別府鉄道。 ;前編 ~まつかぜこみち~
今から紹介する画像中の気動車、ディーゼル機関車、客車&貨車達は、お伽噺に登場するかのような[ちと大袈裟かも、スミマセン(@_@;)]、昭和の時代を彷彿とさせる旧き佳き車両、まるで夢!? 否、確かに彼等は東加古川の閑かな住宅街、田園地帯をソロソロと駆けていたのです。
画像は'別府鉄道。 プロローグ'の記事で紹介した看板ですが、別府港にあるこの'多木化学'さんの原料搬入や製品搬出を貨物事業で担うべく敷設され、旅客事業は地域還元の趣向が強く、かなり細々とした営業であった様です。
そして去る'84年1月31日。
私も小3の時でよく覚えていますが、阪神地域に60年に一度、といわれた未曾有の大雪の日でした。
周辺の道路が慣れない大雪に完全マヒする中、別府鉄道のお別れ運転は鉄道として最後の矜持を輝かせ、面目躍如を果たすべくダイヤ通りに運行し、吹雪の中を寂々と走り去っていきました…
…と伝え聞きます^^;;
別府鉄道の路線は、野口~別府を野口線、土山~別府間を土山線と称し、北向きに見ると概ね'V'の字を描いており、それぞれ国鉄駅と接続して'は'いました。
しかし、別府鉄道と運命をほぼ同じく、'84年12/1に廃止された高砂線野口駅は、"日本一寂しい国鉄と私鉄の接続駅"と揶揄される程利用者は閑散とした物でした。
先述の様に旧い車両達を連ね従え、よくいえばノンビリと、悪くいえばチンタラとの'特色'では並みいる国鉄、山陽の電車の利便性に抗うるフリークェント性を持てる筈もなく、利用者を取り込む手段は最後迄持ち得ませんでした。
ではその野口の高砂線との分岐点から紹介していきましょう。
画像は高砂線記事より。右側の車道は高砂線、左側の遊歩道が別府鉄道跡です。
では遊歩道を下ってみましょう。程なくして現れる踏切跡には…
斯様にレールが残されています。以降、同様の部分が幾つか在ります。
更に辿ってゆくと'別府川'に当たり、鉄橋は…
そのままに'人道橋'として利用されています。
全体を上流側より。真ん中には細い鉄柱があり、20cm程の電線!?の切れ端がぶら下がっています。
…何でしょう…?…??
して、続いて辿っていくと、幾つかの駅跡は休憩所として整備され、若干のそのスペースにホーム跡を偲ぶのみ、となっています。
そして更に下ると、'円長寺'駅跡前の公園に画像の気動車'キハ2型'車両が踏切遮断機と共に静態保存されています。
駅標もありました。マズい角度ですみませんが手前にある桜の木にケムシがいてそれが怖くて怖くて…嗚呼…
無理でした、すみません。
廃止当時の看板。
閑散たる時刻表。最終列車も当時にしても早かったでしょう。しかしこれだけでも旅客業を営むのは嵩高く、大変であったろうと思わず苦労を偲んでしまいます。
'キハ2型'車両の説明標。6気筒80PS、可愛いものです。
非力故補器類も小さく、下を覗くとスカスカで構造がとても判り易くなっています。
と、その前に2軸ボギー車、その'オソロシさ'を語っておきましょう。
私は以前、'半壊'と口の悪い人には揶揄される大阪の阪堺電車の旧型車、正に'2軸ボギー車'に乗りましたが、'揺れ'が…
ハンパなく、加えてその'揺れ'の中心軸がX軸でもY軸でもZ軸でもなく、'ナナメ'を軸にウンネウンネとひたすら揺れうねるのです。スピードは無くも、いつ脱線する!?と恐怖してしまう位の勢い、同様にナローゲージの下津井電鉄の現役時代の映像でも物凄い揺れ様でした。
この別府鉄道の車両も云わんをや、しかし乗ってみたかったですね。
して、車両下部。ヘタッピ、見にくい画像で申し訳ありませんが特徴としては、現役当時からかは判りませんが、各主機器に手書きで名称が書き込まれています。あと画像手前は排気管ですが、排出口は通常のD.C.に於ける天井ではなく、トラックと同様、足元にあります。
トラッドにも!?デッキ付でした。愛しくなります。(^^)
すみません、いつも簡潔に述べようと思いつつも斯様にメチャ長くなってしまいます…
しかし、御愛読頂く皆様を裏切る事無き記事を上げるべく尽力してまいりますので宜しくお願いします。
(了)
画像は'別府鉄道。 プロローグ'の記事で紹介した看板ですが、別府港にあるこの'多木化学'さんの原料搬入や製品搬出を貨物事業で担うべく敷設され、旅客事業は地域還元の趣向が強く、かなり細々とした営業であった様です。
そして去る'84年1月31日。
私も小3の時でよく覚えていますが、阪神地域に60年に一度、といわれた未曾有の大雪の日でした。
周辺の道路が慣れない大雪に完全マヒする中、別府鉄道のお別れ運転は鉄道として最後の矜持を輝かせ、面目躍如を果たすべくダイヤ通りに運行し、吹雪の中を寂々と走り去っていきました…
…と伝え聞きます^^;;
別府鉄道の路線は、野口~別府を野口線、土山~別府間を土山線と称し、北向きに見ると概ね'V'の字を描いており、それぞれ国鉄駅と接続して'は'いました。
しかし、別府鉄道と運命をほぼ同じく、'84年12/1に廃止された高砂線野口駅は、"日本一寂しい国鉄と私鉄の接続駅"と揶揄される程利用者は閑散とした物でした。
先述の様に旧い車両達を連ね従え、よくいえばノンビリと、悪くいえばチンタラとの'特色'では並みいる国鉄、山陽の電車の利便性に抗うるフリークェント性を持てる筈もなく、利用者を取り込む手段は最後迄持ち得ませんでした。
ではその野口の高砂線との分岐点から紹介していきましょう。
画像は高砂線記事より。右側の車道は高砂線、左側の遊歩道が別府鉄道跡です。
では遊歩道を下ってみましょう。程なくして現れる踏切跡には…
斯様にレールが残されています。以降、同様の部分が幾つか在ります。
更に辿ってゆくと'別府川'に当たり、鉄橋は…
そのままに'人道橋'として利用されています。
全体を上流側より。真ん中には細い鉄柱があり、20cm程の電線!?の切れ端がぶら下がっています。
…何でしょう…?…??
して、続いて辿っていくと、幾つかの駅跡は休憩所として整備され、若干のそのスペースにホーム跡を偲ぶのみ、となっています。
そして更に下ると、'円長寺'駅跡前の公園に画像の気動車'キハ2型'車両が踏切遮断機と共に静態保存されています。
駅標もありました。マズい角度ですみませんが手前にある桜の木にケムシがいてそれが怖くて怖くて…嗚呼…
無理でした、すみません。
廃止当時の看板。
閑散たる時刻表。最終列車も当時にしても早かったでしょう。しかしこれだけでも旅客業を営むのは嵩高く、大変であったろうと思わず苦労を偲んでしまいます。
'キハ2型'車両の説明標。6気筒80PS、可愛いものです。
非力故補器類も小さく、下を覗くとスカスカで構造がとても判り易くなっています。
と、その前に2軸ボギー車、その'オソロシさ'を語っておきましょう。
私は以前、'半壊'と口の悪い人には揶揄される大阪の阪堺電車の旧型車、正に'2軸ボギー車'に乗りましたが、'揺れ'が…
ハンパなく、加えてその'揺れ'の中心軸がX軸でもY軸でもZ軸でもなく、'ナナメ'を軸にウンネウンネとひたすら揺れうねるのです。スピードは無くも、いつ脱線する!?と恐怖してしまう位の勢い、同様にナローゲージの下津井電鉄の現役時代の映像でも物凄い揺れ様でした。
この別府鉄道の車両も云わんをや、しかし乗ってみたかったですね。
して、車両下部。ヘタッピ、見にくい画像で申し訳ありませんが特徴としては、現役当時からかは判りませんが、各主機器に手書きで名称が書き込まれています。あと画像手前は排気管ですが、排出口は通常のD.C.に於ける天井ではなく、トラックと同様、足元にあります。
トラッドにも!?デッキ付でした。愛しくなります。(^^)
すみません、いつも簡潔に述べようと思いつつも斯様にメチャ長くなってしまいます…
しかし、御愛読頂く皆様を裏切る事無き記事を上げるべく尽力してまいりますので宜しくお願いします。
(了)