さて、登りませう
手のひとさし指を彫刻刃で削ってから約一ヶ月半。
ようやく皮もくっつき痛みもなくなった。
そして今日、クライミングジムへ約一ヶ月半ぶりに行った。
最初は行くのが怖かった。
前まで登れていたところが登れなかったらどうしよう、とか、
初心者レベルぐらいまで力が落ちていたらどうしようとか色々考えてしまい、
行くのやめようかなとも思った。
なにせこのスポーツはちょっとでもサボるとすぐに下手になる。
今日は体の調子もよく体をアップさせるため簡単なところを登った。
なかなかいい感じだった。
いくつか簡単なところを登ってアップ終了。
前までいけなかったところにチャレンジしたら、なんとも簡単に登れた。
まさかと思い別の登れなかった課題を登るとこれも登れる。
ブランクを感じさせないというか、
前より上手くなっている。
体って不思議だなあ、とおもいつつ密かにほくそえむ。
ニヤリ。
日常的音
ようやく夜が過ごしやすくなってきた。
それに伴い、秋へむかって虫たちの声が美しく響く。
例えば、海辺で寝る。
最初うるさかった波の音が、やがては心地よくなり揺りかごのような感覚で眠りへと誘う。
パチンコ屋の前を歩く。
恐ろしいぐらいの音の洪水がおそいかかる。
体が防御体制をとりはじめる。
水は波長によってその形を変えるらしい。
やかましい音楽をかけると、水の結晶はぐちゃぐちゃになる。
反対に落ち着いた美しい音楽をかけると、美しい結晶をむすぶ。
人間の体は60パーセントが水だから、
そういった音の反応はなんらかのかたちで影響しているはずだ。
虫たちの美しい声がきこえてくるだけで、なぜかほっとする。
人間の耳(脳?)は普段から聴きなれている音はシャットダウンするらしい。
時計の秒針を刻む音などが良い例だ。
僕の家の横に川が流れているが、その音は意識しないと耳が聴いてないときがよくある。
友達が来て「川の音がいいな」などと言われ、はたと気づくことがある。
自然は壮大なオーケストラだ。
それはいつ始まったのか誰も知らず、
いつ終わるのか誰も知らない。
この星がなくなるまでその演奏は続くだろう。
夏は開放
もし、あなたが何かしらの表現者であれば主に何からインスピレーションを得るのだろうか?
僕の場合、自分自身のことはよくわからないけど、
自然から得るものが主な比重を占めていると思う。
夏、気持ちは外部へと向かう。
夏は家にはいられない。
外に出て、自然と戯れる。
創作活動はほとんどしない。
冬、気持ちは内部へと向かう。
冬は家をでるのが億劫になる。
夏に体験したことや、見たもの、出逢った人、感じたこと、
などなどが自分の内部で日の目を見ようと鎌首をもたげてくる。
それらが飽和状態になったとき、なにかが生まれ出る。
僕は季節に影響されやすい。
僕にかぎらず、大部分の日本人は季節に影響されやすいだろう。
それは豊かな四季のサイクルで作物を育て、生活してきた農耕民族の血がそうさせていると思われる。
その繊細な四季の移り変わりと同じように、
繊細で緻密な日本文化がこの国では育まれてきた。
山や、海や、森やいたるところに神々(精霊)がいた時代の話だ。
しかし、欧米化しつつある日本国にはもうその面影はほとんどない。
形式として四季の行事や祈りはあるかもしれないけど、
本質は失われてしまっていることが多い。
それは「自然=支配するもの」という、西欧の思想を取り入れてしまったからだ。
都市部や郊外の住宅地に行くと、田舎育ちの僕は一種のむなしさを感じる。
昔からある町や村などの集落は、
自然のサイクルに根ざして場所が選ばれ、ある意味では自然発生的に家が建ってきた。
そこの重要な場所には神社やお寺があったりする。
都市部や郊外は人間がお金を得るための手段として、または利便性が最優先されて家が建てられてきた。
そこでは農耕を手放し、経済性だけを求める自然と切り離された生活をせざるをえない。
そうなると、季節の「繊細な」移り変わりを感じるのは難しい。
そこには自然や風景と切り離された空間が横たわっている。
乱立するチェーン店などは美意識のかけらさえなく、日本のどこに行ってもある。
そういうところにいると、ふと自分がどこの町にいるのかわからなくなる。
例えば、美術館へコンペなどの受賞作を見に行く。
もちろんコンペなのでさまざまな人の作品がある。
しかし、昔の人の絵に感じる、愛らしさやきびしさ、おそれや無常感などなどがなく、
まるで顔のない人々が新しい手法を表現するだけの絵が列挙されていることがよくある。
それは現代日本人を如実にあらわしていて実に興味深い。
芸術作品は目新しさや新しい手法だけでは芸術作品には成り得ない。
それは商品だ。
なぜならその方法は、企業が新商品を開発するのと同じ方法だからだ。
経済最優先生活が生んだ弊害が現れている。
逆にそれはそれでおもしろくもある。
だから、農村部と都市部との二分化が進めば、
芸術作品も二分化されてくるのかもしれない。
それが如実に現れてくるか興味深いものだ。
今日はヒルちゃんに噛まれた。
今年こそはヒルに噛まれたくなかったのに。
ALO ライブ
8月24日は待ちに待ったALO(animal liberation orchestra)のライブだった。
観客は以外にも少なかった。
でも、ライブは最高だった。
もう、踊りださずにはいられないすばらしい曲。
メンバーはとても楽しそうに演奏する。
こんなすばらしいバンドのライブを見られたのは久しぶりだ。
みんなとてもいい顔。
ALOには特別な思い入れがある。
大阪に住んでいた時、
僕の心は荒みきって、大地がひび割れるかのような感じだった。
そこへ一滴の潤いを与えてくれたバンド、それがALOだ。
そのALOが今目の前で演奏してるかと思うと、感極まって涙がでそうになる。
ミーハーな僕はライブ後メンバー全員からサインをもらった。
ギターのDANに「お前らは最高のバンドだ!」
といったら、
「また次のライブで会おう!」
と言ってくれた。
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Rivers Of Zion
今年2回目の沢登り。
今回は一日に2本の川を遡上する。
後半は疲れ果ててバテバテで足が思うように動いてくれなかった。
自然の中へ体をダイブさせる。
頼れるのは自分自身だけ。
かなりの晴天。
頭上には青空と緑。
ここは泳いで突破する。
人間の生活圏ではこんなに澄んだ水はもう見られない。
魚がいっぱいいた。
白い石がゴロゴロ。
けっこうすべる。
この岩の下部は水だけど、
写真で撮るとなにもないみたいに見える。
それぐらい透明度が高い。
まんが日本昔話に出てきそうな滝と淵。
この滝は水しぶきを浴びながら登らなければならない。
天然の滑り台。
岩はつるつる。
「おりゃぁー」
昼ごはんのあとにハイビスカスとハーブのお茶で一服。
テーブルは自分の気に入った石で。
奥の焚き火では友達がビーフシチューを作る。
そのためにわざわざ生肉とジャガイモ、にんにく、玉ねぎを持ってきていた。
その場所いい。
で、ひさびさに極度の疲労を感じた。
いや、疲れ果てたという表現の方が適当だ。
こういう疲れは心地が良いのです。










