旅の途中ではございますが、ペルセポリスの後の良いタイミングなので、全く歴史や遺跡に興味なかった私が、突然遺跡好きになった経緯を詳しく書きたいと思います。







子供の頃、社会の時間に世界史や日本史を勉強し始めますよね?







私、この時間が苦痛でした。







何故かというと、単純に歴史に興味を持てなかったから。







子供の頃からどちらかというと合理的でして、「過去に起こった出来事を、何故に現代で勉強する必要が?」「それを知ることは嬉しいのか?楽しいのか?」生きていく上で実用性を感じられない世界史や日本史を、何のために学ぶのか理解できなかった。







子供の頃の私は、「それを覚える時間があるなら数学の問題を解いていたほうがマシ」と思うタイプで、

「太古の昔、どこで何があったかなんて、どうでもよくね?」

「今を生きる私に何の必要が?」





歴史を学ぶことに全く意味を見出していませんでした。それに、






「何だかんだ言って人は歴史から学ばない。」
「時代が変われば同じ過ちを繰り返す。」
「ある程度の時が経つと、傷みを忘れてまた戦争を起こす。」






実際に、私の子供の頃は世界のどこかで必ず戦争は起きていましたのでね。とにかく、歴史を勉強する意味が分からなかった。また、歴史はその時々の政権によって全く違うものに塗り替えられることも多々有りますのでね。

 

 

  

 

 

西暦何年に何が起こったかなど、覚える必要ある?

 

 

 

  



実際、私の子供の頃、鎌倉時代は1192年に発足したことになっていましたが、近年、変わったのですってね。笑 

これは今でも必要なかったと思っています。その勉強のさせ方、オカシイ。なので、歴史の成績はメチャクチャ悪かった。





こんな感じですので、子供の頃の社会の授業は地理ばかり好んでました。今そこにある現実。世界の国名や高い山、長い川、大きな砂漠、どこまでも広い湖や海といった大自然が、どんな世界なのか、どんな景色なのかと想いを馳せ、地図帳ばかり見てるような子供でした。





その傾向は大人になっても変わらず、様々な国へ訪れるようになっても、歴史や遺跡だけは興味を覚えることがなかった。有名な史跡を訪ねても、「崩れて廃れた大昔の広場(遺跡)を観て何が楽しいんだ?」「石が転がってるだけやん。」くらいにしか思っていませんでしたね。笑





歴史に興味がないと宗教にも無頓着。そして、その歴史の祖先である訪問国の地元の人々と積極的に会話をするようなこともほとんどありませんでした。とにかく、現代や近代の美しい建築物だったり芸術だったり、大自然だったり地元の料理だったり、現物の見た目通りのものばかりを追っていました。





しかし、そんな私が突然、180°海外旅行への考え方が変わった出来事があったのですよ。





キッカケとなったのは、十数年前に訪れたトルコのパムッカレ。








パムッカレといえば、炭酸カルシウムの石灰棚が有名ですよね。

 

 

私はこの棚田を観たくて、トルコのデニズリを訪れたのです。そこへ、パムッカレの麓付近で知り合った地元の自称ガイドに、「石灰棚の上にある『ヒエラポリス』という古代都市遺跡へ行ってからパムッカレを降りてくれば楽だよ。」といわれ、「まあ、そっちの行き方が楽ならそれでいいか。」と、彼の提案に乗ることにしたのです。


 






が、このとき私は、『ヒエラポリス』という単語を初めて聞いたのですよ。遺跡に興味がないので、そのような古代都市がパムッカレの上部にあることさえ知らずに訪れていたのです。







夕方、先ほど彼と出会った麓へ行き、原チャリの後ろに乗せてもらって、5分くらいの山頂にある『ヒエラポリス』へ。パムッカレだけが世界遺産なのではなく、この遺跡こそが世界遺産に相当するものだった。それさえ知らなかった。

 

そしてヒエラポリスへ入場すると、そのガイドは「ここはお城でこんなこんなで。」、「ここの水の流れがあーでこーで。」、「ここは市場であんなあんなで。」と、とっにかく事細かに一つずつ説明をし始めたのですよ。



これは、オリーブを潰してオイルを窪みから流し込み、右の方に置いた瓶へ流れ込む仕組み。って言ってたかな?こうやって一つずつ説明ですよ?



上述の通り、私は遺跡に興味がなかったもので、これがもう異常に長く感じられましてね。笑 一生懸命に説明してくれるので遮るのも悪いかなと思い、彼のペースに着いていってましたけど、とうとう日が暮れてきてしまい、早く棚田(パムッカレ)へ行きたいと内心ウンザリ。

 

(とにかく懸命に説明するガイドくん)







しかしだ。







それでもマイペースに熱く語り続ける彼の遺跡の解説に、



段々と、ここが栄えていた当時の古代の情景が目の前に浮かび始めたのですよ。



立派な城、高い城壁、威風堂々とした城門、美しい建物に活気のある市場。






崩れて殆ど形を遺していないにも関わらず、美しい建物や当時の人々が行き交う街の光景がリアルに見えたような気がしたのです。

 

女性はこんな服を着て、男性はこんなものを担いで、その中には野菜やフルーツが入っていて、決められた区画に並べて行き、それを買い物に来たヒエラポリス人が世間話をしながら物色している。

 

 

一般の人はこんな家に住んで、こんなものを食べて、近所の人々と立ち話をし、週末になると家族でコロッセオへ催し物を観に行き、時には遠方の山麓へピクニックへ行き。そんなことまで見えてきた。







遺跡を歩きながらマンツー講義を聞いてるうちに、その古代の人々の生活の中に現代の私もいて、その光景を一緒に見ている錯覚に陥ったのです。その時代の人々の活気ある声まで聞こえたような気がしました。







何だ?この感覚は?







幻覚か?幻聴か?







DNAの共鳴なのか?








脳裏に浮かんだその時代の光景が、目の前の遺跡へリアルに幻影された気がしました。







あの時なのですよね。遺跡に目覚めたの。







遺跡って、こういうことか。。と。







遺跡って、こんなに楽しいんだ。。と。







覚醒の瞬間。笑







これを機に、訪ねる国の歴史を調べるようになりました。歴史を調べ始めると、世界の宗教もセット。それ以前に比べてだいぶ詳しくなったように思います。そして、訪ねる国の古代遺跡へ必ず向かうようになり、古代の生活に身を置いて何かこう感じる風景、光景が楽しいと思えるようになった。





そして、様々な遺跡を訪ねるようになって、自分の解釈が全てなんだ!とも思うようになりました。





古来の遺跡の解釈は後付けで定義づけられたもので、様々な歴史学者や考古学者がいくら後世で「これはこうだ」「あれはあーだ」と唱えても、その時代に生きて自分の目で見てきたわけではない。どんな遺跡も諸説ありますが、諸説あるということはどれが真実か分からない状況。絶対ではないということ。結局、想像の範囲を超えないのです。






更に、石碑に何が残されていようが、文献が残っていようが、それ自体が真実なのかさえ疑わしい。確かめようがないし、知る由もない。





昨日のペルセポリスでも書きましたとおり、ダレイオス三世が自画自賛文を石碑に彫って残させるなど、所謂ヤラセや誇張は古代からあったと思われ、信憑性ないものも多数。また、歴史解釈はその時々の政治、政権によって捻じ曲げられていくものでもあります。





なので、自分がその遺跡を訪ねて感じたことこそが事実であり真実なのてす。






それでいいのです。





それが遺跡の面白いところの一つ。





そして、これだけは紛れもない真実と言えるのは、遺跡は「多くの古代人の人生、生活があった場所」ということ。




これ、ホント浪漫ですよね。




上述の子供時分の私に言わせると、「現実に疲れた大人のくだらない空想ロマン」ですわ。笑 というわけで、あの日を境に私は古代遺跡が好きになったのです。その後の私の海外旅をガラリと変えた彼には、ホント感謝です。