愛と平和の弾薬庫 -75ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

これは俺のピンチなんかじゃない!カノジョのピンチなのだ!大ピンチだ!助けに行くんだ!ジャブジャブゴーゴー!
でも疲れる。俺の心の筋肉はすぐに疲れる。まるで糸くずだ。車道で硬くなった猫のシッポをつかんだら、とっくに硬くなっていた。見たくなかったが、やっぱり見ちゃった。右目、飛び出してた。右顔面激突、即死、てなところだ。公園の草むら、土の上へ。成仏せい!
やさしさなんて屁のつっぱりにもなりゃあしない。強い、スーパーハードマッスルのハートが欲しい。でも欲しがってる暇はない。今この手にあるもので戦うしかない。ズボンをはき忘れた探偵、工藤チャン? 俺はチンポコもろ出しのおバカマン? NO! おメド丸出しのニャンタロマンだ!ビニール合羽装着してヘンシンだ!

Fは笑うだろう。Kは呆れるだろう。ほんとくだらないことしか言えない人だとFは言い、「なにそんなに怖がってんの?」とKは言った。ところがところが、んなこと言われたってぜ~んぜん平気、気になんないのがニャンタロマンなのだ!そんなことより、ジャブジャブゴーゴー!
一年で一番楽しい日であるはずの今日、俺は一人で出かけざるを得なかったんだね。神様は俺がどれだけ打ちひしがれてるか、知らないんだろうね。いいなあ、神様は。正しいからなあ。
どうせ、狭い心寄せ合って生きてるオレらなんて、正しくないさ。
雲の上ってな、爆弾も落ちない、地雷も踏まない、ナイフを持った奴も昇ってこれない場所から、神様が電話をかけてきた。そして正しいことを言い、しかし気が付くと、俺の暮しはぶっ壊されていた。

 よーこそ!ここはいわゆるひとつの「足あと帳」です!

       何でもかんでもメッセージを!

   山からはサンダ、海からは……

      山からはサンダ!海からは……!

HPをやりだした頃から時代小説のほかはもっぱらシーナさんの本ばかりだった。和むのだ。しかし本が切れて買ってきたのは車谷長吉と町田康。おりしもオリンピックも終わり世の中はプロ野球の殺伐、史上最多上陸の台風たち、子殺し、母子家庭の悲惨、タクシー強盗殺人。書き文がささくれ立つことおびただしく、おまけに調子がよいばかりでわけがわからん、自分でも。しかし、「丸望希と栄繁」は反則だよなあ。「ちゃんちゃら&いとおかし」はヤラレタって感じ?「僕も俺も」はすごいなあ。(「」内、町田康『きれぎれ』より)俺の僕の調子どうしてけつかるねん。さて『インドでわしも考えた』でも読もう。
 30年以上も前のメロディー、イーグルスの「Desperado」なんぞうっとり聞いている男なのだ基本的に耳によく馴染んだ音曲にもっとも感動する男なのである。同じ曲を何年も歌い続けるカラオケオヤジとなんら変わらない。なんてこたあない、懐古的保守派だ。自分のほうがなんぼか若々しさを保っているなどと思い込んでいる分、たちがわるい。今日なんぞは「Pretenders Ⅱ」なんてえのを中古CD店で見つけ、伴侶のおかげで成り立っている経済から1260円ちょろまかした。ドロボーである。そして購買の事実は、「ずっと前からあったCDだ」なぞと言い完全に隠蔽する心算なのである。そんなことを買った瞬間から思い巡らせているのだ。
しかしそれでも自分のことを余程まっとうな人間だと信じているんだろう、
 インターネットで自らのホームページなんつうものを開いている。実は誰彼にかまって欲しいだけなのだ。その証拠に「BBS」とか言うページをホームページに組み込んでいる。あげく、開いた当初など、昔なじみの遠方の知人に、「ウチが閑古鳥で…」などと泣き言を聞かせたりしたのだ。
 「気長にやるものです」と、たしなめられた。
 七つ年下の人間に、である。さすがに頬が火照った。しかし火照りも冷めやらぬうちに再発したものだ、「つまんねえなあ」なのである。甘ったれである。そんな本性がばれるのが恐ろしいくせに、こんなことを書き連ねたりもする。自分の本性がばれるのが一番怖いくせに、なぜか自分からばらすのだ。わけがわからん。キチガイである。分裂症だ。
 でも自分はまっとうだと信じて疑わないのである。自信満々なのである。すごい。俺って、スゴイ。
昨日、温水プールのロッカーで指を挟んで親指のつめの付け根に黒血がよった。伴侶に見せたら「血を抜く」という。注射針のようなもので爪に穴をあけられた。やがて血がちょぼッと出てきた。したら、夕べジンジンいっていた親指が、今朝はおとなしくなっている。このご恩を、俺はどうやって返したらいいんだろうか。う~む。タロの可愛さが俺にもあったなら、それだけで許されるのだが。
ちなみに昔はこれを、伸ばして熱消毒したゼムクリップをズブズブ刺してやったのだという。
「したら、どんくらい刺さってるか、加減もへったくれもねえべさ」と、俺。
「まあ、痛かったろうね」平然として言う伴侶であった。
朝、目がさめてトイレに行こうとしたら視界がおかしい。かみさんに目を見てもらったら、左目はなんともないが、右目が上下と右にしか動いていないという。左のほうを見ようとすると、だから、視界が「割れる」。
「9月20日で定年なんだよ」とそのおっさんは言った。「直らねえってこともあるだろうから、そうなっちまった時の(定年後の)楽しみも考えとかないとな」
これまでも結構大変な人生を歩んできたんだろうな、と思った。でなけりゃそんなことになってるのにこんなことは言えない。
原因は神経か、目の筋肉の磨耗か、それとも、脳から来てるのか。
「今度乗った時までにわかったら、教えっからっしゃ」
そう、軽い調子でおんつぁんは言った。が、再び俺の車に出くわすなんてまずありえない。
こういう人に俺もなりたい、とは思ったがこんな突然の病気に、俺ならやはり耐えられない。案外、そんな「耐えられない気分」を薄めるために、ウンちゃんにぶっちゃけて見せたのかもしれない。そうかもしれない。
明るさは光だ。仲良くしようとする心がけは宝だ。
中盤ごろからはもう、どっちが勝ってもいい!と思い始めた。それぐらい、いくら打たれても歯を食いしばって次のアウトを取りに行く両校の投手、まったくあきらめというものを知らない打撃陣、懸命な両校の監督の表情、等々、試合自体が素晴らしかった。これまで見たどんな野球よりも感動的だった。おめでとう、駒大苫小牧!胸を張れ、済美!
風が強い。洗濯物が外に干せないぐらい強い。でも俺はウォーキングとやらに出るのだろう。なぜなら歩かなきゃならないからだ。なぜ歩かなけりゃならないかと言うと「健康のため」というよりはそれが義務になっているからだ。義務が少ない俺の数少ない義務だからだ。しかし義務を果たせない時もある。今日はそういう日なんだろうか。いや、東北高校だってあんな雨の日に試合をやっていたのだ。あんな雨の日に試合やったのに負けたからぼろくそ言われるのだ。で、あいつらに比べて駒大苫小牧はスゴイ!とか脇で言われるのだ。たしかに駒大苫小牧はスゴイ。頑張ってる。しかし東北高校だってあの雨が降らなけりゃ勝てたかも知れないのだ。それを親の仇のようにぼろくそに言われる。気の毒だ。でも俺たちは見ていたかったのだからしょうがない。宮城県の代表校がどんどん勝ち進んでいくところが見ていたかったんだからね。それが終わっちまったからぼろくそ言うのだ。見ていたかったものが終わっちまったからぼろくそ言うのだ。楽しみを奪われたからぼろくそ言うのだ。自分の人生が貧弱で楽しくないからぼろくそ言うのだ。ああ、小市民。さて、歩こう。風よ吹け。俺は答えを探しにいく。風にビュービュー吹かれている、きっと俺みたいなボンクラには見つけられない答えを探しに。