夢羽舞 音 MOVE ON -18ページ目
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孤高の鷲に捧ぐ

$Sound Of Wings Fluttering Daydream


貴方は、Space Oddity に始まり、
貴方は、自作自演の複数のキャラに別れを告げながら、
貴方は、Ashes To Ashes で幕を閉じた。
そして、貴方の才能も閉じられた。

貴方は、ロックの英雄時代の終焉を諦観していた。
貴方は、70年代最後のダイアモンドだった。


貴方はHEROESの中で、こう歌っていた。
1日だけなら時間を取り戻せると。
1日だけなら英雄になれると。
1日だけなら私とあなた達は一体になれると。
そんなもの只の夢と判っていても、
夢に賭けようとした貴方だったと、ファンは今でもそう信じたい。
貴方の悲痛な叫びを 欺瞞に満ちた目で決して見やしない。
何時だって、羨望と憧憬の眼差しで見上げていたのだから。
貴方が信じる限り、可能な夢かも知れないのだと想い描きたい。


ああ!でもDB、
全てはトリップの仕業だったのか?
一時代を担ったビートルズのような”唯一絶対の神”は、もう居ない。
70年代のロックの多様化と人々の価値観の多様化が、それを必要としなくなった。
承知していた貴方は終に覚悟を決め、
80年以降、ジルコニア・ダイアモンド・スターで埋もれる前に灰となり、
嘗ての、ライフラインを失ったトム少佐の身体を借りて、宇宙の彼方に漂うことを選んだ。



Rock 'n' Roll Suicide - HAMMERSMITH '73
ロックンロールの自殺者


今、貴方の信者は、夜空を見上げてこう言う。
「ほら、今光ったでしょ?!。あれが嘗ての ZIGGY STARDUST だよ。」
「彼は帰ったのさ。永久のインナー・スペースに…。」
そんな信者でも、リアリティーは失わない。
「今じゃどうだ?!、猫も杓子もカリスマだらけ。」
「彼の今も、真のカリスマこと生き長らえるロックスター。生きる屍さ。」



貴方を知ったのは、私が15歳の時でした。
ラジオから流れてきた<HEROES>でした。

それは私にとって、神の啓示だった。
私は一生貴方について行くのだな…と思った。
容姿も何も知らなかったのに。
そのたった1曲で。

顧みれば、その啓示とは、皮肉にも、遅れて私に届いた知らせだった(意味深)。

(以下は、Station To Station より引用)
「感謝するには、あまりに遅い。
 再び遅れるには、あまりに遅い。
 憎むには、あまりに遅いんだ!」
(以上)


貴方が歌うその意味が、
理解できる年齢になったのかも知れない。
遅れてやって来たロックスターの憂鬱…。
HEROSにも、貴方の諦めにも似た想いが歌われていた。
貴方の歌う歌が私にとって黙示録になることは有り得ない。


わたしもね、
貴方を捨てるにはオバサンに成り果てた。(自爆)
貴方を選ぶには未だ若過ぎた。(Rockを知らない小学生)
”どうしようもない今”をやり過ごしてきました。
遣る瀬無いとはそういうことだから。

それでもね、
15歳の時に貴方の存在を知ったおかげの今がある。
そして今では、いつ飛び立とうが、今生にもう悔いは無いのです。
















'70年代ロック保存版


Sound Of Wings Fluttering Daydream

昨日届いた”クロスビート6月号”。

表紙は、DB。別冊付録の表紙は、クイーン♪。言わずと知れている。


’70年代ロックを知らない人でも概要が解るかも。

私は未だ読んでないけど。お復習いしなきゃ。

Sound Of Wings Fluttering Daydream

夢のスリーショット!



Sound Of Wings Fluttering Daydream

この2冊も一緒に注文した”ロックジェット”。

ボウイが半分を占めてる!。


DB情報を殆どチェックすることなく過ぎていった数年間を反省するこの頃。

昔は、ロッキングオン、毎号欠かさなかったのにな。


Sound Of Wings Fluttering Daydream

これは裏表紙。どちらの写真も初めて観たかも。

右は、1973年の初来日。上陸は横浜港から♪


以上に挙げた本は、今後ゆっくり楽しみながら読みたいと思う。

かなりの期間、

こうしてDB本を買って読む事を怠ってきただけに、興奮気味。





Sound Of Wings Fluttering Daydream


Sound Of Wings Fluttering Daydream

上の2冊は、復習するとしよう。

白旗神社 祭神 源義経

小田急江ノ島線は藤沢本町駅傍に在る【 白旗神社 】をご存知だろうか?


昨年は2006年正月の事。

参拝待ちの行列は、若い人達で溢れていた。

おおかた2005年のNHK大河ドラマ【 義経 】の影響だろう。

その主人公<義経>を演じたのはタッキー、弁慶役はマツケンだ。

まるで、おとぎ話そのものだが、それはそれで楽しませてもらった。



北方の王者【 奥州藤原氏三代 】、正確には四代だが…。

源頼朝の先祖である八幡太郎こと源義家と 協力して奥州支配を確立したのが その藤原氏だ。


頼朝は、この藤原氏の脅威を常に感じていた。

1182年、江ノ島に勧請した弁才天に、藤原秀衡の調伏を祈願したという。


頼朝は1180年、平氏討伐の為 挙兵。


源平合戦と言われる源氏と平氏の戦いは、1185年まで続く事になる。

その義経の戦いぶりに説明は要らないだろう…、ご存知のところだ。


平家を滅ぼし勝利を得た義経。


さぞ、兄である頼朝に祝して欲しかっただろう。

だが、義経に最早用は無い頼朝だった。


頼朝が平家討伐の旗揚げをしたその時、

義経は藤原秀衡(三代目)に多分止められただろうにも拘らず、

庇護されていた 奥州は平泉の地から、兄である頼朝の下 黄瀬川へ駆けつけた。


兄弟の初めての対面で、きっと2人は抱き合って涙しただろうに…。


義経が任官の誘惑に負けたとでも?

後白河法皇には逆らえまい、また、その陰謀にも気付くまい。

とっくの昔に、頼朝の逆鱗に触れていた義経は、outsideな奴か?


「鎌倉の方針を無視し任官された義経よ、兄弟であろうとお前は只の家人!」


義経を消し去りたい頼朝には、反って好都合だったのではないのか?

軍才有る義経が平家を滅亡に追いやるその時が、すぐそこまで来ている事を頼朝は判っていたのだ。

そしてその時を いよいよか?と、待っていたのだ。

壇ノ浦で平家を亡ぼし源氏が勝利したところで、義経の運命も尽きたのか?


鎌倉の腰越まで戻ってきたが、頼朝に拒まれ会ってもらえない。

仕方なく、七里ガ浜の近くに在る<満福寺>に一時滞在する。

目の前に広がる海や稲村ガ崎や江ノ島を どんな想いで眺めたのだろう?

有名な 腰越状 を書きながら、きっと泣いたに違いない。

しかし、願い叶わず、頼朝がその文を読むことは無かったと言われている。


頼朝との対面が許されなかった義経は京都に戻った。

その後は長い長い亡命の旅が続くことになる。


この人ほど日本中を巡った人は、他に居ないのではないかしら?

その間に諸国で数々の伝説が生まれたのだろう。



やっとの思いで辿り着いた【平泉】(現在の岩手県一関市平泉町)。


出迎えてくれたのは、

義経の少年時代から兄頼朝の挙兵に駆けつける迄の数年間を庇護してくれた【藤原秀衡】だった。

そう…、< 父代わりの人 >と言える。

私は思った。この義経を庇護した人物って、一体どんな人なのだろう? と。


平氏、源氏、そしてこの奥州藤原氏…、かけ引きを今は考えたくない。

いや、かけ引きだけで庇護したとは思えない。

そんなことだけで、一人の人間である義経を少年から青年へと育て上げられるか?

私は、藤原氏の寛容さや偉大さに、感服せざるを得ない。


しかし…、その秀衡はその後、病気で亡くなってしまう。


後継ぎは、4代目にあたる、その子 <泰衡>だったが…。

正妻の嫡男を必ずしも後継ぎにしなければならない理由なんか、クソ食らえ!と言いたい。



義経は討たれた。その最期は、自害したと言われている。


そして、奥州藤原氏も滅亡した。



義経は首だけとなって平泉から送られてきたが、首級が鎌倉に運び込まれる事はなかった。


腰越状を書いたその地、腰越止まりにされた義経の首。

そこで世渡り名人、

<梶原景時>や他が鎌倉幕府から出てきて、義経の首級であると確認したという。




藤沢本町近くに在る【白旗神社】の傍には、<首洗い井戸>なるものが残っている。


私は、白旗神社へ参る度に、其処も訪れる。

今では、後から建ったマンションの一角にひっそりと在る。


白旗神社は、

その義経の首級を埋めた塚の上に社を建てたと言われている。

それが本当なら、早い話が、義経のお墓。


御祭神:寒川比古命、源義経公。源義経の御霊を祀ったのが、この白旗神社だ。

私は、時々半日かけてウォーキングをする際の折り返し地点にしている。

折り返すには調度良い地点に、白旗神社が在るからだ。

そうとはいえ、私はその事に運命それとも宿命的なものを 感じている。


理由はともあれそんな私であるので、鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れること今は先ずない。

鎌倉の其処へ私が訪ねたなら、祭神の逆鱗に触れてしまうに違いない。

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