新聞とTVでちょうど通底するような内容を目にしたので、2つの話題を簡単にまとめてみた。

 

(1)私大文系の存在価値

5月の日経新聞に載っていた記事を紹介。見出しにはこう書かれていた。「私大『250校削減』案の意味」。

 

<5/18日経より(2)>

 

 

人口が減っていけば大学入学定員を満たせなくなるのは自然な流れ。学校のキャパ削減は、都市中心部での廃校や定員1割減など既に小学校~高校レベルでは確実に進んでいる。フジのドラマ「サバ缶、宇宙へ行く」で描かれている高等学校統合もリアルな話だ。

 

戦後これまでに進学率向上のメリットがありつつも、大学を乱造してきたことは大学教員の雇用維持に一定の価値があったのだろう。勿論、それが大学の要件とキャパシティを満たせたことで、学生教育と社会貢献でどれくらいの付加価値を作り出せたのか、そこはなんとも理解できていない。

 

ただ、大学生がAIにレポート作成を委ねたまま卒業しているのであれば、250校削減は尤もだと考える。むしろ、そこに寄生してきた大学職員のリカレント教育を考えなくてはいけない。

 

ちょうど、ある本を読んだばかりであり、森嶋道夫「なぜ日本は没落するか」においてもかなり前から大学改革の必要性は叫ばれてきたようだ。

※参考

 

それと、記事の中に書かれている学生の質に明らかな問題がある。

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be動詞の授業を必要として学生が、その後どれだけ成長したかを見ないと教育の質は測れない。

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これは論点がズレている。そもそも大学に入学する資格を得られていない状況と考えるべきではないか。記事には「四則演算」とも書かれており、これにも目が点になった。確かに電卓を利用すれば手計算など必要ない時代。それはそうだ。でも、正確でなくても構わないので咄嗟に暗算ができないと困ることがある。

 

かつて防衛医大の試験問題に単純な計算問題が多数出題されていることを疑問に思った。でも、実際に医療の現場で単位を10ccと100ccで間違えたら取返しのつかないミスに繋がるかも知れない。それを防ぐためには難解な数学問題を唸りながら解くスキルより、瞬殺で確かな答えを出せる方が現場スキルとして重要だろうと納得したことがある。

 

記事の後段ではスイスの職業教育訓練制度を紹介しており、学術教育と職業教育を明確に分ける複線型の制度があったことも示している。平等性も1つの観点だが、現場を支える役割を軽視してはいけないし、現業を起業・運営するスキルは大学卒業とは何ら関係ないものだと考えるので、無駄な寄り道は不要だと考える。

 

(2)ブルーカラーの給与上昇

その直後に見たのが5/19放送のNHK「クローズアップ現代」だった。昨今の物価上昇期においてブルーカラーの給与上昇率が高い傾向になっているとか。また、「新3K(関心・共感・感謝)」という新語によってホワイトカラーよりも働く喜びに直結しやすいのだと事例紹介していた。

 

<5/19放送より(4)>

 

 

 

 

かつての先輩がIT企業を去る際に「これからは手に職をつけようと思う」と呟いていたのを久々に思い出した。IT企業において、プログラミング工程(=製造工程)は比較的現業に近い仕事になる。私も入社5~10年間は複数のプログラム言語を業務で使用していた。でも、いつの間にか要件定義や設計工程に関わる時間が殆どになり、プログラミング技術から置いて行かれる存在となった。こうなると、自分の言葉に力がなくなる面もある。顧客企業から「この案件どれくらいでできますか?」と訊かれても、喉元まで「簡単です」と答えが出そうなのにも拘わらず、スキル的に朧げな部分が増えてきてマスクされてしまうためだ。

 

そこへ行くと現業を担っている人は違う。一時期「ウチの会社は単価の高い上流工程だけをヤル」と大口を叩いていたオジサンがいた。戦略を掲げるのは構わないが結果にcommitできない思いつきでは困る。分業制が進んでくるとプログラマーは顧客対応こそしないものの、作業量の正確な見極めと成果(AP成果物)の提示がしっかりとできるのだ。もちろんそのためには継続的な新技術の蓄積が必要なんだけども。

 

ずっとホワイトカラーの給与がブルーカラーのそれを上回っている状況が続いてきた。それは、大学卒業までのコストにいくばくかのプレミアムを認めてきたためだ。ただ、とりわけ文系の大学、大学生が余剰を迎えた現在、プレミアムが生まれにくい状況になっている。AI普及もオフィスワークの定型化、単純化でその人ならではの付加価値を魅せにくくなっているのだろう。むしろコロナ禍で「エッセンシャルワーカー」と言う言葉が汎化したように、世の中を回していくため本当に必要なのはブルーワーカーである。