自分の頭の中
50歳を過ぎて何年か経っているので、自分自身にも身体の方々にガタが来ている。
もうそういう年齢なのだなと強く認識する。
運動機能や循環器系は自覚症状があるので、加齢による機能低下に対し予防措置が取れる。
だが、脳に関しては自覚症状が無いのでどうしようもない。
血圧は高い方ではないのだが、脳内に動脈瘤とかの爆弾を抱えていないかどうかを知っておく事は、生活習慣の改善や仕事上の無理の仕方をわきまえる意味で大事だろう。
できれば年齢から来るボケについても、ある程度の心の準備ができれば良い。
そんな事を考えて、知り合いの脳外科で脳ドックを受けた。
脳ドックと言えば大層なイメージがあるが、今回受けたのはMRIで脳内の3D画像を取得、その画像を基に専門家の指導を受けるという一番簡単な内容だ。
10~15分かけてMRIで脳をスキャンする。
機械の中で寝転がって頭を帯で緩く固定される。
なるべく動かさない様にじっと我慢。
ヘッドホンをして音楽を聞きながらなのだが、MRIの機械はもの凄くうるさい。
音楽が聞こえなくなる事もある。
機械の構造はよくわからないのだが、原理的にこれほどの音が必要なモノだとも思われないので、ここには改善の余地がかなりあるのでは無いかとか考えて、MRI装置業界に参入した場合の皮算用をしたりしながら時間を過ごす。*1
結果は、甚だ芳しくなかった。
脳の健康状態という意味では特に問題なし。
動脈瘤もなく海馬の部分も正常。
いたって健康だった。
当面は急な脳内出血の心配もなく、そしてボケもしばらくは大丈夫そうだと言うことだ。
芳しくなかったのは、それ以外の部分である。
まず、頭の形が悪い。
子供の頃から自覚していたのだが、頭蓋の左右の大きさがかなり歪になっている。
髪の毛がある状態ではあまり判らないのだが、MRIで頭蓋の形状が露わになるとその歪み具合が明確になる。
かっこ悪い。
美青年を自称している身としては甚だ不満だ。
これは赤ん坊の時に頭を横向きにして、ずっと同じ姿勢で寝ていたせいなのだが…
ちょっと母親を恨めしく思うバチ当たりな親不孝者。
更に、頭蓋の形状が歪んでいる関係からか、鼻の骨も内部でかなり曲がっている。
ぱっと見にちょっと呼吸に障害が出てしまうのではないか、と思うくらい全体に湾曲している。
呼吸は空気だから曲がっていても問題ないのだが、まっすぐの方が良いような気がする。
僕が花粉症で辛いのはこの湾曲の影響もあるのかも知れぬ。と余計な失望をしたりする。
少し悲しかったのは、やはり脳全体としては縮み始めている事。
頭蓋と脳の間に隙間が出来始めている。
これはどうやったら防げますか?と質問したら、加齢による平均的な自然現象で、海馬の状態は良いので特に問題はありません。防げません。との事。
精神年齢がまだ10代のオヤジとしては、脳内の状況が年相応なのがとても歯痒いのだが、それは無理な注文というものか…
*1)
MRIの製造販売は、ジェネラルエレクトロニックと東芝の2社による寡占状態だったと思う。
装置の販売による収益よりも、メンテナンスetcのサービスによる収入に基づくエコシステムが成立していると考えられる。
こうした場合には、MRIが売れるかどうかは音うるさいかどうかより、きちんとメンテナンスができる会社の製品が売れる。
売り切りの商売とは違う。
僕の皮算用は、捕らぬ狸のそれである。
更に、MRIの開発に必要な知識・資金を考えると、参入障壁はもっと高くなる…
■アニメ 『ゲド戦記』 2006日本
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僕はあまりこの『ゲド戦記』というアニメは好きではないのだが、家人は好きな様だ。
先日一月にTV放送された時に、知らない間にHDレコーダーに録画している。
あれ、これって2年程前に『コクリコ坂から』公開時に宣伝の為に放送された時にも家人は録画してなかったか?と調べたら、そちらもハードディスク内に残っている…(-_-;)
ハードディスクの肥やし状態
録画したい放送がある度に、ハードディスクに空きが足りないと騒いでいる割には、困ったモノだ。
閑話休題。
この作品を久しぶりに観て(封切り時以来か…)の感想。
封切りの初見時には、何だかよくわからない映画で、なおかつ退屈な映画だな。と思った。
今回は作り手の言いたい事、その判らなさの原因を、少し理解できた様な気がする。
この作品のテーマにあるのは、自分自身のアイデンティティに対する漠とした不安。
主人公である王子アレンは、その不安ゆえに父親を傷つけ出奔する。
本来の能力が高い彼は、刹那的には剣術で悪人を倒したりするのだが、己のすべき事・拠って立つ真理が見いだせない為、自信がなく行動を起こすときには捨て鉢、自暴自棄だ。
これは、他人の目を気にしすぎる現代の若者たちが陥っている自縄自縛状態を良く表現した映画だな。感じた。
人は社会の中で自分自身の役割を演じている。
最近の若い人は、その自分自身の役割を決める時に他人の視点をもの凄く気にする。
他人の目を気にし過ぎる結果、自分の行動に対して常に自省し、行動をする事自体を恐れる。
だから追いつめられないと行動しない、できない。
行動するときには、衝動的で考え無しだ。
そして、行動の前後の自省はやたら大きい。
このアニメは行動もしないクセにウジウジと悩むもの凄く頭でっかちの印象を受ける。
真の名を知られると支配されるという設定も、その役割を演じる自分と、本当の自分を分けておきたい心理の裏返しなのではないかと思う。
真の名を知られるのは、おそらく自分が演じている自分の底に潜む、自分自身も知らないイドの怪物の正体を知られるのと同義なのだろう。
だからアレンとテルーは互いに心を開いた時に、やっと真の名を伝え合う。
このアニメのプロットには、監督である宮崎悟郎の心の葛藤そのものが表面化している様に思う。(おそらく本人や関係者は否定するだろうが…)
劇中最後にアレンが自分自身の影と一体化し全き存在となる事により、監督自身の葛藤も解消され、人の目を気にせずに自分自身と向き合える様になっていれば良いのだが…
父親の宮崎駿が、人殺しの道具であろうがなんであろうが、病身の妻を放り出しても、飛行機を作りたかった主人公のエゴイズムを描いた「風たちぬ」とは対局。
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■マンガ 鈴木みそ『ナナのリテラシー』 エンターブレイン2014/2/26
- ナナのリテラシー 1 (ビームコミックス)/鈴木みそ

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昨日の記事『滅び行く紙の書物について…』を切っ掛けににして、本のエコシステムの事を考えたからではないが、鈴木みその『ナナのリテラシー』を読む。
紙の本ではなく、マンガの出版システムとマンガ家の未来に関するマンガなのだが、マンガに限らず、本についてもこの内容は概ね成り立つだろう。
現役の中堅マンガ家が実体験を基に描いたマンガなので生々しい説得力がある。
ファミマガでゲームマンガ『あんたっちゃぶる』を連載していた頃から、鈴木みそと言うマンガ家を好きで、単行本を買っていた。
僕自身は殆どテレビゲームをしないのだが、その業界の裏側を描いてしまうマンガはとても面白かった。
雑誌の読者層とはちょっと違う、背伸びした内容だったのだろうと思う。
もう20年以上前の事だ。
そして今、その鈴木みそがマンガ家である自分をネタにマンガを描いた。
本の未来についての一つの見解ではある。