むかしのはなし -38ページ目

胆大小心録 その58

五十八

三十石船の船頭は、昔は鬼のように頑強だった。

今の下り船の船頭は、板締めの襦袢を着て、黒縮緬の頬被りをしているのだ。
悪天候の時には、こんな船頭の船には乗ってはいけない。


三十石船というのは伏見と大阪を繋ぐ淀川を運行する船便の事で、
米を三十石まで積載できる事からこう呼ばれたそうです。

板締めや黒縮緬というのは、要するに粋な格好という事だそうです。
質実剛健な昔の船頭と違って、当時の船頭は外見ばかり気にしていて、
川が荒れる日に、船頭を任せるのは危険だという事ですね。

胆大小心録 その57

五十七

島原(遊郭)の衰えはひどいものだが、
あれでも客に行く人はいるのだから家が建っているのだろう。

若い頃に遊んだ時でさえ、
「ここで新しい物といえば、竹の子と蝋燭ぐらいのものだ」
と言って、非難された事があったが、それも五十年ほど昔の話だ。


京都の遊郭である島原の話です。
元禄期までは栄えていたそうですが、
秋成の時代にはすでに廃れ始めていたそうです。

秋成の台詞は、たまたま身近にあった
竹の子と蝋燭を引き合いに出したらしいです。

胆大小心録 その56

五十六

太鼓持ちという者も、扇の一手も舞って、小鼓でもてなして、
花見の供に連れていける程度には風流を解していたが、
それも昔の事だ。

今の太鼓持ちはただ滑稽な見てくれで機嫌を取るばかりで、
何とも例えようの無い有様だ。


太鼓持ちというのは、
現代ではご機嫌取りのような意味で使われていますが、
本来は芸者の男版ともいうべき職業で、
楽器や踊りを嗜み、ピエロのように滑稽な素振りで客を楽しませるという
なかなか高度な役割だったそうです。

秋成が嘆いているように、
段々と低レベルな者が増えて、
今のご機嫌取りの意味に近づいたという事でしょうかね。