まずは、昭和初期の頭丸の明治時計です。
乾燥後は、ザラ回しして歯車の動きをチェック、広がったホゾを詰めて磨いています。
仮組して、組み上げると、軽く巻いてボン打ちの動きをチェック。
その後、柱に取り付けてクランクの動きを調整して、ここから時間を追い込みながら、慣らし稼働させます。
高い場所のネジ巻きが大変になって、台の上でも管理ができるように依頼したのだと思います。
きっと愛着のある時計だったのでしょうね。
裏には、明治時計の輸出用のラベルが一部残っています。中京の時計メーカーは、昭和初期に時計製造の全盛期を迎え、多くの時計が輸出されました。明治時計も当時多くの時計がアジア諸国に輸出されていたと思います。ラベルは、その名残ですね。
低めの太い強めの鈴の音です。
次は、昭和30年頃の愛知電気時計製の宮型の掛時計です。
文字板の汚れも少なく、オリジナルの綺麗な状態です。
色合いが、少し緑がかっていて、昭和30年代も後半に好まれた色のように思いました。
さらに、上の時計より時代の古い戦後まもない頃と思われる愛知時計です。
残念な事に、文字板の劣化が著しくて、愛知時計のトレードマークが落ちています。
これは手間はかかりますが、コンピュータでオリジナルをスキャンして、マークを加えて、復元をする事にしました。
オリジナルからの、文字板データの復元は、単にスキャンして終わりではなく、ここからかすれたり消えたり、汚れたりした部分を、一文字ずつ直していく作業をしますので、結構時間がかかります。
機械は、いつもの工程でオーバーホール、清掃、注油・調整をしています。
金属の銘板は、戦後まもない頃の愛知時計に多く見られるように思います。
更に2台続きます。
文字板のみ先に復元していた精工舎の宮型の掛時計です。
短針とボン打ちがずれる事のない、本打ち式の機械です。
オーバーホールだけまだしていませんでしたので、この機会に綺麗にしました。
黒に近い茶色がシックな時計です。
最後は、昭和初期頃と思われる、明治時計製のスリゲル式の宮型掛時計です。
この時計も入手先は違いますが、白い飛沫が箱に飛び散って、汚れを落とす必要がありました。
こちらは、上最初の明治時計と違って、コンパウンド系で落ちていきます。
引っ掻き傷もありますが、オイルでメンテナンスしました。
また、文字盤の汚れが目立つので、同時期の比較的綺麗な文字盤がありましたので、交換しています。
ゼンマイの巻きが、いつもの機械と違って裏側から巻く為に、巻く方向が逆になっています。
普通の機械をベースに、スリゲル式に移行させた機械で、高級時計を目指した跡が伺える機械です。
鈴台の錆が酷いので、錆落とし後に再塗装しています。テカリが目立ちますね。
いずれの時計も稼働の様子を見て、精度を追い込み、日差2分以内に調整しました。
コロナの非常事態宣言の影響で、家での自粛は、運動不足で太ったのは反省ですが、集中して時計整備ができたのは、良かったのではないかと思います。
まだ、未完成で調整中の舟時計や置き時計もありますので、次の機会にご紹介しますね。