胆大小心録 その49
四十九
畠山重忠は馬鹿正直である。
結局北条時政に陥れられ家が断絶してしまった。
(同じく功臣の)和田氏、三浦氏、千葉氏、梶原氏も
一つに括って滅ぼされた。
芸事だけではなく、将軍家も町人も、二代目や三代目が重要で、
その後は長持ちはしないものだ。
畠山重忠は源頼朝の家臣で、
木曾義仲や平家との戦いで大功のあった人物です。
和田、三浦などもそれぞれ頼朝の家臣として活躍した一族ですが、
千葉氏を除いて、北条氏に断絶させられたそうです。
畠山重忠は馬鹿正直である。
結局北条時政に陥れられ家が断絶してしまった。
(同じく功臣の)和田氏、三浦氏、千葉氏、梶原氏も
一つに括って滅ぼされた。
芸事だけではなく、将軍家も町人も、二代目や三代目が重要で、
その後は長持ちはしないものだ。
畠山重忠は源頼朝の家臣で、
木曾義仲や平家との戦いで大功のあった人物です。
和田、三浦などもそれぞれ頼朝の家臣として活躍した一族ですが、
千葉氏を除いて、北条氏に断絶させられたそうです。
胆大小心録 その48
四十八
平家の世が懐かしいと、源頼朝を恨むのももっともな事だ。
陰険で嘘つきで、智があり勇があり術があり、どうにも扱いにくい大将の為、
ついに天下を奪ってしまった。
それでも女にはだらしがなく、
(正室の)尼将軍(北条政子)の嫉妬 から世が乱れただけでなく、
後の実権を北条氏に奪われたのは、
(唐の)太宗が弟の妻を奪い非難されたという悪評を超えるものだ。
則天武后は大悪で、呂后は小悪とするなら、
間を取って中悪は尼君(政子)だ。
北条政子は源頼朝の死後に実権を握った女性です。
唐の則天武后、漢の呂后も同じく夫の死後に権力を奪った人物として有名ですが、
権力を奪うに留まらず、自らが女帝となった則天武后を大悪、
死後に一族が滅ぼされ、権力を維持できなかった呂后を小悪としたのでしょうか。
唐の太宗は中国史上でも最高クラスの君主です。
弟の妻を奪うというエピソードは完全に悪事とも言えないようです。
北方民族などに、兄弟の死後にその妻を自分の配偶者にするという風習があり、
唐の太宗はその民族の出身だという説があるからです。
そうだとしても太宗が善人というわけでは全く無いのですが。
平家の世が懐かしいと、源頼朝を恨むのももっともな事だ。
陰険で嘘つきで、智があり勇があり術があり、どうにも扱いにくい大将の為、
ついに天下を奪ってしまった。
それでも女にはだらしがなく、
(正室の)尼将軍(北条政子)の嫉妬 から世が乱れただけでなく、
後の実権を北条氏に奪われたのは、
(唐の)太宗が弟の妻を奪い非難されたという悪評を超えるものだ。
則天武后は大悪で、呂后は小悪とするなら、
間を取って中悪は尼君(政子)だ。
北条政子は源頼朝の死後に実権を握った女性です。
唐の則天武后、漢の呂后も同じく夫の死後に権力を奪った人物として有名ですが、
権力を奪うに留まらず、自らが女帝となった則天武后を大悪、
死後に一族が滅ぼされ、権力を維持できなかった呂后を小悪としたのでしょうか。
唐の太宗は中国史上でも最高クラスの君主です。
弟の妻を奪うというエピソードは完全に悪事とも言えないようです。
北方民族などに、兄弟の死後にその妻を自分の配偶者にするという風習があり、
唐の太宗はその民族の出身だという説があるからです。
そうだとしても太宗が善人というわけでは全く無いのですが。
胆大小心録 その47
四十七
平家が西海(壇ノ浦の事)で滅んだ時に、
安徳天皇は入水せずに遁走したという伝説が、
九州や四国のあちこちで残っている。
これは(大阪の陣で戦 死した)真田幸村が影武者で、
本当の落ち延び先がわからないのと同じだ。
安徳天皇は女であったのを、
平清盛が男として世に出し、即位させたというのは、
清盛にしては小細工が過ぎた。
女が帝になった前例もあるのだ。
また、男だと言っても、次の太子が生まれないのだから、
嘘が発覚するだけだ。
安徳天皇は一歳半で即位し、六歳半で崩御したという
短い治世の人物ですが、
様々な所で生存していた伝説が残っているそうです。
平家が西海(壇ノ浦の事)で滅んだ時に、
安徳天皇は入水せずに遁走したという伝説が、
九州や四国のあちこちで残っている。
これは(大阪の陣で戦 死した)真田幸村が影武者で、
本当の落ち延び先がわからないのと同じだ。
安徳天皇は女であったのを、
平清盛が男として世に出し、即位させたというのは、
清盛にしては小細工が過ぎた。
女が帝になった前例もあるのだ。
また、男だと言っても、次の太子が生まれないのだから、
嘘が発覚するだけだ。
安徳天皇は一歳半で即位し、六歳半で崩御したという
短い治世の人物ですが、
様々な所で生存していた伝説が残っているそうです。