2022年GWに訪ねたイラクの旅を綴っています。現地で書いたものに写真と文章を大幅に追加しています。


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Maytyr Monumentを後にし、次の目的地へ向かいます。バグダッドの街から少し離れるのでオートリキシャーでなくタクシーを拾いたのですが、全然走って来ない。

 

 

 

 

 

大きな十字路まで歩くと交通整理をする警察がいたので「タクシーを拾いたい。。」と言うと、一緒に探してくれました。

 

 

 

 

 

 

ようやっと一台見つかり警察が停めてくれ、「ところでどこへ行くの?」というようなことを聞かれたので、「アカル・クフ!(Aqar Quf)」と言うと、通訳してくれたそのタクシーには「遠いからNG」と断られてしまった。爆

 

(あれ?これ、もしかして流しのタクシーは難しいのか?)

 



と思っていたところ、もう一台のタクシーが停まってくれました。再び聞くとアカル・クフまで行ってくれるとは言うものの料金が結構高い。オイルわんさかの国なのに、空港タクシーといい何でこんな高いの?

 

この時はまだよく分かっていませんでしたが、一人だけを乗せて運ぶタクシーはシェアタクシー(後日説明)の4倍かかることが数時間後に分かりました。そういえばレバノンのベイルートへ行った時も、こんなシステムだったなとだいぶ経ってから気付く。笑

 

 

 

 

アラビア語しか話さないタクシーのオッチャンとアカル・クフへ向かいます。


 

途中、何度も何か聞かれるのだけど、一単語を理解するのも相当な時間を要すくらい全く会話にならない。会話にならないことが会話になってるくらい陽気なオッチャンで、私が日本人だということだけは理解できたみたい。笑



さて、タクシーに乗って西へ1時間くらい。



ジッグラトへ着きました。

 


「ジッグラト」は古代メソポタミアの聖塔です。

 

 

頂上には神々が住んでいると信じられており、ここドゥル・クリガルズ(現在名はアカル・クフ)のジッグラトには風、気、地球、嵐を支配する神エンリルが祀られていました。

 

 

ジッグラトはシュメール起源と考えられており、古代メソポタミアの首都となる都市には当時20箇所ほど存在したようです。

 

 

ここドゥル・クリガルズのジッグラトは、バビロニアのカッシート王クリガルズ1世が紀元前15世紀頃に建設したとされています。

 

 

今後、メソポタミアの歴史が多く出てきますので、年表とザックリした地図を作ってみました。もし良かったら参考にしてください。濃い文字が現イラクに置かれた紀元前8000年からの文化・王朝です。世界最古の文明であるメソポタミアは、地図右下のオレンジで記したシュメール(ウバイド・エリドゥ・ウルク・ウル)に始まり、アッカド(バビロニア)、アッシリアと北部へ広がっていきます。


 

古代では、アッシリアとバビロニアは同時期に発生しています。おおよそ現在のバグダッドを境に北部がアッシリア、南部がバビロニア、バビロニアの中でも南部はシュメール、北部はアッカドに分別されます。








バビロニア王朝の首都として機能したドゥル・クリガルズは、今でこそこの岩の塊と地上に遺る僅かな建物のみですが、ティグリス川より水を引くことができたことも大きかったからか?

 

 

この中央のエンリルの祀られた神殿周辺に9つの神殿、3つの宮殿、5つの居住区のある42万平方メートルに及ぶ広大な都市だったのです。

 

 

バビロニア王朝の滅びたあとも、後期カッシートやパルティア、中世に及ぶサーサーン朝の遺物も発見されており、長きに渡って都市機能を有していたようですよ。

 


この遺跡からは楔形文字タブレットが100枚以上出土しています。


 

イラク美術館に収蔵されているそうなので後日ご紹介。


遺跡は修復されているところと、されていないところがあります。元フセイン大統領が修復作業を進めようとしたところに、あのデッチ上げ大量破壊兵器の戦争が始まってしまいましたので中途半端。残念。


 

修復された居住区のあらゆる場所から神殿を望めるのも、バビロニア人がエンリル神を深く崇拝していたことを感じられ、何だか微笑ましい。

 

 

ところで、現地には見事にアラビア語の説明しかありません。ここに着いたとき、警備のオッチャンたちがワンサカ集まってきましたが一人も英語は話しませんでした。

 


私は今日、最初の外人客だったようで、しきりに何か言っていてるのですが全く分からない。そして入場料(確か25,000IDRだったかな?)を払うとそのうちの一人のオッチャンが着いて来た。

 

多分、女性一人だったのでボディガード兼ガイドだったと思うのだけど、これまた一つ一つ懸命に説明してくれるのがアラビア語なので全然分からず。地元の彼らしか知りえないようなコトも話してくれてる風なのだけど、何一つ理解できない。




「アラビア語は分からないからガイドは要らない」と言っても、当然ながらそれさえ通じなくて参りました。笑

 

話は遺跡に戻り、メソポタミアに点在するジッグラトは宗教的な儀式が執り行われるため、通常は偉人と聖職に就く人しか入ることができなかったようです。高い場所に置く神殿、そしてこの階段の様子が何となく日本の神社に似ているような気がします。


 

下はスマホで撮っていた虎ノ門の愛宕、鎌倉の鶴八、近所の品川神社です。多神を祀る日本の神社の多くは、長い階段を上った先にありますよね。これらはたまたま山の上にあるからかも知れませんが、

 
 
古代出雲のように、わざわざ高いところに作る神社もある。
 

 
日本の神事の着る装束と中東のトーブやカンドゥーラは、形こそ違えど白一色というのは同じ。

 
長い階段を上った先に神殿を建てる文化は、日本の神社とメソポタミアのジッグラトくらいしか思い当たらないです。


 

キリスト教会もイスラムモスクも、ヒンドゥ寺院もユダヤシナゴークも仏教の国でも、一般人が祈る場所、神を祀る場所を特に高い所には置いていないのですよね。大体、道と同じ高さか、階段あっても10段や20段。

 

 

シュメール人はじめ数々の古代キングが建設したメソポタミアのジッグラトは、ここに限らず必ず長い階段の上に神殿があります。これ、あまり語られない日本とシュメールの共通点だと密かに思っています。

 

 

ジッグラトの基壇へ登ります。この基壇もフセイン元大統領の命により修復されています。バグダッドからかなり距離あるため、高い建物もなく視界を遮るものない良い眺め。当時のバビロニア人と同じ風景を観ているのではないかと思えるほど周辺は見渡す限りの平原です。

 

 

ここアカル・クフのジッグラトは風化した現在でも約52メートルと高く、今よりも高かったであろう中世では、何世紀にもわたってラクダキャラバン隊の「バグダッドへ近付いた」という目安となったようですよ。


イラクを含むこの辺り一帯の国は現代においてイスラム教ですが、古代メソポタミアでは、エンリル(メソポタミアの神々の王)はじめ、アヌ(アッカドの天空神)、エンキ(エリドゥの水神)、イシュタル(エルビルの女神)、ウトゥ(アッカドの太陽女神)、シン(月神)、ナブー(書記の神)、アッシュール(アッシリアの神)、マルドゥク(バビロンの守護神)などイスラム教では禁じられている多神教かつ偶像崇拝だったのですよね。


 

一説によると、メソポタミアには2,400もの神々が存在していたそう。八百万の神の国の者としては親近感わきます。




さぁ、バグダッドに戻ります。そこで、とある人に出会い一日がとても長いものに。