愛と平和の弾薬庫 -52ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

 そこらじゅうに空車タクシーが客待ち停車してるっつーに車道に大きく踏み出してわざとらしいぐらいまっすぐ手を伸ばしているおじちゃんともあんちゃんともつかない野郎はすぐ近くまでしか乗らないと決まっているが、どんなんでもいいからとにかく数で稼ぎたいと思っているタクシー乗務員はスススーっと後部ドアが彼の腕に触れるか触れぬかの所にビッタシ止まるのである。

 案の定彼は「ふつう歩くだろう!」場所を口にした。がそれだけではなかった。

 「ラジオは消して」

 しっかりした語尾が命令口調ではあるが、しかしそこに漂うのは単なる気分である。命令というには力が足りないのだ。聞き様によっては独り言ともとれる口調。まるで、真っ白な冷たい粘土をうす~くきっちり平板に延ばしきったような、そんな言葉。殺意を相手に抱かせる声。

 彼が乗ってきた場所は某新聞社の仙台支店前である。支所というのかも知れぬ。とにかく全日本にその名を馳せる新聞社の彼は社員なのである。そのプライドとでもいうの?まったく彼の日常とは無縁の人間にとっては関係のないものを、彼はプンプンと車内に発散していた。そんな彼の「ラジオは消して」。

 偉いんだなあ、と思う。A新聞の社員って。だって、こうやって静かにまるで独り言のように人に指図できちゃうんだから。

 折りも折り、夕方のテレビで(なんと我が車にはナビがついていて好き放題テレビが見られるのである)「殺される親」みたいな特集を見たばかりだった。俺がこいつの息子に生まれていたら、と思考は直進走行していく。間違いなくYacchaうなあ。

 アーメン。

Johnの人生の系譜をたどったあと、歌詞の断片がちりばめられ、静かに曲が流れる真っ白な部屋に辿りついた。

子供時代のノートや何本かのギター――いろいろ見たはずなのに白い部屋に入ったとたんそれまで見たものをほとんど忘れてしまった。

あの部屋にいた時の透明な感覚を思い出すたびに思う。

あれが生きるってことなのかな、と。

少なくともJohn Lennonにとってはそうだったんだと思う。

魂を表出すること。

自分があふれだす、という経験を得たいがために生きてるんだなあ、と自分をふりかえって思う。

だから日々、「ちゃうよなあ」とか思っているのだ。

しかしあの白い部屋は誰のアイディアなんだろう。

やっぱりYoko……?

だろうね。

素晴らしい構成のJohn Lennon Museumだった。

スライダーズの夏となるはずだった季節は断然たるドゥービーブラザースの夏となって、我々の脇をすり抜けていった。

約二ヶ月の夏休みをほとんど家で過ごした伴侶は今日から本格再始動だ。Take care!

 十戒のあの海のように空が裂け、照りつける陽射しが現れ、俺は布団を干した。

 マンションの中庭のタイルに仕切られた窪みに水が注ぎ込まれ、噴水スペースに生まれ変わり、ガキどもがうるさい。あーチキショウ!と俺は思った。うるさい。

 こういう時にはディープ・パープルかエアロスミスでしょ、とCD棚を覗き込むが何気に気分が違う。ルースターズを引っぱり出してかけてみるが、これはさらに違う。

 試しに、スライダーズ……Street Sliders。


 !!!!!!!!!!!


 ちなみにCDは「天使たち」。

 ハリーのハートブレークが突然の陽射しにマッチング。

 ガキどものギャーギャーキーキーも蘭丸のムーンライトギターに覆い隠される。

 今年の夏はスライダーズが流行りそうな、そんな予感。

 もちろん我が家で。

 気がつくとそれはまるで後日談のような文章を書いてしまっていて「〈創作〉おいおいおい」は後が続かなくなってしまった。ということで一応いったん終了ということにさせてもらいます。そのうちネタが現れたらまた同じタイトルで書くかもしれませんが。

 こないだの土日を使って妻のねえさんの新しい家に新築祝いということでお邪魔してきた。むかしむかし粕壁宿という宿場だった所。今は春日部と書き方を変えてはいるのだが、粕壁という地名はしっかり残っていてちょっとコーフン。なぜか歴史的香りが漂ってくるとわけもなくコーフンしてしまうたちなのだ。義姉の家はその粕壁三丁目の隣りのとっても閑静な町。三軒ほど奥に入るとそこには川が流れていたりなんかして趣きも充分。だがしかしその川面が大丈夫かよってぐらい目の前で、大水になったら怖いなあ。

 駅があり、当然線路があり、むかしの粕壁の町並み〈商店街〉があり、そして川。てな立地なもんでそれ以上町がでかくなることがきず、線路の向こう側にオフィス街が広がっている。であるからして川と線路に挟まれた粕壁近辺は自然と静かな町になったのですね。そんな所に住める義姉夫婦あんど27才の息子は、うん、前世でとてもよいことをしたんだろうなあ。

 でもね、別にうらやましくないのさ。いや、嫌みじゃなくてね。そんな町で天井の高い和風混ぜ洋風新居に住める家族はそれはそれは幸福には違いないし、ええなあ、とは確かに思うんだけどね、でも自分がそうなりたいとは思うわない。思わないんだなあ、これが。自分の城願望というのがない。これまでずっと借家〈含むアパート〉をしてきたけれどそれぞれにいい所だったなあ、と思えるし。

 例えば大きな会社に勤めてそうな自分より若そうな(三十代後半ぐらいの)お客を夜乗せて、その方が建てたに相違ない新らし目な家の前で降ろしてもね、ぜんぜんうらやましくない。逆に、大変そうだなあとか思ってしまう。この家がこの人の人生なんだろうなあ、とか思っちまう。その人が住んでる家、というよりも、その家に住んでる人、と思ってしまう。その人が家に入っていく姿を見るとまるで、その家に吸収されていくように見えてしまう。朝家を出る時、チューブから搾り出されるようにその人はブニューって出てくる。心なしか悲しそうな目つきで。

 例えば、ガタピシ言う借家の引き戸をコンチクショウが!とか蹴っ飛ばしながら出てくる、そんで蹴っ飛ばした拍子に家がぶっ壊れて、ああ、しょーがねえな!とか言いつつ、けっ!とか出かけてしまう、そんな人生のほうにあこがれてしまうんだなあ。ダメだなあ。きっとダメなんだろうなあ、こんな俺。

 あ、そう言えばね、春日部の義姉の家のお向かいさんの表札が「野原」だった。春日部の野原さん。ちょっとコーフンした。歴史とはまったく関係ないけどコーフンした。家の人出てこないかなあって。

こないだのNHKのビートルズ特番で「Girl」を歌っていた声が、なんでこんなに?というぐらいブッ潰れていたが、こういうことだったのだ。

http://www.kiyoshiro.co.jp/urgent/index.html

さすがGOD、あくまで前向き、見上げた根性。しっかり元気で戻ってくるだろう!

 「次は隣りで血圧です。そちらにかけてお待ちください」

 そう言って白衣の男が指差した青い布張りの椅子に腰掛け、何気にマークシート方式になっている健康診断の記入用紙を眺めていた。「がん」という欄に「1」と記入してある。家族の病歴を記す欄である。以前の健診で自分が埋めた欄がコンピュータで継続記入されている。

 そう言えばそうだったんだ、と思う。ついこのあいだまで、俺の父親はガンで死んだ人だったんだ。

 思わず苦笑いが漏れた。これももう違うんだ。そっか、俺の身内にはガンで死んだ人間はいない。いなくなった。「1」と、そこだけ濃いインクで記された数字が何やら悲しげに目に映る。そう、これは俺とは関係ない人の数字なんだ。よその数字。

 70を越してもいまだに旅館に雇われて働いている母親。実の父親だと名乗り出たじいさんは79。急に俺の寿命は延びちまったようだ。

 誰もがそうであるように自分の父親だと信じて疑わなかったオヤジ。49で死んだオヤジがのそのそと部屋の隅にでも居場所を変えたような気配を感じる。

 なんだよ。そんな隅っこに……。

 しかしそんな言葉も通じそうにない。俺の苦笑いが真実を映し出している。違う人なんだな。もうすっかり、俺の父親じゃないんだな。

 「次の方、どうぞ」

 白衣の女性が呼んだ。

 「あ、はい……」

 立ち上がった瞬間、1という数字も、すねたようなオヤジの気配もどこかに消え去った。

 ありえなさそでありえないこともあるまいという発端で書き出した「おいおいおい」だれど、頭の中に何か明確な筋立てがあって書き出したものじゃないのでうだうだたらたらご迷惑をおかけいたしておりますが、とにかく続きます。しかしやはりそれは物語というよりは父親って何よ、みたいなもんにしかならんのだろうなあ。どっかで物語らしくなってきたりしたらいいんだけどなあ。

 ところで、みなさんのおとうさんってどんな人なのでありましょうか。好きとか嫌いとか復讐したい家に火つけてやるとかやっぱりなあ崇拝してしまうんだよなあとか。自分にとってどんな存在なのか、コメントしてもらえたら、う~ん、うれしいなあ。

 じゃ今日は、6月のノルマを無理くり達成したきのうの疲れを取ろうとプールに行ったらもうぐったり疲れちゃったのでおやすみなさい。いえいえウソです。ちゃんと掃除して奥さんのお帰りを目をしっかりあけて待ってます。

 「君はおとうさんは死んだと思ってるんだろうけど、実は生きてるんだよ。79歳でまだ元気なんだよ」

 そう言われた時に思い出したのは、自分の父親だと信じていた人の葬儀をしている最中の家屋敷の遠景だった。頭の中にその場面が大きく浮かび上がりぐるぐる回った。

 父親と大人の会話ってやつがしたい、そんな不可能なことを願う気持ちが時々微熱でも発したように浮かび上がることがある。もしかして実現するのだろうか、そんなバカげた思いもよぎった。しかしやはりバカげている。あれは現実だったのだ。おやじは十才の時に死んだ。夢なんかじゃなかった。母親の膝でウソ泣きしたのも、そしたら涙が苦もなく流れてきたのも、黒い花輪が並んだあの家を遠くから眺めたのも現実だったのだ。

 「一体なに言ってるんですか?」

 「おかあさんに訊いてもらえばわかるんだけどね」

 「母は訊いても何も言わないと思いますよ」

 「そうかもしれないね」

 「今の今まで黙っていたことを言うような母じゃないですから」

 「おとうさんとはきっと近いうちに会えると思う」

 「会うって……。じゃあ、あの葬式はいったい何だったんですか? 狂言だったとでも言うんですか?」

 「その人じゃないんだ、君の本当のおとうさんは」

 答えを聞くのは恐ろしかったが、聞かざるを得ないことだった。

 「だったらその父親ってのはどこの誰なんです?」

 「それは、実はぼくなんだけどね」

 間の抜けた、あまりにあっさりとした答えに俺は怒りを感じた。その間のなさが、吐き出された言葉が、あまりに無神経だったからだ。しかしその無神経さはどこかで見たような無神経さだった。俺だ。俺の中にある、日常のやり取りの中で無意識に放出させてしまっている自分の無神経さだ。妻やトモイチをこれまで何度も不愉快にさせているあれだ。臆面もなく、というやつ。このじいさんは、もしかしたら電話の向こうで笑みを浮かべているかもしれない。

 「ふざけてる……」

 思わず口に出た言葉だったが、俺は傷ついた。自分自身に対して無神経な言葉だった。そんな言葉を吐かせる男に腹が立った。しかしそんな俺の苛立ちには気づかず、じいさんはどこか嬉しげに話し始めた。

 「生まれたばかりのあんたを車に乗せて仕事してたんだよ。イタチ製作所の事務員なんかにもかわいいかわいい言われてずいぶんかわいがられてたんだよ、あんたは。もちろん覚えてないんだろうけどさ」

 俺は自分の脳みその動きに自分で苛立った。じいさんが嬉しそうに話した言葉に脳みそが自動で反応し始めたからだった。脳みそは、自分の性格の一番根っこにあるものを、今の言葉に合致させ始めていたのだ。

 俺は愛されることに鈍感だ。暖かい感情が自分に注がれるのを当たり前だと体の奥底で信じている。20代の頃までは、イヤなやつ、などと言われても自分に対する関心の現れだと思ったりしたぐらいだ。重症なのだ。そんな性格の根底にある歴史を目の当たりにさせられている――俺の脳みそはそんなふうに反応していた。いや、関係ない!俺は母親に愛されていたんだ。そんな反発が同時に発生する。

 「事情が事情であんたのお母さんとは別れなくちゃならなかったんだけどさ、それまでは日中、昼間はずっとぼくが面倒みてたんだよ。今の今まで、一日たりとも君のことを思い出さない日はなかったんだよ」

 その事情というやつをどうして聞き出さなかったのかと、そのことが悔やまれるけれた。しかし俺は頭に血を上らせていた。頭に血を上らせて否定することに躍起になっていたのだ。自分の名を名乗りもしない、おそらくは入れ歯だからだろう、言葉の切れが悪いふがふが話すじいさんを自分の父親だと、そんなたわけた話は受け入れられない。しかし口をつく言葉はどんどんつまらなくなっていった。

 「なんで今さらそんなこと言うんですか」

 「別に今さらじゃないんだけどね」

 「ジョーダンじゃねえよ」

 まったく……イラつけばイラつくほど自分を痛めつけるような言葉しか出てこない。

 「名前は? あなたの名前をまだ伺ってないんですけどね」

 二三年に一度、なぜか電話をかけてくる、母親のかつての知人という頭しかなかったので、これまで一度くらい聞いたことがあるんだろうが、じいさんの名前を俺はまったく覚えていなかった。なんだ覚えてくれてないのかい、という気分がじいさんにあるであろうことは重々察せられたが、数年ぶりの突然の電話でぶしつけなことを言い出すじじいに対して俺は高飛車だった。

 「自分の名前も名乗りもせずにしゃべってていい話題だとは思えないんですけどね」

 「スズキです」

 急にふたたび淡白になった口調に、また無神経さを感じた。本当にこいつは、このじいさんは俺の父親なのかもしれない、そう思った。そのぐらい、どこか懐かしくなるような無神経さだったのだ。まるで自分と向き合っているようだ。

 「いつか会える時が来ると思っているから、その時はいろいろ話そう」

 「そんな日は来ないと思いますけどね。じゃあ、そういうことで」

 やたらといろんなことをべらべらずらずら並べ立てられていると思った電話だったが、じっくり思い返してみると、それほど多くのことがしゃべられたわけじゃなかった。自分の頭がぐるぐる回っていただけだったのだ。こうしてあの電話を思い返すと、どれだけのことが自分の頭に去来していたのか再確認する思いではある。

 あの電話から一ヶ月が過ぎた。そして今、俺は自分の中から何かが消えたのを感じている。それはきっと、父親を求める気持ち、とでもいうようなものだ。

 ハタチの時に大学を中退した俺は、大学在学中にアルバイトとして入ったレストランで働いたのを皮切りにいくつもの職場を転々とした。その中で出会った人々は、女性だったら自分の恋愛の対象となる年ぐあいの人々と世間話の相手にしかならないおばさんとに分けられたが、男は三つに分類された。

 まず、友達になれる相手。これは同年代のほとんど同じ立場にある男。次がおじさん。上から俺を見下ろしている男。残るは、俺よりちょっと上の世代の血走った目をした男たち。

 あくまでおおまかな分類で、友達になれる年代の男たちにはもちろん性格的にとても友達になれない人物だっていたし、おじさんの見下ろす目にも何種類かの目つきがあった。しかし血走った目つきのおにいいさんだけは俺にとってはあくまで血走った目つきの男でしかなかった。苦手だったのだ。やり手の気配をぷんぷん漂わせている男たちに気おされるような目で見られると、無視したり、反対の意見を言ってみたり。敵だった、と言ってもいい。

 世間というものを知らずにのほほんと中学生やら高校生やら大学生をやってきた人間の単純な分類だった。第一、女性に対してはまったくもって無礼としか言いようがない。男にしても女にしても、俺には、その人を見る、という視点がなかった。

 そんな俺の目を見開かせてくれる人物が現れたのはある職場に飽き飽きして新しい働き場所を求めて面接に行った時だった。

 小企業の社長の目は静かに遠くを見ている目だった。押し付けるものがほとんどなく、俺を落ち着かせた。男がいる、と俺は思った。

 仕事に関して、何かを強要する人じゃなった。黙って残業を受け入れさせるというタイプの社長だった。仕事の進め方というのを、今にして思えば、教えてくれた人だった。しかし俺はその職場で冗長した。社長の寡黙が俺の基準からすると度を越したものに、徐々に思えてきたからだった。

 彼の寡黙は弱々しさから来ているのだ。そんな結論がいつしか確固たるものとなり、俺はその会社の仕事をごっそり持ち出して独立した。

 独立して作った微小会社は二年半でダメにした。そして今はまったく畑違いの場所で日銭を稼いでいる。ほとんどフリーと言ってもいいような仕事だ。勤務中はまったくひとりなのである。

 そんな今になって思うのは、自分の愚かさだ。仕事を指図してくる人間に鷹揚な暖かさを求めていたのだ。すなわち、父性。仕事とはまったくかけ離れた場所に、しかも年下の友人にそれを見出した今となってはつくづくそう思う。

 父性とは、特上な感情のたまものなのだ。そんなものを、無意識にとは言え職場に求めた俺はとんでもない勘違い野郎だったのだ。なんともまあ長い勘違いの歴史を刻んできたものだ。