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Ready Steady Go!

Season Concept
   ~ London Eye ~

東京を発ってからこのまま行くと3週間まったく休みなしのハードスケジュールで、今回はロンドン、ベルリン、パリと極寒の中を旅して来たわけですが、私にとっての至福の時間とは、おそらくこういったことを言うのだろう。

海外でのこれまでの経験から培った数多くの交遊関係は、当然日本のガイドブックなどには紹介されていない普通では困難な現地のローカルな場所への立ち入りも現実化し、海外に居る事を実感させてくれる。

その場所には日本では決して得られない独特の空気感が存在していて、感性に刺激を与え、そして感性を磨く事を可能にしてくれる。

どのように行動するかは人の勝手ではあるが、折角のチャンスはやはり有効に吸収したい。

日本に居る環境をそのまま海外に持って来て、複数で行動している人たちも多く見かけるが、それではいつまで経っても島国日本人であり続ける。

極力日本人とは接触しない環境を意識してはいるが、最近はそれも難しくなって来てはいる。

余談が長くなってしまったが、TOYOでのご馳走の後、表に出ると一段と冷え込んで、からだが一瞬縮こまる。

タクシーに乗り込み、向かった場所はゲイの宝庫?、マレにあるレストラン&バー Le Connétable はウィークデーだというのにローカルなフランス人の活気が店内に充満している。

1階のバーでまずは4人で再度レッドワインで乾杯。

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2階のレストランはほぼ時間的に終了、わずかに残っている一組のグールプだけだったので、サラがピアノで2曲自分の為に弾いてくれる。

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階段で静かにしていたブラックテリア?の写真も彼、彼女の許可なく勝手に撮らせてもらう。

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24時半を回り、地下鉄の終電に乗り遅れそうで急ぐが、結局乗り遅れてしまい、冷え込んだ中、通りでタクシーを拾おうとするがなかなか来ない。

誰にでも存在するラッキー&アンラッキー、ホテルの部屋まで今晩の余韻をお持ち帰りして、パリ最後の夜も終わりを迎える。

目が覚めた翌朝は苦手な帰国準備が待っている。

寒さが結構堪えたヨーロッパ滞在ではあったが、またひとつ記憶に残る貴重な体験と交遊が気持ちを後押ししてくれる。

cheers


パリ滞在の話題も尽きることはないが、今回のマイベスト話題は展示会も終わった帰国前日のパリ最後の一夜。

ブラジル人シューデザイナー仲良しサラと、今回ブースでサラのアシストをしていたパリ在住のブラジル人オズワルドと、香港に住むフランス人ミッチェルの4人で12月にオープンしたばかりのKENZOが経営する日本食レストランTOYOに出掛ける。

オズワルドが予約してくれたがかなりの人気レストランらしく、なかなか予約が取れないらしい。

展示会終了後、大急ぎでホテルに戻りクイックシャワーでさっぱりした後、地下鉄に乗って20時の予約時間ほぼ定刻にレストランに到着するが、店内にお客さんは誰もいない。

待っている間に少しずつ来客はあるが全員フランス人で、最終的にはカウンター席も含めて満席となり、平日だというのに大人気である事がこれで納得出来る。

待つ事30分、オズワルドからお店に電話が入り、渋滞に巻き込まれ後10分ほど遅れるとの事で、結局約束時間から45分後に彼らはやって来た。

オズワルド以外は初めてということもあり、恥ずかしながらまずは写真を撮りまくるオノボリサンになりきる。


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パリには日本食レストランとうたってはいるが、内情はアジア人が経営しているウインドゥに寿司&焼き鳥のメニュー写真が貼られた店内に日本人客は居ない、外国人で満席のレストランが数多くある。

されどここTOYOは私を除けば外国人だけだけれども、ありがちなレストランとは違ってお客さんの層も高く、KENZO直筆の油絵が2枚が飾られた品のあるシャレたお店である。


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バケットとオリーブオイル、バター、コースメニューはフレンチスタイルの和食といった感じで、2001年産の赤ワインNUITS-ST.-GEORGES/ ニュイ・サン・ジョルジュで雰囲気はまさにボンジュール、、、、、、、  

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メニューも日本語のものはなく、すべてフレンチで何を書いているのでさっぱりわかりません。


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コースメニューの前菜は、レンコンのフリッタと貝柱のマリネ?であったような気がするが、自信がない。


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二品目はまったく記憶に残っていないほど、美味しかった?と、言い訳せざるを得ない。


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三品目は、おそらくサバを焼いたにぎり寿司?と、これも記憶が怪しいくて自信がない。


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デザートは???????????


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メモを取っていたわけではなく、すでに3週間が経った今となっては、味の余韻もかすかに申し訳ない程度に残っている感じ。

されど2時間、味と雰囲気に十分酔いしれた愉しいひと時だった。

さて、この後は2次会へとタクシーを拾い、ゲイの街マレをめざす。

Cheers




今回の巴里滞在、日々の出来事を事細かくお伝えして行くといつまで経っても帰国の途にたどり着けなくなりそうなので早送りして、自らが選んだ気になった話題を書き綴る事に決定して、まずは滞在ホテルに付いて報告すると次のように、、、、、

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何ともエロティックな部屋で、この部屋だけはどうしても特別仕様 ( 利用 ) ような気がする。

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Offer a "love chamber" Write the screenplay for an unforgettable evening :Champagne,perfumed candles,rose petals and bubble bath.

上の部屋の真っ赤なハートのクッション写真と文章から察するに、もしかしてここは日本で言うラブホテルかと錯覚してしまう。


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こんな写真がホテルのサイトにあれば、錯覚しない方がおかしいくらい。

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でも私の部屋はご安心あれ、壁にブラックマダムがペイントされたごくごく普通の部屋でした。

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地下鉄の広告ポスターは美女の口から愛らしく出したユニオンジャックの舌、揺れている車内では残念ながらピンぼけでした。


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仲良しのブラジル人シューズデザイナーSarah Chofakian/ サラ・ショファキャンのAW10ニューコレクションの中で随分と輝いていたモデル。

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1足でもいいからオーダーしなさいと勧められるが、値段を聞いて思わずためらってしまった。


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彼女が何者かは知らないが、突然melissaブースに現れた。


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なぜこんな格好をしているのかも不思議だが、愛想良く色んなポーズをご披露してくれるサービス精神旺盛なフランス人の彼女に拍手。

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日本の展示会場という場所ではあり得なさそうな最後のポーズを決めてもらって、本日の話題の幕を閉じます。


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cheers





ベルリンの3泊中に行われたmelissaの食事会は、今回、彼らが宿泊している M ホテルのレストランとなる。

おそらくこの寒さ、真夏のブラジルからやって来た彼らには強烈すぎて、外出したくなかったのだろうと推測する。


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ブラジルチーム7名、スペインチーム4名、イタリアチーム4名、アメリカチーム2名に私を入れて総勢18名で2テーブルに別れて、約3時間ほどを赤ワインとステーキで楽しむ。


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美味しかったメニューの中で、せめて最後のデザートくらいはお伝えしようと、、、、、


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寒さに凍えた3日間も気がつけば最終日、18時の終了時間より3時間ほど早く会場を後にして、明日から始まるパリでの展示会の為に空港へ向かう。

18時半発のフライトでパリのオルリー空港行き、機内はBread & Butterで見かけたファッション関係者の顔もちらほら。

パリ到着時間が20時20分と遅いことから、シャルルドゴール空港より市内に近いオルリー空港に到着するフライトを選択し、ホテルも初めて14区というローカル色が強いエリアで、日本人を見かけることはほとんどなさそう。

オルリー空港到着後、預けていたスーツケースを受け取りホッとしたのもつかの間、寒空の下、タクシー乗り場は行列が出来ていて、結局ホテルにチェックイン出来たのは22時過ぎとなり、1週間が経ち疲れもピークだが、近所のローカルなレストランでクスクスを頼み、簡単に晩ご飯を済ます。

パリも気温0度前後と確かに寒いが、ベルリンに比べれば、まだ暖かく感じてしまうから不思議である。

本来東京では週1回の休みらしきものを日曜日に取っているが、今回はこのままヨーロッパ滞在中の2回の日曜日も仕事となり、帰国日まで1日も休みがない強行日程で、分かっちゃいるがいつもの癖でひとり愚痴が思わず口から出てしまう。

ベルリンに比べ日本人バイヤーが比べものにならないほどパリにはやって来る。

忙しくなりそうな予感がするが、更に気持ちを入れ直す必要がありそうだ。

ホテルのスタッフは全員親切で感じはいい。

時計の針はすでに日付が変わった深夜1時、今回の5泊6日、いい巴里滞在となりますように。

cheers



翌朝、目覚めて部屋の窓から見た雪積もるグレーな眺めは、どうしようもなくテンションを下げる。

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もともとはベルリンから始まったこの展示会もバルセロナに移り、昨年からまたベルリンに戻って来てしまったが、誰もが口にする1年前までのバルセロナの方が良かったと、、、、、

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熱めのお風呂にさっと浸かった後1階に降りて行き、ビュフェ朝食をいただく。

時々通りを歩くひとの吐く息の白さと寒そうにしている姿に、このまま部屋に引きこもりたくもなるが、そうも言ってられず気合いを入れて会場に向かう。

ほんのわずか数分歩くだけで、凍えそうになるほどの外気温に参ってしまう。

館内に入り長蛇の列に加わり、出展者エントランスバッジを受け取り、大会場の中のmelissaのブースに向かう。


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今年の展示会初デビューとなるが、まずは全員に遅ればせながらハグで新年の挨拶から始まる。

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昨夏は屋外の滑走路だったところを利用してカートで移動サービスがあったが、今回はこの極寒、当然このサービスはなく、広い会場内を嫌というほど歩かなくてはならない。

既存のブランド発注もしなくてはならないが、新規ブランド開拓も必要、melissaスタンドにも極力居なくてはならず、タイミングを見計らいながら、まるでこまネズミのようにあっちへとこっちへと動き回る。

ニューシーズンの立ち上がりが大事で、早めに良いものに出逢えれば、気分的には随分と楽になるが、後半まで見つける事が出来なければ自ずとテンションは下がり、道中、孤独と焦りとのお付き合いが待っている。

あくまでも売れるものより売りたいものへの信念を貫くバイイングにこだわれば、過酷な情況が待ち受けているのもナルシスト精神で乗り切れる。

展示会場でプレスの人から写真を撮らせて欲しいとの依頼は、己のファッションへのこだわりの正当性を少なからず後押ししてくれる。

聞かれる私のコーディネイトアイテムのブランドを彼らが認知してなければ、それは更に気持ちいい。

当然誰でもが知っているようなブランドを着るオシャレではなく、知らないブランド ( ヨーロッパの我々の世界ではオシャレである )だけれども、会場に3日間押し寄せる来場者と出展者も含めた数万人の中から、日本人として選ばれることにはわずかながら快感もある。

限られたスーツケースのスペースの中に、冬服は2週間で4コーディネートくらいが限界ではあるが、ひとには真似出来ない着こなし意識は毎回高い。

これまでに訪れた各国の展示会場で数知れず写真を撮られたり、インタビューを受けたり、着ているもの、履いているものがどのブランドなのかをプレスだけに限らず、出展者、バイヤーなどから聞かれて来た。

今回もBREAD & BUTTERとPREMIUMの2会場でプレスのひとから声を掛けられ写真を撮られれば、当然のごとく、信念を貫くこだわりへの過信が自信へと変化していく。

ヨーロッパでは評価されても、なぜかしら我が日本では花咲くところまで評価されないジレンマが歯がゆくて仕方ない今日この頃。

この道のりを随分と長く歩いて来たが、険しくとも人と同じを嫌う性分ゆえにこれからも永遠であろう。

恥ずかしながら、極寒のベルリンでちょっぴり自分に都合がいい自慢話で、こころ温もりました。

cheers



極寒のベルリンに到着後、待ち受けていたこととは、、、、、、

タクシーから降り、予約していたホテルのフロントで名前を告げると、一瞬対応した女性の目線がデスクのノートに落とされ、表情固く奥にいるマネージャーらしき男性の所に行き、何か話し始める。

そして、その男性が恐縮した表情で私に告げた言葉は、『 申し訳ありませんが、我々のミスによるオーバーブッキングにため、今晩あなたの部屋が用意出来ない。』と、、、、、、、、、

えっ、冗談でしょ、と思わず口にしてしまうほど驚き、夕方6時半になり気温も一段と下がはじめマイナス8度くらいのこの極寒のベルリンの街でまさか野宿はないでしょうが、別のホテルを用意したのでそちらに行って欲しいとの説明を受ける。

この情況に疲労度は更に増し、本当ならチェックイン後、温かいお風呂に浸かり、冷えきった身体を温めて、ドイツ生ビールで乾いたのどを潤そうと思っていた思惑は見事なまでに空振りしてしまう。

12月の予約の時点でベルリンのこの寒さを想定していたから、地下鉄の駅の真ん前のこのホテルを選択したわけだが、男性が告げた別のホテルはタクシーでここから5分ほどと言う。

地下鉄のラインも変わってしまい、明日からの展示会へのアクセスも不便だし、駅まで5分ほど歩かなくてはならず、この極寒のベルリンで5分の徒歩は耳が凍傷に会うほど寒いはずで、お得意の泣き落とし作戦で、3日間ホテルから展示会場までの片道タクシークーポンをせしめることに成功する。

いつまでも文句を言っても仕方がないので、タクシーを呼んでもらい、別のホテルに移動して、チェックインを告げる。

対応した女性が一瞬私の名前がないと言われ焦るが、隣りの男性が事情を理解していて、気を使ってくれた親切な対応でルーム704のカードキーをもらい、何とか事なきを得る。

旅のお供のアクシデントもこれまでに色々と経験して来たが、ロンドンのホテルといい、ベルリンのホテルといい、今回どうも運が宜しくなさそうな気もするが、部屋も綺麗で大きなバスタブ &キッチン付きと、最初に予約していた部屋がどうだったかは分からないが、もしかすると災い転じて福となしたのかも知れません。

ロンドンのホテルも最初の部屋が掃除がされてなくて、アップグレードしてもらえたし、考えようでは今年は運が良いのかもしれないと、調子良く現金な性格が顔をのぞかせる。

斜向かいにあるスーパーに食材の買い出しに出掛け、ピスタチオ、生ハム、チーズ、イチゴ、赤ワイン、そして近所のタイレストランで焼きそばをテイクアウェイして、雪積もる夜景を肴に初日の夜を満喫する。

ベルリンといえば、今年壁が崩壊して20周年のメモリアルイヤー。

南麻布の有栖川公園の向かいにあるドイツ大使館の壁に、崩壊の歴史の写真が展示されていた事を思い出す。

暖房が効いた部屋での冬のアルコールは、睡魔を呼び込む。

そろそろ明日の展示会のこともあり、この辺で大騒ぎしたベルリンの夜からお別れです。


cheers





ランチの後、2件目のアポイントのショールームに向かうが、英国の冬の日没は早く、暗くなった道を車を走らせる。

当然初めての場所なので地理は不慣れだし、到着が送れてしまう。

4時半頃にやっと到着、1時間ほどの商談となるが、1分のロスも嫌うほほど退社時間には正確なイギリス人、途中5時になり社員は帰宅し始める。

商談後高速を飛ばしてホテルに着いたのが9時、夜のロンドンはやはり寒く、ロンドン特有の冬の暗さが余計にわびしさを誘い、疲労感がどっと襲って来る。

スーパーで食材を買って、今晩は簡単に済ませる。

明日は午後2時半のフライトでベルリンに向かうが、午前中に昨年7月に会ったローリングストーンズ、ビートルズ、ツイッギーなど数々の英国の60`s を撮って来た写真家 Philip Townsend / フィリップ・タウンゼンドのスタジオを訪れるため、翌朝チェックアウトは10時となり、慌ただしく再びスーツケースに物を詰める。

チェックイン時にも驚かせられたが、チェックアウトの支払い時にクレジットカードの機械が作動しないとのことで呆れてしまうが、先進国の大都市なのにどうしてこの国のサービスはこれほどまでに最悪なのか、いくら伝統を重んじる国とはいえ、いつまでも改善されないのが不思議である。

サービスに対しても退社時間と同じくらい正確さを重んじればとも思うが、この国と接して今年で30周年?、無理なことは考えるだけ無駄なような気がしてしまう。

なぜならば、これまでにプライド高き優秀な?イギリス人から我が大英帝国のサービスが納得出来ないなら来るなと、言われ続けている歴史が存在する。

フィリップのスタジオを訪れ、その後近所のカフェで30分ほど雑談で時間を過ごし、ヒースロー空港に向かう。

今回はもう少しロンドン滞在が必要だった気もするが、翌日からのベルリンでの展示会を考えれば、やむを得ない。

チェックイン後搭乗券をもらい、ひとりでラウンジで過ごす時間も貴重でメールのやり取りに追われる。

海外滞在中に読みたくない有り難くない内容のメールは気分的には避けたいが、得てして日本に不在の時の方が増えるから困ったもんである。

1時間半ほどでベルリンに到着、アナウンスによると気温はマイナス6度、タクシーに乗りホテルに向かうが、先週までのドイツを襲った大寒波で街には雪が残り、歩道はアイスバーン状態、数分歩けば耳がちぎれそうになるくらい痛くなる寒さである。

毎回のことだが、海外滞在中は限られた時間の中で忙しなく動き回るため、ほとんど休みなく働き詰めとなることが多い。

時差ボケもあり、眠れぬままの強行スケジュールも数知れず、当然体調管理には気を使うが、今回のスケジュールもかなりハードで、所詮ひとりでは人数的な限界はあるが、そこは長年培った経験と自画自賛の感性とで、手際いい要領の良さが必至となる。

予約していたベルリンのホテルに到着すると、再び私にアクシデントが待ち受けていたのである。

本日はこれ以上書き綴る気がなくなるほどテンションは下がり泣きたくなるほど、この続きはまた明日。


cheers



つかの間の息抜きに、2005年にオープンした英国マーロウのミシュランレストラン『 The Hand and Flowers 』でランチタイムとしゃれ込むことに決定。


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田舎のこじんまりとしたレストランだが人気があり、ランチタイムは10ポンド ( セットメニューのみ)からと値段もリーズナブル。


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しかしながら予約なしでテーブルが空いているかは運次第で、直接店に駆け込み、ふたりだと告げると、何と最後のテーブルが空いていた。


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テーブルに着き、まずはメニューに目を通し、日頃の卑しさからかどれを選ぶか迷ってしまう。


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ランチなのでノンアルコール・お水でもよかったのだが、折角だからとウエイターのお薦めのシャンパンにスコッチ、ジンジャー ( あとは何が入っているかの説明を受けたが忘れてしまった ) などがミックスされたオリジナルカクテル (10ポンド )で虚勢を張り、おとなを演出する?????


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スターターは、Parsnip Soup with Honey Roast Ham and Curry Oil / ほんのりとカレーオイルの香りがするスープをオーダー。


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そしてメインコースには、Confir Cod with Braised Puy Lentils and Capers /白身魚タラのローストをオーダー。


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そしてそして、最後のデザートにレモンタルトを頼み、カフェ・オレで締めとなる。


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結局ナンダカンダでチップも入れると、おひとりさま28ポンドと贅沢なミシュランひとつ星のテイストと雰囲気を愉しみ、店を後にする。

これから更に車で2時間以上の移動となる。

cheers





定刻より20分ほど早くロンドン・ヒースロー空港に到着。

心配していた寒さは思っていたほどでもなく、1週間前だと積雪も有り大変だったが、2010年の初海外出張、幸運なスタートとなりそうな予感している。

今回初めて予約したアパートメントに到着して、部屋のキーをもらいドアを開けると、そこは前泊者が散らかしたままの状態で、床に飲み干したオレンジジュースの空箱が2個、ベッドは荒れ放題と、週末で予約が少ないということで部屋のアップグレードをしてくれた所までは良かったが、一気に気分が急降下してしまう。

再度レセプションに降りて行き、事情を伝えて部屋の変更をしてもらい事なきを得る。が、これまでの長年の海外滞在の歴史の中でも、見事にワースト10にはランキングしそうで、日本だととんでもない話だが、ここは異国のロンドン、随分と呆れはしたがスタッフが下手に対応するので、何とか我慢の限界範囲内に収めることにした。

翌朝から展示会が待ち受けているので、今晩は部屋で静かに過ごすことにする。

日曜日はほぼ展示会場を歩き回り、仕事で1日が終わり、時差ボケ気味で疲れもあることから、晩ご飯の後は2日目の夜も静かに過ごす。

月曜日は朝から列車に乗って出掛けるはずだったが、乗り換えの時間調整がうまく出来ず、冬の寒さの中での長い待ち時間1時間以上は身体に堪えることから車で行く事に変更する。

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9時に出発して最初のアポイント商談を約1時間半ほど行い、その後ランチタイムで英国らしい美しい田舎町の Marlow /マーロウに立ち寄る。

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久しぶりの英国の田園風景は、先日テレビの世界の車窓からで観たまさにそのもので、東京でせかせかとストイレスまみれ?な生活していることを一瞬忘れさせてくれる。

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もしかすると、これまでに意識してロンドン市内でのテムズ河以外見たことがなかったかもしれないが、田舎に流れる狭いテムズ河に架かるマーロウ橋も、静粛な空気感が漂っている。

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いよいよマーロウの中心街?へ入って行きます。

明日は、この後の立ち寄ったレストランでのランチタイムのひと時をお届けします。

cheers




国際線のフライトにこれだけ搭乗し続けると、さすがにひとり旅のお疲れ状態&退屈感いっぱいの機内でのひと時の過ごし方にも限界はある。

暇つぶしに合わせたスカイチャンネルは、タイトル MICHAEL JACSON : Unmasked

キング・オブ・ポップの真実とは、、、、、

昨年6月に急逝したマイケルジャクソンの半生をたどる音楽ドキュメンタリー番組。

幼くしてスターになり、そしてキング・オブ・ポップとして世界的な名声を得た後、スキャンダラスに巻き込まれていく姿が描かれていた。

常にヒット作を世に送り出す、素晴らしい音楽の才能を持ちながら、私生活ではの奇行がクローズアップされていった。

彼の本当の姿とは?

ひとことで言うと波瀾万丈な50年間だったのではと、伝説と事実の区別がつかないほど世界一の有名な黒人スターの真実を探り、名声を極めたその一生を振り返る。

NYのアポロ劇場のタレントコンテストでみごとに優勝。

若干9歳でジャクソン5でデビュー、10歳でメインヴォーカル、初シングル『 帰って欲しいの』のリリースは、200万枚売上げ米国1位にランクインした。

その後、4回連続 ( 帰って欲しいの、ABC, 小さな経験、I`will be there ) で全米1位を獲得。

71年、映画ウィラード公開

黒人として、世界一のエンターテイナー

84年ペプシのCMに出演、その時の撮影現場で火災が発生して、マイケルは重度の火傷を負う。

88年まで活動を休止して、カリホルニア州サンタ・バーバラの豪邸を建設して、ピータパンから名付けられたネバーランドと名付ける。

54人の常勤スタッフが管理していて、動物園もあり、チンパンジーのバブルズがお気に入り、そして病気の子供をここに招待もしていた。

88年英国のチゃールズ皇太子夫妻がバッドツアー観賞して、ふたりのプリンスにプレゼントも、恵まれない子供を救うためのプリンストラストに、300万ポンドを寄付していた。

このような慈善活動にも積極的に取り組み、世界規模で活動していた。

89年アルバムBADを出した頃からマイケルの容姿が激変はじめる。

95年マルセルマルソーに対面

エリザベステイラーもかつて処方箋薬依存症であって、マイケルも現在そうだと告白。

80年のマイケルは絶頂期で、セクシーな衣装とアトラクションはトレードマークに

だが2000年以降は、声援はあざけりに変わった。

マスコミと裁判に明け暮れる。1年間で50件もの訴訟。名声とともの数々のゴシップも世間に広がる。

エレファントマンの遺骨を莫大な金額で購入した。

高い声を維持する為のホルモン剤使用など、突飛な

若さを保つ為に高圧室で就寝とも、、

肌を脱色しているとの報道の時には、人種否定と受け止めるひともいた。

マイケルはのちに、皮膚疾患城白班( 色素が抜けて行き、広がる皮膚病 )と告白 

95年の慈善活動のタイトルにもなった

93年のこどもとの異常な接触疑惑が浮上。

彼の幼児虐待説に世界中が固唾をのんだ

2000万ドルを払い示談成立したが、その後も次々と訴えられ、大打撃を受ける。

プレスリーの娘、リサマリープレスリーと結婚

2002年ベルリンのホテルで、子供を窓からファンに見せたが、大騒動となった。

プライバシーを求めるゆえにスキャンダルな話題が常につきまとう。

チンパンジーが添い寝と言われたり、姉のラトーヤが音楽活動を始めた時には、同人物との指摘もされた。

反ユダヤ的な歌を書いたとスピルバーブ監督から非難されて、人種偏見の否定と公的な謝罪を強いられた。

メディアはスパースターゆえに彼を追い続け、事実確認が取れなくてもゴシップ記事として活字になり、あることないこと交錯したニュースとして世界中に流された。

これが彼のこれまでのギネス登録されているワールドレコード。

最高契約金額(ソニーとの契約金8億9000万ドル)

最も成功した兄弟

CM出演料史上最高額(1986年のペプシとの契約金700万ポンド 日本円で13億円)

男性ソリストによる英国最高売上アルバム(「BAD」の3900万枚)

全米シングルチャート1位を獲得した最年少歌手(1970年に11歳5ヶ月 「I want you back」)

最も成功したコンサート(1988年のロンドン公演でのチケット7日間分完売)

最長ビデオ(「Ghosts」長さ35分)

人気歌手による販促キャンペーン費用、最高額(合計4000万ドル)

NO.1ヒット曲の数々を一番長く持ち続けたアーティスト

全米アルバムチャートでの最長期間首位(「スリラー」の37週 サントラを除く)

全米シングルチャート初登場第1位を獲得した史上初のアーティスト

史上最も成功した音楽ビデオ(100万枚以上)

イギリスで一年に最多ヒットシングルを記録(19のシングルがTOP40に)

ポップミュージックで最も成功した家族(家族で全米シングルチャート1位を取った曲数が合計で26曲)
人類史上最も成功したエンターテイナー。

史上最も売れたアルバム(「スリラー」全世界で1億400万枚)

個人アーティストでのグラミー賞最多受賞(1984年のグラミー賞において8部門受賞)

史上最高額の所得を得たエンターテイナー(1989年に1億2500万ドル 当時の日本円で約175億円)

不運にも50歳で人生の幕を閉じたが、人類史上最も成功したエンターテイナーであったことは、まぎれもない事実だということを、我々は知っている。

2009年の『THIS IS IT』、没後発表された遺作シングルとリハーサル映像中心のドキュメンタリー『 マイケル・ジャクソン THIS IS IT 』が、何よりの証拠である。


合掌