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■『菊次郎の夏』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]
1999年/日本映画/121分
監督:北野武
出演:ビートたけし/関口雄介/岸本加世子/吉行和子/グレート義太夫/井手らっきょ
[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160903/02/rocky-balboa-1976/f7/ef/j/o0400056013738888660.jpg?caw=800)
■やりすぎ限界男優賞:ビートたけし
[北野武監督第8作目]
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淀川先生がいなくなり僕も一人立ちする時がきた。「正しいこと」「間違ったこと」を自分で考え判断しなければならなくなった。淀川先生が亡くなられたショックで僕の一番映画を見ない時期だった。『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』『ノッティングヒルの恋人』『橋の上の娘』の時代。『菊次郎の夏』は初めて淀川先生の評論がない映画となった。
[人間のやさしさ]
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この世にいるのが「悪い大人」だけではない「人間のやさしさ」を『菊次郎の夏』は見せた。
[両親がいない寂しさ]
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正男(関口雄介)には両親がいない。小学生の夏休みは大抵家族で旅行するもの。僕も子供の頃は両親の田舎に連れて行かれた。だがおばあちゃんと二人暮らしの正男は孤独な夏休みを過ごす。「両親がいない寂しさ」が、お母さんに会いたくなった正男を家出させた。
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「おばあちゃんの友だち」菊次郎(ビートたけし)が、正男をお母さんに会いに連れてくこととなった。仏様は本当にいるのかもしれない。「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」ように、「辛い思い」をした人間には必ず「楽しい思い」を与えてくれる。「正男の夏休み」にはこの世は上手くできてると仏様を感じる極限のくそリアリズムがある。「両親がいない寂しさ」をブっ飛ばす菊次郎と正男の目茶苦茶な「ロードムービー」に涙が出た。
[「愛の映画」]
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もし両親がいたら、正男は菊次郎に会えなかった。「やさしいおじちゃん」達とキャンプもできなかった。「辛いことがあれば必ず楽しいことがある」。たとえ両親がいなくても「良い大人」が支えれば子供は間違った道に進まない。これが淀川先生の教え「愛の映画」だ。
[簡単な数式に当てはまらない人間]
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正男をお母さんに会わせる約束をした菊次郎は競輪ばかりで全く約束を果たさない。あげく変質者に襲われる事件にまで正男を追い込む。「他人のことを考える人間」と「他人のことを考えない人間」。「善人」と「悪人」の判断が簡単な数式で当てはまらないことを北野武監督は叩きつける。「人間の奥深さ」を『菊次郎の夏』は見せる。
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誰が見ても「悪い大人」の菊次郎が、傷つけた正男に反省し「変化」。人間の偉大さは「変化」にある。「他人のことを考えない人間」から「他人のことを考える人間」へ。最初は嘘吐きだった菊次郎が “本気” で約束を果たす姿に涙が出た。
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■「行こう なんか
人違いみたいだったなあ…
なんかあれ…
住所は同じなんだけどなあ
なんか違う人だぜ
さっ行こう」
だが菊次郎はタクシーを「盗む」。正男の洋服も買ってやらずに「盗む」。ヒッチハイクで運転手を「騙す」。こんな悪さは「他人のことを考えない人間」にしかできない。だがこれらの「犯罪」は全部正男への「愛」。「人間のやさしさ」だ。「簡単な数式に当てはまらない人間」の極限のくそリアリズムにおしっこを漏らして震撼する以外もはやなす術はない。
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これは「善人」と「悪人」の判断を絶対「狭い視野」で見てはいけない「警告」だ。「長所」と「短所」があって「人間」。どこまでが「他人のことを考えない人間」かは簡単に判断できない「人間の奥深さ」。恐るべし北野武監督。「あんたに殺されたくねえ」。
[贖罪]
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「芸能」とは「ヤクザ」の世界に近いかもしれない。父親が危篤でもストリップ小屋で漫才をしなければならない世界。親が死んでも舞台に立たねばならないのが「芸能」という職業。北野監督が「ビートたけし」である現実を「刺青を彫る人生」に重ねたように見える。
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お母さんに会わせるはずの菊次郎が自分の母親に会いに行く。だが母親を前に会えない菊次郎。「刺青を彫る人生」。菊次郎がなぜ会えないかは描かれない。正男に楽しい思いをさせたかったのは「親不孝」をしてきた「贖罪」なのかもしれない。「簡単な数式に当てはまらない人間」。「変化」する「人間の奥深さ」。この世に「良い大人」は絶対いる「人間のやさしさ」を『菊次郎の夏』は見せた。
■『その男、凶暴につき』
■『3-4X10月』
■『あの夏、いちばん静かな海。』
■『ソナチネ』
■『みんな~やってるか!』
■『Kids Return』
■『HANA-BI』
■『菊次郎の夏』
■『BROTHER』
■『Dolls ドールズ』
■[Next]
画像 2016年 9月