高砂線跡。 ; 高砂駅以南、及び高砂工場引込線。
高砂駅跡より100m程北上すると遊歩道はYの字状に分岐します、画像は北を向いて、右側が'本線'、左側は国鉄高砂工場への連絡線だったのです。
こちらは程なく車道となり、山陽電鉄沿いに再び復帰しますが、高砂工場跡自体は新しく建てられた工場等により'一掃'されており引込レイアウト等全く判然とせず、辛うじて小川に遺る橋脚跡が判るか判んないか、といった感じです。
他の調査でつまみ得る情報ではこの国鉄高砂工場は技術的にもかなり重要な拠点であった様です。
にもかかわらず'貨物輸送の縮小'で廃止なった高砂線と運命を共にしたのはミョーに引っ掛かります。
わざわざ嵩高く高砂線を残してまで稼働させる価値はなかったのか。
高砂駅でスイッチバックするに、電車編成では窮屈すぎる様に思います。高砂線が非電化のままだった辺り、ディーゼル機関車で甲種輸送すればよいとはいえもしかすると、蒸気機関車→ディーゼルカーのみであって役割終了、との扱いだったのか。
機能を網干等に移したのか。
工場に関しては考察できていないのでこれも鋭意調査します。
あと、先記事にも述べた私の親友は予てから私の酔狂に付き合ってもらっているのですが、以前鍛冶屋線を訪れた際、静態保存されているキハ30に、漠然としか見ていなかった私を救うべく!?大きな発見をしてくれたのです。しかも雨のなか^ヘ^; この場を借りて御礼申し上げます。誠に有り難ううございます。
彼は連結部の検査表示部分に'高砂工場'との表示があったのを発見してくれたのです!! 大変恐縮しつつも感謝感謝、またその時は感慨に浸らずにはいられませんでした。
高砂工場の資料は意外に少ない様に感じているのですがこの様な発見も踏まえながら調査していきたいと思います。
これらの画像は先の分岐点のスペースにある腕木式信号機と信号テコ、と転換機です。
高砂線で使われたものかどうか定かではありません。少なくとも今その羽根のみを残す通過信号機は交換設備さえ、ましてや当然鈍行しか無かった高砂線にはあった筈のない設備です。
道端に残っている国鉄境界杭の数々です。今回目についた物は全て'記録'しました。UP画像で果てしなくムイミですが^^;
まだあります><
壁際にこんな感じで。
この撮影地点の車道上を大きくナナメに横切り…
同地点から振り向いて。このまま遊歩道は更に南下し、高砂港駅跡へ続きます。
あと銭湯さんの壁沿いの足下にこんな物が。
何か。
レールが埋め込まれています。…?? なぜ? 再利用にしても、どの位埋められているのかわかりませんがけっこう大変やと思いますが… しかもかなり'荒い'切断面です、実は先日の大阪港線探訪の際にも同じ物を見つけたのですが…謎です。
して、小規模ヤードのあった高砂港駅跡は近年迄線路が遺っていた様ですが、現在はサッカーグランドになったり送電線の塔等が建てられ、面影を偲ぶのは大変厳しい状況です。しかし、西側の工場の壁を見ると…
壁の色が違うのがお判り頂けますでしょうか…?
手前の柵は丸太で、枕木ではありません。
例によって航空写真…を見ると、確かにありました。海側からスイッチバックの要領で入線していました。
しかし、S49年度の画像でも既に線路は撤去されており辛うじて跡が確認できる程度でした。
これを以て高砂線探訪はほぼ終了、という事になります、更に細部にわたる考察をすべく機会があれば幾度か訪れる事はあるとは思いますが。
あと先記事の分岐専用線も深く考察していかなければなりません。
こうしてみると、かなりの数の専用線を備えた高砂線の全盛時が偲ばれます。その頃の貨物列車が忙しく往来する線路の様子を一日中でも眺めていたかったものです…
斯様に廃線跡もそうなのですが、某鉄!月刊誌でもたまに特集されるように短絡線、車道でもそうですが(先記事の'緊急待避施設の様に~_~)'非'常用路線の得も言われぬ侘しさと同時に役割を果たすべくそこに存在し、放たれるその矜持のオーラに果てしなく、めくるめく興味をそそられてしまうのは私だけなのでしょうか。
今回最後に、山陽電鉄高砂駅の北にある文化会館の駐車場に据置されていた旧給水塔の画像を掲げ高砂線ルポの締括りとさせて頂きます。
今回の斯くも長い長い記事に付き合わせてしまい、お詫びを申し上げると共に、専用線の続報をご期待頂けます様に、との私の願いをきいて下されば幸いです。><
(了)
おはようございます。
画像は、高砂線が山陽本線を越えていた北側の築堤跡、その画像には真中にショベルカーが写っていたと思いますが、その作業場の柵にあったイラストです。
私は斯様な工事現場の柵等のイラストが好きで、続編記事も製作させて頂きたいのですが一先ず、これは何が目についたか…イラスト自体は然程魅力は感じなかったのですが、画像右下、よく見て頂くと'恐竜パーク'と書いてあるのです。
横を見てもこのイラストの'続編'がある訳でもなく…
人間的目線、というのも大層ですが、恐竜達が遊んでいる広場を'パーク'との'位置付け'、なんか漠然ながらも素朴な発想、表現にふと和まされてしまって…
他愛も無い事にゴチャゴチャ述べてすみません。
只今高砂線記事頑張ってます、遅くなり申し訳ありませんが一先ず昼頃にUPします、ご期待下さい、とは自惚れすぎでしょうがお願いしておきます。
(了)
高砂線跡。 其の四 加古川右岸以西。
相生橋で加古川を渡り再び高砂線跡にアプローチ。
加古川鉄橋は無くなってはいますが、右岸沿いの道路を跨ぐコンクリート橋がやたらとキレイな状態で遺っています。
銘板を見てみる。
…しかし、画像をご覧頂くように、ちょっとリスキーな位置に^^;
画面わかりづらい!?人のサイズは歩道部分の洞を見て頂ければ…横の壁が意外に高く、斜面も意外にキツく、ちょっと怖かったです。
何とか撮影、見ると"S54.2着手、S55.2竣工 "とあります、1年もかけて造ったの!?
しかも、廃止はS59.11ですから極めて短命、キレイなはず!?です…
コンクリート橋上を西より。当橋以西は遊歩道となっています。
もう見えていますが、この緑地帯となった部分が終わると'高砂北駅'跡です。
山陽電鉄の踏切南側より西を。高砂北駅跡は自転車で埋めつくされています。
自転車置場を過ぎて、南へカーブしていきます。
南下していくと、駅前商店街がひっそりと、その周辺の建物や街並も'昭和の香り'を漂わせ、線路健在の時代へとタイムスリップの感につままれさえします。
中でも…
一際'ベタ'な構えの銭湯さんです、レトロドラマの収録ができそうです。
この正に'駅前'にあった銭湯さん、毎日ではなくも営業はされている様です。入ってみるのは…ちょっと勇気が要りそうですが^^;
裏に廻ると、これまた耐火煉瓦の煙突が…
凄い、煙突自体も稀有ですが、すさまじい'昭和オーラ'に圧倒されます。
薪木を燃やす様ですが、貯薪室?を見ると近所の工場の使用済パレット!?らしきものが細かく刻まれて置いてありました。
銭湯さんのすぐ南のバス専用!?ロータリー、真中に動軸が置いてありました。これぞディーゼル機関車の物の様に思います。
駅跡ほぼそのままに!?ロータリーは広く取られています。
しかし…
ダイヤは閑散たる物でした。確かに周辺にバスが転回できるようなスペースはなく、奇しくもキレイに駅跡を残してくれています。
ここで一旦北上しますが…
以降、画像が多くなるので次の記事に続けさせて頂きます。
(続)
加古川鉄橋は無くなってはいますが、右岸沿いの道路を跨ぐコンクリート橋がやたらとキレイな状態で遺っています。
銘板を見てみる。
…しかし、画像をご覧頂くように、ちょっとリスキーな位置に^^;
画面わかりづらい!?人のサイズは歩道部分の洞を見て頂ければ…横の壁が意外に高く、斜面も意外にキツく、ちょっと怖かったです。
何とか撮影、見ると"S54.2着手、S55.2竣工 "とあります、1年もかけて造ったの!?
しかも、廃止はS59.11ですから極めて短命、キレイなはず!?です…
コンクリート橋上を西より。当橋以西は遊歩道となっています。
もう見えていますが、この緑地帯となった部分が終わると'高砂北駅'跡です。
山陽電鉄の踏切南側より西を。高砂北駅跡は自転車で埋めつくされています。
自転車置場を過ぎて、南へカーブしていきます。
南下していくと、駅前商店街がひっそりと、その周辺の建物や街並も'昭和の香り'を漂わせ、線路健在の時代へとタイムスリップの感につままれさえします。
中でも…
一際'ベタ'な構えの銭湯さんです、レトロドラマの収録ができそうです。
この正に'駅前'にあった銭湯さん、毎日ではなくも営業はされている様です。入ってみるのは…ちょっと勇気が要りそうですが^^;
裏に廻ると、これまた耐火煉瓦の煙突が…
凄い、煙突自体も稀有ですが、すさまじい'昭和オーラ'に圧倒されます。
薪木を燃やす様ですが、貯薪室?を見ると近所の工場の使用済パレット!?らしきものが細かく刻まれて置いてありました。
銭湯さんのすぐ南のバス専用!?ロータリー、真中に動軸が置いてありました。これぞディーゼル機関車の物の様に思います。
駅跡ほぼそのままに!?ロータリーは広く取られています。
しかし…
ダイヤは閑散たる物でした。確かに周辺にバスが転回できるようなスペースはなく、奇しくもキレイに駅跡を残してくれています。
ここで一旦北上しますが…
以降、画像が多くなるので次の記事に続けさせて頂きます。
(続)
高砂線跡。 ; 其の参~神戸製鋼専用線。
では早速、其の跡を追ってみましょう。
南下していくと、これまた住宅の中を貫いてクッキリと残っています。
というより、コンクリの垣が足下に残っているというのもあるのですが、豪快に畑や駐車場として利用されています。
" '04年某月吉日にこの廃線跡地の利用に対する説明会を行います"との看板が掲げられていました。そもそもこの土地自体既に払い下げられている様ですが、巧く話はついたのでしょうか。
して、ネタバレ、という事になってしまいますが…
昨夜昭和49年度の航空写真を見たのですが、どうやら既にその段階で線路は撤去されていた様なのです。
線路'跡'はクッキリと、写っていました。
しかし、水門があったり、ビミョーにクランクしていたり…
でも間違いはないと思います。
加古川に沿う部分は'しおかぜこみち'と整備されています。
以降、この径を辿り南下していきます。
距離を覚悟して歩いたので!?画像はありません、すみません。線路跡はキレイに舗装されています。
ただ海辺手前、神戸製鋼を目指し東へ向きを変える頃には周辺はだんだんと寂しくなっていきます。
やがて神戸製鋼に辿り着きましたが…
突き当たりの柵の先には何もない…
右や左に振られていたのか!?
昭和49年度時点でその柵の手前の川を渡る橋が無くなっています。
この辺り、製鋼業界の斜陽、経済浮沈状況に迄手を広げないといけません。
それこそ'華麗なる~'を見ていたらヒントはあったかも[・・;]
同じく神戸製鋼専用線のあった摩耶貨物線の興亡に合わせて研究を進めたいと思います。
そして、突き当たりを北上し、車道へ復帰すると…
道脇の柵に枕木が使われ、その空地には若干量が積み上げられていました。
その地点から道を挟んで北を見ると…
神戸製鋼関連工場に挟まれ、一直線の道がありました。
しかし、これも昭和49年度航空写真でも同じ状態、しかも500m程上がった時点で急に東に折れている…!?
駄目です、謎は深まるばかり…
もう一度'しおかぜこみち'に戻り…
しおかぜこみち'、南側より相生橋を臨む。
左は川、右が'しおかぜこみち'が為に開けられた…
そう、'しおかぜこみち'が為。
この橋が架けられた時点で線路はどうなっていたのか、機関車、貨車が通るにはあまりに'窮屈'…
橋の架日も見ておくべきでした。
この廃線に此れ程の謎が孕まれていたとは…
認識をあらためて再訪します。
一旦…ご容赦願います。
悔しい(~_~)
(続)
南下していくと、これまた住宅の中を貫いてクッキリと残っています。
というより、コンクリの垣が足下に残っているというのもあるのですが、豪快に畑や駐車場として利用されています。
" '04年某月吉日にこの廃線跡地の利用に対する説明会を行います"との看板が掲げられていました。そもそもこの土地自体既に払い下げられている様ですが、巧く話はついたのでしょうか。
して、ネタバレ、という事になってしまいますが…
昨夜昭和49年度の航空写真を見たのですが、どうやら既にその段階で線路は撤去されていた様なのです。
線路'跡'はクッキリと、写っていました。
しかし、水門があったり、ビミョーにクランクしていたり…
でも間違いはないと思います。
加古川に沿う部分は'しおかぜこみち'と整備されています。
以降、この径を辿り南下していきます。
距離を覚悟して歩いたので!?画像はありません、すみません。線路跡はキレイに舗装されています。
ただ海辺手前、神戸製鋼を目指し東へ向きを変える頃には周辺はだんだんと寂しくなっていきます。
やがて神戸製鋼に辿り着きましたが…
突き当たりの柵の先には何もない…
右や左に振られていたのか!?
昭和49年度時点でその柵の手前の川を渡る橋が無くなっています。
この辺り、製鋼業界の斜陽、経済浮沈状況に迄手を広げないといけません。
それこそ'華麗なる~'を見ていたらヒントはあったかも[・・;]
同じく神戸製鋼専用線のあった摩耶貨物線の興亡に合わせて研究を進めたいと思います。
そして、突き当たりを北上し、車道へ復帰すると…
道脇の柵に枕木が使われ、その空地には若干量が積み上げられていました。
その地点から道を挟んで北を見ると…
神戸製鋼関連工場に挟まれ、一直線の道がありました。
しかし、これも昭和49年度航空写真でも同じ状態、しかも500m程上がった時点で急に東に折れている…!?
駄目です、謎は深まるばかり…
もう一度'しおかぜこみち'に戻り…
しおかぜこみち'、南側より相生橋を臨む。
左は川、右が'しおかぜこみち'が為に開けられた…
そう、'しおかぜこみち'が為。
この橋が架けられた時点で線路はどうなっていたのか、機関車、貨車が通るにはあまりに'窮屈'…
橋の架日も見ておくべきでした。
この廃線に此れ程の謎が孕まれていたとは…
認識をあらためて再訪します。
一旦…ご容赦願います。
悔しい(~_~)
(続)
高砂線跡 ; 其の弐。
山陽電鉄をくぐると尾上駅跡は公園?…広場として整備??されており、その真ん中には画像の銘板と動軸が置かれていました。
しかしこの動軸は電気機関車のものです、高砂線は電化される事はなかったですから…
まあまあ。
しかし、高砂線の旅客扱い、貨物運用の他にもう一つ、国鉄高砂工場への搬出入の役割も果たしてしました。それに纏わる私の思い出は後程語らせて頂きます。
工場に電気機関車が入庫していた…とも考えにくいのですが。
して以後、高砂線は山陽電鉄南側に沿って西へ、高砂を目指します…とその前に、尾上駅から南下する工場引込'予定線'、即ち'未成線'という事になります。
其の行く先には'オーミケンシ'なる(絹糸?)会社の土地がありますが…途中までは田の中住宅の中を'鉄道カーブ'を描いた'予定地がキレイに'遺って'いますが、やがて判然もしなくなりました。鋭意調査します!
西側より。尾上駅よりやや西で分岐させるつもりだったようで、画像奥右カーブで南に進路をとってゆく。判明できる部分の南端から見ても山陽電鉄がクリアに見える程田んぼと住宅をキレイに貫いている。
して、西へ針路をとり可能な限り線路跡から離れずにトレース…といっても特に入れない訳でもなく、ヘタすれば畑になっていたりしています。
で、突き当たります。
撮影地点は文章よりもっと西になりますが大体このような感じで西へと伸びています。時代は流れ、阪神電鉄の特急が闊歩しています。
では西に足を進めましょう。
車道は斯様な'記念碑'に当たります。ホンマ'記念碑'としか書いてませんが…
実はこの部分、以前私の数少ない親友をムリに誘った時(快くついてきてくれましたが^^;)彼はここで'気配'を感じてくれていたのです…しかし線路跡はこの右側に山陽電鉄沿いに続いており、平凡に盛り土だけが残っているのみ、と思い込んでその時私は不覚にも'スルー'していたのです。
しかし実は…
線路跡に足を運ぶと何と!こんなベタな分岐点が!!(右側が本線、左が支線)緑地公園に紛れて判りませんでしたがキッチリ'分岐カーブ'を描いた柵が存在していました。
公園南側から北より臨む。こんな物を…見落としていました。
やっぱりちゃんとじっくり歩いて見ないと~\(@o@)/~
スワ!追い掛けましょう…!!!
と、長くなるので別記事を上げます。一先ず西へ、加古川手前迄を当記事で紹介します。ややこしくてすみません。
先程の公園より50m程西に、黒に上塗りされた虎柵君のある踏切と、制御箱がありました。
"樋之口第一踏切"とあります、山陽電鉄の踏切には別名が付いているので高砂線の当時の物に違いありません。
因みに先程の阪神電車の写った画像はここから東を向いて撮りました^^;
この踏切照明灯も間違いなく当時の物です。
夜の帳が下りし頃、闇に重厚な機械音を響かせながら近寄り来る列車は此処でのみその姿を垣間見せたのでしょう。
小川を越える小さなガーダ橋、同様のものが幾つか存在しています、その中の幾つかは美しい煉瓦積の橋台を伴っていました。
そして、加古川左岸手前の川(疎水?否…?)を越えるガーダ橋にも煉瓦積の橋台たそして橋脚が施されています。しかしこの橋脚、よく見ると、とても'奇妙'な特徴があります。
川上部分を尖らせてあるのです…
すぐ横の山陽電鉄の橋脚もコンクリ製ですが、同様の形を採っています。
激流対策!?
にしては、他の橋でもこんな意匠見た事ないです。 足下は地面…ただコンクリは新しいのですが、ここが川だった!?水流があった!?!?
そこから仮に'川上 川下'、を見ても家が立ち並んでおり埋め立てられたとは考えにくいです。
調査しないといけませんが、なかなか調査しがいのある疑問ばかり^^;
大変ですが頑張ります。
して、このガーダ橋の脇から堤を登ると、犬の散歩径状態^^; 加古川方面へ赴くと…
左岸より西を臨む。鉄橋は跡形もありません。この鉄橋の老朽化が高砂線廃止を決定付けた様です。
では次記事で先述の分岐線、そしてその次に加古川右岸以西を述べます。
(続)
しかしこの動軸は電気機関車のものです、高砂線は電化される事はなかったですから…
まあまあ。
しかし、高砂線の旅客扱い、貨物運用の他にもう一つ、国鉄高砂工場への搬出入の役割も果たしてしました。それに纏わる私の思い出は後程語らせて頂きます。
工場に電気機関車が入庫していた…とも考えにくいのですが。
して以後、高砂線は山陽電鉄南側に沿って西へ、高砂を目指します…とその前に、尾上駅から南下する工場引込'予定線'、即ち'未成線'という事になります。
其の行く先には'オーミケンシ'なる(絹糸?)会社の土地がありますが…途中までは田の中住宅の中を'鉄道カーブ'を描いた'予定地がキレイに'遺って'いますが、やがて判然もしなくなりました。鋭意調査します!
西側より。尾上駅よりやや西で分岐させるつもりだったようで、画像奥右カーブで南に進路をとってゆく。判明できる部分の南端から見ても山陽電鉄がクリアに見える程田んぼと住宅をキレイに貫いている。
して、西へ針路をとり可能な限り線路跡から離れずにトレース…といっても特に入れない訳でもなく、ヘタすれば畑になっていたりしています。
で、突き当たります。
撮影地点は文章よりもっと西になりますが大体このような感じで西へと伸びています。時代は流れ、阪神電鉄の特急が闊歩しています。
では西に足を進めましょう。
車道は斯様な'記念碑'に当たります。ホンマ'記念碑'としか書いてませんが…
実はこの部分、以前私の数少ない親友をムリに誘った時(快くついてきてくれましたが^^;)彼はここで'気配'を感じてくれていたのです…しかし線路跡はこの右側に山陽電鉄沿いに続いており、平凡に盛り土だけが残っているのみ、と思い込んでその時私は不覚にも'スルー'していたのです。
しかし実は…
線路跡に足を運ぶと何と!こんなベタな分岐点が!!(右側が本線、左が支線)緑地公園に紛れて判りませんでしたがキッチリ'分岐カーブ'を描いた柵が存在していました。
公園南側から北より臨む。こんな物を…見落としていました。
やっぱりちゃんとじっくり歩いて見ないと~\(@o@)/~
スワ!追い掛けましょう…!!!
と、長くなるので別記事を上げます。一先ず西へ、加古川手前迄を当記事で紹介します。ややこしくてすみません。
先程の公園より50m程西に、黒に上塗りされた虎柵君のある踏切と、制御箱がありました。
"樋之口第一踏切"とあります、山陽電鉄の踏切には別名が付いているので高砂線の当時の物に違いありません。
因みに先程の阪神電車の写った画像はここから東を向いて撮りました^^;
この踏切照明灯も間違いなく当時の物です。
夜の帳が下りし頃、闇に重厚な機械音を響かせながら近寄り来る列車は此処でのみその姿を垣間見せたのでしょう。
小川を越える小さなガーダ橋、同様のものが幾つか存在しています、その中の幾つかは美しい煉瓦積の橋台を伴っていました。
そして、加古川左岸手前の川(疎水?否…?)を越えるガーダ橋にも煉瓦積の橋台たそして橋脚が施されています。しかしこの橋脚、よく見ると、とても'奇妙'な特徴があります。
川上部分を尖らせてあるのです…
すぐ横の山陽電鉄の橋脚もコンクリ製ですが、同様の形を採っています。
激流対策!?
にしては、他の橋でもこんな意匠見た事ないです。 足下は地面…ただコンクリは新しいのですが、ここが川だった!?水流があった!?!?
そこから仮に'川上 川下'、を見ても家が立ち並んでおり埋め立てられたとは考えにくいです。
調査しないといけませんが、なかなか調査しがいのある疑問ばかり^^;
大変ですが頑張ります。
して、このガーダ橋の脇から堤を登ると、犬の散歩径状態^^; 加古川方面へ赴くと…
左岸より西を臨む。鉄橋は跡形もありません。この鉄橋の老朽化が高砂線廃止を決定付けた様です。
では次記事で先述の分岐線、そしてその次に加古川右岸以西を述べます。
(続)