジネスパーソンとしてのスタート


人のご縁もあって、就職はすぐに決まりました。
順調に仕事での成果も上がり、一年程で役職につくことになりました。

しかし、いつの間にか最初の志を忘れ
テングになっていました。


仕事でも結果が出て25歳である程度の権限も持たせてもらって、
「できるやん、俺」みたいな感じで
毎日飲んで、夜中になったら会社に戻って
朝から仕事みたいな生活を続けていました。


お金ができたら飲みに使うという生活で
半年くらいたった頃、非常にまれな口内ヘルペスができ、
4日間入院したのです。


何も食べられない、まともに水も飲めない生活になり、
自分を見つめる時間が多くなりました。


そんな時にベットの上でザンビアの留学生の事を思い出し、

「あいつらと約束した生き方ができてないなー」
「彼ら何しているのかなー」

なんて考えたら恥ずかしくなってきたのです。


ちょっと仕事上手く行って
調子にのってハメを外して。

自分が本当に情けなかった・・・


■ビジネスパーソンとしての自覚


本当のビジネスモードになったのはここからです。
飲みに行く回数も減らして、その分自己投資に回しました。


25歳から年間500冊の読書に挑戦し、
28歳までのべ2000冊の本を読みました。


そんな中、
近代マーケティングの父、フィリップ・コトラーや
世界最高のコンサルタント、トム・ピーターズ
世界一のコーチ アンソニーロビンズ等の本を読む中で、
彼らが尊敬するというピータードラッカーに辿り着きました。


僕、かなり極端なんですね。
決めたらガーって行くのです。


ステージが変わったっていう感覚が自分の中にあるんですが、
そうなると、今までと優先順位がガラっと変わるのです。


そこからは超インプットで自己投資に年間何百万と使いました。
年収500-600万の頃でしたが家賃は五万円位でしたので
貯金ゼロで2-3万仕送りしてあとは全部自己投資に回しました。


会社の外で学んで学んだ事がすぐビジネスに生きるのです。
人との交流は好きなので飲みにもいくのですが、
時間を空けて飲みにいくという感じでした。


■ヒューマンエラー


そんなことが続いたある日、私はヒューマンエラーを起こしました。

メールの添付資料が、予定のものと違うとのことです。
しかし、送信先とは事前に協議をしていて、
その資料でもかまわないと確認はとっていました。


しかし、社内規定もあり、
事前の予定と違うものだからこれは、
大問題だということになりました。


「日浅さんを外してください」


私は、言い訳をせずに、
そのプロジェクトから外れました。


当時の上司も、
クライアント側の意見には逆らえず、
更には、なんてことをしてくれたんだと
私は責任を取らされました。


私が完全に正しいとは思いません。
しかし、一抹の理不尽さは感じました。

「正しいことが通るわけではない。」

それが、
社会の有様なんだと自分を納得させました。


ちょうどこの頃は、軽度の鬱だった頃でした。

毎朝6時に起きていたのが会社にいく7:30ギリギリまで起きれなくなっていたのです。

一日一回トラブルが報告されてくるという頃でした。

毎日トラブル処理をしていてすごく疲れていました。


私の上司とも折りが合わず、
自分で責任を取るしかないと感じていた頃でした。


朝の一時間は本を読んだりする時間で自分にとっては
大事な時間だったのですがそれができなくなって
やる事に追われてしまって、自分の中で焦りが出てきました。


産業カウンセラーに相談したところ、
過労だから病院に行って来いと言われました。

そこで軽鬱と診断されました。


なんでそんな診断になるの?と先生に尋ねたところ、


「上手く行っていない事を肯定しているから
 軽鬱で済んでいるのですよ。
 本来の自分がやりたい事と違うと思う人は
 だんだん本当に鬱になっていくのです。
 脳も内蔵なので、過労になると脳も疲れるんです。
 脳の疲れが軽鬱病なんです。」


と言われました。


その話を聴いて

「あー、そうそう。上手く行っていない事認めてるな。」

と思いました。

そこで根本から変えてテコ入れをする事にしました。


■正直さと誠実さ


私の直接の部下の事を考えた時、
彼らを不幸にしてしまう事はやってはいけないと感じました。


部下にとっては上司である私と
その上司がいがみ合って異なったメッセージを発しているのです。


私の上司はこまめに報告を欲していたのですが、
私はそれがめんどくさい。

週に一回ミーティングして
報告しているからいいでしょう。


相談するのは重要な問題にして
現場で解決できることは現場でやるべきでしょう。


というのが私の考えだったのですが
そこが彼にとっては良く思っていない部分でもありました。


私も成果を上げて成功して、注目される立場でしたので
その事をよく思わない人もいるのです。


もしかしたら自分の上司も僕自身の事を嫌いなのではなく、
逆転されるかもしれないと思っているのではないか
と仮説を立てました。


だったら脅威でもなんでもない、
本心を話せばいいと思いました。

上司を蹴落とそうなんて気持ちは全く無く、
部下が苦しんでいるのを何とかしたいという気持ちで、
「報告書をちゃんとあげます。申し訳なかったです。協力してください」
と頭を下げました。


自分が折れて彼らが改善するなら謝っちゃえーという感覚でした。


今でもアホに見られたい、
できない男に見られたいと思っているのは
そんな所からきているのかも知れません。


上司に「ホウレンソウ、正直苦手なんです」と切り出し
「わかりました、できる限りやります」と伝えました。


上司も、笑いながら「お前は目立ちすぎなんだよ」と言ってくれました。

この和解が大きく、軽鬱はそこで終了しました。


私が別なコンサルティング会社に転職した時も、
「お前だったらできるから」と最大の敵が最後は最大の味方になって
気持ちよく送り出してくれました。


この経験で自分というものに固執しなくなったように思います。
「今何を最も重要視しないといけないのか?」

を考え、
自分のプライドよりも優先しないといけない事に
出会う事ができました。

自分を殺す事に違和感が無くなり、
良い意味で転機になったのです。


■マネジメント


そうするとみんなも聞いてきてくれるようになるのです。
当時で述べ100人以上のマネジメントを行いましたが、
彼のため・彼女のために合うアドバイスの在庫はたくさんありました。


最初は自己顕示欲もあり、
アドバイスをするのですがアドバイスを与えられると
失敗した時にアドバイスをしてくれた人のせいにしてしまう。


その感覚が1%でもあるとその人の中の
蓄積率が変わってしまう。


それがもったいないので
自分で考えて決断してもらい、
成功・失敗という経験をしてもらうようにしました。

その方がその人の人生ではプラスになりますので。

ヒントを助言する、
決断を迫る事も無いというスタイルに変えました。

人は誰かに頼りたいという気持ちがあります。

自分もそうです。
だからこそ、そこを分かりつつその人の可能性を信じて
マネジメントしていきました。


一人ひとりにかける時間がとれないという
部分もあるのですが、ヒントを与え続けていくうちに
組織が回り始めました。


■勉強カフェとDW30~30歳からの新たな挑戦~


「戦争と貧困を世界からなくしたい」

これを人生の使命と決めてから10年が経ちました。

振り返ると20代は自分のために生きてきました。
戦争と貧困をなすくために、自分自身が成長する20代でした。


世の中では、30歳になると「大台に乗った」と言われることが多いですが、全然そんなことはありません。確かに、社会的な責任が増えて、
家庭を持つ人も増えて、20代の頃のように、夢や希望を語る機会よりも、現実的な常識を見る方が多くなってきます。


でもでも、30代になっても夢はありますよ。だって私なんて、
30歳になっても、新しい夢や目標が沢山出てきていますから!!!
そんな熱い思いをもっともっと共有しましょう。逆に、どうしようもない悩みだって共有しましょう。

私には特別な能力はありません。だからこそ、真っ直ぐに思いを語り合える場を作って、
皆さんが何か思い立ったときに、駆け込んでくれる場所を作ります。


「貢献することが、自分の人生」なんて、偉そうなことは言えません。
私はこのDW30の活動を「自分のため」にやっています!!
ただ、その「自分のため」のほんの1%でも「誰かのため」になったらいいじゃないか!!
ぐらいの気持ちです。


DW30を作り、ブックマークスの副社長として勉強カフェを運営し、
今では毎日ディズニーランドに来ているような感覚です。


人間として夢を実現したい。
みんなで支え合う環境を作る。
その最初の一歩がDW30 だと思います。


これが世界規模に広がれば、
戦争と貧困が無くなるだろうと本気で思っています。

もっと身近では人生で悩んだ人が、
同じように苦労をしていきた年代同士の
空気に触れ夢を支え会う事ができればそれでいいと思います。


親父の言っていた30歳からの責任が形としてできたものが
DW30なんじゃないかと思います。


今まで41名の方にインタビューのご協力をいただきました。

インタビューの様子は、
人生のハイライトインタビュー集の目次

をご参照ください。

ありがとうございます。


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