2022年GWに訪ねたイラクの旅を綴っています。現地で書いたものに写真と文章を大幅に追加しています。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ジッグラトの周りは平原が続き何もありませんでした。大きな道路もなく車も通りませんので、バグダッドで拾ったタクシーに待っていてもらいました。バグダッドへ戻ります。道中、当然ながら目にするものすべてが新しく、いちいちコメント。



スゴッ。



高層マンションを建設してる。戦後の復興を象徴としてるかのようです。



あのモスクはこれから何度も目にすることになります。ガレージの目印になるモスクです。



このアンテナは何を意味しているのかなぁ。



よー分からん。この中に大きなアンテナが立ってるわけでもないし。



さぁ、ティグリス川を超えて、




「Sheikh Abdul Qadir Al-Jilani」というコンプレックスの前で降ろしてもらいました。モスクドームの装飾が独特で珍しいですね。



早速入ろうとしたら警察のおっちゃんに止められ、何か言われました。しかし相変わらず分からない。なんだか少し疲れてきました。少しも、、というか1単語たりとも分からないのは流石にキツイ。







そこへ、一人の男性がやってきました。彼はその警察と話をすると、私に英語で通訳してくれました。どうやら、このモスクに入るのに女性はチャドル必須とのこと。斜向かいのレンタル屋で借りて着用してきてくださいと言っていたらしい。







そして、通訳してくれた彼が店まで連れて行ってくれました。彼がその店の人に何か伝えると、チャドルを私に着せてくれました。







アラビア語と英語を話す人がいると、こんなに楽なのか!
 

 

 

 

 

 

 

早速再訪します。女性専用のエントリブースでボディチェックと荷物検査を受け、コンプレックス中央のジラ二広場へ。



街のど真ん中にある割には広い面積の宗教コンプレックス。ここ、シェイク・アブドゥル・カディール・アル・ジラニは、1078年に生まれた同名人物の霊廟ほか、寺院モスクや図書館、学校を併設しています。

 

ジラニはスーフィズムと呼ばれるイスラム教の神秘主義哲学の創始者で、イスラム教の最も著名な人物の一人のようですよ。

 



このため、世界中からの訪問者が訪れるようです。が、


 

私の訪ねたときは人はまばら。ラマダン中だったからかな?

 

 

ここはジラニの霊廟です。内装はキンキラですねー。イランやイラクの偉人の眠る廟は、ほぼこのキンキラなのですよね。

 

 

決まりがあるのかなあ。初めて見たときこそ驚きましたが、これにするのは何故なのか分からず、最近は悶々とするばかり。笑 ちなみにここは結構狭い。

 

床は大理石の美しいデザインですね。

 

シレーッとデザインを嵌め込んでいますが、これ結構難しい技らしいですよ。

 

そうそう!彼が親切にしてくれたイラク人のSamirです。子供のときバグダッドに住んでおり、アラビア語が堪能です。親と一緒に移住し、EUのPermanent residenceを持っているとのことから、多分、イラク戦争時に難民として欧州に逃れたのだと推測する。今はイタリアに住んでいるそう。


 

EUの永住権は持っていても、国籍はイラクだとなかなか様々な国へは行けないようで、微妙だと言ってました。今でもよく連絡しあっています。彼はイラクに帰りたいのだけど、いかんせん仕事がなくて帰っても生きてく術がないと嘆いてます。ヨーロッパは欺瞞に満ちていて最悪だとも。。

 

 

何をするでもなく話をしてたオッチャンたち。

 

写真を撮ってと言うので度々撮ってあげます。

 

ひととおり見終わると、Samirに、「バビロニア遺跡はもう行った?」と聞かれました。

 

 

 

 

 

 

 

「今朝、バグダッドに着いたばかり。数日後に行こうと思ってる」と伝えたところ、「私はこれから行くので、一緒に行かない?」








ええ?今から?






 

今から行くの?







もう午後も2時をまわってる。







「1時間ちょっとで着くよ!」







と言われるも、フルートもパスポートも持ってないんだけど、、、(バビロニア遺跡でユーミンのバビロンを吹こうと思って持ってきてる)これはもしかして、なにかの思し召しかも?






アラビア語と英語の両方堪能な人と一緒に行ったほうが何かと楽か?そう思い、






あまりにも唐突ですが、バビロニア遺跡へ向かうことにしました。