(久々のブログ投稿)館山と泉州、そして隠岐の島
走りはじめたころ、最初の大会は、「横浜マラソン」の10kmでした。
そして、その後「谷川真理ハーフ」「浦安シティ」のハーフマラソンでした。
フルマラソンの初参加は「かすみがうらマラソン」。
そこで、初リタイアでした。
この時も、前半調子よく32kmあたりで走れなくなり(脚は大丈夫だったけど、精神的に)、それでリタイアしました。
その時を振り返ると、とにかく走り続ける気力が無くて、スタミナ切れという感じでした。
その後、リタイアした大会は、ハセツネ本戦の初参加。これは、胃腸不調が原因で第一関門でリタイア。1週間前に腰痛になったのも原因でした。
3回目のリタイアは、隠岐の島。ただ、この時は5月末に疲労骨折がわかり、急回復できたもののあとあとを考え笑顔での中間地点でのリタイアでした。
そして、今回、けっこうマジレースで臨んだ、相性の良い館山で、それも30km手前でリタイアしました。
この原因ですが、多分に、今までの目標とこのレースに臨む目標が違っていたことに加え、準備で失敗したことだと考えています。
まずは、目標の違いですが、今までは大会に参加し、完走することが楽しかった。
で、結果がその努力についてきたのですが、今回は、最初からサブ3.5を意識しすぎていた。なので、途中失速しはじめ足の動きが悪くなったとき、まだキロ5分程度なのに非常に焦ってしまい、さらに失速を感じた際に、もう集中が切れてしまいました。
さらに、気分も悪く、多分ハンガーノックがあったように思います。
そして、準備の失敗。
週末土日の休みの勤務になり、週末集中で走るようになってから平日にほとんど走れないので、館山の前日土曜日に軽く走るつもりが22kmも走ってしまいました。
その疲れは翌日に回復はしませんでした。
それは、今週の状態をみても明らかでした。
週末金曜日に皇居4周。20kmをキロ4分30秒ペースで走りました。
そして土曜日は30km走をしましたが、これがきつい。
前日の20kmのダメージはかなりあって、スピードが全く出ない。
このような状態の中でフルマラソンを走りきるのは厳しい。少なくとも、サブ3.5を目指すなら前日は走らないことが必要だと思いました。
日曜日、雨予報だったので早めに軽くは知りましたが、カラダはガチガチ。
それで、ようやくカラダが暖まりスピードが出たのは、8kmすぎ。
この時期、それだけ筋肉の動きは悪いってことです。
しかし、その後、負荷が少なくスピードを維持して走ろうと思ったときのペースは4分45秒程度でした。
ってことは、このペースさえ守ればサブ3.5は射程内です。
ということで、次の泉州ではキロ4分45秒を維持して走るつもりです。
たった今、別府大分マラソン真っ最中ですが、期待の前田選手が失速です。
前田選手もリキミがあったとコメントされています。
目標は、まず走りきること。
再度、しっかり走りきる練習をしましょう。
今年の隠岐の島。おどろきの5日間で参加定員閉め切られました。
ますます、マラソンブーム。沈静化しません。。。
そして、その後「谷川真理ハーフ」「浦安シティ」のハーフマラソンでした。
フルマラソンの初参加は「かすみがうらマラソン」。
そこで、初リタイアでした。
この時も、前半調子よく32kmあたりで走れなくなり(脚は大丈夫だったけど、精神的に)、それでリタイアしました。
その時を振り返ると、とにかく走り続ける気力が無くて、スタミナ切れという感じでした。
その後、リタイアした大会は、ハセツネ本戦の初参加。これは、胃腸不調が原因で第一関門でリタイア。1週間前に腰痛になったのも原因でした。
3回目のリタイアは、隠岐の島。ただ、この時は5月末に疲労骨折がわかり、急回復できたもののあとあとを考え笑顔での中間地点でのリタイアでした。
そして、今回、けっこうマジレースで臨んだ、相性の良い館山で、それも30km手前でリタイアしました。
この原因ですが、多分に、今までの目標とこのレースに臨む目標が違っていたことに加え、準備で失敗したことだと考えています。
まずは、目標の違いですが、今までは大会に参加し、完走することが楽しかった。
で、結果がその努力についてきたのですが、今回は、最初からサブ3.5を意識しすぎていた。なので、途中失速しはじめ足の動きが悪くなったとき、まだキロ5分程度なのに非常に焦ってしまい、さらに失速を感じた際に、もう集中が切れてしまいました。
さらに、気分も悪く、多分ハンガーノックがあったように思います。
そして、準備の失敗。
週末土日の休みの勤務になり、週末集中で走るようになってから平日にほとんど走れないので、館山の前日土曜日に軽く走るつもりが22kmも走ってしまいました。
その疲れは翌日に回復はしませんでした。
それは、今週の状態をみても明らかでした。
週末金曜日に皇居4周。20kmをキロ4分30秒ペースで走りました。
そして土曜日は30km走をしましたが、これがきつい。
前日の20kmのダメージはかなりあって、スピードが全く出ない。
このような状態の中でフルマラソンを走りきるのは厳しい。少なくとも、サブ3.5を目指すなら前日は走らないことが必要だと思いました。
日曜日、雨予報だったので早めに軽くは知りましたが、カラダはガチガチ。
それで、ようやくカラダが暖まりスピードが出たのは、8kmすぎ。
この時期、それだけ筋肉の動きは悪いってことです。
しかし、その後、負荷が少なくスピードを維持して走ろうと思ったときのペースは4分45秒程度でした。
ってことは、このペースさえ守ればサブ3.5は射程内です。
ということで、次の泉州ではキロ4分45秒を維持して走るつもりです。
たった今、別府大分マラソン真っ最中ですが、期待の前田選手が失速です。
前田選手もリキミがあったとコメントされています。
目標は、まず走りきること。
再度、しっかり走りきる練習をしましょう。
今年の隠岐の島。おどろきの5日間で参加定員閉め切られました。
ますます、マラソンブーム。沈静化しません。。。
2013年を振り返って
2014年にすでに替わっていますが、ようやく昨年(2013年)のことをブログで振り返ってみたいと思います。
2013年は自分にとっては本当に変化の大きい一年でした。
仕事では、自分は統括していた組織が組織改編でなくなり、自分は本社機能の副本部長という中途半端な立場になりました。
立場は中途半端ながらも、会社の業績に大きく影響を与える組織でもあり、かなりストレスが強く、肉体的精神的にも悩まされることになりました。
そういう中、比較的、走ることについては順調に記録の亢進ができました。
1月末に開催される、「館山若潮マラソン」では思ったより調子良く、サブ3.5はクリアできました。
そのあと2月の「泉州国際マラソン」では、3時間24分という事故ベスト更新ができました。これも、当日関東などから参加したラン仲間が常に前方にいて引っ張ってくれたことと、在阪のラン仲間の応援がとにかく素晴らしかったからです。最後まで集中が途切れず、結果自己ベストを2分以上を更新することができました。
その後3月の「三浦ハーフ」も比較的順調に100分を切れ、その後の「京都マラソン」もサブ3.5を記録、そのまま4月末のSTYに臨みたかったのですが、この頃から体調に異変をきたしました。
体重は徐々に減少。走っていると脚ががくがく震えるような症状。
また、夜は心臓がドキドキして良く眠れず不眠が続きました。
あるとき、ふつうに30km走をしていたときに、決定的に異常を感じます。
それは、あとわずか10kmにも満たない地点で走れなくなりました。
途中で、駅に向かい電車に乗りました。
体重は今までになく5kg以上減少していました。
立っていると、脚ががくがく震え、会社でのプレゼンでも震えが止まらない状況になりました。
この症状はあまりにも異常だと感じ、クリニックに行きましたが、漢方薬で様子見となりました。それでもおかしいと気になり再度受診し、血液検査をすると、「甲状腺機能亢進症」という症状であることがわかりました。
その後、処方された薬で症状は改善しましたが薬の副作用がひどく、わずか40分ほどの通勤の電車の中でトイレに何度も行きたくなり落ち着かない状況になりました。
楽しみにしていたSTYは、仕事の都合で行けなくなりDNSとなりましたが、それどころか体調は良くなく10kmも走れない状態でした。
6月の隠岐の島ウルトラに向け大事なGW。しかし、体調はようやく回復してきている状況で、GW後半になんとか10km走れるくらいに回復しました。
その後6月上旬にラン仲間のイベントがあり、府中から東中野まで約30km走ることができました。そしてアフターは焼肉。おかげさまでかなり体調は回復。
そして「隠岐の島ウルトラマラソン」では思いのほか調子よく、結果、11時間を切れるかという11時間4分のベスト更新で、終えました。
そして、その後の「雄勝トレイル」イベントでは最高に楽しい達見ができました。
この時点で体調は完全にもとに戻りつつありました。
その後の夏場は、「ハセツネ安全走行講習会」のスタッフとして、またハセツネに向け山道のトレーニングに励みました。
その結果、10月12日のハセツネ本戦では、前年の19時間を4時間も短縮する15時間50分でゴールできました。また、2週間後に開催された「伊南川ウルトラ」では、大雨の中10位という記録を打ち立てることができました。
山道ではかなり体力回復もあり、またかなり忍耐力もできていたのでしょう。
山道をしっかり走り通せました。
しかし、その後、
年末に向け仕事はかなり忙しくまた、ストレスが増し、また体調が悪化しました。
それでもなんとかまだ保っています。
それはやはり、走る喜びを私は知っているからですね。
年末、27日の深夜
大手町をスタートし、十数人が箱根に向け走りだしました。
一歩一歩、ゆっくりとでも確実に。
自分はこの一年何を学んだのだろうか。
少なくとも、前に進む勇気と厳しさと強さ。
それだけでも、収穫だったのかもしれない。
未だ体調は万全じゃないけど、でも、
体調は常に万全なんてことは無いのだ。
それでも前に進む勇気が必要なんだ。
2013年は厳しい一年でしたが、この年で、また学んだ一年でありました。
多くの仲間に、感謝。
2013年は自分にとっては本当に変化の大きい一年でした。
仕事では、自分は統括していた組織が組織改編でなくなり、自分は本社機能の副本部長という中途半端な立場になりました。
立場は中途半端ながらも、会社の業績に大きく影響を与える組織でもあり、かなりストレスが強く、肉体的精神的にも悩まされることになりました。
そういう中、比較的、走ることについては順調に記録の亢進ができました。
1月末に開催される、「館山若潮マラソン」では思ったより調子良く、サブ3.5はクリアできました。
そのあと2月の「泉州国際マラソン」では、3時間24分という事故ベスト更新ができました。これも、当日関東などから参加したラン仲間が常に前方にいて引っ張ってくれたことと、在阪のラン仲間の応援がとにかく素晴らしかったからです。最後まで集中が途切れず、結果自己ベストを2分以上を更新することができました。
その後3月の「三浦ハーフ」も比較的順調に100分を切れ、その後の「京都マラソン」もサブ3.5を記録、そのまま4月末のSTYに臨みたかったのですが、この頃から体調に異変をきたしました。
体重は徐々に減少。走っていると脚ががくがく震えるような症状。
また、夜は心臓がドキドキして良く眠れず不眠が続きました。
あるとき、ふつうに30km走をしていたときに、決定的に異常を感じます。
それは、あとわずか10kmにも満たない地点で走れなくなりました。
途中で、駅に向かい電車に乗りました。
体重は今までになく5kg以上減少していました。
立っていると、脚ががくがく震え、会社でのプレゼンでも震えが止まらない状況になりました。
この症状はあまりにも異常だと感じ、クリニックに行きましたが、漢方薬で様子見となりました。それでもおかしいと気になり再度受診し、血液検査をすると、「甲状腺機能亢進症」という症状であることがわかりました。
その後、処方された薬で症状は改善しましたが薬の副作用がひどく、わずか40分ほどの通勤の電車の中でトイレに何度も行きたくなり落ち着かない状況になりました。
楽しみにしていたSTYは、仕事の都合で行けなくなりDNSとなりましたが、それどころか体調は良くなく10kmも走れない状態でした。
6月の隠岐の島ウルトラに向け大事なGW。しかし、体調はようやく回復してきている状況で、GW後半になんとか10km走れるくらいに回復しました。
その後6月上旬にラン仲間のイベントがあり、府中から東中野まで約30km走ることができました。そしてアフターは焼肉。おかげさまでかなり体調は回復。
そして「隠岐の島ウルトラマラソン」では思いのほか調子よく、結果、11時間を切れるかという11時間4分のベスト更新で、終えました。
そして、その後の「雄勝トレイル」イベントでは最高に楽しい達見ができました。
この時点で体調は完全にもとに戻りつつありました。
その後の夏場は、「ハセツネ安全走行講習会」のスタッフとして、またハセツネに向け山道のトレーニングに励みました。
その結果、10月12日のハセツネ本戦では、前年の19時間を4時間も短縮する15時間50分でゴールできました。また、2週間後に開催された「伊南川ウルトラ」では、大雨の中10位という記録を打ち立てることができました。
山道ではかなり体力回復もあり、またかなり忍耐力もできていたのでしょう。
山道をしっかり走り通せました。
しかし、その後、
年末に向け仕事はかなり忙しくまた、ストレスが増し、また体調が悪化しました。
それでもなんとかまだ保っています。
それはやはり、走る喜びを私は知っているからですね。
年末、27日の深夜
大手町をスタートし、十数人が箱根に向け走りだしました。
一歩一歩、ゆっくりとでも確実に。
自分はこの一年何を学んだのだろうか。
少なくとも、前に進む勇気と厳しさと強さ。
それだけでも、収穫だったのかもしれない。
未だ体調は万全じゃないけど、でも、
体調は常に万全なんてことは無いのだ。
それでも前に進む勇気が必要なんだ。
2013年は厳しい一年でしたが、この年で、また学んだ一年でありました。
多くの仲間に、感謝。
ウルトラマラソンって…

あのゴールに向かう途中、『10位だ!頑張れ!』と言われ、気になってたけど、本当に10位でした。
記録は11時間38分38秒でした。
完走率は、男子は50%台でしたが、女子は40%を切ってました。
やはり、かなり厳しいコンディションの大会だったのですね!
コース最高地点は気温2度。
そこに到達するまでに、冷たい雨と川、そしてぬかるんだトレイルを上らねばならないという、もう、これでもか⁈これでもか⁈という厳しい環境下でよくまあこんな結果が出たと我ながら感心します。
今までのウルトラマラソンでは、自己ベストは11時間4分(今年の隠岐の島)、昨年の富士五湖では11時間20分台の記録に続く記録です。
それも、今回の伊南川の前にはロング走などほとんどできず、2週間前は日本山岳耐久レースにでたばかりだったのに…。
わからないものですね…
しかし、ウルトラマラソンというのは不思議なものです。
伊南川のゴール直後は、本当にもう二度と出ないぞ!と、思ったのですが…ヽ(´o`;
もう、あのコースを走りたいと思う自分がいます。
あんなにキツかった、坂道、トレイルももうそのキツさ忘れてしまっています。
人間は、きっと、身体の苦しみなどは意外にカンタンに忘れてしまうものなんですね。
さて、明日はたっぷり走りますか…。
v(^-^)v
シューズの威力
伊南川ウルトラマラソン一週間前に、神田岩本町のRBRGで、HOKA ONEONEを購入した。

噂には聞いていたが、初めて使うシューズなので、素直にお店の方に、ウルトラマラソンに使いたいことと、オフロードもあることを話し、Bondy Bというシューズを勧められ購入した。
その週末にせめて20km走でもして履きならしして悪くなければ、本番で履こうと思ったが、残念ながらボランティアと雨で機会を逸し、たった10kmをトレッドミルで履いただけだった。
伊南川ウルトラマラソンの当日は雨。それもやむ気配はほとんど無い。
また、コースは前半ほとんど上り。後半は下りというコース。
足が痛くなれば、中間地点で慣れているアシックススカイセンサーに履き替えようと、考え思い切って、スタートから履いて走ることにした。
前半は上りだけなのであまりわからなかったが、厚底だけにアスファルトに溢れたりトレイルの泥水に浸かる率は少なく比較的足は濡れずにピークまで上れた。
後半、下り坂。
いつものウルトラマラソンならば、50km過ぎからダラダラしてしまい、ましてや70km過ぎや、80kmあたりでは歩いてしまうことが多かったが、今回は違った。
後半、下り坂ということもあるが、3年前の隠岐の島では、下り坂を走りすぎて、太腿を痛め、後半はほとんど走れない状態になったが、今回はほぼキロ6ペースで走れていた。
しかも、足首も、足裏も痛みが出ない。
お気に入りのスカイセンサーでも、後半足裏がジンジンしてしまうが、今回はそういうストレスがほとんど出なかった。
また、比較的前傾で走れているせいか、パタパタというような走りにもならず、脚が勝手にローリングしている感覚だった。
そして、最後の5kmも良く走れた。
伊南川ウルトラマラソンのコースを知っている人は、あれだけの上りのあと、さらに急登のトレイル、そして、60km以降の山登りと、かなり脚にダメージの出そうなコース後半で脚が動くことはどんな状況か疑問に思うだろう。
二週間前のハセツネのあと、残業などでほとんど走れていないし、体調は寝不足で万全とはいえない状態で後半の脚の状態は、画期的だった。
昨今、薄いソールのほうが足を鍛えるとして自分も比較的薄いシューズを履いていたが、これには正直驚いた。
もし、気になる方には、ぜひお勧めしたいシューズです。

伊南川ウルトラマラソン 奮闘記 最終回

順位もわからない。
ただ、よくよく考えると、5km以上のほぼ登りのみのトレイルがあり、あれだけの雨と寒さのなか、よく戦えたと思う。
エネルギージェルは前半30kmあたりで、ほぼ消化。あとは、エイドの果物と飲み物、そして、ベスパ3個など。
暑さに弱い自分にとってはむしろ寒くて良かったのか?とも感じた。
ホテルへ向かうバスは5時10分過ぎに発車した。ホテルまでの道は、まだ戦っているランナーがいるコースをしばらく逆走する。
すでに、真っ暗くなっている道を、黙々と走る、歩くランナーに涙が出た。
気温はきっとかなり下がっているはず。
スタートの時に感じた違和感。
ヘッドライトをつけ、上下防寒を着込んだランナーがいたことは、この時その理由がわかった。早朝だけでなく、ゴールまで、また暗くなり寒くなる、そういうレースだったのだ。
ホテルには6時前に到着し、すぐに風呂に入り、ようやくカラダの芯が温まった。
それでも、レースは9時まで続く。
諦めず走り続けるランナーを思うと胸が熱くなった。
結局、このレースを含め、今年の1月からのレースは、ほぼ満足のいく結果だったかもしれない。
フル3本ともにサブ3.5。
その後、甲状腺炎で、走れない時期もあったが、なんとか乗り越え、6月の隠岐の島では、11時間4分という自己ベスト。
さらに、その後はハセツネに向け安走会でのスタッフをしながら練習し、ハセツネも自己ベストの15時間50分。
そして、念願の伊南川での完走と、数少ないレース参加ではあったが、しっかり結果を出せたことに不満は無い。
やはり、この世界も練習だけでなく経験も生きる。装備も重要。
しかし、
前回できたことが、翌年もできるとは限らない。
館山、泉州、京都
それから、三浦。
隠岐の島、ハセツネ、伊南川と
一緒に走った仲間がいて、刺激しあいながら、また、励ましあいながら、心を強く持って諦めない。
それが結果。そして、自分が得た今年の宝物だったように思う。
このあと、今年は、大田原と奈良のレースを入れているが、仕事で練習もできず、また、休めないかもしれないので、まずは、これで今年も終わりかな…。
伊南川が終わったころに、メールが届いていた。
今年のハセツネの安走会関係で集まろうというお誘い。
走っていて良かった。
また、11月は横浜国際女子マラソン。
ラン仲間を応援したい。
まだまだ走れる。
最高に寒くて、最高に熱かった伊南川も、もうすぐ、冬…
伊南川ウルトラマラソン 奮闘記 4
下り坂は、まさに天国だった。

雨もかなり少なく、走りやすかった。
体重の重い自分は、ただ、ただ、脚を繰り出すだけで駆け下りることができた。
上り坂の時に飲んだ痛み止めも効果を出して痛みも感じなかった。
何よりも、隠岐の島の下り坂で痛めたような太腿や足裏の痛みはほとんど出なかった。これは、間違いなく、HOKAのおかげだった。
途中、雨水が山から溢れ出しコース上を交錯して川のようになっていた場所もあったが、厚底の強みで水に浸かることはなかった。
ようやく民家が見え、77kmあたりのエイドであまりにも眠いので、眠気覚ましを飲んだ。そのとき、エイドのスタッフが、
『まだ、10番くらいだよ』と、教えてくれた。
まさか…、どんなに頑張っても12時間くらいかかりそうだと思っていたので、自分でも驚いた。
そうか、やはり、あのトレイルで相当ダメージもでたり、時間もかかっていたのか…。それを考慮すれば、ほぼ富士五湖ペースで走れていること自体が悪くないことだかのだ。
ならば、ちょっとは頑張ってやるぜ!と、俄然走る気が出た。
京都のラン仲間の奈佐さんが、いつも言っているように、
『強い心で!』と、自分の胸を叩いた!
しかし、85kmが過ぎ、90kmあたりでは、急に走るのが辛くなった。
エイドで、コーラをお願いしたが、なかった。
とにかく、スッキリしない。
すでに、平坦な道なので自分のカラダも重たい。
とうとう、脚が止まり、屈伸運動をしたとき、後ろからランナーが追いかけてきていた。
坂道などで二人くらい抜いたのだが、その二人が追いかけてきていた。
くそ、と思い走り出すも脚が止まる。
とにかく走り続けられない…
そして、とうとう、
自販機発見!
持っていた小銭を入れてコーラを買い飲んだ。
このレースはノンサポートのハセツネじゃないから、ルール違反じゃない!
そして、そこから、見事に復活!
コーラを飲んでいる間に抜かれた二人を追った。
と、見たことのある場所…、あ、ゴールの伊南川支所!しかし、ここからまだ5kmまかないといけない。
ハセツネでは巻き道が好きだが、ゴール直前の巻き道は勘弁してくれ~と思いつつも、前の二人を追った!
あと5km。
最後のエイドで、一人に追いつきコーラを飲んで、すぐスタート。
なんとか、ここで一人を抜き返せた。
抜きたいとかそういうことより、自分の弱さに負けたくなかった。
そして、橋を渡る。
振り返ると、かなり離した。
前を走るもう一人を抜けるだけの根性はあるか?
追い続けた。
しかし、あと2km近くで、また砂利道に入り、ちょっとした坂道で、走りきれなかった。
あと、1km。
多分、10mか20mくらいしか離れてない。
でも、ここで、前を走るランナーも凄い頑張ってるんだな…と感じた。
最後の橋を渡る時に、すでにゴールしたランナーが応援してくれ、声を掛けてくれた!
『10位だよ!頑張って』
やっと大銀杏が見えた。
あと30m。
先を行くランナーとはもう50mくらい差がついたみたいだったので、ゴールテープも用意され、笑顔でゴールできた。
終わった。
もう、いいや…。がんばったよ、自分。
と、そこに、海宝さんが駆け寄り握手をしてくれた。
で、自分は、
『いや~、きつかったです。二度と走りたくないですよ!』と、言ってしまった。
海宝さんは、わらいながら、『そう言ってもらえると、やった甲斐があるよ』と。
やれやれ、さすが世界の海宝さんだ。
失礼しました。
その後、体育館で着替えをしている間に、日は暮れてしまった。
まだまだ、たくさんのランナーはゴールを目指していた。
(つづく)

伊南川ウルトラマラソン 奮闘記 3
気温2度。

多分体感温度は零下。そして、雨もみぞれだったかもしれない。
しかし、ランナー。いったん冷え切ったカラタがもとにもどるには、そう時間は要しなかった。
特に下り坂では自然と腕も振れ指先がジンジンしてきた。
ようやく中間地点。
ここで、とにかく着替えをして後半に臨みたかった。
53km中間地点でドロップバッグを受け取り、早速着替え。と、そこでまんもさんに会った。
トレイル途中でワラーチの紐が切れ、また、足も怪我をしたので引き返したとのこと。この寒さの中、短パンで、素足にワラーチで…という凄いアスリートをも、このコースは打ちのめしてしまったのか?
着替えを済ませると、豚汁とおにぎり1個をいただき、すぐにリスタートした。
あと半分もある。
ここからは、毎度のこと一番自分の弱さがでる距離。
どうも50~60kmあたりは、いつもだれてしまう。残りまだ40kmもあるという気持ちがそうさせるのか…。
途中、何度か歩きたくなるが、それでも足を前に出して、ナオトインティライミのBraveを浮かべながら走り続けた。
前後には200mほど離れてランナーがいるくらいでほぼ単独走。
往路で使用したトイレ近くのエイドで道を聞くと、その先しばらく行くと、二つめの山登りが始まるれしい…。やれやれ。
しかし、行くしかない。
この頃になると雨は弱まりつつあった。
中間地点で着替えた長袖シャツが今度は暑苦しい感じがした。トレンドフライヤーも腰に巻いて走った。
右折…
ああ、上り坂。
いったいどこまで続くのだろうか。
ここからは我慢のしどころ。
あまりスピードを落とさぬよう、早歩きを心がけ歩くことにした。
ひとり元気なランナーが自分を抜いていった。
このあたりでようやく写真を撮った。
見事な紅葉だった。
途中、腸腰筋が痛くなり、痛み止めを飲んだ。これが、比較的あとから効いてきて正解だった。
どこまでも続く坂道に思えた。
ようやくエイド。
そこで、どこまで坂道が続くのかを尋ねると、あと3kくらいらしい。
よし、それを信じ走ることにした。
しばらく我慢の上り坂。
と、思いのほか早く、トンネルが見えた。
トンネルはたいていピークに造られる。と、いうことはここからは下りか⁈
トンネルに入ると俄然元気が出て走った。
このトンネルから途中のエイドで給水するまでノンストップ。その後もおよそ85km地点あたりまで、ずっと走れた。
それもほぼキロ6をきって。
約20kmを60km以上走ってきた脚でも、激走できた。
これには自分でも驚いた。
とにかく足に痛みが少ない。
痛み止めの薬も効いたとは思うが、それ以上に、HOKAのシューズは坂道に強かった!足を出せば進んだ。
自分の脚じゃないくらい、自分はコースをナビゲートすればいいだけで脚は勝手にローリングしてくれた。
85km。
ここまでくればもう大丈夫…。と、思ったが、この先、意外にも長かった。

伊南川ウルトラマラソン 奮闘記 2
朝の5時。
静かに、また、賑やかにレースはスタートした。
スタートする際、ハセツネばりにヘッドライトを付けているランナーや上下トレンドフライヤーのような雨具を着込んだランナーが数多くいた。
短パンやランシャツのランナーもいたかもしれないがほとんどが冷たい雨を想定したウエアリングであったように思う。
スタートはまだ真っ暗。
ひたひた走ると汗が少しずつ流れだした。
この時雨は一時的に小降りからほとんど降らないように感じたので、ビニールを脱いで走った。
しかし、すぐに雨が強くなり、また、小雨になりの繰り返し。
その度にビニールを被ったり抜いだりを繰り返した。
途中、ノースシェイドという洞門をいくつか通過する。
ほぼ、キロ6程度で気楽なスピードで走っていた。
雨は弱くなる気配はなく、手袋も濡れ出した。
20km前後でトイレ休憩。
そのトイレにはウォシュレットがあり嬉しかった。
30kmあたりで、ようやくロードが終わりここからトレイル。
トレイルとはいえ、ウルトラマラソンのコースの一部。たいしたことはないだろう、と、完全になめていた。
しばらくするとハセツネコースのオオダワから御前山のような急登で、かつシケインは雨でグチャグチャ。そこをひたすらのぼり、なだらかになると、今度は川を渡る。
橋は幅60cm程度の木の橋。
滑ったら川に落ちてしまう。
川の水かさは雨で橋の下や、橋桁の石なども水がかぶる状態。
ここでシューズを濡らしたくない。
仕方なく、前を行くランナーの足元を見て進む。前を行くランナーは抜かない。足場の参考にするために。ごめん、これもテクニックのひとつ。
しかし、気づかれたのか道を譲られる。
その度仕方なく先を急ぐがまた先のランナーにつく。
と、川を渡るところで先のランナーが左足を滑らせた。
申し訳ないが参考にさせてもらった。
その後もいつピークに到達するのかわからない急登がつづく。ハセツネなんて屁の河童だ。
約5kは登ったかと思う。
そのうち腕がしびれて動かないのに気づく。グーパーもできないし、しびれて痛みもないくらい。
ヤバイ、これが低体温か⁉︎
あとどのくらいだろうか?
早く登り切りたい。
ようやくピークらしいところに到着。
エイドがあったが、まずは、シューズを脱いでソックスを履き替えよう。
ベンチをみつけ、シューレースをほどこうとするが、指が動かない。
いらいらしながら、なんとかシューズを脱ぎ、ソックスを履き替えるがなかなかうまくいかない。
なんとか履き替えりトイレに行くが、今度は履き替えていたおかげでカラダが冷え切ってしまい、カラダの震えが止まらない。
たまたま、そこのロッジの人がトイレにきて、自分の震えを見て熱いお茶を持ってきてくれた。
ハセツネではノンサポートだが、これはウルトラマラソン。丁寧に御礼を言い頂いた。おかげでなんとか元気は出たが震えは止まらない。
駐車場にはバスが…。ここで、リタイアすれば暖かいバスに乗れる。
しかし、ここからは坂道。
下りればいい。
走りはじめた。
まだ、40kmも走ってないのだ。
走りながら、顎もガクガク。カラダもブルブル。何かわからないことを叫びながら駆け下りた。
そのうち、ようやく手がジンジンしてきた。ビニールに手を入れて走ったおかげでなんとかなった。
良かった。
写真も撮った。

伊南川ウルトラマラソン 奮闘記 1
紅葉の中を走ってみませんか?
という、なんとも素敵な魅力的な、誘い言葉に惑わされエントリーしてしまいました。
また、昨年もエントリーしたのですが、残念ながら2週間前のハセツネで捻挫してしまったのでDNSの大会でしたし、昨年参加されたみなさん、とてもいい大会だと噂してましたので、喜び勇んでの参加でした。
しかし、マラソン大会というのは、天候という自分の力ではどうしようもない自然の威力に大きく影響を受けてしまうものです。
昨年はとてもお天気も良かったらしいのですが、今年は台風接近で荒れ模様のお天気…。
まさに、天国と地獄なのでしょう。
伊南川は奥会津なので交通が不便です。
なので直行バスに金曜日に乗り込み現地入りしました。
新宿から乗ったバスには、ハセツネでもよく見かける、どMなメンバー多数。
さらに、全国各地のどMなウルトラマラソンに参加してそうな経験豊かな面々が…。
これだけのどMなメンバーにしても、今回の伊南川ウルトラマラソンの完走率は51%という、かなり厳しいものになりました。
これから、レース展開の記録も書いていきますが、何よりも、ウエアリングや装備、ドロップバッグに用意したものや、補給などかなり高度な判断と、それを支える経験が重要なレースとなったことは間違いありません。
今回、私はなんとか完走できましたが、ウエアリングは失敗も、装備にかなり助けられました。あと、ペース配分ですが、やはり、これもこのコースの特徴を捉えているかどうかで大きく異なる結果だったように思います。
それと、宿。
これ、結構大きな課題です。
まずは、大会当日…。
前日からの雨はやむ気配はありませんでした。
ホテルからスタート会場に向かうバスで、少し小雨になるのを感じたので、ウエアリングを変更しました。これが失敗。
最初は、
ファイントラックのインナーに、半袖のシャツ、それにモンベルのトレンドフライヤー。ボトムは、C3fitのロングタイツに、オーバーショートパンツ。ソックスはR×L5本指。シューズはHOKA ONEONE BONDY。
それを、トレンドフライヤーをドロップバッグに入れて、ファイントラックのニューモラップに変更しました。発汗性が高く、動きやすいほうが良いかと判断したのです。
ウェストポーチには、ジェルフラスコに、薬、お菓子にベスパハイパーなど。ボトルにはポカリの水割り。それと、雨でシューズ内が濡れたら履き替えようと思いスマートウールのソックスをジップロックに入れウエストポーチにしばりつけました。さらに、万一雨が強くなったら…と、マラソン用のビニール。
このビニール袋タイプの雨よけがなければリタイアか命に関わる状態になったかもしれません。
大会会場では、五島さんに会い、ゴールを約束しました。
(つづく)

2013年日本山岳耐久レース24時間以内〜ハセツネカップ回想記 最終回
日本山岳耐久レース。
このイベントタイトルは、まさに必要十分な意味を持っていると思う。
ハセツネは、トレランレースじゃない!とよく聞くが、確かにハセツネはハセツネでしかない。そして、それを言い換えるならば、日本山岳耐久レースでしかないと思う。
今までに3回、このレースに参加した。
最初は気負いもあり、かつ、胃腸の不快感で第一関門でリタイア。
二回目は、第二関門過ぎで捻挫をして、ほぼ歩きで19時間での完走。
そして今回、三回目にして、ようやく体調もベストに近いもので、16時間以内の完走ができた。
この日本山岳耐久レースの特徴は、なんと言っても、ノンサポート。つまり全て自己完結。厳しく言えば、時間や場所、道も他の選手やボランティアに聞いてはいけない。
唯一、水を入れてもらえるところでも、本当は自分で水を汲むのが正しいのだ。
そして、もう一つの特徴は、夜間がメインにはなるものの、実は歩いても完走できる時間設定の24時間以内ということ。
さらに、毎年同じコースであること。
これらの特徴をしっかり把握して練習できれば、完走は決して難しくない。
しかし、繰り返すアップダウンで耐えられる胃腸がかなり重要だと感じている。
今まで、トップ選手でもリタイアするのはこの体調異変だ。
それだけ過酷ではあるけれど、反対に体調をしっかり管理できれば完走は難しく無いということだろう。
今回、レースに臨んで、実はこの体調管理にはかなり気を使った。
腰痛もちの自分は、山登りで膝に手を付いて登った場合に腰が曲がりやすい。従い、膝に手は付かず、手を後ろ組にして登った。
胃腸にはかなり気を使った。
胃薬を途中でも飲んでいたし、胃の不快感を少しでも感じると、休憩をとり補給色をしっかり食べたり、水分補給をした。
あとは体温管理。
このレース、意外にも低体温などになりやすい。が自分は暑がりだし、ウエアにはかなり気を使った。
そして水分。今回、大正解だったのは緑茶。ポカリなど甘いものが多いなか、渋いお茶はとてもすっきりする。
これらいろんなことを想定し、対策を練ることで完走率は高まる。
このレースの最大の魅力はそういったものではないだろうか。
さて、来年。
やっぱり、参加したくなってきた。
あんなに、ゴールした直後でさえ、しばらくいいや と思っていたのに。
とある人から聞いたけど、
ハセツネを走りたくない、やめたいときはいつか というと
ハセツネを走っている時
らしい。
ナットク😉
(完)
このイベントタイトルは、まさに必要十分な意味を持っていると思う。
ハセツネは、トレランレースじゃない!とよく聞くが、確かにハセツネはハセツネでしかない。そして、それを言い換えるならば、日本山岳耐久レースでしかないと思う。
今までに3回、このレースに参加した。
最初は気負いもあり、かつ、胃腸の不快感で第一関門でリタイア。
二回目は、第二関門過ぎで捻挫をして、ほぼ歩きで19時間での完走。
そして今回、三回目にして、ようやく体調もベストに近いもので、16時間以内の完走ができた。
この日本山岳耐久レースの特徴は、なんと言っても、ノンサポート。つまり全て自己完結。厳しく言えば、時間や場所、道も他の選手やボランティアに聞いてはいけない。
唯一、水を入れてもらえるところでも、本当は自分で水を汲むのが正しいのだ。
そして、もう一つの特徴は、夜間がメインにはなるものの、実は歩いても完走できる時間設定の24時間以内ということ。
さらに、毎年同じコースであること。
これらの特徴をしっかり把握して練習できれば、完走は決して難しくない。
しかし、繰り返すアップダウンで耐えられる胃腸がかなり重要だと感じている。
今まで、トップ選手でもリタイアするのはこの体調異変だ。
それだけ過酷ではあるけれど、反対に体調をしっかり管理できれば完走は難しく無いということだろう。
今回、レースに臨んで、実はこの体調管理にはかなり気を使った。
腰痛もちの自分は、山登りで膝に手を付いて登った場合に腰が曲がりやすい。従い、膝に手は付かず、手を後ろ組にして登った。
胃腸にはかなり気を使った。
胃薬を途中でも飲んでいたし、胃の不快感を少しでも感じると、休憩をとり補給色をしっかり食べたり、水分補給をした。
あとは体温管理。
このレース、意外にも低体温などになりやすい。が自分は暑がりだし、ウエアにはかなり気を使った。
そして水分。今回、大正解だったのは緑茶。ポカリなど甘いものが多いなか、渋いお茶はとてもすっきりする。
これらいろんなことを想定し、対策を練ることで完走率は高まる。
このレースの最大の魅力はそういったものではないだろうか。
さて、来年。
やっぱり、参加したくなってきた。
あんなに、ゴールした直後でさえ、しばらくいいや と思っていたのに。
とある人から聞いたけど、
ハセツネを走りたくない、やめたいときはいつか というと
ハセツネを走っている時
らしい。
ナットク😉
(完)
