THE RUINS OF KOBE. -438ページ目

別府鉄道。 ;前編 ~まつかぜこみち~

 今から紹介する画像中の気動車、ディーゼル機関車、客車&貨車達は、お伽噺に登場するかのような[ちと大袈裟かも、スミマセン(@_@;)]、昭和の時代を彷彿とさせる旧き佳き車両、まるで夢!? 否、確かに彼等は東加古川の閑かな住宅街、田園地帯をソロソロと駆けていたのです。



 画像は'別府鉄道。 プロローグ'の記事で紹介した看板ですが、別府港にあるこの'多木化学'さんの原料搬入や製品搬出を貨物事業で担うべく敷設され、旅客事業は地域還元の趣向が強く、かなり細々とした営業であった様です。

 そして去る'84年1月31日。
 私も小3の時でよく覚えていますが、阪神地域に60年に一度、といわれた未曾有の大雪の日でした。

 周辺の道路が慣れない大雪に完全マヒする中、別府鉄道のお別れ運転は鉄道として最後の矜持を輝かせ、面目躍如を果たすべくダイヤ通りに運行し、吹雪の中を寂々と走り去っていきました…

 …と伝え聞きます^^;;

 別府鉄道の路線は、野口~別府を野口線、土山~別府間を土山線と称し、北向きに見ると概ね'V'の字を描いており、それぞれ国鉄駅と接続して'は'いました。

 しかし、別府鉄道と運命をほぼ同じく、'84年12/1に廃止された高砂線野口駅は、"日本一寂しい国鉄と私鉄の接続駅"と揶揄される程利用者は閑散とした物でした。

 先述の様に旧い車両達を連ね従え、よくいえばノンビリと、悪くいえばチンタラとの'特色'では並みいる国鉄、山陽の電車の利便性に抗うるフリークェント性を持てる筈もなく、利用者を取り込む手段は最後迄持ち得ませんでした。

 ではその野口の高砂線との分岐点から紹介していきましょう。



 画像は高砂線記事より。右側の車道は高砂線、左側の遊歩道が別府鉄道跡です。

 では遊歩道を下ってみましょう。程なくして現れる踏切跡には…



 斯様にレールが残されています。以降、同様の部分が幾つか在ります。

 更に辿ってゆくと'別府川'に当たり、鉄橋は…



 そのままに'人道橋'として利用されています。



 全体を上流側より。真ん中には細い鉄柱があり、20cm程の電線!?の切れ端がぶら下がっています。

 …何でしょう…?…??

 して、続いて辿っていくと、幾つかの駅跡は休憩所として整備され、若干のそのスペースにホーム跡を偲ぶのみ、となっています。



 そして更に下ると、'円長寺'駅跡前の公園に画像の気動車'キハ2型'車両が踏切遮断機と共に静態保存されています。



 駅標もありました。マズい角度ですみませんが手前にある桜の木にケムシがいてそれが怖くて怖くて…嗚呼…

 無理でした、すみません。



 廃止当時の看板。



 閑散たる時刻表。最終列車も当時にしても早かったでしょう。しかしこれだけでも旅客業を営むのは嵩高く、大変であったろうと思わず苦労を偲んでしまいます。



 'キハ2型'車両の説明標。6気筒80PS、可愛いものです。

 非力故補器類も小さく、下を覗くとスカスカで構造がとても判り易くなっています。

 と、その前に2軸ボギー車、その'オソロシさ'を語っておきましょう。
 私は以前、'半壊'と口の悪い人には揶揄される大阪の阪堺電車の旧型車、正に'2軸ボギー車'に乗りましたが、'揺れ'が…
 ハンパなく、加えてその'揺れ'の中心軸がX軸でもY軸でもZ軸でもなく、'ナナメ'を軸にウンネウンネとひたすら揺れうねるのです。スピードは無くも、いつ脱線する!?と恐怖してしまう位の勢い、同様にナローゲージの下津井電鉄の現役時代の映像でも物凄い揺れ様でした。
 この別府鉄道の車両も云わんをや、しかし乗ってみたかったですね。



 して、車両下部。ヘタッピ、見にくい画像で申し訳ありませんが特徴としては、現役当時からかは判りませんが、各主機器に手書きで名称が書き込まれています。あと画像手前は排気管ですが、排出口は通常のD.C.に於ける天井ではなく、トラックと同様、足元にあります。



 トラッドにも!?デッキ付でした。愛しくなります。(^^)

 すみません、いつも簡潔に述べようと思いつつも斯様にメチャ長くなってしまいます…
 しかし、御愛読頂く皆様を裏切る事無き記事を上げるべく尽力してまいりますので宜しくお願いします。
(了)

ガイ○ックス。



 これは先日、加古川へ行った時に見た廃ガソリンスタンドの看板です。

 加古川界隈と阪神間も含め、ガイ●ックスを扱うスタンドは10近くはあった様に思います。

 このガイ●ックスは数年前、新世代無公害燃料として普及しかけましたが、燃料パイプが錆びる恐れありと、販売禁止の措置をとられました。

 当時色々な噂が飛び交いつつ、ある時期から'使わない様に'との政府指導のポスターが見受けられるようになり…そんな中スタンドがチラホラと増え続け、私も一度入れてみよう、と試してみました。

 結論、から言いますと、ショウミ臨死体験、といってよい経験を味わいました。

 やはり最初はどんな弊害があるのかわからないし、'実験台'!?にされている感なくもなかったので、一先ず、当時所有していたゲタ車の超超ボロ'ダ○●ツミラ'に入れて試す事としました。

 チナミにどれだけボロかったか。

 まず二段AT、エアコンが地獄の故障、パワステ無、ラジエタ電動ファン断線→自分で配線し直し、リレーもちゃんと組んで手動化(-_-) その他∞…

 でもブレーキ交換も自分でしたり、エンジンも色々メンテして、大変勉強になりました。

 だから思い入れも少しはありました。

 ガイ●ックスを入れて、暫くは快調、排気ガスもいいニオイ…

 と、乗っている内にだんだんとスローが不安定に…

 元々ポンコツだっただけに、いよいよ寿命か!?と感じつつも走れる内は走ってもらおうとそのままに。

 やがて、信号待ちでもプスン、となる様になり、いよいよダメかなと暫く走り…

 それから何となく調子を取り戻したものの数日後の交通量の多い車道の登坂走行中に突然プスリ… 
 止…

 =死!?

 イヤ、幸い坂途中に信号機があったので、路肩に巧く寄せる事ができ、事無きは得ました。

 余談になりますが私はこれまたボロい'ミ●ビシデ●カ'を陸送中、高速道路で恐怖の"デフロック"!!!

 タイヤを回させてもらえないなら正に為す術無し、あの時冷静に路肩に寄せる事ができたのは奇跡としか…

 まあそんなこんなで変な経験は多々あるのでそれが功を奏し、あらゆる事態に冷静に対応できるのかも…

 しかし、油断大敵、今後も気を付けて運転します。

 して、ミラ君に話を戻すと、いよいよ寿命か、と覚悟をしつつ…

 まさか、まさかとは思いつつ…

 レギュラーガソリンを入れてみると…

 その後人の手に渡った彼は以後8万km近く調子よく走り続け、使命を全うしました。

 斯様に、製造発売側の責任を御座なりにされたまま世に出回り、公共性の高いものでさえ、ひいては人命に関わる事象でさえ、消費者を危機に陥れるに然るいい加減な措置しか施されていないものが殆ど、といって良い位なのが現状だと思います。

 自ら身を護るには'確かな目'を以て商品を見極めるしか手段はないでしょうか。
(了)

メンテ明け。

昨夜の入魂の記事、2時!?を跨いでしまい、アーパーになってしまいました…
 加えて、タイガイ7時位で終わるし、しかも閲覧も今朝一時できたのに、朝投稿もやられてもた…

 けっこうメンテしょっちゅう入るンですね、気を付けないと!
 そんな訳で記事上げられなくてすみません、ランチにまた1記事上げさせてもらいます。
(了)

ランチ特稿。

 タイトルは野球キャンプの'ランチ特打'が元ネタです、どって事ないんですが今後の更新ペースとして、昼にチョロリと、夜にアツい!?ネタを扱う記事にしたいと思っているので、宜しく願います(^ー^)

 して、今回も'蔵出し'画像で申し訳ないですが、前のケイタイに残っていた高架化前の旧姫路駅の画像です。

 例によって!?アンマシ気合い入れて撮った訳でもなく、数枚しかないのですが…(´`)



 のっけからドマニアックなものですみませんが姫路駅南西端にあるホームの切り欠かれた部分、これはかつての播但線飾磨港線、通称飾磨線の列車が発着していた部分です。

 この路線も20数年以上も前に廃止になったのですが、前述の山陽本線高架化もあり、跡地は急速に消えつつありますが、早く訪れたいのですが、姫路って意外に遠い…~姫路バイパスとかもあって、アクセスは不便ではないのですが、距離がけっこうなものなんですよね、況してや鉄道だとこれまた運賃意外に高い!!

 まあそれで普通なんでしょうけど、某社のアー○゙ンネットワーク圏内のサービスに慣れてしまっていると、ちと遠退いてしまう…

 しかし頑張って早く行かないといけません。

 先述の様に、播但線の一部、ていう位置付けですが直通はほぼ皆無だった様です。元々飾磨線は貨物路線の趣向が強く、旅館扱いは1日2往復程度、のものでした。

 あの名物!?とも言えた姫路駅構内のポイントフェチ!?の私には垂涎の光景の複雑なポイントレイアウト、今や山陽本線唯一のJR特急'はまかぜ'は姫路駅で山陽本線~播但線をガタガタガガタガタガガタガタガ…と音をたててウネウネと跨いでスイッチバックしますが、その時でさえ'脱線する!?'と思う位凄まじい光景でしたので、南西から北東に斜めに跨ぐのは至難の業だったのでは!?と思われます。





 画像は階段の裏側にある'洗面所'と表示のある水道です。形状から見ても間違いないですが年季はそこそこ、汽車時代の物そのものかどうかは判然としません。姿そのままに改修が施されたとも考えにくいですが…何にせよ、貴重なものであったのは間違いありません。
 昭和20年代の姫路駅の鳥瞰写真を見たことがありますが貨物ヤードや転車台&扇形機関庫も備えた機関区等、かなり大がかりな駅だった様です。
 当時の乗客は汽車の補給も兼ねた停車中の束の間にここですすに塗れた顔を洗い、喉を潤したのでしょうか。

 高架化なった今、地上駅はほぼ取り壊され、再開発の下準備が整えられつつあります。播但線及び姫新線は現在は地上駅を使用していますが、数年後にはこれらも高架になります。

 先述のポイントと共にそれこそ汽車も走ったであろう線路部分も無くなり、ホームで駅そばを食べた思い出(駅そばは勿論新ホームにあります^^v)を偲びました。

 飾磨線探訪は近日に必ず訪れたいと思います。
(了)

G.W.明け。

まず、一つ前の記事、途中で疲労から不覚にも眠ってしまったので、公開が遅くなってしまった事をお詫び申し上げます。

 このゴールデンウィーク、実は私は勝手に'キャンペーン'を開催していました><

 と申しますのは'記事のガンUP'とアメブロの方にはペタポン巡りを強化し、様々な方にペタポンさせて頂き、不意な私のペタポンにも拘らず皆様には私のブログにもお越し頂き、恐縮と感謝に尽きません。

 恐れながら、'キャンペーン'終了後の今後とも交流頂ければ幸いとお願いしておきます。

 以後、記事UPのペースは落ちてしまいますが、最低でも毎日更新、1~2記事は上げたいと思っています。

 ヘンテコネタばかりですが、ご愛顧頂ければ幸いです、どうか宜しくお願い致します。
(了)