むかしのはなし -44ページ目

胆大小心録 その40

四十

奈良は、今ではかつての都の様子もなく、寂れる事甚だしく、
冬も昼寝をして、中戸に鍵をかけるのはなぜなのかと問うと、
「これは鹿が入らないように用心しているのだ」
との事。
鹿が入っても何も食う物が無いから、
奥山に紅葉を踏み分けて入り、鳴く鹿が増えている。

時々は熊野から塩や魚が入って来る。
こればかりは京や大阪より勝っている点である。
塩の質が良いのは若狭なのだが。


今度は奈良です。
中戸というのは、土間や中庭と台所を仕切る扉の事だそうです。

ちなみに原文では詞花和歌集や古今和歌集から引用した歌を使って、
趣のある表現をしているのですが、そんなものは無視です。

胆大小心録 その39

三十九

京の空気が伝染して、大阪もけちな事が流行ってきたが、
(大阪は)万事に不調法で、そこが田舎なのだろう。
金がたくさんあり、魚の豊富な田舎(大阪の事)は、
いくらけちでも手抜かりが多くて倹約もできない。


前回、前々回に引き続き、土地貶しのコーナーです。
地元の悪口も分け隔てなくする辺りは一流の毒舌家ですね。

胆大小心録 その38

三十八

伏見は寂しいところだ。
豊臣秀吉公の居城だった頃は、諸大名の屋敷が立ち並び、
まことに都のような様子だったが、
今は二十畳敷きの部屋も三十畳敷きの部屋も、月に家賃が銭一貫文だそうだ。
少し賑やかな京橋は、雨量が増えると何でもかんでも流されてしまう。
水辺の街はたくさんあるが、こんな難儀な所は無い。

豊臣公がいた頃は、桃山に大城が立派に建ち、宇治も淀も目前に広がり、
巨椋池は(中国の)西湖に瓜二つなのに、
(西湖と違って)寺社や物売が無いのが良かった。
このように寂れては、西湖よりも、雨はもの寂しく降り、花は赤々と咲き、
船が付くと「あんまはいかがですか」と言ってくる。
安菓子を売る老女もたびたび煩わしく言ってくる。
西湖にはこのような商売っ気はないだろう。
東坡堤(蘇公堤)も淀堤に劣らないだろう。

入江に咲く蓮の花の噂を聞き、見たいと思ったのに、
巨椋池から三栖に船を入れて、蓮池の中に来ると、
葉に覆われて、花は仰ぎ見なければならず、
何やらブウブウと鳴く虫が来て、体を刺す。
(日が高くなるにつれて)水温が上がり、
まるで地獄のようだった。
これでは成仏して極楽に行って蓮の上で安楽するといっても羨ましくは無い。

千利休が死んで、趣向を凝らした住まいが流行ると、
(郊外に別荘を建てる為の)丸太や庭石も必要なくなり、
都内の自宅が恋しくなるのだろう。
極楽浄土の暮らしも、別荘の暮らしと同じく、寂れた不景気なものだろう。


今度は伏見の話です。
巨椋池は伏見周辺にあった湖で、
現在は干拓地となっていますが、当時は美しい風景で、
輸送にも便利だったそうでうす。

難しい箇所がいくつもあって苦労しました。
読み返してみても意味が通らない箇所がありそうですが、
適当に流してしまいました。

後々修正する予定ですが、今日のところは勘弁して下さい。