引退声明 | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

引退声明

アテネ、そして北京と兄弟そろって二連覇を果たした女子レスリングの伊調姉妹が、引退の意向を表明したらしい。
マラソンの土佐も同じように、この大会を持ってケジメをつける発言をしていた。
水泳の北島も同じだ。
ハードルの為末も、100m走の朝原も・・・

シドニーからアテネ、そして北京にかけて、日本の選手は一時期とは大きく異なる、素晴らしい結果を出してきている。
一昔前は、日本の競泳や陸上の短距離で、メダルを取れる可能性など皆無だった。
それが、最近はこういった競技で日本の選手が活き活きと活躍している。

北島の100m、200mの金メダルは確かに素晴らしい成果だった。しかし、それ以上に男子400mメドレーリレーの銅メダルは素晴らしいものだったと思う。
400mメドレーリレーが終わった時の北島の笑顔がその素晴らしさをあらわしていると思う。

時代はどんどん変わっていくものだ。

そしてこのオリンピック真っ只中の時期に、自分も転勤という大きな転機を迎えることになった。
その内示を受けたのは2週間前の木曜日。

告げられた瞬間、単身赴任というある意味苦痛の日々から解放されるという安堵感といっしょに、とても深い悲しみと寂しさ、そして自分の無力感など
いわゆるネガティブな様々な思いを一気に感じてしまった。
その夜、大阪城公園を走った。
もう、走ることはないのか?という寂しさ。
ずいぶん、この道にはお世話になった。何度、この道を通ったのだろうか?
そんなことを考えながら大阪城公園を一周した。

また、自分の部下の異動の送別会では、公表のタイミングを規制されていたために、自分自身のことは一切触れることもできず、ある意味嘘っぽい送別の言葉を語る自分が情けなく非常に不快な気分でいたのだった。

そして昨日、会社のマラソン仲間のF君と、六甲のラストランに出かけた。
全国的によいお天気とはいえない日曜日であったが、しかし、なぜか六甲はちょうどいいお天気で風も比較的爽やかで、非常に過ごしやすいベストコンディションの中、六甲の頂上を目指し、そして有馬温泉まで走った。

いったい、この六甲には何度お世話になったのだろう?
大阪城公園はいったい何周したのだろうか?
ああ、京都~大阪・・・大変な道のりであったと思う。でも、なんだか、今振り返るととんでもなく懐かしくて、信じられないことにあの時走ったシーンが思い出されるのだ。
京都、嵐山の桜や、桂川。そして新幹線や、さまざまな建物。
たった2年。
でも、どっぷりこの地に浸っていたのかもしれない。
マラソンをやっていることで、とにかく近辺の道をたくさん走ったのだ。
大阪城だけでなく、和歌山も、泉州と呼ばれる地も、奈良も、京都も、京都の北山や東山も・・・。


自分の職場では、最初は違和感を感じていた関西弁がいつのまにか自然に聞こえだし、自分も真似事のように関西弁を使いだしていた。
なんだか、やたら人にいろいろうるさいこという人たちだなあ・・・と感じていたのは、いわゆる人懐こい関西人の性格であったのだ。

そんなことがようやくわかりだしたころだった。
2年間。ずいぶん、自分の妻には負担をかけた。
娘も受験を控えていて、十分なサポートをできずに申し訳ないと思った。
当然、1人で、食事をつくり、家事をして・・・そういう生活も、寂しさもあるが開き直って要領よくやるようになったばかりであった。
家族には本当に負担をかけすまないと思う。

でも、結局ほぼ2年でこの関西の生活を終え関東に戻ることになりました。
それはそれで、自分にとっては、また違った寂しさを感じてはいますが、でも、そういう時期になってしまったと思うしかないのでしょう。

この大阪の地では、自分は引退声明を発表せざるを得ないのですね。
金メダルどころか、銀も銅も、メダルなんて一切無い 程度の仕事しかできなかったのが残念で残念でしかたありません。
しかし、これも今の自分の実力なのでしょう。

今日、全体朝礼で、約150人の従業員を前にして挨拶をして、そんな思いを感じていました。


大阪のみんな、本当にありがとうございました。
この2年間は決して忘れないと思います。
非常に情けない引退声明ですが、どうか、次の世代の成功を心からお祈り申し上げます。


「走った距離は裏切らない。」