路地裏の骨董カフェ -3ページ目

路地裏の骨董カフェ

アートとふるもの好きが嵩じて、明治、大正、昭和初期のインテリアや雑貨を取り扱う古物商を始めました。また、古時計や蓄音機などを中心に修理・調整をしています。
引き続き情報交換をお願い致します。

1月ももう終わりです。正月明けの修理も半ばに落ち着いて、後半は風邪気味もありスローダウンしています。
とはいえ、ありがたい事に、明治時計の修理のご依頼がありましたので、丁寧に仕上げています。
こちらが、入手時の状態です。


今回は、我が家のストックの未整備の時計から、写真とボン打ちの音の動画を見て頂いて、その中からこの明治時計を選んで頂きました。


向かって左横に、日本時計工業組合の検査済シールが貼ってあります。
日本時計工業組合は、昭和10年に全国の東西の時計メーカーが作った組合ですので、それ以降の製造になります。
機械は幸いに、ゼンマイ切れはなく、手入れもされており良い状態です。


昭和13年には、金属製品の製造に倹約令が出された関係で、この頃の時計は地板にアルミを使っています。


機械はオーバーホールして部品を綺麗にしました。綺麗なようでも積年の汚れは出てきます。
ゼンマイも清掃、油引きをしました。
今回は、ホゾの問題はなく、詰める事はせずに磨くだけで済みました。



アルミの地板同様に、振り子や渦鈴の台が陶器になっています。代用陶器と呼ばれ、昭和13年ごろから15年の3年間に作られたものですので、掛時計の製造の歴史の中でも、代用陶器の使われた少ない個体の時計と言えると思います。
昭和15年以降は、陶器も産地と番号がふられる統制陶器に入りますので、昭和13年から15年までの製造であると分かります。

デザインは、昭和初期のモダンな雰囲気の時計ですが、機械や部品には、当時の戦争が近づく時代の影響が現れています。

しばらく機械の様子も見て、慣らしの動きも問題ないようですので、箱も綺麗にメンテナンスして、機械を組み込みました。


再度、振り子の具合やボン打ちの音のチェックして、稼働を見ます。
問題がないようですので、文字盤を取り付けました。


ほぼ、精度も日差2分以内に追い込めています。
あとは、ゼンマイが解けるまで、様子を見て完成です。



次は、新しく入手した、精工舎の14DAYの時計なんですが、残念な事に突き板が一部剥がれてありません。
送られた箱にも落ちてなくて、足りない部分は波状の突き板を、型取りで復元する事にしました。


樹脂は貼り付けた後に色味を合わせて漆塗装しました。

違和感がなければ十分です。黒ですので、剥がれは目立ちますので一安心です。
時間を見て機械のメンテナンスに入ろうと思います。

このほか、メルセデスのタイプライターを入手してメンテナンスをしています。
ドイツ製のもので、あまり市場に出てこない機種ですネ。


案の定、キャリッジ送りのベルトが切れています。しかもキャリッジ自体がずらすと上に抜ける普通にありえない状態です。


キャリッジに問題がないか分解をしてみました。ひょっとして、部品を逆に付け間違ったのかと思いましたが、どうもそうではないようです。


ネットで上の様にキャリッジの掛かり具合の分かる写真を見つけましたが、部品の位置は正しい事が分かりました。
滑らかにすべるには、色々な問題がありそうです。ベルトの修復の分解も容易ではなさそうです。
また、キャリッジを外すために、ガイドをこじ開けたのであれば、部品が歪に曲がっていそうですが、その形跡もありません。
なぜ、この状態なのか原因が分からずお手上げの状態です。この状態でベルトを戻しても、送りに不具合があるので、文字打ちはできません。
デザインが素敵なだけに、なんとか復元してあげたい思いですが、ヒントが見つかるまでは、飾りの状態で保管する事にしました。

もし、過去修理などをされて、ヒントをお持ちの方がいらっしゃいましたらご教示ください。

ジャンクの修理は、全部が上手くいくとは限りません。時には諦めも必要かも知れません。

1月も早いもので中旬になりました。
今年初めての投稿になりましたが、ようやく年末年始の時計修理が完成し一区切りつきました。
この連休にまとめてShopの方にあげました。


国産の戦後愛知時計の他は、アメリカ製の明治期初期から中期のかけての古い時計です。

このほか、年を越しながら整備をしたアンソニアの時計は、機械の調子もよく、簡易清掃と注油で復活しました。
機械のみをアメリカから輸入し、箱は日本の職人が作ったものに組み込んでアセンブリで作られたアンソニア時計ですが、当時のトレードマークなしの文字盤に戻して完成しました。

金箔もはげ落ちて、経年の枯れた風合いのままですが、当時の木目を模した刷毛目の職人芸が素敵です。

続いて年始は頭が丸いアールデコ様式のツートンの掛時計のオーバーホール修理をしました。
東京江戸川にかつて工場があった栄計舎製で、戦後占領下に輸出用に作られたオキュパイドジャパンの印字があります。


一枚板の扉が乾燥で反って、扉が完全には閉まらない状態でしたが、兆番の高さを調整して閉まるようにしました。
波板には一部亀裂がありますし底のシェラック塗装が一部剥げて気になるところですが、目立たないのでそのままとしました。



イングラハム の時計と一緒ですが、動画はこんな感じです。


閉まるようになりましたが、隙間が開くのは仕方がありません。


箱は、チークオイルでメンテナンスして小傷も目立たないようにメンテナンスしました。
スッキリとした、デザインが素敵です。

さらに、明治時計製のグレシャム型の丸時計をオーバーホールしました。


機械は状態も良く、ゼンマイ切れもありません。しかし、肝心なスモセコの針がない状態です。
オリジナルではありませんが、他の部品を転用して加工して取り付けました。


昭和6年の時計の修理ラベルが貼ってありましたので、昭和初期の製造と思われます。

最後は、明治40年頃の製造の角型のセストーマス製の枕時計をオーバーホールしました。
セストーマスのカタログでは、jokerの名前が付いています。目覚まし機能はありませんが、ベルを打って時打ちするタイプです。
スモセコの針や時間の緩急を調整する部品がありません。


文字板には、昭和2年に修理記録があります。


当時のヒゲゼンマイは根元で折れましたので、新たに交換しました。真を研磨して調整。
緩急針は他の時計の部品を加工して転用しています。元気に復活しました。



文字板の黄ばみが気になりますが、針の妨げにはならないようですので、オリジナルを生かすことにしました。


時打ちの動画はこんな具合です。側の模様は金箔を貼ったものとのことです。



ベルの音も可愛いですし、掛時計は大きくて敬遠される方も小型の置時計ですので場所をとらずに、インテリアと合わせてお使いできると思います。

このような具合に、まとまった時間で年末年始の修理作業もなんとか一区切りついたところです。
よろしければ、Shopの方もご覧頂ければ幸いです。
いよいよ今年も残すところあと数時間です。
家族皆んな元気で、平穏無事に一年が過ぎようとしていることに感謝しつつ、大晦日も時計を修理しながら、年越しです。
状態のとてもいいイングラハムの八角時計を倉庫から出してメンテナンスしています。


詳しく年代を調べていませんが、おそらく明治期のものと思われますが、金彩がとても綺麗に残っています。機械の状態も良さそうです。


不具合が一つ、振り竿についてるペラが折れています。このままでは、振り子が下げられない。
振りベラを継ぎ足すか、あるいは加工して作るかの選択です。
時計がいい状態ですので別の部品を継ぐのではなく、オリジナルの振り竿を叩いてペラを作る事としました。


加工後の写真ですが、根元を叩いて広げてペラの薄さに仕上げました。リューターで形を整えて穴あけをしました。1cm近く短くなりましたので、振り子は、長くして再調整が必要です。

機械は分解してオーバーホールしました。
ゼンマイ清掃油引き、ホゾ詰め、磨きといつもの作業です。


積年の汚れと錆を落として、組み上げました。
実用で使われた時期もあったのでしょうが、保管されていた時間も長いように思いました。
時計の箱もさる事ながら、機械も錆はあるものの、状態は良好です。とても100年以上経つ機械とは思えない綺麗なままで残っています。


振り子も元気に振るようになりました。



このまま、時間を追い込みながらしばらく様子を見ることにしました。

さらに、同時並行で、アンソニアの八角掛時計もメンテナンスしています。


実は、入手時の箱の縁は、写真を撮り忘れましたが、ラッカーの金彩塗装で塗りつぶされた状態でした。当時の金彩はイングラハムのように、もっと金属に近い輝きですので、手間ですがラッカー塗装を全て一旦落として元の剥げた状態に戻しています。



また、文字板は白で補修がされています。時代の古い紙コピーの文字板で、黒い影が出た部分を白で補修したようです。
こちらも一旦紙を剥がしてオリジナルの文字板を出して見ましたが、手書きのローマ数字が消えたり塗装が剥げていたりで使えません。
この当時のアンソニア時計は、文字板にマークがないものが多く単にローマ数字のみの文字板がオリジナルのようです。
全ての塗装を落としたのちに、新たにローマ数字の紙文字板を貼って作成しました。
色褪せ加工をして時間はかかりましたが、新しい文字板に修復しました。


箱の状態は散々でしたが、機械の状態は良好のようです。
大晦日は、この機械をメンテナンスしながら年を越したいと思います。


今年一年お付き合い頂き心より感謝申し上げます。
皆さんも良い年をお迎えください。

久々の蓄音機ネタです。
コロムビアのポータブル蓄音機を入手したのですが、No15のサウンドボックスをよく見ると、裏側から分解しようとして、赤ゴムが割れています。
写真では分かりづらいですが、こじ開けようとして途中でやめたので、斜めになっています。
しかも弾力を失って硬化し、崩れ易い状態にもなっています。


もっと酷いケースは、ゴムの部分を無理に引き裂いて分解されたものも見かけます。

このままでは使えず、捨てるのも勿体ないですので、なんとか修復出来ないものか、やってみました。


まずは、裏からトンボと振動板を固定するビスを塗装剥がしを塗布して外したのち、表のトンボやカバー、振動板、ガスケットを外して分解しました。

問題の裏側は、赤ゴムが固着していますので、ビスを外して、硬くなったゴムをパーツクリーナーや556などで溶かしながら外しました。


ヘラで固着した赤ゴムを削ぎおとして洗浄しました。結構、完全に落とすのに根気がいりますが、ここは我慢です。


次に用意したのは、薬品の瓶などに使う赤ゴム栓です。下径が43mmのもの。これ自体は1個が175円とお手頃価格です。これをカッターで必要な厚さに切って加工しました。


ビスの取り付け場所をリューターで掘り下げて、裏側も同様に加工をしました。0.5mm位直径が大きい印象です。
赤ゴム栓が下径40.5mmのもので、42mm位のところを使う位がベストかと思いました。



糊で固着させていませんが、ビスでサンドして固定しました。43mmでは少しきつい感じでしたがはめ込んで固定しました。
表は、ガスケットを虫ゴムに交換して、トンボを取り付けました。




左右のベアリングは、洗浄してグリスを塗布した後、固定しました。
これで、サウンドボックスの修理も一通り完成です。


音は、ビスの締め具合で変化しますので、解像度が少し甘い感じもしますが、赤ゴムの影響があるかどうかは分かりません。

見た目も問題なく実用で使えますので、捨ててしまうよりは、ゴムの削除や部品のリューターで削るなど手間はかかりますが、新たに歌口を入手する前に自前の修復方法としてはありだと思いました。

突然で恐縮ですが、話は変わって前回の続きです。明治期の二つの時計をオーバーホールしていましたが、漸く完成して、現在、時間の追い込みをしています。




慣らしの運転を兼ねていますが、今のところ不具合なく稼働しています。
年末年始は、精力的に時計などの修理をしていきたいと思っています。
時間が出来ましたら、状況をまたアップしますね。
12月は、もう1回アップして、新年を迎えたいと思います。皆さん良いお年をお迎えください。






ブログの更新も久々になりました。11月から12月の初旬にかけて、有難い事にShopの時計が新しい主人の元に旅立って行きました。
整備済みの時計も少なくなってきましたので、最近は掛時計を主に修理しています。
インスタにもアップしていますので、振り返る感じとなりますが、ご容赦ください。
まずは、昭和30年代中期の愛知時計を、オーバーホールしました。


昭和初期の掛時計に比べると、機械もコンパクトな設計になっています。全体的に部品も小さくなった関係でゼンマイを巻く穴の位置の間隔が短くなり、文字板の4時や8時の穴で隠れやすかった所が、綺麗に出ています。


ちょっとした改善ですが、視認性が良くなってスッキリした印象です。
この時計は、宮型のオーソドックスなデザインで、昭和30年代らしいレトロないい雰囲気です。
一枚板を加工した時計に良くある事ですが、板の割れが出ていましたので、キズ隠しで軽く補修をしています。


振り子室のガラスは面取りで、スリットと星のカット加工がされています。精度も落ち着きましたので、近々Shopに上げようと思います。


次は、明治30年代に作られたアメリカウオーターベリー社の八角10インチ掛時計をオーバーホールしました。
箱の裏に、Drop Oct.Guilt のラベルが残っています。また、文字板は当時のオリジナルが綺麗に残っています。

幸いゼンマイ切れもなく、板に修理記録が書かれています。明治36年が一番古い年代のようです。機械は何度も修理メンテナンスをされています。最後は、平成23年の修理記録がありました。
注油して様子を見ましたが、下の様に、ここまでゼンマイが広がっても振り子が動き続けています。普通は、もっと広がる手前で振り子は止まってしまうので見事な調整です。


このように動きは問題ありませんが、時間とともにやはり塵や埃は溜まってきます。過去の職人さんの調整に敬意を払いながら、丁寧に分解清掃をしました。8年ぶりの汚れは、下の写真のようにやはり出てきます。


ホゾの磨きや詰めを行って、組み上げました。
振り子を吊るさなくても、振り竿の元気が良いですね。



この時計は、箱の振り子室周りが補修されています。風防ガラスと振り子室のガラスも取り替えられています。おそらく地震などの影響で、破損したのではないかと思います。
ボンドの補修は、硬さとテカリが違いますし、形も歪んでいましたので、一旦バラして膠で接着し直しました。木が収縮して隙間が空いた所は、膠で埋めて、硬化後に接着面のツヤを消して違和感の無いようにしています。




こちらは、慣らしの動きは問題がないようですので、箱に組み込んで、もう少し時間を追い込みたいと思います。経年の枯れ具合は、時間を経ないと出せない味で、この時計の表情ですネ。
さらに、明治中期頃の船時計を入手しましたので、こちらもオーバーホールする事にしました。


風防ガラスのヤニや油汚れが酷い状態ですが、文字板の状態は悪くないようです。
スモセコの針が欠損しています。
また、文字板を外して分かったのですが、右のゼンマイのコハゼが外れて、ゼンマイが広がったため、機械が外せなかったようです。
ベルを先に外して、知恵の輪のように傾けながら、足を抜き、撞木を抜いて漸く機械が抜けました。


機械は、四角にAマークのアメリカのアンソニア製でした。紙の文字板は当時のままの様です。
裏側の時計修理の保証シールは、中途半端に破れていましたので、丁寧にお湯で濡らしてオリジナルのラベルのみ残しました。
また、ゼンマイのコハゼは、ハンダ痕を綺麗に払って、新たに真鍮でバネを作りました。

この船時計は、中国上海の中国・日本貿易会社向けにアメリカで作られたもののようです。
これだけ綺麗にラベルが残っているのも珍しいですネ。

機械の方は、積年の汚れとサビを落として組み上げました。幸いテンプが綺麗に生きていました。
真を磨き、揺れ見を調整し、今回は、受けネジの交換部品がありませんでしたので、受けネジの底も変形を磨いて馴らしました。




テンプも元気に復活しました。しばらく慣らしで動かしたのちに、箱に組み込みたいと思います。
2台共に130年近く前の時計ですが、蒸気機関車と蒸気船を乗り継いで、アメリカからはるばる日本にやってきて、国内でも何代も受け継がれて、戦禍も免れて今なお残って、当時のようにちゃんと動いているのは、色んな経緯が重なった運もあり素晴らしいですネ。
まだ、完成ではありませんので、油断はできませんが、もう少し様子を見ながら仕上げていきたいと思います。
添付写真数に限りがありますので、全部載せられませんでしたが、完成しましたら、またアップしますね。