第10回隠岐の島ウルトラマラソンでひとつの「けじめ」をつけることができた | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

第10回隠岐の島ウルトラマラソンでひとつの「けじめ」をつけることができた

6月21日(日)16時44分3秒
私にとっては8回目の隠岐の島ウルトラマラソンで、ようやくひとつの目標達成、「レインボーメダルホルダー」を獲得することができました。
本格的にマラソンを始めたのが2004年でしたから、実に11年かかり マラソンというスポーツで自分にとってはとても大きな目標を達成したように思います。

最初は、自宅のまわり1kmの周回コースを2,3周するだけでも汗びっしょりで、ぐたぐたになっていたのに、今回は100kmをゴールまでしっかり走りきった感覚がありました。

隠岐の島ウルトラマラソンとの出会いは、大阪に単身赴任していたころ、なんばのスポーツショップでシューズを購入したときに、お店においてあったパンフレットをふと見つけて、手にとり持ち帰り、「島をぐるっと100km」というコピーになんとなく感情が高まり参加した大会でした。

初めて参加したときは、単身赴任先の大阪からひとっ飛びで行けたので負担もそう大きく感じませんでした。
島についたときに、すでにランナーを出迎えるバスが待っていたことには驚き、あっという間に受付をすませ、ホテルに到着。そして、楽しい前夜祭で飲んだり食べたり・・・結果、本番でお腹を壊して何度もトイレに駆け込みながらのレース展開でした。
そこから、実に8回参加し、一回だけリタイアしました。富士五湖の大会後に疲労骨折になってしまい、無理せず中間地点でやめたのです。
ただ、隠岐の島は、何度いってもこころが落ち着く素敵な大会でした。
リタイアしても悔しいより、半分の約50kmを十二分に楽しむことができたことが嬉しかったです。

今回、大会的には「第10回記念大会」であり、自分にとっては、7回の完走を達成する「レインボーメダルホルダー」への挑戦であり、とてもとても重要な大会になっていました。
が、
この大会の概要が決まったころ、大きな問題発生。

6月20日に親戚の子が結婚式ということがわかりました。

結婚式に参加すべきか・・・
この記念すべき大会に参加すべきか・・・

相当悩んだのですが、
9月ころにはココロを決めていました。

申し訳ないけど、この大会に参加して7回目の完走をしない限りずっと後悔するだろう。
結婚式への出席もとても大事なことだけれど、自分にとってどちらの判断が後悔するかしないかという基準で、参加を決めました。両親からもかなりいろいろ言われましたが、自分にとってこの大会は、他の大会とは違うし、ましてや今回は大きな目標達成のためにどうしても、どうしても、どうしても参加しないと自分は後悔してしまう。今までの努力が水の泡になるというようなことを考えました。

2回めの参加からずっと隠岐の島のこの大会に応援で付き添ってくれている妻には申し訳ないけど、20日の結婚式には参加してもらい、その後夜米子に入り翌21日のお昼ころに隠岐の島に渡れば、いっしょにゴールできるはず。
そんな計画で、この大会に臨みました。

なので、どうしても完走しないとならなかった。
どうしても、結果を出さないとならなかった。
結婚式にも出席せず、無理を強いて参加した大会でリタイアは絶対にありえなかったのです。

ということで、21日の朝5時。

自分との戦いはスタートしました。(つづく)