龍馬伝 ~海の向こうへ~
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曲の前半と後半を少しカットしてマイチャンネルへup
大河ドラマの龍馬伝。始まってからずっと観ている。
私でさえ、DBどころの騒ぎじゃない、特に最近は。
この曲”想望”が流れる場面は、泣きが入る場面と相場が決まってる。
土佐藩主と勤皇党首の絡みと以蔵の特に”武市の夢”も、私を泣かした。
大泉さんの出番が終わった先週と一昨日も泣きっ放し。
いよいよ佳境に入ってきた。
最終回では、私きっと号泣してしまう。数日間は放心状態に陥ってしまうかも。
世の中行き詰ると救世主が現れるものなんだなとつくづく思った。「眩し過ぎる光は腹が立つ。」と龍馬に言った弥太郎。器の大きい人や救世主ってのは、妬まれ疎まれ殺されちゃうのかね?神様が連れて行っちゃうのかもね。考え方の違う人々が共存する平和な世の中を創ろうとした龍馬や同志の願いを私たちの胸に刻んで忘れさせない為に。
私の好きな人や私の嫌いな人でさえ、「龍馬は好き。」と話す。だからこそ、龍馬は希望なんだ。
地球に落ちて来た男
近いうちにyoutubeでアップロードし直す宣言!
(以上2012/04/13)
(追記)
動画は削除した。残念だけど…仕方ない。
(以上)
The Man who Fell to Earth / 12-1
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地球に落ちて来た男(1976年)
主演男優賞受賞 David Bowie
(以下、自分なりに纏めたあらすじ)
枯れゆく星から水を求め、妻子を残し或る計画を持って地球にやって来た男。
人間を超えた能力を持つ男は、地球人になりすまし、発明した特許を元に会社を設立する。そして、売り出した製品に注目する科学者が現れる。
事業で大きな収入を得た男は、計画を実行に移すべく権利を他社へ売り渡し、田舎町のホテルに引き篭もる。そこで出逢った酒好きの女と慰め合うようになるが、心の隙間は互いに埋めようがなかった。
なかなか捗らない計画。「時間は私に逆らうのか?」とつぶやく男。
男が希望(水)を持って妻子の元へ帰るには、新会社を設立して始めた事業計画を着々と進めるしかなかった。その為には予てから決めていた協力者が必要になる。それが、例の科学者だ。興味深い計画を明かされた科学者であったが、男を疑う彼はその素性を見破ることになる。
一方、女は男の愛を掴めないまますれ違いに悲しみ苛立つばかり。そこで男は自分の本当の姿を彼女に明かすのだった。女はその場で本来の彼をなんとか受け入れようとしたが出来ない。そして彼も、傍に居て欲しいのは、愛する妻と子供以外の誰でもなかった。
男にやっと妻子の待つ故郷の星に帰る日が訪れる。彼にとってそれは計画の一段に過ぎないはずだった。だが、宇宙船に今まさに乗り込むという寸前何者かによって連れ去られてしまう。底知れない男に脅威を感じていた政府の関係者によるものであった。
男は、人体実験の末、地下室へ軟禁されてしまう。その結果、能力を失われ、故郷の星へ戻る望みも絶たれた。もし帰ることが叶ったとしても、干乾びた星で命綱(水)を失った妻子は既に息絶えた。
いつしか男の軟禁は解かれていた。男がそれと気付いたのは最早世間が彼を忘れ去った後だった。彼が殺されず済んだのは、地下室の人体実験で人畜無害な生き物にされてしまったからだろうか?
彼に残ったのは、<超越した能力>と引き換えに与えられた永遠の命すなわち残酷で気の遠くなるように続く<永久の時間>。そしてまた、彼に与えられたのは故郷を救うはずだった<命の水>に代わる<アルコール>だった。
泥酔し肩を落とす男に同情する科学者と、愛し合った女は、既に年老いた。
全て失った男は、酒をあおるだけの廃人と化した。
そう…今や彼は、<生きる屍>。
忘却の彼方で永遠に歳をとらないように見える男。
彼が帰るはずだった星も、あの夜空の何処かで瞬いているのだろう。
(以上)
或る夏の日と虚脱感
"地球に落ちてきた男"を初めて観たのは、確か’81年は夏のこと。
横浜の自宅から、情報誌"ぴあ"で調べた池袋(東池袋?)の映画館まで出かけて行ったんだ。自宅近くのバス停で佇んでいた事を覚えている。肩に下げたショルダーバッグの冴えない色や、炎天下の元で汗が噴き出ていたことも。そして、音楽誌面に載っていた映画の美しい宇宙人デヴィッド・ボウイを観るそれが直に叶うのだ!という期待に胸が弾んでいたことを。不思議なほどハッキリ覚えてる。
池袋(東か?)駅傍に在るこじんまりとした映画館だった。
夜になればオールナイトでポルノ映画でも上映していそうな、そんな感じの名画座に入るのは初めてだった。
映画は1976年の作品で、日本上映は’77年。撮影は’75年。遡っても僅か4~5年前の映画なのに、この映画を知った時点はこの当日と同じ18歳の時間感覚と現在の自分とではそれがズレる為、随分と昔の映画のように感じていたらしい。前以ってインプットさせていた映画のあらすじで或る程度の予想がついていたはずだが、入り口で買ったパンフレットを抱きしめワクワクしながら館内に入っていった(いや待てよ、旧映画にパンフなんて無いでしょ?ラビリンスと間違えているんじゃ?!)。兎に角、ワクワクドキドキしていたのは確かだ!
映画を観終えたわたしの虚脱感は計り知れない。
それが名画座の寂れた印象と相俟って、館内から外に出た後の足取りが重くなったようだ。映画館の在った商店街の歩道に私の足がめり込んだかも知れない(冗談)。その後帰宅までのことは全く覚えていない。商店街に牛丼屋が在ったことなんかは何故か覚えているのに(よほど腹を空かせていたんだろう)。
重い足を引き摺りながら、どんな面持ちで帰宅したんだろう?そして、もしかしたら、そんな自分に追い撃ちをかけるようにして、この映画と因縁の深い(又はそのもの)"LOW"(ロウ)を聴いたかも知れない。如何にも有り得る。
ダンス・フロア
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本牧に在ったリンディと言えば、ZAPP。
ZAPPと言えば、一番に挙げたい曲は、ダンス・フロア。
Zapp最高!リアルタイムで楽しめた事に感謝!
1983年から私がよく通っていたディスコは、本牧のリンディと 横浜駅傍のK&E。
K&Eでかかる曲は、なんでもござれの萬屋だった。客層もサラリーマンにOLや学生その他色々。
当時ヒットしていたデヴィッド・ボウイ(以下DB)のレッツ・ダンスまでかかる始末。DB信者な私でさえ、この曲では調子が狂うので、決して踊らなかった…はず。
それでも、K&Eへ頻繁に通ったのは、それなりの理由が有った訳で。
それに、この店の閉店後(確か0時)は、必ずと言っていいほど本牧のDISCO”リンディ”へ向うのがお決まりだった。K&Eは、とりあえずビール軽くジャブみたいなものだった。
DBのアルバムはヤング・アメリカンズに、違和感覚える人とすんなり受け入れられた人との違いは、ブラックミュージックを好きか嫌いかの違いなんだろうか?でも私、スティービー・ワンダーとかライオネル・リッチーやプリンスは、苦手。



