路地裏の骨董カフェ -2ページ目

路地裏の骨董カフェ

アートとふるもの好きが嵩じて、明治、大正、昭和初期のインテリアや雑貨を取り扱う古物商を始めました。また、古時計や蓄音機などを中心に修理・調整をしています。
引き続き情報交換をお願い致します。

早いもので、更新もあっという間に一ヶ月以上過ぎました。
おかげ様で、5月に整備した時計は、稼働時間が実用にならなかった明治時計を除いて、全て可愛がっていただけるお宅へ旅立って行きました。
6月は、ご依頼もあって洋物の目覚まし時計を中心に整備をしていました。
その前に、前回の続きで仕上がった船時計の紹介から。




オリジナルの紙文字板は、京橋際の木村謙吉名のものに張り替えられています。当時、木村ブランドで張り替え文字板を専門にした店があったんですね。面白いです。
天真摩耗が見られましたので、先を尖らせて調整しました。この当時の船時計は、ネジを巻いても動き出さずに、揺らすかスモセコを少し回してあげると動き出す事が殆どです。
ネジを巻いて、直ぐにテンプが動き出すとベストなんですが、テンプが大きくて重い事とヒゲゼンマイが経年で疲れている事もあって、これ以上は限界と判断しました。1日中ずっと動くだけでもよしとして、攻めずにこのままとしています。

もう一つ、1950年代のセストーマスのアールデコ調の置時計をオーバーホールしました。
シンプルですが、渋いデザインの時計です。




シンプルなフォルムに対して、文字板がいかにもアメリカンといった感じです。
渦りんを支える支柱が根元で折れていましたので、ダイスでネジを切り直して、固定できるようにしました。機械は丁寧にオーバーホール洗浄調整注油して、元気に動いています。
ポーンに近い時打ちの音が掛時計と違って新鮮です。

ここから、目覚まし時計が続きます。


まずは、可愛い小ぶりなJAZの目覚まし時計です。
思い出のある時計との事で、再び時を刻むようになればと、ご依頼がありました。
分解して見ると積年の、埃や塵が動きを妨げていました。
綺麗に洗浄して、動きを調整して復活しました。
お宅へ大切にお送りしました。

続いて、1950年代のSevernという名がついた目覚まし時計です。マホガニーの木枠に軽くオシャレな装飾がステキな時計です。


この時計どうしても、時間合わせのつまみが固着して外れません。無理をせずにそのままにして、文字板の方から逆に分解していきました。
分解して見ると、長針と短針の回転を繋ぐ歯車にヒビがありました。このために、長針が滑る不安定な状態でしたので、ハンダで接着して固めて戻しました。
もともとテンプの動きも良い時計でしたので、いい精度で無事復活しました。
おかげ様で、お客様のお手元に旅立ちました。

続いて、SWIZAのオルゴール目覚まし時計、mignonと名前のついた時計です。


この時計は、オルゴールも時計部分も不具合があって、なかなか手強い時計でした。おまけに、油が固着して固まっています。
オルゴールの小さなゼンマイも引き出して、洗浄や清掃をしました。結構反発力があって、香箱に収めるのに難儀をしました。さらにゼンマイの歯車が滑る状態で、ワッシャーを入れて、噛み合わせが合うように調整しました。
また、時計の側もゼンマイの逆回転を止めるコハゼの爪が欠けていて、ゼンマイが巻けません。
コハゼの爪をリューターで新たに削り出して、ゼンマイが巻けるようにしました。


曲は、ブラームスのワルツ15番だそうです。

ロココ調を意識した色合いに、楕円形のずんぐりしたデザインは、可憐で可愛い感じがします。
稼働については、もう少し見守りたいと思います。

まだまだ、整備した目覚まし時計がいくつかありますが、続きは次回にしますね。




コロナ新型ウイルスの影響で、家で自粛の期間は、掛時計を集中的にオーバーホールをしました。ちょっと振り返ります。
まずは、昭和初期の頭丸の明治時計です。


文字板や機械は問題はありませんが、箱の頭部分に白い塗装が落ちた跡があって、痛々しい状態です。
汚れ落しでは、液だれの厚みがあって容易に取れません。シール剥がし、塗装剥がしと強度を強めながら、なるべく下地の塗装を生かしながら、僅かに跡は残りますが、液垂れを除去しました。


あとは、機械のオーバーホールです。ゼンマイは汚れと錆を落し、磨いた上に油を引きます。機械は分解して洗浄液に浸けブラシで清掃。
乾燥後は、ザラ回しして歯車の動きをチェック、広がったホゾを詰めて磨いています。

仮組して、組み上げると、軽く巻いてボン打ちの動きをチェック。
その後、柱に取り付けてクランクの動きを調整して、ここから時間を追い込みながら、慣らし稼働させます。


この時計は、後年の調整の際に、置き時計としても使えるように、底に木の枠をつけて安定が良くなるように加工されています。
高い場所のネジ巻きが大変になって、台の上でも管理ができるように依頼したのだと思います。
きっと愛着のある時計だったのでしょうね。

裏には、明治時計の輸出用のラベルが一部残っています。中京の時計メーカーは、昭和初期に時計製造の全盛期を迎え、多くの時計が輸出されました。明治時計も当時多くの時計がアジア諸国に輸出されていたと思います。ラベルは、その名残ですね。
低めの太い強めの鈴の音です。
次は、昭和30年頃の愛知電気時計製の宮型の掛時計です。


機械は、いつもの工程で、オーバーホール、洗浄、注油・調整をしました。


この当時の愛知時計の機械は、精度も安定してコンパクトで小型になっています。ゼンマイ同士の間隔が狭くなったため、文字板の4時と8時の文字が、ゼンマイ穴で隠れる事がなくなり視認性が良くなりました。
文字板の汚れも少なく、オリジナルの綺麗な状態です。
色合いが、少し緑がかっていて、昭和30年代も後半に好まれた色のように思いました。

さらに、上の時計より時代の古い戦後まもない頃と思われる愛知時計です。


この時計は、頭丸のモダンなデザインで、丸と直線で構成された、アール・デコを意識した時計です。
残念な事に、文字板の劣化が著しくて、愛知時計のトレードマークが落ちています。
これは手間はかかりますが、コンピュータでオリジナルをスキャンして、マークを加えて、復元をする事にしました。
オリジナルからの、文字板データの復元は、単にスキャンして終わりではなく、ここからかすれたり消えたり、汚れたりした部分を、一文字ずつ直していく作業をしますので、結構時間がかかります。


続いて箱や銘板の痛みをメンテナンスしました。
機械は、いつもの工程でオーバーホール、清掃、注油・調整をしています。


昭和30年代になると、銘板は紙になります。
金属の銘板は、戦後まもない頃の愛知時計に多く見られるように思います。

更に2台続きます。
文字板のみ先に復元していた精工舎の宮型の掛時計です。

この時計も昭和30年頃の時計と思われます。
短針とボン打ちがずれる事のない、本打ち式の機械です。
オーバーホールだけまだしていませんでしたので、この機会に綺麗にしました。


本打ち式になると、ボン打ちの動きがバネで制御されていますので、掛け方の違いでボン打ちが飛んだりずれたりしますので、調整に気を使います。安定した精度が出るので、実用に向いた機械だと思います。
黒に近い茶色がシックな時計です。
最後は、昭和初期頃と思われる、明治時計製のスリゲル式の宮型掛時計です。


この時計も入手先は違いますが、白い飛沫が箱に飛び散って、汚れを落とす必要がありました。
こちらは、上最初の明治時計と違って、コンパウンド系で落ちていきます。
引っ掻き傷もありますが、オイルでメンテナンスしました。

経年による、扉の割れがありますが、そのままにしています。
また、文字盤の汚れが目立つので、同時期の比較的綺麗な文字盤がありましたので、交換しています。

写真では分かりづらいですが、ゼンマイは香箱入りです。台の上に機械を据えて、裏側にクランク棒が出るスリゲルの特徴の機械です。
ゼンマイの巻きが、いつもの機械と違って裏側から巻く為に、巻く方向が逆になっています。
普通の機械をベースに、スリゲル式に移行させた機械で、高級時計を目指した跡が伺える機械です。

鈴台の錆が酷いので、錆落とし後に再塗装しています。テカリが目立ちますね。

いずれの時計も稼働の様子を見て、精度を追い込み、日差2分以内に調整しました。

コロナの非常事態宣言の影響で、家での自粛は、運動不足で太ったのは反省ですが、集中して時計整備ができたのは、良かったのではないかと思います。

まだ、未完成で調整中の舟時計や置き時計もありますので、次の機会にご紹介しますね。








3月から4月は、ご依頼の時計修理がありがたいことに続きました。
ネットなどをご覧になった方から色々なご縁でショップやインスタ経由でお声掛けを頂き、色々な時計を修理させて頂きました。
まずは、お部屋の雰囲気に合う時計をご希望とのことで、手持ちの2台を修理し、いずれか選んで頂きました。ともに縦が40cm前後の小ぶりな時計です。


手前が、戦後の愛知時計で、後ろが戦前の鶴巻時計店栄工舎のナチュラル調の頭丸の時計です。
ともに、オーバーホールしました。





どちらにするかとても悩まれましたが、最終的にはアール・デコ調の愛知時計を選ばれました。
お部屋に合う色の時計がご希望でしたので、無事お手元にお届け出来て安心いたしました。

続いて、購入されてインテリアにしていた外国製の目覚まし時計の修理のご依頼です。

下が修理後の写真ですが、右がイギリスのSmith社製、左がアメリカwestclox社製の目覚まし時計です。
ともに戦後頃の製品と思われます。


イギリスのスミス社はオーバーホールできましたが、westclox社は、針の締めがきつくてオーバーホールは断念。


westclox社の方は、ゼンマイが末端で切れていましたので、再加工しました。ゼンマイ部分のみ外して分解ができましたので、幸いでした。


蛍光塗料部分が残念ながら一部欠損していましたので、蓄光レジンで修復しました。
デザインがとても可愛い時計ですので、こちらも無事修理・復活できて安心しました。

さらに、精工舎の本打ち掛け時計とユンハンスのトーマス型の丸時計の修理です。
ともに、オーバーホールはご希望ではなく、動くように調整して欲しいとの事でした。

精工舎の掛け時計は、足が歪んだため、歯車が棒鈴の鋳物の台に接触していました。
ゼンマイを巻く時に、強く押したのが原因と思われます。


足の傾きを立て目に調整し、木ネジが緩まないように、パテで穴埋めして機械を取り付けました。


ユンハンスの丸時計は、振りペラが折れていました。これは、部品を交換しました。




最後は、戦後昭和20〜27年の間に輸出用に作られた、オキュパイドジャパンの置き時計です。
暖炉の上に置く、いわゆるマントル時計と呼ばれる大型の置き時計です。メーカーは愛知時計です。こちらも整備をお約束していました。
下は、オーバーホール完了後の写真です。





元気にカチコチ時を刻んでいます。
やはり愛知時計は、戦前・戦後に渡って、デザインのおしゃれな時計が多い印象です。もちろん機械も劣化はなく、整備すれば、実用で使えます。

修理には、手間も時間もかかります。調整はもちろん劣化した部品の交換をした時計もあります。
元気に動く時計から、私も元気をもらっている思いがします。
連休までに、商品として修理した時計がまだありますが、現在稼働を見守っている時計もあり、もうすぐ完成しそうです。詳細は、また次にアップしますね。





ご無沙汰しておりました。3月4月とコロナの影響で、時計修理はコツコツ慌てず続けておりました。観光業や飲食業、サービス業の皆さんの心中を思うと、自粛の影響で営業が十分出来ない日々が続いており、生活の不安が続いていると思います。
いつのまにか、ブログもズルズルと自粛になってしまい、ようやく非常事態宣言の解除も視野に入ってきましたので、アップしてもいいかなという思いです。(インスタとの重複はお許しください)

まずは、昭和初期の名古屋にあった重工舎 帝国時計の木目がナチュラルなモダンな掛時計を入手しました。



残念ながら、文字盤が劣化で塗装が剥げています。こうなると、じきにパラパラと塗装が剥げ落ちてしまいます。また、振り子窓の上下に板の亀裂が縦に複数本あります。

まずは、文字板の再生から。
オリジナルの文字盤をスキャンしてデータを読み込み、劣化の部分を補修しました。


局面の文字板の再生でしたが、薄いシートですので、局面にも馴染んで再生ができるようです。
シルクスクリーンの仕上がりに比べると、劣りますが遠目には再生とは分からない仕上がりとなりました。

アルミの地板が使われていますので、金属統制の始まる前後の昭和10年代の時計と思われます。
機械はオーバーホールをして、組み上げました。箱もチークオイルでメンテナンスし、扉の割れも膠で補修しています。



文字板の新調されて、キリッとした時計になりました。当時としてはハイカラなナチュラルモダンな時計です。

同時並行で、頭丸の明治時計も仕上げました。




丸いアールに庇のあるデザインは、大正〜昭和初期に流行ったデザインですね。
文字板は、アルミのように見えますが、セルロイド製です。当時としては、最先端の樹脂を採用しています。
調整して、日差2分以内で稼働しています。
コロナ自粛の期間中は、このほかにも、ご依頼の時計やその他の時計をコツコツと修理を続けてきましたので、これからアップしていきますね。
ペースがゆっくりで恐縮ですが、これからもお付き合いください。



1月の投稿から久し振りのブログ更新となりました。2月の前半は、ご依頼の時計のオーバーホールや修理など中心で、後半は懸案の文字板の再生を色々と試していていました。ようやくこの連休はコロナウイルスの影響で外出もせずに、時計の修理を集中的に行いました。

まずは、前回箱の補修をした、精工舎の14DAYの時計の続きです。


機械を外そうとしたところ、板のネジ山が潰れていて、ドライバーが滑って外せません。
修理では良くある事なんですが、ネジが錆で回りにくくなっている様です。
手間ですが、リューターで溝を深彫りしてネジの係りをよくした上で、シリコンオイルを染ませて外しました。


板には見慣れない穴が開いています。
ネジが外せないので、穴を開けて機械のビスを外したのでしょうか。過去の修理に苦労した跡が伺えます。
文字板の裏を見ると平成21年と最近の修理歴がありました。


オーバーホールして組み上げました。


精工舎の本打ち式のオーソドックスな機械ですね。

次は、同じように精工舎の本打ち式の宮型の掛時計です。ちなみに、本打ち式は、短針とボンボンの打つ回数がずれない機械で、30分でも1回打つ優れものです。
上の時計と同じように、漆黒の落ち着いた時計を修理することにしました。


入手時の針を外した状態の写真です。
残念ながらアルミの文字板の塗装が劣化して細かく割れて剥げた状態です。
当時のアルミ文字板によくある現象です。
このままでは使えませんので、文字板の再生のため、スキャンデータを起こして、割れた部分を修正して消していきました。


欠けたロゴのSEIKは、SはSHAのSから、EはHから、IはHから Kだけは、他の時計の写真を見ながら作りました。上に詰まった感じに特徴があります。
スキャンデータはできたのですが、どう再生するか、昭和30年代の文字板ですので、紙ではなく塗装のアルミ板にシルクスクリーンで黒印刷がベストです。ただ、シルクスクリーンでは、焼き付けに洗い、印刷と何工程もあり、設備も必要でもう少し簡易な方法を模索していました。
過去の経験でTシャツなどの熱転写では上手くいきませんでした。紙文字板よりも、シルクスクリーンに近い再生ができないものかと、印刷用の色々な用紙を試して、あるシートに辿り着きました。
詳細は省きますが、オリジナルの塗装を一旦全て剥がして洗い流し、その上にシートを貼りつけ、仕上げにつや消しの塗装をしています。


つや消しのラッカーを吹いて、より自然に感じになりました。全ての印刷シートを試した訳ではないので、まだベストな方法があるかもしれませんが、当面この方法で、痛んだ文字板の再生に少しだけ方向性が見えて来ました。

続いて、箱のメンテナンスです。


いつもの様に、チークオイルで、傷をオイルの力で目立たなくします。
さらに、機械のオーバーホールをしました。


組み上げて振りを調整しました。



稼働に不具合がないようですので、機械を箱に組み付けました。
下が完成の状態です。



痛々しい文字板も再生して真新しくなりました。写真は白く写っていますが、実際は薄くクリーム色にしています。
大きく精度が狂わないいい機械です。暫く慣らし稼働をして様子を見たいと思います。


このほかにも、帝国時計や明治時計のオーバーホールも同時進行していますが、続きは次回にUPしますね。