走りながら、食べて、聞いて、考えて! -40ページ目

第23回日本山岳耐久レース(24時間以内)長谷川恒男カップ 完走記〜その4

"第三CPの長尾平は、特別なところである。
後半部の試走にくれば必ずといっていいほど立ち寄る長尾茶屋。そこで、コーラやワインなどをいただくことができる。
しかし、レース本番ではそれはできない。コース上に唯一生活の場があるこの御岳山神社付近の宿坊街の自動販売機からも購入できない。
ただ、ここまでくればあと10kmちょっと。もうゴールが確信できる。
また、コース後半にある自然の水場ではいつも豊富な湧き水を提供してくれる「綾広の滝上」の自然水も、夏の試走時には恵みの冷たい水であり、そこから2kmほどいけば第三CPに到達するので、ここはかなり元気にスピードを上げて走れるところではある”

しかしながら、今回は全く走れなかった。

ほとんど平坦なハイキングロードにもかかわらず走れない。

ようやく、応援の元気な声が聞こえて、第三CPに到達した瞬間、すぐにベンチに座ってしまった。
それは、もう完走が見えてきたことへの安堵感とかなり消耗した体力のせいではあるが。

あと13.5km。
2時間半で行けばなんとか16時間切りは可能だ。

しかし、全く走る気持になれなかった。
相変わらず気分が悪くて仕方がなかった。
それとやはり寒かった。

そこで、再度、バーサライトを着ようとしたところに、魚津くんがやってきて同じくベンチに腰をかけた。
同じく胃の不快感でいっぱいいっぱいになっているところで、少し休んで行くとのこと。
自分も、最後だから、吐いても行けるだろうと、ここで最後の一個のミニクリームパンと、ミニ羊羹を無理り胃に流し込んだ。
そして、胃薬を飲んだ。

よし、行くしか無いな・・・と、魚津くんに「先に行くよ」と言い残し立ち上がった。

日の出山に向かう前に、公衆トイレにいくと北海道トレイルランニングクラブの若手のA井くんと会った。

宿坊街を少しゆっくり走りだした。

このあとは、日の出山がある。そう高い山ではないのだが、もはや60km近く走り続けてきた脚にはきつい登りになる。それも階段・・・。階段は本当に疲れる。

ただ、ここの階段も端のところは比較的段差が少ないのでそこさえ登っていけば少しは楽なのだ。

それと、階段は5部制になっている。この階段を登りきれば・・・と計算できると少しは気持が楽。

そうして、なんとか日の出山に。

今年も日の出山で夜景をみることができた。午前3時11分。


日の出山の頂上からは、あとは11kmくらい。16時間を切るには午前5時までにゴールすればいいのであと1時間50分程度。ほぼ歩きでは難しいかもしれない。

先を急いだ。

日の出山の階段は、土が削られてけっこう段差があり歩きにくかったのだが、今年は改修されており比較的安心しておりられた。

前方には女子ランナーふたりがいて、また男子ランナーも数人見える範囲にいた。

ほぼあと10km。

前方のランナーも走っているので、なんとかペースをあわせて走ろうかと思いついていった。

そのうちに、どんどん前方のランナーに近づく。

おかしい、脚が動いている。それもけっこうしっかり。

痛いと思っていた足も、痛みがほとんど感じなくなっている。

おや、胃の不快感が・・・気にならなくなっている。

と、前方のランナーはすぐ目の前。でも、しばらくついていくようにペースを落として走っていた。

5分ほどその状態だったが、前方にペースが落ちているランナーがいて、そのあとに女子ランナー、そして自分。さらに、自分の後ろからもランナーが追いついてきた。

この状態を先を行くランナーが感じていないはずはない。なぜなら、ヘッドライトで後方から照らすから確実に後方から迫っているのがわかるからだ。

たいていは、道を譲るしぐさをするのだが、まったくそういう気配はない。

直前の女子ランナーも困っている様子。致し方ないので「すみません、道を譲ってもらえますか?」と声をかけ、追い抜かせてもらった。

そうしたら、ちょっとしたのぼり。

でも走れた。それも全然楽に。

おかしい、いったいどういうことだ!何があったんだ。

頭の中でいろいろ考えた。

こんなに調子よく残り10kmの金比羅尾根を走れたためしは無い。
脚が残っている事自体信じられなかった。

走りながらいろいろ思い巡らしていると、

「そうか・・・」

3年前の夏に夜間走をした。
その時いっしょに走ってくれたのは、この9月に山の事故で亡くなった藤生くんだ。
3年前のその試走のときも、藤生くんがいっしょにこの金比羅尾根を走ってくれた。
いっしょに朝日を見た。

そして、ふじふじ(藤生くん)は、2年前のハセツネではゴールで待っていてくれて、初めて15時間台を達成したとき写真を撮ってくれたのだ。

「ふじふじが、応援してくれている・・・」
「きっと、そうだ。だから、胃の不快感もなくなり、脚も戻った・・・ふじふじが走らせてくれているのではないか!?」

奇跡か?
そう感じた。

不思議と全然走れた。

前方にいるランナーにはすぐに追いついて、道を譲ってもらい追い抜かせてもらった。

あのずっと抜きつ抜かれつになっていた60代のランナーもまた抜いた。

先をいっていたマーシャルの井上理恵子さんも抜かせてもらった。

異常なほど運動が活発になっていた。10人以上前方のランナーを抜いていた。

その時、ヘッドライトがバッテリーが減ってきていることのアラームが。
そこで、ハンドライトを取り出し走り続けた。

まだ、日の出前の暗い山の中、自分の目の周りの景色がどんどん後ろに流れていった。

「ふじふじ、ありがとう!」
ずっと心の中でそう叫んでいた。

そして、あっという間に最後のアスファルトのロードに出る頃、涙が止まらなくなった。

あの角を曲がればゴールというのを見たとき、ぐっと我慢して笑顔を作った。

2年前、ふじふじがゴールを待っていてくれた。
今年は、残念ながらそのふじふじはいない。
でも、僕の心の中にはしっかり彼はいてくれて、弱くなる自分に檄を飛ばしてくれた。チカラを貸してくれた。

ゴールしたのは午前4時35分。

あの、日の出山のピークからわずか1時間20分程度だった。

ゴールでは、北海道トレイルランニングクラブの代表の武田さんが待っていてくれた。

今まで、一度も走り切れたことのなかった最後の10kmの金比羅尾根をずっと走りつづけられたことに興奮していた。
バーサライトを着たまま走り続けていて、汗びっしょりになっていた。


15時間35分12秒。(957位)第三CPから30人以上抜いた。

5回目のハセツネ参加。そして4回めの完走は、今までになく最後に走り切れた満足度の高いレースになった。

ありがとう、ふじふじ。

(おしまい)

第23回日本山岳耐久レース(24時間以内)長谷川恒男カップ 完走記〜その3

”最近は、日本全国でトレイルランの大会も増えたが、今年で23回の開催を迎えた「日本山岳耐久レース~通称 ハセツネカップ」は、初回開催時は今のコースと逆走のコースだったものの、あとはずっと同じコースで開催されている。
また、その大会名が示すようにトレイルランニングの大会というよりは、「山岳耐久」のレースであり、ノンサポートのレースとなる。応援のサポートはもとより、選手間での受け渡しも失格行為になる。怪我をしても自分で処理し、また判断してリタイアするか続行するかを決断しなければならない。(リタイア決断した瞬間に、スタッフは手助けしてくれる)
エイドは基本的に無い。唯一、この第二関門の月夜見第二駐車場(42km地点)でのみ、水1.5L(またはポカリスエット)だけが補給してもらえる。
あとは、後半にある湧き水3箇所のみ。
従い、どれだけの水分をもって走るか?行動食はどの程度必要か?万が一の手当のキットは?防寒具や着替えは?など、事前の準備が完走の成否の大きなポイントになる。
これは、実はTOP選手でも同じで、軽量化を図り水を制限してもったために途中で水が枯渇しリタイアしたり、森の葉っぱに残っている水分で凌ぐことさえあるのだ。”

その唯一の給水が得られる第二CP(42km地点)月夜見第二駐車場へ到達すると、ひとまずほっとする。

駐車場には大きなブルーシートが広げられていて、そこで食事をしたり寝転んだり休憩をとるランナーが多いが、自分は極力ここでの休憩を少なくしている。理由はここは気温も低くここで休むことで余計にカラダの動きが悪くなるからだ。

今回も、VESPAゼリーを飲んでトイレに行き、シューズを履き直したくらいでほぼ7分程度のレストだった。

しかし、一向に胃の不快感は治っていなかった。
そんな状態で、この後半戦は、まだまだ危険が多いところ。

月夜見第二駐車場から第二の大ボス「御前山」(1,405m)に向かうのだが、緩やかな下りのあと本格的な上りが始まる。この下りは非常に滑りやすく初完走をした時はここで、捻挫をした。まだ、残り30kmはある地点でのこりをずっと歩くのはかなりロスになる。

ここは慎重におりていった。

小河内峠(1,030m)をすぎると、ここからが本格的な御前山の上りになる。
自分はここがいちばん嫌いな上り。三頭山ほどの急登では無いもののダラダラと続く上りがかなり精神的にも体力的にもきつい。

また、以前、滑落死亡事故もあったエリアで、左右に崖がある場所でもある。

その上、何故かこのあたりでは霧が濃くなったり雨が降ることも多く、眠気も増してくる地点。非常にリスクが高まる地点なのだ。

ただ、今回は霧が少し薄くなり月も見えた。

何度か休み休み御前山の手前の惣岳山に到達。ここで、ベンチに腰掛けご褒美にレッドブルを飲んだ。
まだ上り続けている後方からは、苦しくてリバースしているランナーの声がした。

ここさえ登り切ってしまうと、ほぼ完走は見えてくる。

しかし、御前山からオオダワまでの下り。これがまた序盤の峰見通りのような小刻みなアップダウンがあり、またけっこう荒れたテクニカルなトレイルが多いところ。
ここは、後方からくるランナーをどんどん譲った。
こんなところで怪我はしたくない。

このあたりから、ほぼおなじペースで抜きつ抜かれつしている長身の60歳代のランナーがいた。自分が後方から迫るとすぐ道を譲ってくれるのだが、その先で自分が休んでいるうちにまた抜かれるということを幾度と無く繰り返していた。

ようやく、オオダワ。のこり20km程度である。

ここでトイレをすまし、すぐにリスタート。

しかし、走れない。
ますます気分が良くない。

実はここから、大岳山(1,266m)までは比較的緩やかなトレイルで日中であれば走れる場所だが、深夜いちばん眠いころであり、今年の自分は、胃の不快感で全く走れなかった。

そして、このあたりで北海道から参加している魚津くんとほぼいっしょに行動した。
魚津くんは第5期のハセツネ安全走行講習会のメンバーでいっしょに行動することが多かった。
魚津くんも同じく前半飛ばして同様の状態になっていた。

少しの上りになっても苦しくて休んでしまう。

それを繰り返しながら、ようやく大岳山の麓近くに到達するころ、大岳山からスタッフとダウンにくるまったランナーが下りてきた。たぶん低体温症でリタイアした選手なのだろうが、女性ランナーのようだった。もしかすると山の内はるかちゃんではなかったか?

ラスボスの大岳山は、もはやロッククライミングで一気に50mほどよじ登っていく。
初めて参加するとこの山は厳しいと感じるが、実は、三頭山や御前山よりも楽。一気に標高を稼げるからだ。

ただ、大岳山の下りは危険が大きい。毎年、必ずここで怪我をしている選手が多い。

大岳山を登るまで、魚津くんとゆっくりのぼり、ようやくヘロヘロになりピークに到達。
お互い、はあはあ息を切らしながら、ひとまずベンチで休んだ。

ここをおりれば、あとは登るのは日の出山程度でほぼ下り基調。

あとひとふんばりだ。


だが、
相変わらず胃の不調は続いており、走れる状態ではなく早歩きで第三CPの長尾平(58km地点)まで行くしかなかった。

脚が残っていれば、不快感さえなければここは比較的走れる場所。にも関わらず、全く走れない。

脚をひきずるようににしてようやく到達したのは午前2時半前。13時間33分ころであった。
もう、歩いて完踏するしかない・・・そう思い込んで、とりあえず長尾茶屋前のベンチに座り込んだ。

胃も痛くて、苦しくて全く走る気力をなくしていた。

(つづく)



第23回日本山岳耐久レース(24時間以内)長谷川恒男カップ 完走記〜その2

”ハセツネは、3つのチェックポイント(CP)がある。

スタート後約22.7km地点が、第一CPの浅間峠。
ここまでは、ストックは禁止区間である。
第二CPは、月夜見第二駐車場。約42km地点、ちょうどフルマラソンの距離となる。
そして第三CPが長尾平、御岳山御嶽神社の下になる。58km地点、残り13.5kmとなる。

そして、コースには奥多摩の3つの大きな山(ボス山)がある。
ひとつめの大きな山は三頭山(みとうさん)1,527mの標高があり、距離的には頂上がほぼコースの中間地点となる。
前半の第一CPの浅間峠までは小刻みなアップダウンで相当脚のスタミナを奪うコースとなっている。
そして、比較的緩やかながらも根っこの多いトレイルを経由し、ようやく32kmくらいで西原峠(さいばらとうげ)を経由し、ここから一気に三頭山の上りが始まる。
そして、せっかく上った三頭山を一気に400mほどかけおり鞘口峠を経由し、第二CPの月夜見第二駐車場に出る。
その後、ふたつ目の大ボス、御前山(1,405m)。またそれを300mほど下りオオダワに出る。そこから、なだらかなアップダウンを繰り返したあと、最後のラスボス大岳山(1,266m)を登る。
この3っつのボス山を征服すれば、あとはなんとかゴールが見えてくるのだ。”

さて、

第一CPの浅間峠に到達したのはスタートから約4時間半くらいの午後5時半となる。
すでに暗闇になっており、そこで、休憩をしたりストックの準備をする。

去年、一昨年はまだここはストックを使わず走り続けたのだが、さすがに前半飛ばしたこともありかなり疲労度もきつく、すぐに座り込んでストックを取り出した。
また、ライトもウエストライトだけでなく、ヘッドライトを取り出し準備した。

ここまで4時間半。次に月夜見第二駐車場まで9時間で到達すれば、以前練習で試走した際にはあと6時間でゴールしている。昼間とはいえ、のんびり休み休みでも。間違いなく15時間以内で行ける・・・と思って走り続けた。

しかし、
このあたりから、やはり胃の不快感がなかなか改善しなかった。

ブスコバンも投与し様子をみたが、ダメ。

そして、仕方なくガスター10投与。少しミニクリームパンを食べてみたら、少しは良くなった。しかし、ムカムカしながら「早く西原峠につかないものか・・・」と思いながら笹尾根を抜けていた。

さらに、気温は下がっていた。

ときおり、雨か?と思うような雫も落ちてきた。

そして、冷気は氷のつららのように冷たく、ウエアやシューズを通して肌を刺してきた。

「辛いなあ・・・なんで、またこんなことやってんだろう・・・」とか、
「早く熱いお風呂に入りたいなあ・・・」とか、そんな逃げることばかり頭の中を駆け巡っていた。

そして、しばらく我慢。

ようやく西原峠。

ここで、また腰を下ろし、予定していたレッドブルを飲む。
ここから三頭山までは岩場を含む山登り。

もう走るなんてことは考えずに、「山登り行くぜ!」と割り切り歩き出した。

さすがに、この坂道で前を行くランナーを抜いて行こうなんているのはほとんどいない。

みな、寡黙に、聞こえるのは荒い息遣いだけで、途中立って休んでいるランナーや、しゃがみこんでいたり、そんな光景が増えてくる。

山登りが始まると冷えたカラダでも汗が出る。その汗がまた冷え、冷たく感じる。でもまた汗が出る。ウエアの中に汗が溜まる感じがして不快感さえ感じる。

でも、休んだ瞬間に急にカラダは氷のように冷たくなってくる。

だから、少しでも動くしかない。

そして、ようやく三頭山避難小屋。

その手前で、ウエストライトのバッテリーが切れかけていたので、ここで交換。

避難小屋のベンチに腰掛けて作業をしながら、隣のランナーと少しおしゃべり。
このレースは初めてのようで、この先の状況を少しお話しておいた。

ここからは、木段があり、そのあとさらに急登を登る。
そしてようやく三頭山のピークに到着する。

何度か登っているとだいたいわかるのだが、もうすぐピークだよ!という目印になる木がある。大きなクランク型に曲がっている木があるのだ。それが見えれば本当にあとすこし。

ようやく、ピークアウト。

ここから鞘口峠まではつづら折りの下りがあり比較的走れるところ。

けっこうテクニカルなサーフィスではあるけれど、今までここでころんだことは無い。

しかし、今年は違った。

三頭山を登るころはすでに霧が濃くなっており、地面も湿っていた。

その湿った地面は下りでは非常に危険であった。

何度かズル、ヌルっとなりながらも防いでいたのだが、とうとう、ここで180度ひっくり返った。伏せることができたおかげで滑落は阻止できたが、下手すると数十メートル落ちても仕方なかった。

なんとか、鞘口峠を下りることができたが、ここまでで、かなり体力を使い果たし、鞘口峠から風張峠(かざはりとげ)までの坂道がキツかった。

さらに、けっこう走ってきたせいか、また、標高が下がったせいか、気温が上がったように感じ、汗がびっしょり。

そこで、バーサライトを脱いでまた半袖シャツになり走りだした。

でも、吐き気は一向に改善しなかった。

走りの間に歩きを入れながら、ようやく第二CPの月夜見第二駐車場に到達したのは、スタートから9時間9分(22時9分)。順位は993位と第一関門から大きく後退していた。

そして、カラダはほとんどジェルも受け付けなくなっていた。


(つづく)


第23回日本山岳耐久レース(24時間以内)長谷川恒男カップ 完走記〜その1

ハセツネと言われる日本山岳耐久レースへの5回目の参加。
初参加は、あの震災があった年の秋
2011年 第一関門の浅間峠でリタイア(胃不快感と腰痛のため)
2012年 安走会に参加し練習を重ねマーシャルとして初完走!しかし第二関門の月夜見からの下りで捻挫をし約30kmを完全歩行。19時間38分。
2013年 マーシャル参加 前半抑えながらも後半まで休みをとらず完走 15時間50分。
2014年 マーシャル参加 体調があまり良くないなかなんとか完走 17時間42分。
2015年 一般参加 前半より追い込み、中盤苦戦するも完走 15時間35分。
と、ようやく4回めの完走を果たすことができました。

今回は、できれば14時間台でゴールをしたいと思い、序盤の渋滞に巻き込まれることを避けるために無理に10時間目標のグループからスタートしました。

今回の装備

【ウエア関連】
上:ファイントラック+パタゴニアの半袖シャツ+アームウオーマー+ハセツネ鉢巻
  寒さ防止のための耳までカバーできるフリースの帽子
  モンベルのバーサライト
下:c3fitロングタイツ+短パン
足元:R☓L五本指ソックス シューズはサロモンのS-LAB
手袋:指先出しのものと、冬用の2種
(予備はすべて未使用:着替え用としてアンダーショーツ、ロングTシャツ、ソックス、トレントフライヤー、薄手のオーバーパンツ)

【ライト関連】
ヘッドライト用:PETZL NAO (+予備バッテリーパック)→浅間峠~全部使用
ウエストライト用:PETZL MIO (+予備リチウム電池)→生籐山あたりから使用
ハンドライト用:GENTOS SEN (+予備リチウム電池)→最後10kmで使用

【水分】
メダリスト:750ml (左ボトル)→月夜見前で枯渇
ジャスミンティー:750ml (右ボトル)→三頭山下りで枯渇
水:1,200ml (リザーバー)→ほとんど未使用
レッドブル2本→1本は三頭山手前より使用、もう一本は御前山より使用

【補給行動食】
セブン-イレブンミニクリームパン4個→和田峠、西原峠、月夜見、長尾平で完食
ハニースティンガー3本→峰見通りで1本使用
ハニースティンガーグミ→5粒使用
ミニ羊羹4個→刈寄山手前、長尾平で使用
VESPAゼリー2個→西原峠、月夜見で使用
種なしはちみつ梅干し→未使用(というか存在自体忘れた)

【薬】
ブスコバン2錠、ガスター1錠、大正漢方胃腸薬3包使用、カフェインキャンディー4錠
(その他痛み止め等は未使用)

【ザック他】
ザックはレイドライド20L、ブラックダイアモンドZポール、貼るホッカイロ2個(お腹と背中)ウエットティシュ、iPhone6S(100%充電済みでスタート時機内モード設定)


《レース展開》

今回、序盤の渋滞を避けるべく「10時間」のプラカードのグループ後方より北海道トレイルランメンバー数人といっしょにスタート。
さすが、いきなりスタートから走る。ほぼ、キロ5レベル。

すぐに、マーシャルの坂上さんにお会いする。

広徳寺の坂道もけっこう走り、そのまま最初の渋滞ポイントのシケインにはいる。

ここは、本来のコースであるシケインルートと、その左手に土手状に二手のコースに別れるがここで、まず最初のトラブル発生。

目前で、蜂が暴れだす。原因は、渋滞を嫌うランナーがシケインルートとその土手のほうへの行き来し、藪にいた蜂の巣を突いてしまったらしい。

すぐに「蜂です!頭を低くして!」と叫びましたが、すでに遅く、前方の数人が蜂に刺される。
自分は小さい時に、蜂に刺されたことがあるが、刺す瞬間ってすごい音がした。「パチっ!」という音で、タンクトップで走っていた男性ランナーの左肩を刺したらしい。
その直後に、ポイズンリムーバーを沿道で応援していた仲間からもらって手当し始めたが
渋滞とはいえ歩きながらではしっかり手当できないだろうに、なんとかやっていた。(その後あのランナーがどうしたかは不明)
また、すぐ前のランナーの脹脛も刺されていたみたいで、腫れていた。(そのランナーもその後は不明)

渋滞が緩みだし、多くなランナーが変電所近くから猛烈なスピードで走り始めたが、自分はついていくのがやっと。

ようやく今熊神社ところにたどり着き、ここから早歩き。

ここはいつものようにまだ元気な脚があるので、比較的登りやすい。

左右の段差の少ないところを上り、トイレまで到達。ここで、落ち着くためにも小用。
(トイレで青柳さんに会う)

刈寄山方面に走りだす。ここは周りの流れに合わせて進むも、みんな速い。ついていくのがやっと。上り坂でちょっと渋滞になるのがほっとするくらい。

しかし、おかげで順調に進み、1時間15分もかからず入山峠に到達。

階段待ちも10人程度。(モモちゃんの応援スマイルありがとう!)

階段を登ると小沼めぐみさんに声をかけられる。

ここからは、小刻みにアップダウンを繰り返す胃を痛めやすく、また怪我もしやすく、ここでスタミナ切れもおこしやすい峰見通り。
ここから市道分岐までは我慢のしどころ。

流れに任せるものの、激走しているランナーはどんどん先を譲った。ここで怪我したら元も子もないしね。

と、やはり市道山分岐手前までで、けっこう怪我し出血しているランナーがいたので声をかけたが、なんとか続行できるようだったのでほっと。

市道山分岐までは比較的順調に進み2時間ちょっとで通過。

次は醍醐丸の坂道。
今まではけっこうこの坂道がキツかったのだが、比較的負担少なくクリア。しかし、胃の不快感がこのあたりから始まる。

その度に、ジャスミンティーがさっぱりしていて爽快、正解!

醍醐丸の上り途中、後方から賑やかな女性の声・・・坂上さんですね。よく通る声だこと。
リタイアするならここから和田峠に降りれるよとか言っている。

和田峠のベンチに到達し、ここで、一休みしミニクリームパンを食べる。その間に賑やか女子の坂上さん通過。

カラダが冷えるので、食べ終わるとすぐに合流し先を急ぐ。

しばらくすると生籐山あたりからか、からだが冷えだした。

なんとなく足の指先も痛い。

「ああ、シューズが合わなかったかな・・・」とまだ50km以上もある山道を思うとネガティブな気持ちに陥りモチベーションも下がる。

そのうちに薄暗くなりだしたのでウエストのライトを点灯。

流れに任せて走るも、ますますカラダが冷えてきて、指先などがしびれる感覚。

さらに、カラダにストレートに冷気が突き刺さるような冷たさを感じだし、比較的汗かきで寒さには強いはずの自分であったが、カラダの動きが悪くなり、さらに低体温症のスパイラルにハマるとまずいと思い、モンベルのバーサライトを早くも着ることにした。

軍刀利神社の上り坂をなんとか登りきり、神社にお祈りをして走り続ける。

あと少しで、浅間峠。

そこに着けば少しは楽になるかも・・・なんて思いながら、ようやく声が聞こえてきた。

しかし、浅間峠の少し手前の下り坂は根っこがあって滑りやすいところがある。
2012年の初完走のときはここで左手首を捻挫したので、慎重に下る。

ようやく浅間峠。

でも、決して楽にはならないのが、ハセツネであった。

浅間峠到着 4時間24分45秒 953位で第一関門通過。

4時間半を切るここまではベストタイム。

しかし、この前半の追い込みがここから苦しみにつながった。


(つづく)










ルナサンダル・ラン

久々の投稿。

ってか、最近、ブログはほとんど投稿しなくなっちゃった。

今回は、ルナサンダルでのランの話。

以前より、裸足ランブームはそれとなく続いており、レースでもワラーチ等で参加する選手をたまに見かけていた。

今年も、洞爺湖にもいたし、隠岐の島ウルトラマラソンにもワラーチ参加者がいた。

北海道マラソンでは見つけられなかったが、たぶん、いたと思う。

自分も、以前からはきにはなっていたものの、リスクもあるので敢えて見てみないふりみたいに避けていた・・・が、
最近ふと気になることがあった。

ひとつは、自分の走りがフォアフットになっているように感じたこと。

実は、ウルトラマラソンもハセツネなどのLongトレイルも、HOKA ONEONEという厚底のシューズを履いてはしることがここ何年かは多かった。

長い距離や、ガレ場の多いようなトレイルでは、クッション性の高いシューズのほうが後半の疲労感が全く違ってしまい、最後まで脚がもつような感覚があった。

単身赴任の地、札幌には芝生が多く、豊平川の河川敷はほぼ芝生で非常に走りやすい。
そんなこともあり、ふと以前購入してあまり使うことの無かったアディダスのアディピュアというソールの薄い所謂ベアフットラン用のシューズを履いて走ってみた。

すると、不思議と気持ちよく走れ、以前気になっていたヒールストライク(かかと接地)ではなく、しっかりシューズの全面で踏み込んでいるように感じた。

厚底のHOKAを履いて走ることが多かったのに、薄底で走るのと同じような足の動きになっていたようなのだ。

HOKAは厚底ではあるが、つま先がわが大きく上がっており足がローリング(回転)するような動きになりやすい。というかそういう動きでないと走りにくい。

実際、隠岐の島ウルトラマラソンのコースはアップダウンが何度も繰り返すロードコースで、特に下りではこのHOKAのシューズの特徴は遺憾無く発揮され、非常にスピードにも乗れるし、脚への負担(特に、下りでは太ももへの負担が大きいのだが)が少ないのだ。

その動きが、実は薄底シューズで走るのと同じようになっていることで、違和感なくベアフットランのフォームになっていたのかもしれない。

また、ふたつめの理由としては、その今年の隠岐の島ウルトラマラソンで見た光景。

自分とほぼ同じ位置でワラーチを履いて走っていた女性ランナー(これがAtsumi Yukaさんという超有名な方とは知らず)がかっこよかった。

あのアップダウンが何度もくりかえされるコースで、そう苦しむこともないように、ひたひたと走り続けていた。
ワラーチで100kmである。

そして、自分がゴールして1時間もかからず、彼女もワラーチで完走したのだ。

これを見て、自分にもできるのでは?とふと思い立ったのだ。


さて、ワラーチを作る?

いや、しかし、そんな材料から自分が作るのはたぶん、無理だろう、ていうか面倒くさいし、失敗してワラーチへの不信感になったら良くないとも思い、まずは、ルナサンダルを探した。

札幌にもルナサンダルを売っている店が1店舗あったようで、いちどその店に行ってみたがもはや在庫無し。

そして、ようやく8月の後半に「楽天市場」で見つけ購入決定。


そして、ルナサンダルで走ってみた。

とにかく、まずは、ベルトの調整がなかなかうまくいかない。
あまり緩いと、ペタペタ音がうるさいし、さらにサンダルから足がはみ出したり、動くことで水が溜まったりとあまりよろしくない。

何度か調整しながら走るも、これでパーフェクトっていうことは意外にないなあ。
たいてい、左右どちらかがフィットしていない。

でも、何度か繰り返すことで、徐々になれてきた。

30km、40km程度も走れた。500m級の藻岩山も2会ほど登り降りした。

(サンダルで山を登るのは比較的楽だが、下りはけっこうきつい。というよりも小石が入ったりして痛いことも多くて)

さらに、脹脛の張りが半端ない。

回復に2日はかかる。

また、
太ももの前もけっこう疲労する。

そんなこんなで、ようやく慣れてきて、ようやく実感が湧いてきた。

【ルナサンダルランのメリット】
・黒爪にならない
・捻挫しにくい
・足底筋膜炎が回復している(ピシっという傷みがなくなった)
・脹脛が鍛えられる
・親指・拇指球での推進力が鍛えられ上りが意外に楽
・水虫にならない
・芝生は最高にきもちいい、水たまりもきもちいい、夏は最高にきもちい
・ランナーにとって消耗品であるソックスが不要なので経済的

【ルナサンダルランのデメリット】
・小石がときどき入っていたい
・下りがけっこう厳しい
・しばらく慣れるまでマメができたりする
・バンドで縛り付けるのでそのバンドに擦れていたむことがある(テーピングしとけば問題ない)
・寒い(これから、きっと)


このほかに本来のベアフットランニングのメリットは数多くあるのだろうけど、まだそれは実感できてはいない。

でも、しばらく寒くなって裸足でサンダルを履くのが辛くなるまでは、これで走ってみようか。



「第3回 大雪山ウルトラトレイル 40km」に参加して〜後編

朝8時スタート!
キャンプ場の芝生を走り、すぐにアスファルトの道路そして山のほうに向かって走りだしました。
記録を狙うようなレベルでは無いのでとにかくリラックスして景色を楽しみながら走ることにしたのですが、しばらくすると雨が振り出し、顔に雨があたり気持ち良いくらいでした。

途中から、林道に入っていきましたがその途中で道路に縞模様のある動物が車に轢かれて・・・シマリスが轢かれちゃったんですね。こういうことはこのあたりなら普通にあるんでしょうが。

林道のゆるい傾斜をのぼったりおりたり。けっこうみんな走っていたので自分もこのあたりはけっこう走りました。下りはいつものようにスピード出ちゃうし。


<林道から見える山並み>


ときおり遠くの景色も眺められるくらい気持ちの良い林道でしたが、まだまだ序盤。
初めてのエイドでコーラもいただき元気に走っていました。
オケイナイ林道っていうあたりはけっこうアップダウンもあり、けっこう気持ちよくダウンヒルを下っている、次のエイドに。ほぼ2時間程度で16kmくらい進んでいました。
順調順調。


<これからあそこに行くんだ>

で、このエイドあたりから25kmのグループがスタートします。
そのスタートの数分前に、通過しました。
そして、25kmのグループの速いランナーにあっという間に抜かれました。
これは想定内。

ただ、25km以降はすぐに上りになるのは知っていたのでここからしっかりしなくちゃと、無理せずストックも使い脚をあまり使わないようにして早歩きを中心にしました。

林道が終わり、登山道に入る手前「平山登山口」のエイドでトイレを借りて、コーラそしてVESPA Proを投入。ここからが本格的な上りが始まります。

すると、
いきなり、岩がごつごつの登山道。
少しは足場のいいところはあるのか・・・という淡い期待は簡単に打ち砕かれ、岩ゴツゴツの上りをずっと行くしかありません。
このあたりで、だんだん嫌になてきて、「ああ、やっぱりトレランはキツイなあ」「出るんじゃなかった」とかネガティブモードに。

ただ、ほとんどがシングルトレイルで前後にランナーがいるので、立ち止まる余裕があまりありません。仕方なく、ずっと休みなく登っていきました。
途中、休んでいるランナーがいると「失礼します」と言って抜いていきましが、しばらくすると今度は自分が休みたくなり、先ほどの休んでいたランナーが自分を抜いていくという、ほぼ同じメンバーが同じ位置にいました。

途中、きつくなりレッドブルを飲みました。そうすると、やっぱり効くんですよね、レッドブル。
なんとか、気持ちも前向きになり上り続けることができました。

すると目の前に、白いものが!雪渓が!
そして右側には大きな雪渓が現れ、そこから水が滝のように流れていて、ランナーが声をあげていました。
ずっと動いていて身体はヒートアップしていて、汗も流れているところでこの冷たい水は美味しかったです!さらに雪渓の冷たい空気が流れてきて気持ちいい!

<素晴らしい雪渓>


あと、どれくらいでピークアウト?
そのあとも、ずっとそればかり考えて登っていました。
ようやく、目の前が開けてきて、
「お?もしかして、ピーク?」

しかし、残念ながらまだまだ先。
そこからは高山植物と岩で覆われた山肌を登っていくしかなく、じっくり攻めました。

そしてようやく、人の気配・・・。
「やった~ピークアウト!」
ここからは、しばらく稜線を歩くことがルール。
(って、これまでもずっと歩いていましたから代わりはありませんが)

で、この稜線は確かに快晴あら最高の景色だったでしょう。
でも曇り空、雨はそれほど振っている感じもなく快適に歩き続けました。
ただ、この風の強い場の稜線は歩きにくい。
そしてじっとしてたら、完全に低体温で死ぬかも・・・と、ふと、近くの「トムラウシの事故」のことを思い出しました。ちょうど7月のこのような時期に起きた遭難事故でした。

そんなことを思いながらも進んでいるとやっと比麻良山(ヒマラヤマ?ヒマラヤ?)へ到達。ここからは走っても良い・・・というのですが、ところがどっこい。そんなスキルも体力もなく足早に進むのが精一杯。

そのうちに、とんでもない鎖場!そして、そこから黒い土のヌルヌル地獄が始まりました。
関東の粘土のようなヌルヌルではありませんが、柔らかいぬかるんだ黒土は滑りだすと踏み込めずずるずる行ってしまいます。
恐る恐る、ストックを駆使し、また草木に捕まり降りて行きました。

途中、本当に何度も泣きそうになりながら。
「こりゃ、やばい!」
そんな場所何箇所もありました。

ようやくヌルヌル地獄が終わったかと思ったら、今度は走り幅跳びでもしないと超えられないような沢を飛び越え(小柄な女性ランナーはあそこはどうしたのだろう?)、そうするとまたヌルヌル地獄。

なんども転倒しそうになりながらも、ようやく二の沢稜線のエイドに。
ここでは、自衛隊の方が上流からの美味しい水を供給してくれていたので、カラのボトルにも入れてもらいたくさん飲みました。キンキンに冷たい沢の水は最高に美味しい!!!

そして、次の有明山へ・・・また、ヌルヌルの下りと、しがみついて上るような山肌を上るという繰り返し。

やっと有明山。
でも、あとひとつ、天狗岳を登らないと。

また、ヌルヌル地獄と山登り。
この繰り返しで、本当に精神的に集中力が切れそうになりました。

時間も気になる。
すでに、1時は過ぎていて、2時。あと2時間でゴールできるのか?
心配になってきました。

途中、声をかけてくれた若いランナーがいて、「幾つかわかりませんが、よく頑張ってますね!?」と言われました。「56歳だよ!」と言って追いかけましたが、こちらがハセツネのTシャツを着ているのをみてそう思ったのかも。

途中、予備のレッドブルを飲み干し、なんとか天狗岳を通過!
あとは、ダウンヒルだけ・・・。
スキー場のリフトがあるあたりからずっと下ります。
これが、けっこうキツイ!
ずっと下りで脚が休まらない。
止まらない。
もはや、指も痛くて、たぶんまた黒爪が・・・。

ときどき休みながらも下っていきました。


そうして、ようやく林道に出て、開けたところ・・・。アスファルトの道路に出ました。

ここまでくればあとは1km。

最初、ゆっくり歩いていこうと思いましたが、けっこう雨も強くなってきたので、走ることに。それが意外に走れて、ゴール会場の手前の誘導スタッフのところまで一気に走りました。

そして、ゴール会場の芝生に・・・笑顔でゴールしました。

ちょうど、表彰式を始めた頃らしいですが、なんと想定以上に早く3時半くらいにゴールできました。

「第3回 大雪山ウルトラトレイル 40km」に参加して

私の数少ないトレイルランのレースの中でも、この大会は記憶に残る大会となりました。
過去、参加したのは、
日本山岳耐久レース24時間以内(ハセツネカップ)71.5km
陣馬山トレイル 20km
STY 40km地点でリタイア
濃昼トレイル 30km
そのほか、照月湖20kmなど

そして、今回この「大雪山ウルトラトレイル」40kmが記録として残せました。

この大会80kmと40km、そして25kmというのもあるのですが80kmはフルのレースとしてスタートから緩やかな大草原を40kmほど走り、40kmのコースと合流し山岳に入るというコースです。25kmはほとんどこの80kmと40kmの後半の山岳の部分だけのコースという設計で、それぞれの目的によって走れるなかなかいい発想だと思います。


ちなみに、本格的な登山山岳道だけを楽しむなら25kmでも十分堪能できます。
それだけ前半は林道など走れるところが多く、その結果後半の山岳コースに体力をどれだけ温存できているかがキーポイントのようです。

さて、

今回は、お天気は雨模様。ある程度は覚悟していましたが、なんとかゴール直前までは土砂降りは避けられたのでよかったのですが、関門ぎりぎりでゴールしてくるランナーはきつかったかもしれません。


前日土曜日に、札幌からJRで旭川に行き、そこからツアーバスで会場の遠軽町白滝というところに向かいました。
前日は、受付と説明会、イベントなどがありましたが、雨もけっこう振ってちょっとモチベはダウン。

それから宿泊場所の民宿に向かいましたが、その民宿が・・・。
自分は相部屋だとよく眠れないので、一人部屋を無理してお願いしたせいもありましたが、6畳くらいの畳部屋。そして窓がひとつで、この日は蒸し暑くいくら扇風機をかけても涼しくならない。でも仕方ないので、廊下側のドアを明けて風通しをよくしてなんとか部屋の温度を下げましたが・・・。

晩御飯は、民宿の生姜焼き定食。まあままでした。
そして、お風呂にはいり(けっこうお風呂は良かった)、9時早々に就寝。
朝6時には朝食をお願いして寝たのですが、朝6時に朝食は間に合わず15分遅れ。
6時45分には会場行きのバスが来るのであわてて食べて向かいました。

スタート会場はキャンプ場。
これはなかなかいい感じでしたが、すでに前日より振った雨でせっかくの芝生のグランドもたっぷり水を含んでいました。


今回、40kmですからなんとか完走はできるだろうという算段。
ただし、旭川行のバスは17:30に会場を出てしまうので、なんとかそれに間に合うよう、16時台にゴールしたい。スタートは8時なので、約8時間でゴールするように考えました。
前半の約20kmでなんとか2時間半くらいで走れれば、後半は余裕だろうと思っていました。しかし、後半、本当にきつかった。

装備関連ですが、水はリザーバに1L、麦茶500ml、あとレッドブル2本。
そのほか、ベスパプロ4個、スポーツようかん4個、ハニースティンガー1個、アップルピューレ1個、それとミニクリームパン4個入り。
その他は、エマージェンシーシートや薬、そしてバーサライト。
この近いはストックも使っていいというので積極的に使う予定でストックももちました。
ハセツネ30kのハチマキに、ハセツネの完走Tシャツでスタートすることにしました。

どんな世界が待っているのか?

ハセツネを3回は完走しているわけだから・・・という少し余裕のある自分と、
まだ見知らぬコースという不安な自分で、どきどきわくわくしながらスタートを待ちました。

午前8時ちょうど。

キャンプ場のゲートよりスタートしました。


(後半に続く)

100kmも走ってどこが楽しいの?

隠岐の島ウルトラマラソンが終わって一週間後、サロマ湖ウルトラマラソンが開催されました。
伝統あるサロマ湖ウルトラマラソンは、北海道民だけでなく全国各地が集まる大会です。
私の知っているラン仲間もたくさん参加していました。
サロマ湖ウルトラマラソンは第30回、隠岐の島ウルトラマラソンは第10回と、歴史も3倍、重みがある大会です。

サロマもエントリー開始から数分もかからずエントリーが締め切られました。
隠岐の島も、以前は締め切り間近でも余裕でエントリーできましたが、今年は3日ともたなかったみたいです。

なぜ、こんなにウルトラマラソンなんていう、通常の人間が走ろうとは思わない大会に参加するようになったのでしょうか。

ひとつは、やはり東京マラソンの影響で、徐々にフルマラソンへの参加が厳しくなっていることは承知のとおり。
それに加え、最近は、もっと自分の限界を試したいという人などが増えたのかもしれないと感じています。
トレイルランでも、30km程度の距離でも本当は非常に負荷が高く、厳しいものですが、最近はハセツネの71・5kmどころか、100kmや160km級の大会も増加し、さらに、そのエントリーも厳しくなっています。
さらに、世界中には、砂漠や、ジャングルなども走るアドヴェンチャーレースがあり、そこへのエントリーも増えています。
ロード中心のマラソンでも、南アフリカのコムラッズや、スパルタスロン、バッドウオーターなどにも続々日本人も参加しています。

こうした人達は、自分がやっていることの異常さ(一般の方々空見れば)をあまりそうは思わず、非常に楽しそうに走ったあと、報告をしてくれます。

でも、実際には、走っている時は相当苦しいはずです。

でも、不思議とゴールしたあとに、苦しさを忘れるほどの感情が沸き起こってくるのです。

そういう私も、100kmを初めて走った時は、ゴール直後も「もう二度と走りたくない」「もう、これで走らなくていいんあ」という感情になりました。

でも、不思議なことに、数分たつと、「やれたのだから、もっとやれるかも?」って思うんですよね。人間ってそういうものなのかもしれませんね。

自分が「やれた」ということは、経験になり、経験は自信になります。
そして、その「やれた」ことは難しい厳しいものであればあるほど、達成感が大きくふくらみます。

人間はそもそもそういう生き物なのかもしれなせん。

でも、

無理すると、疲労骨折などにもなりかねませんので、100kmウルトラマラソンに参加されたみなさん、ぜひ、ケアを十分に・・・。


第10回隠岐の島ウルトラマラソンでひとつの「けじめ」をつけることができた・・・その本番

前日夜は、前夜祭のあとに晩御飯をしっかり食べ、そしてゆっくりお風呂につかり8時くらいにベッドに横たわりました。しっかり眠れるよう、「ルネスタ」を飲んですぐに寝つきました。

ふと、目がさめると2時ころ・・・5時間ほどは眠れたので非常にすっきり。
そして、2時半に起きて準備開始。

ドリンクは「レッドブル」を小さいペットボトルに入れたのをポシェットに入れ、さらに1本は中間エイドのドロップバッグに入れました。
スポーツ羊羹6個と、ジェルを2個、胃薬、下痢止め、痛み止め、眠気覚ましを小分けしてポシェットに入れ、最後にレッドブルの残りを氷水で薄めてドリンクボトルに入れて準備完了。


(薬は目的別に小分けにして)

3時に朝ごはん。そして、トイレなどにいってスタート時間を待ちました。
4時過ぎに部屋を出て、スタート位置に行くと、もういつもの「隠岐の島大好きラン仲間」がたくさん待っていました。


(MC早百合さん、ありがとう!)


朝からハイテンションのMC早百合さんの声に元気をもらい、スタートを待ちましたが、スタート20分ほど前にどうもお腹の調子が・・・。
こりゃ早めに行っておこうと、ホテルに戻りトイレ待ち。10分前にトイレ完了しもう一度列に戻ったら、GARMINのGPSをまだセットしていなくてあわててスイッチを入れるも、なかなか捕まらない。
そのうちに、スタート!!!まあ、仕方ないと、スタートしました。

前半はとにかく無理せずゆっくり・・・と思って走っていたのですが、それでもキロ6分を少し切る程度だったようです。


気温は低く、けっこう涼しく気持ちよい風。

その後は、比較的調子よく走れていました。


(トンネルが見えてくれば、ピークアウト)

途中、「せな」のライブもありびっくり!

とりあえず、なんとかサザエ村のエイドまでペースを維持して走れれば、そのあとの急登は、サザエ村でレッドブルを飲めば元気が出るはずと思って走っていました。


(子どもたちが書いてくれた横断幕)

サザエ村で用意していたミニペットボトルのレッドブルを飲み干し、すぐにリスタート。

ここから、アップダウンが始まります。

でも、今年はそれほどきつく感じなかった。
いや、その時はきつかったと思っていたかもしれないけど、今振り返ると前半のアップダウンは意外になんとかなった。ほとんど歩く必要はなかったし。


(42km地点を4時間3分に通過!)

途中、ワラーチでほぼ同じペースで駆けている女性ランナーがいて、それがいいペース合わせになりました。


(ワラーチYUKAさんがいつもそばに)

中間地点の五箇に到着し、ドロップバッグを受け取りイスに腰掛けると、去年入賞した近藤さんがやってきました。
お腹の調子が良くないらしいので、ガスターを渡し、自分も用意しておいたサンドイッチも二口しか食べられないものの、レッドブル一本を飲み干してリスタートしました。


(サブ10の夢消える・・・)

今回、コースは変更になっていて今までは、中間エイドを出てから、平坦だけど、単調な田圃道をぐるぐる走るのですが、今回は、ショートカットされていて精神的にはとっても楽。


(みづきちゃんに抜かれ、どんどん引き離される・・・
なおこのあとiPhoneのバッテリー切れる(^_^;))

でも、遅いんですよね・・・自分のペース。
しばらくして、近藤さんにも抜かれ、あのワラーチさんにもどんどん引き離され・・・

ダメですね~ウルトラでもスピードは必要ですよ。スピードがあれば、もう少し楽なのに。

それでも、輝平さんにも会い、ここは正念場と思い、着実に進むことだけを考え走っていました。
60kmを過ぎ、坂道がきつくなり、ここからこのコース一番きつい坂道になります。
さすがに、歩きました。

そして、下りでリカバリーしようとして。
でも、まだ、2~300m先に見えていた近藤さんは、下りになると一気にすごいスピードで駆け下りていきました。

あっという間に、1km近く離されました。
山を超え、一気に海岸に近いところまで下るところがあるのですが、そこではまだ坂道を下っているのに、近藤さんは海岸近くのエイドをすでに抜けていました。

また、ここから上り坂。

ここが本当にきつい。

でも、遅いのは仕方ないから休まず行こうと、ずっと早歩きで上りました。
スピードを少しでもリカバリーしようとして、腕を大きく前後に振りました。
それは、参加案内に入っていた、小学生の手紙に書いてあったのです。
「苦しくなったら手をいっぱい振って!」
それを思い出し、腕をとにかく振りました。

そうやって、いくつかの坂道をのぼったりくだったり。

もう、近藤さんは見えなくなりました。

と、後ろからすごい勢いで走ってくるランナー。

川内さんでした。あっという間に抜かれました。73km地点でした。

ワラーチさんは、まだ見える範囲にいました。

70kmを過ぎて、最後の大きな山を超えて長い下り坂。

ここでしっかり走れれば、あとは、中里のバス停で、奥さんが待っていてくれる予定でした。レッドブルを用意して。

昨年は、ここで近藤さんに一気に抜かれたのですが、今回は、けっこう調子よく下りで7~8人を抜いたようです。

ワラーチさんもここで抜いて、離すことができました。

そのあと、平坦な道になっても、2~3人抜くことができました。

おかしい?と思うほど走れました。


(激走・・・)

そして、ようやく、待ちに待った中里のバス停が見えると、いつもの応援のおじさんおばさんがおおいに盛り上がってくれました。奥さんもいてくれて、助かった・・・という感じ。そこで冷たいレッドブルを飲み、冷奴を一つ食べてリスタート。

この時点でのこり約20km。時計は、まだ13時台・・・。
ここから大きく崩れなければ、もはやサブ12は確実!でも、サブ11できるかな~。

ここから、また平坦な田圃道や、海岸線の道はスピードがいつもならスピードが落ちて歩いてしまうのですが、今回は、ここでもしっかり走れていました。

おかしい?
まだ、走れる。
おかしい
もうそろそろくるか?

そんなことを繰り返し思いながら、結局あと10km。

でもこのあと10kmは飛行場まわりの坂道。ここで昨年は大きく落としました。

でも、今回は不思議だった。まだ走れた。

前後に、ほとんど同じ位置にいたランナーが歩いていても、自分は足元を見つめ、ひたすら走りました。遅いぶん走り続けるしかないと思って。

そして、結局、最後の難所も乗り越え、ゴールまで走り続けることができました。

ゴールが見えるころ、奥さんが待っていて、そして、あの、MC早百合さんが絶叫してくれました。


(やっと、ゴールが!感動の瞬間!)

「レインボーメダルホルダーに向けてゴール!!!!!」

やっと、やっと、やっと

隠岐の島ウルトラマラソンを走りきった感じでした。

それも自己ベスト10時間44分03秒。


第10回隠岐の島ウルトラマラソンでひとつの「けじめ」をつけることができた

6月21日(日)16時44分3秒
私にとっては8回目の隠岐の島ウルトラマラソンで、ようやくひとつの目標達成、「レインボーメダルホルダー」を獲得することができました。
本格的にマラソンを始めたのが2004年でしたから、実に11年かかり マラソンというスポーツで自分にとってはとても大きな目標を達成したように思います。

最初は、自宅のまわり1kmの周回コースを2,3周するだけでも汗びっしょりで、ぐたぐたになっていたのに、今回は100kmをゴールまでしっかり走りきった感覚がありました。

隠岐の島ウルトラマラソンとの出会いは、大阪に単身赴任していたころ、なんばのスポーツショップでシューズを購入したときに、お店においてあったパンフレットをふと見つけて、手にとり持ち帰り、「島をぐるっと100km」というコピーになんとなく感情が高まり参加した大会でした。

初めて参加したときは、単身赴任先の大阪からひとっ飛びで行けたので負担もそう大きく感じませんでした。
島についたときに、すでにランナーを出迎えるバスが待っていたことには驚き、あっという間に受付をすませ、ホテルに到着。そして、楽しい前夜祭で飲んだり食べたり・・・結果、本番でお腹を壊して何度もトイレに駆け込みながらのレース展開でした。
そこから、実に8回参加し、一回だけリタイアしました。富士五湖の大会後に疲労骨折になってしまい、無理せず中間地点でやめたのです。
ただ、隠岐の島は、何度いってもこころが落ち着く素敵な大会でした。
リタイアしても悔しいより、半分の約50kmを十二分に楽しむことができたことが嬉しかったです。

今回、大会的には「第10回記念大会」であり、自分にとっては、7回の完走を達成する「レインボーメダルホルダー」への挑戦であり、とてもとても重要な大会になっていました。
が、
この大会の概要が決まったころ、大きな問題発生。

6月20日に親戚の子が結婚式ということがわかりました。

結婚式に参加すべきか・・・
この記念すべき大会に参加すべきか・・・

相当悩んだのですが、
9月ころにはココロを決めていました。

申し訳ないけど、この大会に参加して7回目の完走をしない限りずっと後悔するだろう。
結婚式への出席もとても大事なことだけれど、自分にとってどちらの判断が後悔するかしないかという基準で、参加を決めました。両親からもかなりいろいろ言われましたが、自分にとってこの大会は、他の大会とは違うし、ましてや今回は大きな目標達成のためにどうしても、どうしても、どうしても参加しないと自分は後悔してしまう。今までの努力が水の泡になるというようなことを考えました。

2回めの参加からずっと隠岐の島のこの大会に応援で付き添ってくれている妻には申し訳ないけど、20日の結婚式には参加してもらい、その後夜米子に入り翌21日のお昼ころに隠岐の島に渡れば、いっしょにゴールできるはず。
そんな計画で、この大会に臨みました。

なので、どうしても完走しないとならなかった。
どうしても、結果を出さないとならなかった。
結婚式にも出席せず、無理を強いて参加した大会でリタイアは絶対にありえなかったのです。

ということで、21日の朝5時。

自分との戦いはスタートしました。(つづく)