胆大小心録 その52
五十二
(見識が無く、人気取りに走る)今の儒者は、
翁(秋成)が若い頃の俳諧師にも劣っている。
今橋の学問所(懐徳堂)も三宅石庵先生の頃は、
無理に学問を教える事もなく、息子をまず預けて、
道徳を少しばかり聞かせるのみ。
また息子が放蕩の道に入りだすと、早速預けておくという所だ。
先生は、そんな生徒を門から出すのを固く禁じ、
たばこ盆の掃除、茶の給仕、羽織(外出着)を着させずに使われて、
ついに心が改まるという事だ。
竹山、履軒も、色茶屋へ行っているわけでもないのに、
口上手に面白がらせてくれるものだ。
履軒が才人とはなんともまあ。
ある人が、
「初午や狸つくづく思ふやう(初午で狐がもてはやされるので、狸が羨んでいる)、
とはよくできた句だ」
と言ったら、あほな医者が、
「そりゃ何の事だ」
と、しつこく問うので、
「おい寿伯、なんとも理解の遅い男だな。
医者はやる儒者つくづく思ふやう(医者は金もうけができるが儒者はそうもいかない)、
という心だ」
と言われた。
相も変わらず中井兄弟への罵倒は続きます。
最後に出てくる寿伯というのは、人名だと思われますが不明です。
ある人とその寿伯のやり取りですが、
自分では清廉で財を疎んでいるつもりだろうな、
と、皮肉る意味で書いたのでしょうかね。
(見識が無く、人気取りに走る)今の儒者は、
翁(秋成)が若い頃の俳諧師にも劣っている。
今橋の学問所(懐徳堂)も三宅石庵先生の頃は、
無理に学問を教える事もなく、息子をまず預けて、
道徳を少しばかり聞かせるのみ。
また息子が放蕩の道に入りだすと、早速預けておくという所だ。
先生は、そんな生徒を門から出すのを固く禁じ、
たばこ盆の掃除、茶の給仕、羽織(外出着)を着させずに使われて、
ついに心が改まるという事だ。
竹山、履軒も、色茶屋へ行っているわけでもないのに、
口上手に面白がらせてくれるものだ。
履軒が才人とはなんともまあ。
ある人が、
「初午や狸つくづく思ふやう(初午で狐がもてはやされるので、狸が羨んでいる)、
とはよくできた句だ」
と言ったら、あほな医者が、
「そりゃ何の事だ」
と、しつこく問うので、
「おい寿伯、なんとも理解の遅い男だな。
医者はやる儒者つくづく思ふやう(医者は金もうけができるが儒者はそうもいかない)、
という心だ」
と言われた。
相も変わらず中井兄弟への罵倒は続きます。
最後に出てくる寿伯というのは、人名だと思われますが不明です。
ある人とその寿伯のやり取りですが、
自分では清廉で財を疎んでいるつもりだろうな、
と、皮肉る意味で書いたのでしょうかね。
胆大小心録 その51
五十一
詩人を志す書生が涌けども涌けども傑物が出る事は無い。
出ないはずだ。
師の徳の半分も会得できないのだ。
その師の徳が先の師の半分なのだ。
だから段々と劣っていくのだ。
詩は唐代のものが最上だという定評があったのを、
近頃は斬新さを狙って小細工する
宋代の蘇東坡、放翁、楊誠斎などが喜ばれ模範となっている。
翁(秋成)の若い頃、東坡の詩集は、
紙が良くて立派でも、五、六匁より高く出す人はいなかった。
その頃の人が見る目が無かったわけではない。
最近流行っている宋風は小芝居のようで、
大物が出ないわけだと思う。
それでも歌人はますます増えている。
詩の話です。
出だしの部分の書生というのは、
本来は儒者や医者を目指す人を現しているそうです。
最近は詩人を目指す人が増えたのでそれを揶揄して言ったそうです。
趣味であるはずの詩歌を
金儲けの道具にしようとする風潮を皮肉ったのでしょうね。
唐代の詩人としては李白と杜甫が有名ですね。
その時代の名人よりも、
小手先の技術で目新しい詩をつくる宋代の詩人がもてはやされている事に
憤っているという内容ですね。
詩の事はさっぱりわかりませんが、
現代でも、音楽や映画好きなどに見られる懐古主義者のような考えでしょうかね。
自分もそのタイプなのでよくわかります。
「あの頃はよかった」
などとよく言ってしまいます。
詩人を志す書生が涌けども涌けども傑物が出る事は無い。
出ないはずだ。
師の徳の半分も会得できないのだ。
その師の徳が先の師の半分なのだ。
だから段々と劣っていくのだ。
詩は唐代のものが最上だという定評があったのを、
近頃は斬新さを狙って小細工する
宋代の蘇東坡、放翁、楊誠斎などが喜ばれ模範となっている。
翁(秋成)の若い頃、東坡の詩集は、
紙が良くて立派でも、五、六匁より高く出す人はいなかった。
その頃の人が見る目が無かったわけではない。
最近流行っている宋風は小芝居のようで、
大物が出ないわけだと思う。
それでも歌人はますます増えている。
詩の話です。
出だしの部分の書生というのは、
本来は儒者や医者を目指す人を現しているそうです。
最近は詩人を目指す人が増えたのでそれを揶揄して言ったそうです。
趣味であるはずの詩歌を
金儲けの道具にしようとする風潮を皮肉ったのでしょうね。
唐代の詩人としては李白と杜甫が有名ですね。
その時代の名人よりも、
小手先の技術で目新しい詩をつくる宋代の詩人がもてはやされている事に
憤っているという内容ですね。
詩の事はさっぱりわかりませんが、
現代でも、音楽や映画好きなどに見られる懐古主義者のような考えでしょうかね。
自分もそのタイプなのでよくわかります。
「あの頃はよかった」
などとよく言ってしまいます。
胆大小心録 その50
五十
「二日にもぬかりはせじな花の春」。
(二日には、元日のようにしくじらずに、早起きして花の春を祝おう)
我(秋成)の貸す家に住む魚屋は、年末の勘定がうまくいき、
掛け金を清算して帰って来たのが午後の十時頃。
「かかあ、酒を燗してくれ。めでたいめでたい。
今までにない掛け金の戻りで、
今年ほどの儲けは、親の代から考えても覚えが無いぞ」
と言って、やたらにめでたがる。
(妻は)「本当にそれは嬉しい事ですね」
と言って、こたつの火かきをしながら、
「酒は熱燗にしまして、
肴はこの若狭風の小鯛が、塩味がいいです。
吸い物は雑煮の味噌がすってあるので、
鯨と大根を具にしていただきましょう」
「よかろよかろ」
と、夫婦で喜びの盃。
「丁稚(奉公人)の松に、餅を焼いてあげなさい」
「これ。お前焼いて食え」
と、丸餅を三つから五つ放ってやった。
「砂糖をおごってやるそ」
と、機嫌が良いあまりに大口を叩く。
そのうちにこたつの横で寝てしまい、妻は東に頭を向け足を重ねながら、
細々といびきを立てる。
「もしもし夜が明けました」と言われ驚いて、
「しまった寝坊した」
と、飛び起きる。
雑煮のかまどの火が燃える間に、天満縞の正月仕着せの上に、
藍染の前垂れの隅を絞り染めにしたものを身に付け、丁稚も同じ縞の布子、
妻がまだ着替えていない内に、雑煮の箸を置くと、荷ごしらえをし、
初鯨五、六十切れを用意し、お得意さんの数を数えて急いで家を出る。
そもそもこの初鯨という物は京には無い事だ。
年の初めには大魚を祝うとの吉例がある。
まず今橋筋にある助松屋という富豪の家に走り入り、
「明けましておめでとうございます」
と、鯨を打かぎに掛けて、台所に入ると、
「あらおかしい。初鯨は元日でしょ」
と、下女が笑い出す。
「新七(魚屋の名前)しっかりしろ。今日は二日だぞ」
「ええっ」
うっかりするにも度を過ぎた事に、
「寝過ごすにも程がある」
と、家中の者が大声上げて
「はははははは」と笑う。
これはこれはとばかり、花の春をしくじったと、また次々に回っても、
どこもかしこも同じ事。甚だ縁起でも無いと、鯨を売るのをやめて帰って、
「かかあ、今日は二日だそうだ」
「そうですね。年礼の方々が見えて、二日の挨拶をしていきましたよ」
「不思議な事だが、春の初めだ。住吉神社に参ってこよう」
と、昼の祝い膳を食べて飛び出し、
まずは(料亭の)三文字屋へ入って、
「熱燗をくれ」
と言うと、
「これはこれは、お珍しい」
と料亭の者が言い、
「大座敷はお客がおいでになっていて相席になりますので、小座敷へどうぞ」と、
仲居に案内されて行くと、それを出入り先の旦那たちが見かけて、
「新七新七、元日から住吉参りとは、なんとも元気な事だな。さあさあ」
と言う。
答えて、
「左様でございます。ならば相伴させて頂きます」
と、まず盃を二、三杯空けて、落ち着いた所で、
「まあ聞いて下さいよ」
と、しくじった話をして、知らない客まで、どっと大笑いになって、
午後八時頃に、旦那たちの供をして、(家のある)淡路町へ帰り、
北に向かう道筋は間違いなかったのだが、
「違った違ったと、一句やりましょう。
家主のお医者様(秋成)に、明日直してもらいましょう。
すみよしや春は遠おい二日がけ」
旦那が答えて、
「上出来上出来。名句だ。上田先生にみてもらいなさい。
俺も一句やろうか。
春の海それでもかけはよせる波。どうだどうだ」
「ありがとうございます」
「はははははは」
久々に長かったです。
魚屋の新七が、元日を寝過ごすという話ですね。
冒頭の句は芭蕉作のものだそうです。
最後の旦那の句は、
正月は寝過ごしたけども、掛け金はぬからずに回収できた
という意味だそうです。
「二日にもぬかりはせじな花の春」。
(二日には、元日のようにしくじらずに、早起きして花の春を祝おう)
我(秋成)の貸す家に住む魚屋は、年末の勘定がうまくいき、
掛け金を清算して帰って来たのが午後の十時頃。
「かかあ、酒を燗してくれ。めでたいめでたい。
今までにない掛け金の戻りで、
今年ほどの儲けは、親の代から考えても覚えが無いぞ」
と言って、やたらにめでたがる。
(妻は)「本当にそれは嬉しい事ですね」
と言って、こたつの火かきをしながら、
「酒は熱燗にしまして、
肴はこの若狭風の小鯛が、塩味がいいです。
吸い物は雑煮の味噌がすってあるので、
鯨と大根を具にしていただきましょう」
「よかろよかろ」
と、夫婦で喜びの盃。
「丁稚(奉公人)の松に、餅を焼いてあげなさい」
「これ。お前焼いて食え」
と、丸餅を三つから五つ放ってやった。
「砂糖をおごってやるそ」
と、機嫌が良いあまりに大口を叩く。
そのうちにこたつの横で寝てしまい、妻は東に頭を向け足を重ねながら、
細々といびきを立てる。
「もしもし夜が明けました」と言われ驚いて、
「しまった寝坊した」
と、飛び起きる。
雑煮のかまどの火が燃える間に、天満縞の正月仕着せの上に、
藍染の前垂れの隅を絞り染めにしたものを身に付け、丁稚も同じ縞の布子、
妻がまだ着替えていない内に、雑煮の箸を置くと、荷ごしらえをし、
初鯨五、六十切れを用意し、お得意さんの数を数えて急いで家を出る。
そもそもこの初鯨という物は京には無い事だ。
年の初めには大魚を祝うとの吉例がある。
まず今橋筋にある助松屋という富豪の家に走り入り、
「明けましておめでとうございます」
と、鯨を打かぎに掛けて、台所に入ると、
「あらおかしい。初鯨は元日でしょ」
と、下女が笑い出す。
「新七(魚屋の名前)しっかりしろ。今日は二日だぞ」
「ええっ」
うっかりするにも度を過ぎた事に、
「寝過ごすにも程がある」
と、家中の者が大声上げて
「はははははは」と笑う。
これはこれはとばかり、花の春をしくじったと、また次々に回っても、
どこもかしこも同じ事。甚だ縁起でも無いと、鯨を売るのをやめて帰って、
「かかあ、今日は二日だそうだ」
「そうですね。年礼の方々が見えて、二日の挨拶をしていきましたよ」
「不思議な事だが、春の初めだ。住吉神社に参ってこよう」
と、昼の祝い膳を食べて飛び出し、
まずは(料亭の)三文字屋へ入って、
「熱燗をくれ」
と言うと、
「これはこれは、お珍しい」
と料亭の者が言い、
「大座敷はお客がおいでになっていて相席になりますので、小座敷へどうぞ」と、
仲居に案内されて行くと、それを出入り先の旦那たちが見かけて、
「新七新七、元日から住吉参りとは、なんとも元気な事だな。さあさあ」
と言う。
答えて、
「左様でございます。ならば相伴させて頂きます」
と、まず盃を二、三杯空けて、落ち着いた所で、
「まあ聞いて下さいよ」
と、しくじった話をして、知らない客まで、どっと大笑いになって、
午後八時頃に、旦那たちの供をして、(家のある)淡路町へ帰り、
北に向かう道筋は間違いなかったのだが、
「違った違ったと、一句やりましょう。
家主のお医者様(秋成)に、明日直してもらいましょう。
すみよしや春は遠おい二日がけ」
旦那が答えて、
「上出来上出来。名句だ。上田先生にみてもらいなさい。
俺も一句やろうか。
春の海それでもかけはよせる波。どうだどうだ」
「ありがとうございます」
「はははははは」
久々に長かったです。
魚屋の新七が、元日を寝過ごすという話ですね。
冒頭の句は芭蕉作のものだそうです。
最後の旦那の句は、
正月は寝過ごしたけども、掛け金はぬからずに回収できた
という意味だそうです。