帰省
件の異動により引き継 ぎ業務で忙しい時期に差し掛かってきてはいるものの、仕方ない。
明日から、また一年ぶりにバリ島に行くことで、準備していたのでいまさら変更などはできない。
それにしても昨晩の女子ソフトボールは凄まじい戦いだった。
何よりも、「絶対、あきらめるな!」とか、「勝負はツーアウトから」とか、そういうスポ根ドラマのクサイセリフが、真実であることを、まざまざと見せられた戦いの連続だったと思う。
そういうクサイセリフは、確かに学校の部活やサークル活動でも、何度も聞いてきたし、叫んできた言葉であるが、どこかで、「もう、ダメか!」と思っていた自分であった。
だから、フルマラソン32キロ地点でリタイアしたりしてしまったのだ。
でも、諦めた瞬間に、「勝てない」のではないか?そう思わせる戦い方だったと思う。
そして、勝った喜びの表彰式のあとに、ボールで「2016」を、アメリカ、オーストラリア、日本の選手がいっしょになって表した時は、とても感動するシーンであった。
たぶん、極限まで戦い尽くした相手だったから、できたことだったと思う。
久々に感動したシーンであった。
あと数日間か・・・。
人事異動が公表され早速引き継ぎスケジュールや引越しスケジュールがほぼ決まった。
そして、それをじっくり見てみると・・・夏休み明けに、大阪に居る日数は、6日程度になってしまった。
その後、引越しのために再度大阪には戻るものの、実質的にはこの6日が残された大阪の時間ということになる。
そのうち、すでに送別会などが3件ほど入っているので、もはや平穏な日々ではないわけだな。
たぶん、走れる時間というのもいいところ2,3日程度だろう。
昨晩、会社の仲間と最後の練習会を行ったが、最後に送別の品をいただいた。
ありがとう。
隠岐の島のときにはたくさん応援FAXを送ってくれた人たちだ。実質半年、それもまだ両手で数えるまでには練習できなかったのだが、それでも、秋の駅伝大会にはエントリーをして走り続けていくらしい。
よかった。
走りだした仲間とは、どこかの大会で出会うこともあるかもしれない。
本当によかった。
今日は、定例の会議があった。この会議で、ある意味自分の責任もケジメをつけることとなった。そうなると、急に自分の意識も変わっていくものだ。だんだん、自分は、この土地にも関係の薄い存在になっていくのだろう。
さて、大阪に来て、最初はウィークリーマンションに住まいだし、そしてその後今のマンションを借りて大阪の生活が始まったのだが、振り返ると、本当に出かけたことは少なかったと感じる。
休みの日は、月に一度は帰省できたので、横浜に帰ったが、その他のときは、大阪城公園を走ることが基本。そしてトレイルを経験し、京都や六甲を走ることが増えてきた。
昨年の夏場はほとんど六甲に行っていた。それが終わると、びっしょり汗を含んだウエアを洗濯。そして、そのあと部屋の掃除。フローリングの床を拭くとまたまた汗びっしょりになりシャワーをしたり・・・それから夕飯の買い物。そんなことで休日は終わることが多かった。 たまに、買い物になんばや心斎橋に行っても、結局、スポタカやNikeショップに行って、ラングッズを購入することくらい。そして、RF1のお惣菜を買ってきて、ビールやワインをいただきながら夕ご飯を楽しむ という生活であった。
京都に観光に行ったのは・・・家族が来たときくらいだった。
奈良にも結局、走って通過はしたものの、一度も観光にはいかなかった。
神戸も走りにいったくらいだし・・・淡路島も・・・四国も・・・・ 結局、思い返せば、大阪城公園と自宅の往復を軸としたせまい範囲でしか活動していなかったのだ。
終わってしまうと早いものだなあ。
明日は、夜に帰省する。そしてあさってから夏休みで、またまたバリに行ってきます。
そして帰国してからは、新しい勤務先での引き継ぎから開始となります。
本当にあっという間の2年間だったように感じます。
大阪の生活も、あと7日。
引退声明
アテネ、そして北京と兄弟そろって二連覇を果たした女子レスリングの伊調姉妹が、引退の意向を表明したらしい。
マラソンの土佐も同じように、この大会を持ってケジメをつける発言をしていた。
水泳の北島も同じだ。
ハードルの為末も、100m走の朝原も・・・
シドニーからアテネ、そして北京にかけて、日本の選手は一時期とは大きく異なる、素晴らしい結果を出してきている。
一昔前は、日本の競泳や陸上の短距離で、メダルを取れる可能性など皆無だった。
それが、最近はこういった競技で日本の選手が活き活きと活躍している。
北島の100m、200mの金メダルは確かに素晴らしい成果だった。しかし、それ以上に男子400mメドレーリレーの銅メダルは素晴らしいものだったと思う。
400mメドレーリレーが終わった時の北島の笑顔がその素晴らしさをあらわしていると思う。
時代はどんどん変わっていくものだ。
そしてこのオリンピック真っ只中の時期に、自分も転勤という大きな転機を迎えることになった。
その内示を受けたのは2週間前の木曜日。
告げられた瞬間、単身赴任というある意味苦痛の日々から解放されるという安堵感といっしょに、とても深い悲しみと寂しさ、そして自分の無力感など
いわゆるネガティブな様々な思いを一気に感じてしまった。
その夜、大阪城公園を走った。
もう、走ることはないのか?という寂しさ。
ずいぶん、この道にはお世話になった。何度、この道を通ったのだろうか?
そんなことを考えながら大阪城公園を一周した。
また、自分の部下の異動の送別会では、公表のタイミングを規制されていたために、自分自身のことは一切触れることもできず、ある意味嘘っぽい送別の言葉を語る自分が情けなく非常に不快な気分でいたのだった。
そして昨日、会社のマラソン仲間のF君と、六甲のラストランに出かけた。
全国的によいお天気とはいえない日曜日であったが、しかし、なぜか六甲はちょうどいいお天気で風も比較的爽やかで、非常に過ごしやすいベストコンディションの中、六甲の頂上を目指し、そして有馬温泉まで走った。
いったい、この六甲には何度お世話になったのだろう?
大阪城公園はいったい何周したのだろうか?
ああ、京都~大阪・・・大変な道のりであったと思う。でも、なんだか、今振り返るととんでもなく懐かしくて、信じられないことにあの時走ったシーンが思い出されるのだ。
京都、嵐山の桜や、桂川。そして新幹線や、さまざまな建物。
たった2年。
でも、どっぷりこの地に浸っていたのかもしれない。
マラソンをやっていることで、とにかく近辺の道をたくさん走ったのだ。
大阪城だけでなく、和歌山も、泉州と呼ばれる地も、奈良も、京都も、京都の北山や東山も・・・。
自分の職場では、最初は違和感を感じていた関西弁がいつのまにか自然に聞こえだし、自分も真似事のように関西弁を使いだしていた。
なんだか、やたら人にいろいろうるさいこという人たちだなあ・・・と感じていたのは、いわゆる人懐こい関西人の性格であったのだ。
そんなことがようやくわかりだしたころだった。
2年間。ずいぶん、自分の妻には負担をかけた。
娘も受験を控えていて、十分なサポートをできずに申し訳ないと思った。
当然、1人で、食事をつくり、家事をして・・・そういう生活も、寂しさもあるが開き直って要領よくやるようになったばかりであった。
家族には本当に負担をかけすまないと思う。
でも、結局ほぼ2年でこの関西の生活を終え関東に戻ることになりました。
それはそれで、自分にとっては、また違った寂しさを感じてはいますが、でも、そういう時期になってしまったと思うしかないのでしょう。
この大阪の地では、自分は引退声明を発表せざるを得ないのですね。
金メダルどころか、銀も銅も、メダルなんて一切無い 程度の仕事しかできなかったのが残念で残念でしかたありません。
しかし、これも今の自分の実力なのでしょう。
今日、全体朝礼で、約150人の従業員を前にして挨拶をして、そんな思いを感じていました。
大阪のみんな、本当にありがとうございました。
この2年間は決して忘れないと思います。
非常に情けない引退声明ですが、どうか、次の世代の成功を心からお祈り申し上げます。
「走った距離は裏切らない。」
残念・・・
残念無念だと思う。
過去のレース展開から、ピーキングにおいては上手かった「野口みずき」が結局オリンピック欠場となった。
今のところ、世界中を見渡しても、ラドクリフか野口かといわれるだけに、とても残念である。
いや、本人の悔しさはいかほどか・・・?
多分、多少の痛み程度であれば、痛み止めを打ってでも出場したと思う。
しかし、たぶん怪我のほうは相当悪いのだと思う。
欠場を決心するのは、本当に辛かったろうなあと思う。
あとは、2人の選手に期待したい。
一方、柔道の谷本選手の一本勝ちは素晴らしかったね!
もともと日本のスポーツであった柔道が世界の柔道になりオリンピック種目にもなってから
どんどん、どんどん、ルールが変わってしまい、すっきりしない勝敗が増えていただけに、
オール一本勝ちという、誰にもわかりやすい勝敗のつけかたは、本当に気持ちのよいものだ。
そもそも、柔道も「格闘技」であるの だから、勝つか負けるか明確に判定できないと意味がない。
本来、生きるか死ぬか、刺すか刺されるかであるのだから、投げられるか、まいったとなるか
そういうスッキリした判定のしかたになっておほしいと思う。
谷の試合も結局、判定で苦しんだわけだが、しかし、谷本においては、それは跳ね返すだけの技術と勢いで一本をとってくれた。
スッキリしたので、今日は、暑いけれども昼間も走ってみようかな?





