懐かしいラジオ番組
<JAL>復活「鶴丸」マークの機体をお披露目
http://mainichi.jp/norimai/air/graph/20110228JAL/
(以上コピペ)
ジェットストリーム OP
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クールで都会的なクロスオーバーイレブンの後は、決まってジェトストリームを聴いたものだ。ありゃ、自然の流れでどうしたってそうなる。午前0時を境に夢の時間が始まる、心地好い流れだった。
聴き始めたのは十代の後半で、ヨーロッパ諸国に憧れを抱いていたものだから、そのイメージがどんどん膨らんでいったんだ。それは、下手な映像を観るよりも理想的なヒーリングでした。
ナレーションに関しては、城達也さん以外に他は考えられないな、大抵そうでしょう。
ジェットストリーム ED
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もがり笛
2/16の相棒”もがり笛”は、わたしが言いたい事を代弁してくれていた。
とかくこの世には、生きて罪を償いさせることの重要さを理解できない人間が多過ぎる。
そしてまた、死刑=殺人。これ以上の二律背反があろうか?あるものか!それを知って知らぬ振りをする人々=偽善者。
哀しみのスパイ
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七年ほど通院していた歯科医院の、受付に置かれていたテレビで流れていたビデオは、決まって小林麻美か笠井紀美子。院長の特にお気に入りだったのが小林麻美。愛車はBMWの石原裕次郎に激似な院長だった。
<哀しみのスパイ> 作詞 松任谷由美/作曲 玉置浩二
モスクワは グレイの雨
忍び寄るたそがれ
帰る国をなくす人を
声を殺し抱きしめ
私を知らないと言って
貴方を知らないと言うわ
冷たくそらした瞳が
哀しければいい
キーワードはラフマニノフ
電報を打つから
世界の果て流されても
愛せると誓った
冬近い街の So Lonely Lights
かけよる幻 You Hold Me Tight
引き払う部屋を見まわし
遠い日々を探す
私を知らないと言って
貴方を知らないと言うわ
冷たくそらした瞳が
哀しみのスパイ
告白と白状
ブログを始めて約3年。色んな事に遭遇し、書きたいことを打てぬまま今はもう面倒になってきた。
デヴィッド・ボウイの手に触れた事がある(日本武道館)。正確に言うと、カスった程度。隣に居た知人女性がボウイの手に触れた感触は私より勝っていたようだ。私が買って余ったチケットをタダで彼女に譲った私のお人好し=バカがそうさせたのか?
そして思い出した、ずっと忘れていた事を。デヴィッド・シルヴィアン(元JAPAN)。彼とはシッカリ握手をし、サインももらった(at渋谷パルコ。サインは、思い出話風記事にした際証拠として画像をUPするつもり)。それがデヴィッド・ボウイならば、忘れようはずがない。デヴィッド・ボウイとは握手ではなくカスっただけで、サインをもらえたわけでもない。もらえたのは彼の周囲の人から。デヴィッド・ボウイではない。
私が本当に羨ましいと思うのは、1973年のデヴィッド・ボウイの公演を観た人と彼に会えた人だ。当時の私は小学5年生。その時の野口五郎に夢中だった私がデヴィッド・ボウイを知り得たとして果たして彼に夢中になれただろうか?また同じく、1978年の彼。私は高校1年生になっていた。日本公演があることを知ったのは、終って3日後のことだった。そんな残念なことが他にあるだろうか?
その後の日本公演は2004年を除けばコンサートは全て観ている。その中から挙げると、ティンマシーン時代の横浜文化体育館(wikiの神奈川県民ホールは間違いだ)の、アリーナにあたる席の2列目の真ん中だった時は、デヴィッド・ボウイの腕の傷跡が見えたほどだ。NHKホールの、他ではアリーナにあたる1階席の、一番前の右側BOXの中でもステージに近い席では、目もシッカリ合ったと信じている。何故なら目立つ目的で買った派手なオレンジ色のスーツを着た私が異様に映ったのか、目を瞠るように凝視されたから(DBは無意識だろうけど)。NHKホールはテレビで見るより小さくて驚いたが、逆にそれが嬉しかった。また、京都では、目の前を通る彼…と言ってもガラス越しの彼を目撃した。でも、私が本当に観たかったのは、それらではないという事だ。
デヴィッド・ボウイと私は、すれ違う運命なのだなと。自分にはどうすることも出来ない運命なのだと。そう思えば諦めもつくが、縁が無いとも言える。それでも、手はカスったのだから、それこそ”袖振り合うも多生の縁”か?ピン爆。あー、それにはやっぱり無理がある。本当に私が見たかった日本公演は、1973年と1978年の彼なのだから。もっと早く生まれていれば良かった。だから、やはり仕方が無いことなんだと諦めがつく。いや…やっぱりあの時、ああしていれば、こうしていれば…と、脂汗をかきながら後悔する。いや私が生まれたのが遅かったのだ…。
アホみたいな自問自答を半永久的に繰り返す。
以上、不意打ち
忘れていた
劇場版”相棒”絶体絶命42.195km 東京ビッグシティマラソンをテレビで流して観ていたら思い出した。総理大臣役のあの髪型は小泉だ。そうだった、相棒は、限りなくリアルに近いフィクションだ。木村佳乃が演じる片山議員は田中真紀子氏だろう。イラクの日本人青年拉致。「自己責任」という言葉で、片付けた小泉。それに同調した多くの国民。挙句、被害者を非難する偽善者共。私はそれを知って以来、他人という人間に対する絶望感をそれまで以上に強く抱くようになった。青年は斬首処刑された。青年の父親役を演じたのは西田敏行だ。青年は、この母国日本に殺されたも同然だ。そして、何事も無かったかのように時は過ぎた。私も忘れていた。あの時、日本はイラクから勇気を持って撤退するべきだったと私は思う。そうしていたら、命の大切さを唱える偽善者共やテロリストは腰を抜かしたことだろう。それでも、後は、為るように為ったはずだ。何をしようがしまいが、良くも悪くも、この世の全ては、為るように為るのだから。