胆大小心録 その46
四十六
高野山の玉川が毒だという事は、ありえない事だ。
清いからこそ玉川と呼ぶのだ。
風雅集に載っている阿一上人の歌に、高野の玉川には毒が流れていると、
弘法大師が戒める歌があって、
「わすれてもくみやしつらんたび人の高ののおくの玉川の水」
(毒がある事を忘れて、玉川の水を旅人が汲み飲んでしまうのではないか心配だ。)
と、ある。
これは旅人があまりの清さに玉川という名水とも知らずに、汲んで飲んだというのだが、
阿一が和歌に習熟していない為、文法を間違って改作し、
「ワスレテハ手ニナムスビソ旅人の高ののおくの玉川の水」
と詠まなければ、毒の戒めにはならない。
「国こそはをちにへだたれ山川のおなじきよきに氷ながるる」
(玉川と呼ばれる川は六つあり、それぞれの国は遠く離れているが、皆清い流れであって、
早春には美しく氷が流れる)
と(秋成が)詠んだ。
今は摂津の国のものは全く知らぬが、
真島(増島?)へ出る川の流れが砂川の為汚れがないが、これこそが玉川であろう。
今、玉川と言われているのは泥の玉川だ。
つのくににありといふなる玉川はうの花くたす流なりけり
(摂津の国に流れるという玉川は卯の花を腐らせる流れである)
うの花もきぬたも、跡の残しようが無い名所だ。
武蔵の多摩の横山に流れる川を、玉川と名づけたといういわれがある。
(元々は多摩郡では無く)多婆(たば)郡ではあるが。
玉川・玉水・玉の井、全て清き水の事を玉と呼んだのだ。
歌枕に使われる六玉川というものがあるそうです。
その名の通り全国にある玉川の事で、
その一つの高野の玉川は、ぱっと見奇麗だけれども、
鉱毒の流れる毒水なのだそうです。
阿一上人という人物の事は詳細にはわかりませんでしたが、
風雅和歌集において、弘法大師の歌を改作したという説があるそうです。
ちなみに、うの花くたす~の部分は有名な歌枕だそうで、
花を腐らせるというのは悪い意味では無いという事を一応書き添えておきます。
高野山の玉川が毒だという事は、ありえない事だ。
清いからこそ玉川と呼ぶのだ。
風雅集に載っている阿一上人の歌に、高野の玉川には毒が流れていると、
弘法大師が戒める歌があって、
「わすれてもくみやしつらんたび人の高ののおくの玉川の水」
(毒がある事を忘れて、玉川の水を旅人が汲み飲んでしまうのではないか心配だ。)
と、ある。
これは旅人があまりの清さに玉川という名水とも知らずに、汲んで飲んだというのだが、
阿一が和歌に習熟していない為、文法を間違って改作し、
「ワスレテハ手ニナムスビソ旅人の高ののおくの玉川の水」
と詠まなければ、毒の戒めにはならない。
「国こそはをちにへだたれ山川のおなじきよきに氷ながるる」
(玉川と呼ばれる川は六つあり、それぞれの国は遠く離れているが、皆清い流れであって、
早春には美しく氷が流れる)
と(秋成が)詠んだ。
今は摂津の国のものは全く知らぬが、
真島(増島?)へ出る川の流れが砂川の為汚れがないが、これこそが玉川であろう。
今、玉川と言われているのは泥の玉川だ。
つのくににありといふなる玉川はうの花くたす流なりけり
(摂津の国に流れるという玉川は卯の花を腐らせる流れである)
うの花もきぬたも、跡の残しようが無い名所だ。
武蔵の多摩の横山に流れる川を、玉川と名づけたといういわれがある。
(元々は多摩郡では無く)多婆(たば)郡ではあるが。
玉川・玉水・玉の井、全て清き水の事を玉と呼んだのだ。
歌枕に使われる六玉川というものがあるそうです。
その名の通り全国にある玉川の事で、
その一つの高野の玉川は、ぱっと見奇麗だけれども、
鉱毒の流れる毒水なのだそうです。
阿一上人という人物の事は詳細にはわかりませんでしたが、
風雅和歌集において、弘法大師の歌を改作したという説があるそうです。
ちなみに、うの花くたす~の部分は有名な歌枕だそうで、
花を腐らせるというのは悪い意味では無いという事を一応書き添えておきます。
胆大小心録 その45
四十五
嵯峨の山は、丹波へ続いていて奥行きが深い。
「松の尾の山のあなたに友もがな仏法僧の声をたづねて」。
(松尾神社の山の向こうに、
友であったらと願うように鳴くブッポウソウの声を探しに行く)
ブッポウソウの鳴き声は高野山で聞いたが、ブッポウブッポウと鳴いていた。
姿は見えなかった。
ブッポウソウというのは鳥の名前です。
鳴き声が「ブッポウソウ」と聞こえる事からこう呼ばれたそうです。
その名の通り、「雨月物語」の「仏法僧」にも出て来ますね。
実はブッポウソウは「ゲッゲッゲッ」と鳴くらしく、
「ブッポウソウ」と鳴く鳥はコノハズクだという事が
昭和になって判明したそうです。
勘違いで名前が付いてしまうパターンはよくありますね。
嵯峨の山は、丹波へ続いていて奥行きが深い。
「松の尾の山のあなたに友もがな仏法僧の声をたづねて」。
(松尾神社の山の向こうに、
友であったらと願うように鳴くブッポウソウの声を探しに行く)
ブッポウソウの鳴き声は高野山で聞いたが、ブッポウブッポウと鳴いていた。
姿は見えなかった。
ブッポウソウというのは鳥の名前です。
鳴き声が「ブッポウソウ」と聞こえる事からこう呼ばれたそうです。
その名の通り、「雨月物語」の「仏法僧」にも出て来ますね。
実はブッポウソウは「ゲッゲッゲッ」と鳴くらしく、
「ブッポウソウ」と鳴く鳥はコノハズクだという事が
昭和になって判明したそうです。
勘違いで名前が付いてしまうパターンはよくありますね。
胆大小心録 その44
四十四
(林羅山の句に)黒谷隣白河とあるが、そこは現在でも見られる所だ。
にしこり野(錦部郷の野)と呼んでいた頃は、
錦を織る者がこの辺りにでも住んでいたのだろうと思う。
そこで、
「春のみや都の町は機たててにしき織なり花鳥のあや」
(春の都は、まるで花鳥の紋の錦を織ったかのように花鳥がいて美しい)
この歌が正しいとは思わない。
都は春の錦だと言うのは、比叡山から見下しての歌だろう。
聚楽、西陣という名は(にしこりとは違って)今も残り、
錦は別として、どんな唐織でも上手な者がいるという事だ。
びろうど(ベルベット)は全く知らぬ織り方だと思って、聞いたところ、
針金を入れてあるとの事なので、これも上手く織れるようになった。
どころが新しい織物の名を付ける事が、もっとも下品で下手だ。
壁土のような色で、糸がちょろちょろと見える事から、カベチョロとはあんまりな命名だ。
すべて愚俗な者が名付け親になったのだから仕方のないことだ。
これは公家に鶯の名づけを乞うた時のように、名付けて貰えばよかったのだ。
(西行の歌に)
「鶯は田舎の谷の巣なれどもだみたる声はなかぬ也けり」
(鶯は田舎に巣をつくるけれども、泣き声はなまってはいない)
鶯飼いが言うには、
「田舎の鳥はなまります」
という事だ。
西行もこれは失敗したようだ
黒谷とは白河の西岸にあった丘の事で、そこにあったという錦部郷という里は
平安時代には愛宕郡の一部だったそうで、
現代ではその地名は無くなってしまっています。
それに対して、聚楽は豊臣秀吉が建造した聚楽第の跡、
西陣は応仁の乱での西軍の陣地だった事から名がついていますが、
共に現在も名前が残っています。
あちこちに意味がわからない箇所がありますが、
その辺は適当に流して下さい。
(林羅山の句に)黒谷隣白河とあるが、そこは現在でも見られる所だ。
にしこり野(錦部郷の野)と呼んでいた頃は、
錦を織る者がこの辺りにでも住んでいたのだろうと思う。
そこで、
「春のみや都の町は機たててにしき織なり花鳥のあや」
(春の都は、まるで花鳥の紋の錦を織ったかのように花鳥がいて美しい)
この歌が正しいとは思わない。
都は春の錦だと言うのは、比叡山から見下しての歌だろう。
聚楽、西陣という名は(にしこりとは違って)今も残り、
錦は別として、どんな唐織でも上手な者がいるという事だ。
びろうど(ベルベット)は全く知らぬ織り方だと思って、聞いたところ、
針金を入れてあるとの事なので、これも上手く織れるようになった。
どころが新しい織物の名を付ける事が、もっとも下品で下手だ。
壁土のような色で、糸がちょろちょろと見える事から、カベチョロとはあんまりな命名だ。
すべて愚俗な者が名付け親になったのだから仕方のないことだ。
これは公家に鶯の名づけを乞うた時のように、名付けて貰えばよかったのだ。
(西行の歌に)
「鶯は田舎の谷の巣なれどもだみたる声はなかぬ也けり」
(鶯は田舎に巣をつくるけれども、泣き声はなまってはいない)
鶯飼いが言うには、
「田舎の鳥はなまります」
という事だ。
西行もこれは失敗したようだ
黒谷とは白河の西岸にあった丘の事で、そこにあったという錦部郷という里は
平安時代には愛宕郡の一部だったそうで、
現代ではその地名は無くなってしまっています。
それに対して、聚楽は豊臣秀吉が建造した聚楽第の跡、
西陣は応仁の乱での西軍の陣地だった事から名がついていますが、
共に現在も名前が残っています。
あちこちに意味がわからない箇所がありますが、
その辺は適当に流して下さい。