Ready Steady Go! -28ページ目

Ready Steady Go!

Season Concept
   ~ London Eye ~

ミラノコレクション後、パリに移動して来た日本人からの情報だと、この時期にしては珍しくミラノは暖かかったらしく、零度前後のパリの冷たい風が堪えるようだ。

トラノイ会場のブースにほぼ毎日缶詰状態で、市内各所で行われている色んな展示会を覗きに行けず、フラストレーションはうなぎ上りで精神上よろしくない。

Ready Steady Go!-2004

途中どこかで抜け出したいが、ブースで待っていると日本人は訪れず、私が留守にするとこれ幸い?と日本人がブースにやって来るらしいから困ったもんである。

Ready Steady Go!-2005

この不思議というか日本人らしい行動現象のお陰で、melissa の人間には常にどこにも行くなと半分本気で怒られる始末。

日本人特有の行動パターンだからと説明しても、異文化の異国人には今ひとつクゥエッションマークで、その認識と理解力の壁にいつも泣かされ続けている。

つかの間の息抜き、会場の向かいにあるレストランでミラノからバルセロナに戻る途中にパリに立ち寄った Maians の Chad / チャドとランチタイム。

更にチャドはランチに合わせて、これ見よがしに旨そうにビール&ワインまでも召し上がる。

食後のカフェは店内から外のテーブルに移り、見上げた空はご覧なような冬晴れの青空で、室内に閉じこもっているのがもったいなく感じてしまう。

Ready Steady Go!-2008

目の前に停まっていた、パリ市内数カ所を送り迎えする TRANOI のシャトルサービスカー

Ready Steady Go!-2007

ファッション人間らしく、もっと気張ってコレクションや商品に付いて書き込んでも良いのかもしれないが、街のごくごく普通の様子の方を選択してしまいがち。

Ready Steady Go!-2006

フラストレーションもほぼピークに達した某日の午後、毎シーズンmelissaブースにやって来るイタリア人夫妻のふたりの子供たちに癒される。

Ready Steady Go!-2009

これまでに年に2回彼女らに会っていて、私の目的といえば ( ラテン気質で愛想がいいイタリア人夫妻の子供たちと仲良くなる事? ) 、言葉も通じない日本人に対して彼女らの興味はほとんどなかったようで、何とか仲良くしようとトライしていたが不発の連続だった。

Ready Steady Go!-2011

嬉しいことに4回目となる今回の再会で彼女たちふたりの反応に若干変化が見られ、シャイな部分もなくなり、上のお姉ちゃんはハローキティのリュクサックを自慢気に背負って、下の子は フルーティーな匂いでカラフルなmelissaサンプルをオモチャ屋にいるかのごとく無邪気に弄んでいる姿が微笑ましい。

Ready Steady Go!-2010

あっという間の4日間で、5泊6日のパリ滞在も終わりを告げる。

ファッションに関する具体的な仕事の話をお伝えすることなく、パリ土産もないままCDG空港からANA206便のB747ジャンボ機の超極楽シート3Kに座らせていただき、帰国の途に着いたのでありました。

cheers



1月、2月、3月の3ヶ月間は泣く子も黙るほどの旅から旅への強行スケジュールの連続となる。

ニューヨークから帰国して1週間後の3月4日、NYボケも若干残る体調のまま、パリ行きのANA205便に搭乗して、2Aという最高の心地いいシートに座り快適な大空の旅を満喫中。

昨晩3時間ほどの睡眠だった上に、世界最高峰のシャンパーニュとして比類なき評価を集めるChampagne / KRUG GRANDE CUVEE / クリュッグ・グランド・キュヴェを勧められるまま調子に乗って立て続けに4杯いただき、豪華な機内食ランチの後は、ANA SKY CHANNELの中から、『 BUENA VISTA SOCIAL CLUB / ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』キューバ音楽の巨人たちの素顔を観始めるが、当然途中から記憶がなくなり夢の世界へと導かれて行っていた、、、、、、、、

この映画は、1999年の105分のドキュメンタリーでDVDも持っていてこれまでに何回も観て、未だ訪れた事がないキューバの音楽と巨匠たちの姿に胸熱く涙したものだが、空の旅で再びチャンネルを合わせ、その内容を満喫する。

キューバ音楽に魅せられた、アメリカを代表するミュージシャンであるライ・クーダーとヴィム・ヴィムベンダース監督による音楽ドキュメンタリー映画で、知られざるキューバ音楽の巨人たち、欧米での公演とレコーディングの姿に迫り、彼らの生み出す素晴らしい音楽と飾らない姿を映し出す映像に引きつけられ、彼らの美しい旋律に心奪われる。

残念ながら ANA MEETS ARTS SHORT FILM COLLECTIONは、プログラムが2月と変わらず、今回もご遠慮願う事に、、、、、、

年に1回は贅沢なシートに座らせていただき、12時間の空の旅を至福の時間&空間として満足させてもらう。

完全フルフラットシートの極楽?ベッド感覚で心地良く微睡み、驚くことに眠りから目覚めたのはパリ到着の2時間半前と、その快適さに十分に満足する。

そして軽めの晩ご飯をいただき、食べ終えた時には到着1時間前と、いつもは途中から退屈となり長く感じてしまうフライトも、今日に限っては信じられないくらい短時間に感じられ、つかの間の贅沢にヨダレ?をたらしてしまうほど?????

クルーのひとにも感じよく気を使っていただいたことで心地よく、飛行機から降りるのがもったいなく感じるくらい大満足のまま巴里に到着。

入国スタンプを押してもらい預けていたラゲージをピックアップ、陽射しが残る16時過ぎの巴里は思いのほか暖かく感じられ、更にタクシーは中国系の親切そうな感じのドライバーに巡り会い、問題なく最短距離で間違いなく告げたホテルまで届けてくれた。

ホテルのキーをもらい、今回はキッチン付きの部屋を予約していたため、この後スーパーマーケットに食材を買いに出掛け、無事に到着してまったく問題が発生しないで運良くチェックイン出来たことに感謝の念を持って、明日からの展示会に備え今晩は部屋でひとり静かに1日目の巴里の夜を過ごす。

cheers


LAではわずか1時間ほどのトランジット時間でNY行きのフライトに乗り換えなくてはならず、アメリカのエアラインだけに若干気は焦るが、ラスベガスからのフライトがほぼ定刻に到着したので問題はなさそうだ。

乗り換えるフライトのゲートを確認した後、そのままラウンジで喉を潤し、搭乗までのわずかな時間を過ごす。

これまで30年間、ヨーロッパを中心に世界?を飛び回って来たが、アメリカにはほとんどご縁がなく、これまでにハワイが4回、ラスベガスが4回で、ニューヨークにはおそらく一生訪れることはないだろうと思っていたが、運良く?というか、気が進まないまま昨年の2月に初上陸、そして今回2回目の上陸となるNYのビギナーであることは間違いない。

ナイトフライトの為、狭いシートながらほとんど眠っていた気がするが、5時間後、白けてきたNYの午前6時過ぎ、春の陽気で暖かかったラスベガスから、雪が残る凍えそうなNYに寝ボケ眼のまま無事に着陸する。

日本人を見かける事もなく、預けていた荷物をピックアップして、寒風が吹き付ける中、タクシーに乗り込み予約していたホテルに向かうが、交渉はしたが午前8時前では当然すぐにはチェックインは出来ず、斜向かいのカフェで眠気と戦いながら数時間を過ごす。

カフェが混み始めた正午前ホテルに戻り、14時のチェックインタイムまで後2時間ほどロビーのソファで過ごさねばならないはずだったが、それから15分ほどで運良く部屋のカードキーをもらい、やっと一息つける。

Ready Steady Go!-2002

ラスベガスにあと1泊して翌朝のフライトでNYに夕方到着する方法もあったが、前回に引き続き、この日程を選択した。

部屋で届いていた仕事のメールの山を数時間かけて処理した後、晩ご飯も食べずにそのまま眠りに落ちて行っていた。

Ready Steady Go!-2001

翌朝は朝食の後、20分ほど掛けて慣れぬ寒いニューヨークの街を歩いて展示会場に向かう。

4カ所の展示会場を見て回った途中、午後の陽射しを浴びて気分転換して、途中何気ないストリートの風景にシャッターを切り、スーパーマーケットに立ち寄って食材を買って部屋に戻る。

Ready Steady Go!-2000

翌日から3日間、大会場で展示会があったが、内容も盛り上がりも今ひとつで刺激のない退屈な時間を過ごす。

夜は特に身にさす寒風であまり歩く気にもならず、ここは不慣れなニューヨークとくれば、朝の9時から夜の7時まで展示会場で過ごした身体では出掛ける気分も高まらず、当然腰は重くなる。

今回の唯一のNY滞在の自慢話は、晩ご飯の後、50`s, 60`s , 70`sの希少な音楽関係のレコードやポスターなどの宝庫、時間がいくらあっても足りないほど夢中になったブロード・ウエイにある COLONY MUSICでGIL SCOTT- HERON / FREE WILL のレコードアルバムを20ドルほどで購入したこと。

Ready Steady Go!-2003

あまり相性がよろしくない苦手なアメリカからやっと脱出可能となり、ANA009便成田行きのフライトに搭乗しようとしたその時、ただ偶然と呼ぶにはあまりにも不思議で自分でも驚くほどの微笑ましいくらいあり得ないほどの偶然に遭遇して、思わずにっこりスマイル&スマイルで予約していたシートに腰掛けたのでした。

成田までの長い約13時間のフライトの前に、気分良い不思議な偶然がこれまでの疲れを忘れさせてくれた。


cheers


初日の夜、巨大ホテル・ヴェネシアンの部屋の窓から見える夜景に、少し癒されながら眠りにつく。

翌朝、朝食の会場まで部屋から5分ほども掛かり、4000以上の部屋数を持つこのホテルで当然宿泊客も半端な人数ではなく、大きいがゆえの不便さを感じずにはいられない。

アジアの大国のひとたちが最近日本でも海外でも目立っているが、経済発展に伴って世界を飛び回っているのかもしれないが、ひとことマナーが悪すぎる。

とにかく大勢で大声で話すし、態度や食べ方など見ていて汚すぎる。

更に家族連れというか、子供を連れている夫婦を見かけるが、子供への意識は低く、公共の場でのマナーに対する意識も低いように感じてしまう。

特にアメリカで見かけるひとたちには、その傾向が強いよう感じるのは私のアメリカ嫌いのせいか?それとも気のせいか?

今回、melissaが出展しているマンダレイ・コンベンションセンターはストリップを南下したほぼ外れに存在していて、当然タクシーでの移動となるが、ホテルで乗る前に係りのスタッフに1ドル紙幣をチップとして、ほとんどの人が渡しているので、私も見習うわけではないが、郷に入れば郷にしたがい仕方なく?手渡す。

そして、タクシードライバーは色々な行き方を選択するが、メインのストリップ通りが渋滞だからだと、他の順路は遠回りなような気もしてしまう。

エキジビターのエントランスバッジをもらうのも一苦労で、やっとブースに着いた頃には疲れてしまう。

1日中会場に居るととにかく様々な容姿の人間を見かけるが、気になるオシャレ人間に出会える事はここラスベガスではほとんどありえない。

私から見れば不思議なコーディネイトを身をまとい、アメリカ独特のジャラジャラとさせたファッションで、もしかするとそれをオシャレな LAファッションと認識しているのかもしれないが、私にとってはまったく異物で、感性に響いて来ない。

どこかチープな雰囲気を感じてしまい、ヨーロッパの雰囲気との相違を感じてしまう。

日本から訪れているバイヤーもアメリカナイズされた、どこか異種の雰囲気をかもし出している。

ウエストコーストには特にアジア各国からの移民が多く居住していて、独特なコミュニティが存在しているようにも思うが、毎回そうだが馴染めないまま時間が過ぎて行く。

あえてこの国のファッションから私が学ぶ事はなさそうで、映画やテレビで言われているアメリカ特有のセレブが買ったとか、セレブが店に来ているとかがオシャレのバロメーターのようで、くだらないのひと言に尽きる。

セレブが着ていたモノと同じモノを欲しがる気持ちが理解出来ないし、セレブがセンスよくオシャレであるとは言い切れないはずだし、同じモノを着てオシャレになれる保証などどこにも存在しない。

結局、ブランド意識だけが優秀で、この現象を含めたアメリカ文化が日本にも上陸して、あらゆる方面に汚染されてしまっている。

個性など二の次で、我も我もとメディアなどから仕入れた情報に踊らされ、そして行列して皆が同じ方向に向かっている現象は、アメリカ文化の駄作の象徴と呼びたくなる。

何とか3泊でこの街から脱出を試みる?、展示会最終日に午後8時40分のフライトで LA経由でニューヨークに向かう。

が、この街でささやかではあるが、ちょっとだけ気持ちいい出来事もあった。

会場から空港までのタクシー待ちの途中、後ろに並んでいたアメリカ人のおじさんから相乗りしないかと声を掛けられる。

待ち時間話をしていると、本日オバマ大統領がここラスべガスに19時頃に到着予定だとかで、厳重警戒となり、もしかすると影響が出るかもしれないと教えてもらう。

出展者だった彼は、LAからもう少し北に行った町に住んでいるらしい。

さっぱりとした性格のひとで、料金メーター16ドルに対して、お互い10ドルずつの20ドルを渡して、ちゃんとレシートも2枚もらってくれて、気を付けてでセイ・グッバイ。

もう二度と会う事もないだろうが、こういうちょっとした出来事が海外滞在中の愉しみでもある。

年甲斐もなくあっかんべーでラスベガスから退散、不思議と待ち時間も苦になっていない。

そろそろ最初のフライトLAまでの搭乗時間となりました。

cheers.



前回のブログ、一瞬熱くなりオリンピックの話題に触れたが、ここからは再度アメリカ大陸上陸物語へと。

ほぼ定刻に離陸したANA006便 LA行きは17:05発のナイトフライトで飛行時間が約9時間ほどのため、ヨーロッパのフライトよりかは幾分楽に感じる。

機内アナウンスによるとLAの気温は18度、そこはまるで春を通り越し初夏のような陽気な気候のロサンゼルスに到着。

東京から着込んで来た冬服が邪魔になるほどで、これから税関検査、荷物のピックアップ後、ラスベガス行きへ乗り換えのため、ターミナル移動となる。

知り合いのイギリス人でアメリカの事を良く言う人は皆無、その教育を長年受けて来た後遺症?のため、暖かな気候は有り難いが、やはり一歩表に出てからの雰囲気はどうしても馴染めない。

イミグレーションのポリスやセキュリティチェックの係員など、皆どこか我々をさも奴隷かのように指で高圧的に扱う態度が気に食わないし、愛想がない。

我がアメリカが世界を支配しているがのごとく言葉、仕草、人がかもし出す雰囲気など、とにかく偉そうに感じてしまう。

好き嫌いもあろうが、私はアメリカアレルギー指数100%であろうと自信を持って断言出来る。

そして2時間半ほどのトランジット後、ラスベガス行きのフライトに乗り、これまた馴染めないフェイクギャンブル都市に到着。

タクシーに乗りホテルに向かうが、何千という部屋数を持つ巨大ホテルでのチェックインも行列させられ時間は掛かり、部屋のカードキーを受け取ってからも、はじめのホテルであれば部屋までたどり着くのに10分、15分はあたりまえに時間が過ぎて行く。

道順がすぐに分かれば良いが、迷子になる事数知れず、何が良くてこんな街を砂漠に作ったのか、そのセンスを疑う。

大きい事は良い事だと昔誰かが言っていたが、大きい事だけが取り柄の単なる木偶の坊では、とも思ってしまう。

仕事でなければ絶対に来ないであろうこの街に3泊するわけで、馴染めないどこでも何でもチップ社会の法則も苦手なひとつ。

随分昔、イギリス人に毎朝ベッドメイキングにチップを置く事を話したら、あり得なさそうに驚いていたから、それ以来ノーチップ主義でいたが、アメリカに来るとどうもそういうわけにはいかないらしい。

話を聞いた日本人は100%チップを渡していたし、彼らはチップによって生計が成り立っているとも、説明を受ける。

大したサービスでもないのに習慣的にチップを渡すのは、どうも納得が行かない。

このことも、アメリカ嫌いの大きな理由のひとつである。

満足がいくサービスで、納得が行けばチップを渡せばいいが、どのレベルのサービスでもチップがあたり前では、サービス向上が望めないような気がしてしまう。

とにかく大味で大盛りの食事も興ざめだし、カッコよくないし、スマートでない。

日本はチップの習慣がない国だが、そんなものがなくても世界で一番だと誇れるサービス精神が旺盛な国民性である。

チップに必要な1ドル紙幣をポケットに突っ込み、今日から3泊、この街で過ごすのでした。

cheers





フィギュアスケート女子シングル

女子でただひとりトリプルアクセルに挑戦して成功させた。

攻めの姿勢を貫いた彼女の姿勢は、私は好きだ。

他国の複数の人間が採点するわけで、好みの問題もあり、タイム、長さ、高さ勝負と違い、絶対的な差を評価するのは難しい点もあるはずである。

誰でもが出来ること( 他の人にも出来る事 )を一番うまくやることも、もちろん素晴らしい事かもしれないが、誰にも出来ない事をやる方を私は支持する。

世界中のアスリートたちが競い合うオリンピックという想像を絶するプレッシャーの中で、氷上での孤独と戦い、彼女だけがトリプルアクセルに挑み、そして3回も成功させた実力は、他の人にも出来る事を一番うまくやることよりか断然価値があり素敵だと思う。

結果、実際メダルの色は銀でも、私は彼女がこの戦いに掛けた自分だけの個性に拍手を送り、メダルの色以上に評価したい。

無難にいくとミスは防げるかもしれないが、失敗する確率が少なからずあろうとも、自分だけというこだわりの方が断然魅力が大きいはずである。

メディアはふたりを対比してやたらと取り上げたが、タイプもスタイルも違ったわけで、それは好みの問題。

オリンピックで一番を取ることを目的として、ロシア人のタラソワコーチと二人三脚でここまで練習を重ねて来て、そして1913年の作曲家 Sergei Rachmaninov / セルゲイ・ラフマニノフの『鐘』を選曲した。

結果論からひとはとやかく言うけれど、少女のイメージから大人の女性への脱皮過程の年齢で、あえて当時のロシアのクレムリンのおとなの曲を選び、それに併せてプログラム&構成をした選択は、個性重視で勝負に挑んだ証であろう。

もっと可愛らしい明るい曲の方が彼女のイメージには合っていたのでは、という意見も多くあったようだが、一般的なレベルのひとでは理解出来ない事に挑んでいるわけで、納得出来ないのも当然である。

すべては結果ではあるが、もしあの曲で金を取っていたと仮定すれば、メディアを始め日本人は、おそらくこういったはずである。

素晴らしい選曲であった。と、そして想像だが、ラフマニノフのCDがやたら売れたのではないだろうか?

ここにも日本文化が生んだ皆と一緒感覚の弊害が存在しているように感じるのは、私だけだろうか。

先駆けて人と違うことをやる意義と価値をもっと理解すべきである。

参加することを目的としていたわけではなく、世界の頂点をめざした結果、今回は残念ながら勝負に負けた事実はある。

4年後を意識して、再度長い険しい道のりを歩いて行くという彼女の決意に、あの涙の理由が存在している。

cheers




マイケル・ジャクソン THIS IS ITの映像の中で、リハーサルがほぼ終了した時、スタッフ&出演者全員がハンドインハンドで本番に向けて、更に成功を祈って気持ちをひとつにする場面があった

そして、最後にマイケルが全員に向けて語ったことばとは、、、、、、

未知との領域に連れていこう

未体験の才能を見せよう

全力で尽くそう

みんな愛している

僕らはファミリーだ

世界に愛を取り戻そう

愛の大切さを思い出させるんだ

お互いを愛すること

僕らはひとつだと

そして地球を大切に

4年間で環境破壊を止めて地球を守ろう

僕らが伝えるのは大切なメッセージだ

みななの協力に感謝するよ

ありがとう

みんなに祝福を

誰もが同じステージで共演出来たことに誇りと感謝の念を持った

MICHAEL JACKSON

KING OF POP

LOVE LIVES FOREVER

        彼の世界観たるもの、私などが知る由もないが、世界中の子供たちに対して慈善活動を行ってきたと書かれていて、弱者への意識は人一倍強かったのかもしれない。

残念なことだが、彼は今この世にいない。

all the best




ANAの国際線フライトに搭乗すると、いの一番にチャンネルをあわせるANA MEETS ARTS / ショートフィルムコレクションの今回のプログラムの内容は残念ながら不発で、ちっぴり残念ではある。

アメリカ、ドイツ、日本の3本、どの作品も自分のお好みではなく、一応観る事は観たがすべて気分的にパス。

その代わりというか、おそらく世界中に激震が走った2009年6月に急逝したMichael Jackson / マイケル・ジャクソンの最後のライブ・ステージのリハーサルを捉えたドキュメンタリー、歌&ダンス、すべてに全力を捧げた彼の50年の音楽への歴史が垣間みれる『 THIS IS IT 』を観る。

説明ガイドには次のように書かれている。

音楽は国境を越え、世界中の人々にいろいろなメッセージを届けてくれます。

その素晴らしい音楽を生み出すアーティストたちの真の姿を知ることが出来る作品

名曲のうらにあるドラマ 『 THIS IS IT 』

今回ご紹介するマイケルジャクソンの作品名、その言葉の意味は『さあ、いよいよだよ』と、思いっきり期待を煽る時に使用される言葉なのですが、マイケルの作品に限らずミュージシャンたちを描く魅力にも通じる言葉です。

音楽というのは感じることにすべてがあり、それだけに多岐に渡った解釈が可能です。

聞くひとそれぞれが、自らのこころの風景に重ね合わせ、それぞれの感動を覚えるに違いありません。

しかし時に、優れた音楽というのは個人的な経験、感情を超えたところで、なにががスパークするゆな
衝撃を与え、心を揺さぶります。

この衝撃、感動を引き起こす力はいったいなんだろう?

そんな疑問と好奇心から、ひとりのミュージシャンを敬愛したひとも少なくないかと思いますが、ミュージシャンたちを描いた映画というのは、傑作、名曲といわれる音楽の裏にあるドラマ、力の源を『さあ、いよいよだよ』とばかり、赤裸々に語り、見せてくれるのです。

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT 』では、ライブパフォーマンスに全身全霊をこめるマイケルの
一寸の隙もない、渾身のリハーサル風景の一部始終のステージドラマ。

マイケル・ジャクソンの最後のライブといわれ、2009年7月からロンドンO2アリーナでスタートし、全50公演を予定していた。

これまでにファッション的な部分を含めて特別には彼を意識してこなかった気がするが、映像で観るステージ上の彼の音楽に対するこだわり、照明、音声、美術、演出、ダンスパフォーマンスの細部にまで気を配り、一切の妥協を許さないプロとしての姿勢は、まさにキング・オブ・ポップと呼ばれ、ポップミュージック界のスーパースターであったことを再認識させられた。

アルバムThriller/スリラーからの第2弾シングルカット、83年のBillie Jean /ビリー・ジーンと第3弾シングルカット Beat It / ビート・イットの彼の歌声、リズム感、ダンスパフォーマンスに引き込まれて、胸が熱くなった。

今回の死因に付いても、これまでに数々流れた噂の真偽のほども、我々には想像もつかない世界の話。

50年という短い生涯ではあったが、世界中の人々の記憶に残る今世紀最大のエンターテイナーであったことを物語った感動の1時間50分のドラマであった気がする。


合掌




 
1月の東京は例年の気温より高めで暖かかったらしく、帰国後その話を聞くと極寒のヨーロッパを体験した後だけに羨ましい限りである。

今回も時差ボケのため眠れぬ夜を数日過ごしているが、旅の疲れも重なり奥歯が強烈に痛む。

数年ぶりに歯医者に駆け込み診てもらうと、痛みの原因は歯ではなく歯茎が腫れているためらしいが、
頭のてっぺんまでズキンズキンと襲って来る激痛にお手上げで涙が出て来る。

鎮痛剤を飲んでも数時間しか効き目がなく、時差ボケの不眠にプラスして激痛も加わり、辛い夜を過ごしている。

激痛付きの寝不足状態でも帰国後だけに仕事は山ほどあり、3ヶ月に一回ほど検診を促した先生の言葉を無視したツケが襲って来て、人間の困った時のみの都合のいい、要するに今回のような激痛時のみの反省ポーズ?????

頬も腫れ一番奥歯の箇所だけに食事もままならず、ほとんど噛まなくていい流動食的な柔らかいものとなり、アルコールはもちろんNGで辛い1週間ほどが過ぎて行った。

その間先生の指示通り、歯茎から出血するくらい歯間ブラシでゴシゴシと刺激を与える毎日。

通常の忙しさにさらに2月8日からの六本木ヒルズで開催された合同展示会 rooms に出展の為、melissa チームが来日して、準備等も含めて忙しさは目が回るくらいでは済まされず、帰国後も不眠?不休の日々を過ごしていた。

2月に入り小雪舞い散るほど東京の寒さが戻って来てしまい、天候も今ひとつで気分もどちらかというとグレー状態。

ひとりでこなすキャパにも限界があり、予定通りに進まない情況に更に火に油を注がれれば、心中お察しいただきたく、年甲斐もなくやけくそ気味。

珍しく今年は14日の愛あるヴァレンタインデーに日本に居たが、翌日15日からのラスベガス&ニューヨーク出張の準備もあり、帰国後の2週間ぶりの休みも気休め程度にしかならず、ご機嫌はいたってよろしくないかも?

更にアメリカ嫌いを自認している私にとって、フェイクのギャンブル都市ラスベガスとあって気分はまったく乗って来ない。

が、それでも行かねばならず、旅立つ前に歯茎痛から解放され、出張可能となりとりあえずほっとする。

贅沢を言っていたらきりがないが、今一番望むことは時間が欲しい。

驚くほどのスピードでバタバタと時間が過ぎて行くが、旅仕度も何とか終わらせ車で成田に向かう。

夕方便のロサンぜルス経由ラスベガス行き、搭乗後の機内で体力的に余力があり、お好みの美貌のクルーのひとに出会いテンションが高ければ、再会をお約束します。

cheers




目覚めた翌朝、気温は低いが冬の陽射しが眩しいくらいで気分は悪くない。

夜の19時40分発のANAフライトの為、時間は十分にある。

されど、最近の海外滞在は展示会期中は出展ブースに居続け、来場者の様子を伺いながら合間合間で自社の買い付けに勤しむ、まるでマシンガンのごとく大会場を動き廻る。

自分のバイイングスタイルが良いのか悪いのかは別として、限られた時間ですべてひとりでこなすには、情報&データを無視した25年間継続しているマイスタイルがベストだと自負している。

一般的に売れるといわれるものを探し求めるバイイングスタイルだと、個性を失ってしまう。

ある意味、ずっと伝統を重んじる英国人気質の影響を受けながら、長年個性重視の直球のみで勝負して来たが、最近はわずかながらキレの良い?変化球も取り入れ、その心境の変化に自分でも驚いてはいるが、齢を重ね自分なりの進化だと認識している。

ホテルと展示会場の往復、夜はお酒と食事も含めた海外交流で時間的にはもちろん、体力的にもほぼ限界となり、日本人バイヤーの皆さまの展示会回り後の通常コースといわれるショッピングや街のリサーチなどとはご縁がなくなっていた。

世界中?からのバイヤーがそこのセレクトを重要視し、多くのひとが関心を持つといわれるパリの人気店Cというショップにもご縁がないというか、セレクト内容に関心がないから困ったもんである。

色々とご説明を申し上げたが、今回は朝食後、まずは帰国仕度を終わらせ、午後からバスに乗って久々にボン・マルシェまで出掛けてみる。

ファッションのフロアは冬もののセール商品と立ち上がりの春もののニューシーズンが入り交じった中途半端な情況で、興味をひかれず軽く流して別館のフードコーナーに立ち寄り、オリーブオイルと塩を買っただけでホテルに戻ってしまう。

16時に入れていたタクシーの予約までロビーのソファーに座り暇をもてあそぶが、20分も早くピックアップに来る。

ホテルで時間をつぶそうが、空港のラウンジで時間をつぶそうが同じ事なので、そのままタクシーに乗り、珍しく搭乗時刻の3時間半も前に空港に到着する。

すでにANAチェックインカウンター前には行列が出来ていて驚くが、私もそのまま直行してチェックインする。

対応した黒人女性スタッフから手渡された搭乗券はアップグレードされたビジネスクラスで、あなた嬉しい?と優しく声を掛けられ、微笑んでアイコンタクトで彼女に気持ちを伝え、ラウンジへ向かう。

空港のラウンジで待つ事も仕事の一部となってはいるが、それでもブラジル往復時に比べれば、有り難いほど短く感じる。

搭乗した機内はどのクラスもすべて満席らしく、最近の世界の航空会社事情を考えてもANAの人気は高まっているようで、ロンドン路線フライト開始時からANAを愛し続けて良かったと、ひとりいただいたシャンパンで祝杯をあげる。

今回の2週間ほどの仕事の成果を振り返れば、自己採点なりに及第点は得られたのではないかと、お代わりした2杯目のシャンパンで自分にご褒美をあげる。

短い時間の交流ではあったが、貴重な時間を共有した海外の皆さんに感謝して、次回の再会も愉しみに赤ワインを3杯目としていただき、瞼が重たくなり始めた事が合図となり、そろそろ成田到着まで静かに眠りにつきます。

cheers