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MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

『グァンタナメラ』(1995年製作)の見どころは、1990年代前半の経済的非常時下のキューバの様相を、ロードムービーにして、ユーモアや機知、それに風刺を交えて描いているところ。

ただ、キューバの事情に通じていないと、その面白さが分からないので、以下に要点を挙げて解説してみました。

☆参考にした論評:Anatomía del régimen de Castro en "Guantanamera" - Código Cine | Código Cine (codigocine.com) ほか

 

 

★「グァンタナメラ」という歌について

1935年、ソンの歌手ホセイート・フェルナンデス(1908-1979)が、ラジオでこの歌を披露し、やがて彼のバンドを代表する曲となる。1943年、ラジオ番組「El suceso del día(その日の出来事)」で、事件を歌詞(10行詩=デシマ)にして「グァンタナメラ、グァヒラ、グアンタナメラ🎶」のリフレーン入りで彼が歌うと、たちまち大人気を博す。1957年の番組終了後も、何か事件が起きたり、誰かが亡くなると、人々は「グァンタナメラが歌われた」と言った。

 

ちなみに、ホセイート・フェルナンデスいわく「『グァンタナメラ』はプロテストソングだ。民衆の悲しみや不幸を拾いあげ、豊かさや正義を求めているからだ」。

 

本作では「グァンタナメラ」の曲に乗せて場面や心情が歌われ、ストーリーが展開していく。

尚、映画のオープニングで、タイトルソングを録音する声が流れるが、「これは作り話じゃないよ。本当にあった事だ」と言う声はアレア監督で、「バカ言うな、ハッハッハ」と答えているのはタビオ監督の声だとか。

 

*「グアンタナメラ」という歌に関する拙ブログ記事

 

★90年代初めの経済的非常時(時代背景)について 

  *下線部分は映画でも描かれている。

東欧社会主義圏崩壊(1989年)とソ連崩壊(1991年)を受け、キューバ経済は1990年から急激に下降線をたどり、どん底の93年には34.8%のマイナス成長を記録。エネルギー節約のため1日最高20時間にも及ぶ停電、牛・馬車による輸送・耕作、交通手段としての自転車導入が広く行われた。

93年には、それまで禁じられていたドルの所有が認められたうえ、ドル獲得を狙って在外キューバ人家族との相互訪問の許可や、個人事業職種の拡大などの政策がとられた。

☆参照:伊高浩昭著「キューバ変貌」ほか

 

本作では、ガソリン不足の打開策として〈遺体の通る各州が霊柩車とガソリンを提供する〉というリレー方式(アドルフォのアイディア)でグァンタナモからハバナのコロン墓地まで送り届ける。

道中のシーンでは、ヒッチハイクする人の群れ、闇物資の売買(ドルでないと買えない)、パラダール(ドル払いのみ)など、90年代を象徴する事象が描かれている。

 

また、葬儀社の運転手のトニーは、道中で闇物資を買い、転売しているし、マリアーノも大学卒のエンジニアでありながら、トラック運転手として稼いでいる。どちらも副業の方が儲かっている。

よって、ドルを持たないアドルフォは、道中で食事に不自由する。

 

葬儀場では、会葬者のための飲食サービス(クーポンが必要)目当てに来る人もおり、トラブルが起きる。

 

★規制(→発展への妨げ)への反発と自由思想

バヤモのシーンで、観光ガイドは次のように語る。「16世紀から18世紀のバヤモは、キューバで最も密輸が盛んな所だった。スペイン本国による規制や独占の裏をかいて何でもやった。違法であっても、誰もがイギリス人やフランス人、オランダ人と商売していたし、役人や軍人、聖職者も取り引きしていた。異端とされたプロテスタントとの付き合いは、経済面のみならず、文化や政治にも影響を与えた。こうして異端審問所が禁じた書物や自由主義的で進歩的な思想が入ってきた。バヤモが、キューバの発展を阻止する植民地支配に対して、最初に武器をもって立ち上がったのも偶然ではない」*この史実は、アレア監督の『悪魔と戦うキューバ人』を彷彿させる。

 

★プロパガンダ(教条主義)

 *本作に登場するスローガン

 ①文化は不滅だ(LA CULTURA ES IMMORTAL) @祝賀会場

    このスローガン(フィクション?)は、1973年のフィデル・カストロの演説で発せられた「人間は死ぬが、党は不滅だ(Los hombres mueren, el  Partido es inmortal)」を想起させる。

 ②社会主義か死か (SOCIALISMO O MUERTE)@壁 *そこにイクの姿が見える

 ③貴方に忠誠を(TE SERÉ FIEL)@橋

 ④今こそ我々の夢を護るときだ(ES EL MOMENTO DE PRESERVAR NUESTROS SUEÑOS)@建物

  *団結の強調(個の犠牲)〈我々の〉は独裁者が多用するフレーズ。

 

 ★〈農産物の収穫が好調〉と伝えるラジオ放送

 

★マチスモと権威主義:アドルフォはその象徴

 アドルフォという名前は、独裁者ヒットラーの暗示か?

 人々から崇拝されることを望む

 国民的歌手の遺体を迅速にハバナに運び、名誉回復(出世)を企む

 左遷された理由は、娘のマイアミ移住のせいか?→妻を責める

 妻の髪型・服装、すべて自分の思い通りにしようとする。

 実務の遂行を優先し、他者への配慮や遺体への敬意を欠いている

 彼の考えたリレー方式は、問題の根本的解決にはなっていない

 

★自由思想(反教条主義):ヒナとマリアーノが象徴

 ヒナは大学で経済を教えていたが、彼女の〈自由に考えさせる授業〉や批評精神が問題になり辞職。夫に気を使いながら主婦業に専念しているが、マリアーノと再会し、人生をやり直す決意をする。

印象的なセリフ:「考えないのはもうまっぴら!(Me cansé de no pensar!)」

 

マリアーノは大卒のエンジニアだが、生活のためトラックの運転手をしている。

行く先々に愛人がいるが、ヒナに再会し、かつて諦めた恋を取り戻す。

 

★官僚主義終焉への願い:終焉=死(十字架)、墓地、イク(謎の少女)

 本作は、アレア監督の大ヒット作で官僚主義を風刺した『ある官僚の死』(1966年)の延長線上にある。前作に込められた「役人を絞め殺したい」ほどの思いは、本作でより明確に表現されている。

La muerte de un burócrata 『ある官僚の死』

 

『グァンタナメラ』

 

★過去の浄化と再生の象徴:雨

 批評精神と自由な思想を若い世代に託す。

 

トリビア情報

・フィデル・カストロを怒らせた⁉

 1998年2月の演説でフィデル・カストロは名指しはしなかったものの「遺体の搬送を扱った映画が、この国で革命と国民の資金で製作されたにも関わらず、ある種の傾向のせいで、反革命的映画へと逸れた」と批判した。(このフィデルの演説については様々なバージョンがあり、特定できていません)

 

・アレア監督の娘、オードリー・グティエレスが、カフェのウエイトレス役で出演している。

 (現在はアルゼンチン在住らしい)

 

・メインの脚本家はエリセオ・アルベルトだが、彼は1990年にメキシコに移住し、彼の地で亡くなった。

 エリセオ・アルベルトの自伝を映画化したドキュメンタリー:

 En un rincón del alma (仮:魂の片隅で)/2016年/ドキュメンタリー | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

グァンタナメラ(原題:GUANTANAMERA)/1995年

キューバ・スペイン・ドイツ/91分/35ミリ/カラー/ICAIC

フィクション(ロードムービー)

 

監督:トマス・グティエレス・アレア、ファン・カルロス・タビオ

脚本:エリセオ・アルベルト・ディエゴ、T.G.アレア、J.C.タビオ

撮影:ハンス・バーマン

編集:カルメン・フリアス

音楽:ホセ・ニエト

録音:ラウル・ガルシア

美術:オネリオ・ララルデ

 

出演:カルロス・クルス(アドルフォ)、ミルタ・イバラ(ヒナ)、ラウル・エグレン(カンディド)、ルイス・アルベルト・ガルシア(トニー)、マリアーノ(ホルヘ・ペルゴリア)、コンチータ・ブランド(ジョジータ)、スセ・ペレス・マルベルティ(イク)

 

ストーリー

90年代、ソ連・東欧の崩壊による経済的非常時下のキューバ。グァンタナモ出身だが、半世紀もの間ハバナを拠点に歌手として活躍していたジョジ―タ(ヘオルヒーナ)は、その功績を讃えるセレモニーに出席するため帰郷する。そこでかつての恋人カンディドと再会し、失われた夢に浸っている最中にジョジータは突然死し、遺体をハバナに移送せねばならなくなる。

ガソリンも物資も極度に欠乏するなか、ジョジータの姪のヒナ(ヘオルヒーナ)の夫で(左遷され)葬儀関係の役人をしているアドルフォのアイディアで、グァンタナモからハバナまで、通過する県ごとに霊柩車とガソリンを負担することに。遺族として、姪のヒナと夫のアドルフォ、ジョジータの元恋人カンディドは、トニーが運転する車で霊柩車に同行するのだが、行く先々で起きるトラブルや出会いが、一行の運命を変えていく―。

 

テーマ:死と再生(革命の終焉と新世代による再生への願い)

鑑賞のヒント:謎の少女=イク

 

Marysolより

本作の解読編は後日に

その鋭い批評性は、ストーリからは伝わりません…まさに細部に宿る。

 

追記(9月15日)

映画『グァンタナメラ』鑑賞のポイント | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

見る度に面白さが増す映画!

「福田村事件」を観てきました。

 

本作のことはクラウドファンディング募集時(昨年4月)に知り、参加したので、鑑賞券を持っていました。

まず、クラファンに参加した理由は、昨今の政治家たちの歴史隠ぺいや公文書破棄、マスコミの劣化に対する憤り。
そして《熱狂する集団心理の危うさと、個を貫く大切さ》という点。

 

 

関東大震災後の流言飛語で多くの朝鮮人が殺されたことは知っていたつもりでしたが、朝鮮人と間違われて殺された香川の行商人一行=「福田村事件」のことは全く知らなかったし、社会主義者が殺されていたことも知りませんでした。

自国の負の歴史と向き合うのは辛いですが、知ることでプラスの経験に変えねばいけない、と思います。

森達也監督は「反日映画として炎上するかもしれない」と危惧したそうですが、私が「反日映画ではない!」と思えるのは、キューバ映画人、とりわけトマス・グティエレス・アレア監督の次の言葉のおかげ。自国を批判(または批評)的に観ることの大切さを理解しました。

アレア監督の視点:芸術と批評行為(もしくは社会批判) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

キューバ映画がなぜ国民に支持されてきたのか?
その大事な点が日本では理解されていない気がします。

そしてキューバ映画人は今も検閲と闘っています。
多くの映画人が祖国を離れてしまいましたが…

 

「福田村事件」は反日映画ではありません。

むしろ日本を良くするための映画だと思います。

そして同調圧力の強い日本社会で〈個を貫く〉ことの大切さを噛みしめています。

 

  

 

余談

鑑賞中、〈当時朝鮮の人たちが日本人にいじめられたり、ひどい目に遭っていた〉ことが伝わってきて、かつて韓国旅行に行ったとき、謝罪を求められたことを思い出しました。

関心のある方は、下のブログ記事の後半をお読みください。

読み返してみて「知らないでいることは怖い。お詫びの気持ちを伝えられて良かった」と改めて思いました。繰り返したくない経験ですが…

謝罪 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

追記①

映画「福田村事件」森達也監督はなぜ埋もれた事件を撮ったのか - #クロ現 取材ノート - NHK みんなでプラス

 

追記②

「最高の愛国心とは…」
 パンフレットの中で荒井晴彦さん(企画・脚本)は、「最高の愛国心とは、あなたの国が馬鹿みたいなことをしている時に、それを言ってやることだ」という言葉を引用している。自分たちの社会の黒歴史を無かったことにせず直視する姿勢は、「自分たちの社会をもっと良くしたい」という前傾姿勢の表れだ。
 「こんなクソ社会、これからどんなに混乱や分裂が進んでも知ったこっちゃない」と思っていたら、ここまで途方もない苦労をしてこんな映画は作れないし、製作費を募るクラウドファンディングだってこんなに集まりはしない。それが実現したということは、話の内容は絶望的だけど『福田村事件』は実は希望の映画なんだと思う。

*アレア監督と同じことを言ってますね。

 

前回予告したように、亡命キューバ人作家 エドムンド・デスノエスの小説 “Memorias del desarrollo(仮:後進性の手記)”(2007年)でバービーが登場するページを読み返してみました。
  
すっかり忘れていましたが、登場は終章近く、N.Y.に暮らす初老の主人公(エドムンド)が、アメリカ女性たちとの出会いと別れを繰り返したあげく、(過去から遠ざかる)旅の同伴者として人形を買うことにし、ショッピングモールに行って選んだのが、バービー。

店員から「ヒスパニック・バービーやジャマイカン・バービーもありますよ」「ベッドタイム・バービーも」と言われるが、彼が選んだのは、定番(クラシック)のマリブのバービー。

車に戻るや、包みを開け、彼女を解放してやる。
モーテルに着くと、ツインベッドの部屋を頼み、彼女をバルバラと呼び、語りかける―

「私は革命の理性を信じていた。でも今は分かる。革命は唯物弁証法でもなければ、愚か者の頭でもない。宗教的頑迷そのものだ」

「共産主義は結局のところ宗教で、政府として機能しない」

そして、バービーに「私にとって君は “より良い世界” という夢より、もっと本物で強固だ。唯物弁証法より肉体化した現実だ」

その後、バービーに生まれを尋ね、返事がないので背中を見ると、インドネシア製であることが分かる。すると言う。「私たちは白人で、西洋人に見えるが、実際には二人とも後進国、第三世界の生まれだ。君はインドネシア、私はキューバ」


 

以下、省略。

Marysolより
この小説は、〈ユートピア社会を創造する夢に破れNYに来た作家が、革命の失敗や自身の老いを見つめる〉内容。
バービーは、無邪気な顔に官能的なボディをもつ話し相手(聞き役)で最後の恋人か?
ある批評家の「資本主義社会の最大の消費シンボルで、永遠の若さの模範」という指摘に納得。

 

余談

アメリカ映画『バービー』を見る前日まで、数日間キューバの《男性優位》をテーマにした映画『ある程度までは』を見ていたので、両作品の〈テーマの共通性〉と〈対照的なアプローチ〉に色々な思いが湧きます。

しかも〈相手を束縛せず、自由に羽ばたかせてあげよう〉というメッセージも同じでした。

やはり、相手を支配しようとするのが問題ですね。

 

それにしても、バービーが女性革命のシンボルだったとは

バービーの多様性、映画『バービー』を許したマテル社の懐の深さは、キューバ革命が失ってしまったもの…

昨日、映画『バービー』を観てきました。

面白かったし(笑)色々な発見があり、今も楽しく反芻(はんすう)中です。

 

映画『バービー』オフィシャルサイト (warnerbros.co.jp)


ところで、私が《バービー人形》に興味をもったのは、エドムンド・デスノエスの小説「Memorias del desarrollo(仮:後進性の手記)」とその映画化『セルヒオの手記』のおかげ。…というか、紹介するために、調べざるを得なかったから。


※ デスノエスが咥えているのは、もちろんバービー(札幌での上映プログラムより)


映画『バービー』は、期待半分+不安半分でしたが、のっけから引き込まれました。
デスノエスのパートナー、フェリシアさん(『低開発の記憶』のハンナのモデル)が語っていたこと― 「バービーの出現は衝撃だった!それまで人形は抱っこして世話するものだったから」― が、まさに映像化されていたからです!

ちなみに、私はフェリシアさんの発言を〈バービーはアメリカの際限なき消費文化の象徴〉と捉えていたけれど、映画『バービー』では《女性に革命をもたらした!》という始まりでした。
 

↑「セルヒオの手記」上映プログラムより


そして、舞台は(女性革命を起こしたバービーたちが司る)〈バービーランド〉。
そこは、完全に女性優位の世界。
ケンたち男性は、バービーの存在を際立たせるための添え物でしかない…。
※ バービーとケンという人形を人間が演じているのが楽しい(笑)

さて、訳あって、主人公のバービーと、そのBFのケンが人間世界に行くと、そこは男性優位の社会。バービーランドとは真逆の世界を知ったケンは、“男らしさ”や“優位性”を持ちかえり、〈バービーランド〉を〈ケンダムランド〉に変えようと企むが―

続きは、ぜひ映画でごらんください。

Marysolより
私が小学生低学年の頃、バービーはすでにあったけれど、ゼンゼン可愛いと思えなくて、タミーちゃんで遊んでいました。


だから、バービーに思い入れはなく、興味をもったのは、始めに書いたように、キューバ人作家エドムンド・デスノエスの作品がきっかけ。


それで、バービーについて少しは知ったつもりでしたが、人形の生みの親、ルース・ハンドラーのことは全然。映画でも最初は架空の存在かと思いました。


帰宅して『Memorias del desarrollo』の資料を見直したら、2009年4月21日の日経新聞の文化欄(36面)の「日本人「バービー」50歳」と題するエッセイにも書かれていました。
        
   
ルースさんとバービーの対話シーン、良かったですね。

ちなみに、一番笑えると同時に衝撃を受けたのは〈ケンはバービーの視線を勝ち取るためだけに存在している〉とかいうセリフ。
瞬間的に〈イブがアダムの肋骨から造られた〉ことを想い、「これぞ革命的神話‼ バービー版創世記⁈」と思いました。


マテル社の重役会議が男性だけというシーンも、よくある日本の団体風景と重なり、不気味でしたね。
男性優位社会も女性優位社会も、どちらかに偏るのは異様だし、両者にとってストレスフル。
そんなことに気づくためにも、男性にもお薦めしたい映画『バービー』です。

追記

上の新聞記事の続きによると、1971年のニクソンショックを契機とした円高で日本での生産が難しくなり、バービー人形は日本から巣立った、とのこと。

尚、映画『セルヒオの手記』に出て来るバービーは、1966年のインドネシア製でした。

 

ブログ予告
次は、誰の理解も共感も得られないのを承知で、キューバ映画と絡めてあれこれ書いてみたいと思っています。

HASTA CIERTO PUNTO (仮:ある程度までは)1983年/88分/ドラマ/カラー

 

(ポスターの作者はレネ・アスクィ)

 

監督:トマス・グティエレス・アレア

脚本:トマス・グティエレス・アレア、ファン・カルロス・タビオ、セラフィン・キニョネス

撮影:マリオ・ガルシア・ホヤ

編集:ミリアム・タラベラ

録音:ヘルミナル・エルナンデス

音楽:レオ・ブローウェル

出演:オスカル・アルバレス(オスカル)、ミルタ・イバラ(リナ)、オマール・バルデス(アルトゥロ)、コラリア・ベロス(マリアン)、ロヘリオ・ブライン(ディエゴ)、アナ・ビニャ(フローラ)

 

本作を象徴するバスクの歌:TXORIA TXORI

歌詞:

もし望めば、羽を切ってしまうこともできるし、そうすれば僕のものになる

でも、そうしたら飛べなくなる

僕が愛しているのは鳥なんだ

 

ストーリー(ネタバレ含む)

1982年、ハバナ。

オスカルは、建設的な批評とユーモアを兼ね備えた作品が書ける脚本家。その才を見込まれて、友人の映画監督アルトゥロから「マチスモ(男尊女卑・男らしさの誇示)」を主題にした映画のシナリオを頼まれる。

アルトゥロいわく(革命で社会は変わったとはいえ)「男女関係に関して人々の意識はいまだに石器時代も同然」。映画を通しそれに気づかせ、意識の向上に寄与するためだ。

 

まずリサーチとして、最もマチスモがはびこっていそうな港湾労働者を取材しに行く。そこでオスカルは、組合の集会で発言するリナに注目。「港湾で働く女性のことを知る必要があるから取材させて欲しい」と頼む。

リナはサンティアゴ出身。17才のとき未婚の母になる。港湾で賄い婦として働く叔母を頼ってハバナに来た。今は11才の息子を育てながら、キャリアアップを目指し学校にも通っており、まもなく卒業の見込みだ。

 

リナをモデルにした役を演じるのは、オスカルの妻で女優のマリアン。取材が始まってしばらくすると、オスカルは妻の役作りのため、リナに会わせに行く。だが、すでにリナに魅かれていたオスカルは女優として紹介。二人の関係を察したリナに、後から妻だと打ち明ける。

 

一方リナもオスカルに魅かれ始めており、それまで付き合っていたディエゴを遠ざけるようになる。リナは、オスカルと結ばれたあと、ディエゴとの関係を話す。

 

オスカルは、妻に隠れてリナと不倫関係を続けながら、シナリオの完成を迫られていた。

しかもリナを始め港湾労働者への取材は、オスカルに様々な気づき― とりわけ映画人側の偏見や思い込み、上から目線への気づき― を与えていた。その結果、アルトゥロの構想(フィクション)から逸脱し、彼や妻の不信を招いてしまう。さらに、リナとの不倫が妻にバレてしまう。

 

ある日、妻と口論の末、リナの家を訪れたオスカルは、ディエゴへの嫉妬と独占欲に駆られ、リナを厳しく問い質し……

 

※ タイトルは、冒頭の港湾労働者の発言「男女平等は正しい。ある程度までは」に由来。

 

第5回 国際新ラテンアメリカ映画祭 グランプリ&女優賞受賞、 ポスター部門 受賞

 

    リナとオスカル

 

本作にまつわる批評や指摘

① ルシアノ・カスティーリョ(キューバの映画研究家・批評家)

*リナは《80年代の“ルシア”》だ。 ← 男女関係を侵食する根強いマチスモ

 だが、リナはあらゆる”飛翔”の妨げを乗り越える、自立した女性。

 

*映画をめぐる反省・内省

 アルトゥロは、現実(ドキュメンタリー)を映画のために利用しようとする。

 オスカルは、現実を理解するために映画を利用する。→ 探求のため

 

*マチスモを克服したつもりだったオスカルだったが、克服できていなかった。

   本作も「ある程度まで」しかテーマを掘り下げられていない。

 

*本作と密接な関係のある作品:De cierta manera(サラ・ゴメス監督)

   探求・冒険精神

  フィクションとドキュメンタリーの融合

 

② «Hasta cierto punto», o la especificidad de la dominación masculina en América Latina( Mara Viveros Vigoya氏論考/コロンビア)より抜粋して意訳

革命にコミットし、革命的意識が高い知的労働者は、白人系もしくは混血。本作の最初の段階では、マチスモは労働者階級の男性特有― 多くは教養がなく、ヨーロッパ的から遠い人種 ―の感情的な振る舞いと想定されている。だが、この区分はストーリーが展開するにつれ無効なことが明らかになる。

 

本作で興味深いのは、知的男性たち(脚本家と監督)が経験する矛盾である。彼らは、港湾労働者にはびこるマチスモを告発しようとするが、自らの内にそれが溢れていることに気づく(認めようとしないが)。港湾労働者もステレオタイプではなく、革命的知識人の振る舞いも大差ないことを提示している。にも拘わらず、革命的知識人にとって解決すべき問題であるとの自覚を欠いている。

 

女性港湾労働者(リナ)と脚本家(オスカル)の恋愛関係のみが、男性性と階級に備わる特権に対して批判的かつ内省的な視線をもたらしている。

 

女性港湾労働者は、男性に頼ることなく、息子と家庭を築いてきたが、“革命的”知識人―絶対自由主義と社会的可動性を約束する源―との出会いによって惑わされ、挙句の果ては、彼もありきたりの古臭い男であることが明らかになる。一方、前の男(ディエゴ)は、彼女に振られ、男としてのプライドを傷つけられたことで、彼女を性的に暴行する権利があると思う。誘惑者にして征服者(オスカル)とプライドの高い攻撃者(ディエゴ)は、コインの両面なのだ。

 

タイトル『ある程度までは』は、私的生活におけるキューバ革命の成果も示している。

 

恋の魔法を維持するには、バスクの歌にあるように、男性は支配欲を放棄せねばならない。

 

③ Marysol

本作では、マチスモのほかに、労働者階級やアフリカ系の人々に対する偏見、労働状況の様々な問題点についても当事者の声で率直に語られている。

 

オスカルや”知的労働者側”の偏見・矛盾を突いているので、2度以上見た方が面白い。

1度だけでは、ありきたりで凡庸に思えるかもしれない。(アレア作品の中では評価が低い)

 

個人的に興味深かったシーン(会話)

「波止場で荷物運びをした後に、それと同じものを見に映画館に行きたいと思う? そんな映画、誰も見ないでしょうね。皆は仕事や色んな問題を抱えていて、そこから離れたくて映画に行くのよ。きれいなものを見たいのよ」とリナが言うところ。

するとオスカルは、「映画は人に考えさせるのに役立つと思わないかい?問題解決に」

リナ:「そうね。映画が自分たちの問題に気づかせてくれると言う人たちもいるわね。それは良いことだと思うわ。問題が見えなければ、解決できないもの

 このリナの率直な意見も共感できるし、オスカルのセリフは、まさにアレア監督の主張そのもの。

 

追記(8月30日)

フリーダ・カーロ(メキシコ)のこんな言葉が出てきました。

Yo, que me enamoré de  tus alas, jamás te las voy a querer cortar.

私はあなたの翼に恋したのだから、絶対にその翼を切ろうなんて思わない。

※ 女性の方が愛する人に対して寛容ですね。

世界的に話題になっている映画『オッペンハイマー』。
今のところ日本での公開は未定ですが、観てみたいです。

私が“オッペンハイマー”という名前を意識したのは数年前。
シドニーに住む友人が、現地で上演された英語能、その名も「オッペンハイマー」に地謡方として出演し、その時のビデオを紹介してくれたのがきっかけ。

謡のなかで繰り返される“オッペンハイマー”という名と共に、自らの業が広島にもたらした惨状に苦しみ彷徨う姿が心に刻まれました。

賞味90分の作品。

私は一時停止しては字幕を読んで見たので2倍以上時間がかかりましたが、改めて感動しました。

能を観る機会になったことも、ぜひシェアしたい体験です。



 

※ 英語能「オッペンハイマー」について

 

原爆開発 罪と悔悟の舞 英語能「オッペンハイマー」完成 広島上演を模索

 

後日談:

翌日、たまたま録画したテレビ番組の整理をしていて、今年4月にNHKで放映された番組「黒澤明が描いた『能の美』」を見ました。
黒澤明が能の大ファンで、多くの作品にその影響が見られることを初めて知りました。

 

ETV特集「黒澤明が描いた『能の美』」 数々の名作の源泉になった「能」 巨匠の創作の秘密に迫る 4月8日深夜放送 – 美術展ナビ (artexhibition.jp)
 

明日16日(現地)からアメリカ合衆国ペンシルバニア州のサウス・ウィリアムズポートで開催されるリトルリーグワールドシリーズ(選手年齢11才~13才)に、初めてキューバから「バヤモチーム」が参加し、初日に日本と対戦するそうです。

 

その「バヤモチーム」の練習や日常生活、家族やコーチの姿を捉えた感動的なドキュメンタリーがこちら。35分と短く、英語字幕も見やすいので、ぜひご覧ください。

 

米ドキュメンタリー "Little League Dreams: Cuba's Road to Williamsport"

 

物資の欠乏や片親不在の家庭環境に胸が痛む一方、それを補う野球愛、家族・チーム愛に感動😢。
これを観たらキューバチームを応援せずにはいられない💦
がんばれ、バヤモ!

 
日本でもお馴染みのアルフレド・デスパイネ選手の息子さんや、ユリエスキ・グリエル選手の従弟も登場しています。

 

追記(17日)

日本が1対0で勝ちました。

野球が分からない私ですが、キューバに勝たせてあげたかった…。

次がんばろうね。 

 

追記(20日)
今朝のFBでキューバがオーストラリアに11対1で圧勝したと知りました。
次はパナマと対決。がんばれ~!

 

追記(21日)

残念ながら、3対2でパナマに負けました😢

 

 

追記(19日):映画データ

Little League Dreams: Cubas Road to Williamsport

(仮:リトルリーグの夢:キューバからウィリアムズポートへ)

2023年/35分/米国・キューバ

監督:ダニエル・モンテーロ(&フランク・ロジャズ)

撮影:アルフレド・ラスカーノ

制作:Belly of the Beast(米)

 

撮影期間は約2カ月。

第3回リトルリーグ国内選手権の試合が始まった頃から人間関係を築いていった。

優勝戦で「バヤモ・チーム」はハバナの「ティブロン・チーム」を破り、米国行きの切符を手にした。

 

監督の言葉

「(制作理由のひとつとして)米国の政策に従って〈キューバに批判的でなければならない〉が、スポーツと文化は両国の橋渡しになり得る」

「舞台がハバナでないことも魅力だった」

今年で20年目(だが、パンデミアで開催できなかった年が3年)を迎えた、第17回ヒバラ国際映画祭が、8月1~5日に開催された。

 

開会式で「名誉賞」を授与された、ルイス・アルベルト・ガルシアのスピーチはここで紹介したが、同じく「名誉賞」を授与されたホルヘ・ペルゴリア―2016年より同映画祭委員長を務めるキューバを代表する俳優―も、閉会式で文化政策の変革の必要を訴えた。

ミルタ・イバラ(T.G.アレア監督夫人で女優)からトロフィーを贈られたJ.ぺルゴリア

 

「キューバの文化政策は変化を必要としている。その変化とは、時代の高さに合わせ、より包括的であるべきだ。引くのではなく足していき、誰にでも居場所があるべきだ。それがキューバのために必要だと思う」

 

そして、ルイス・アルベルト・ガルシアが投げかけた問い「キューバ映画は自由になるか否か」には同意せず、「キューバ映画はどのような状況にあっても存在したし、存在するだろう」と言い、会場から拍手を浴びた。

そして「若者たちに言っておきたい。ティトン(トマス・グティエレス・アレア監督)もソラス(ウンベルト・ソラス監督)も検閲と闘いつつキューバに留まり、決して映画作りを放棄しなかったことを」と締めくくった。

 

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「ヒバラ国際映画祭」3年ぶりに開催 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

★今映画祭で受賞を果たしたキューバ映画

長編フィクション

 La espera (ダニエル・ロス監督)ACPC(キューバ映画報道教会)選定スペシャルメンション

 El mundo del Nelsito(フェルナンド・ペレス監督) 審査員スペシャル・メンション

 

アニメ・ドキュメンタリー

 Virgilio desde el gabinete azul (ライデル・アラオス監督) 最優秀長編アニメドキュメンタリー賞

 Todos los días son 8 de marzo (リセッテ・ビラ監督) 

   最優秀短編アニメドキュメンタリー賞、若手審査員賞選定・最優秀短編ドキュメンタリー賞

 

ドキュメンタリー

 Cosme, un enorme juego con el tiempo (アレハンドラ・ロドリゲス・セグラ) 

  若手審査員賞選定・最優秀長編ドキュメンタリー賞

 Retorno (ブランカ・ロサ・ブランコ監督) シネクラブ選定・最優秀腸炎ドキュメンタリー

 

コロナで中止や変則的な開催を強いられた「ヒバラ国際映画祭」。

今年は通常のスタイルに戻って開催されており、先日「名誉賞」に選ばれた俳優のルイス・アルベルト・ガルシアが、共に選ばれた衣装係のビオレタ・クーペル(87歳)を讃えたあと、文化当局と対立中の「映画人集会」を擁護するスピーチをし、ネットで話題になっている。

 

ルシア賞の「名誉賞」を受賞した俳優ルイス・アルベルト・ガルシアと衣装係ビオレタ・クーペル

 

 

 

スピーチの注目点のひとつは、キューバ革命から離れていった作家、ギジェルモ・カブレラ・インファンテの名前をヒバラ出身者として挙げたこと(亡命者の存在は公には無視されている)。

 

そして、受賞を文化当局と対立中の「映画人集会」の若者たちと分かち合いたいと言明したこと。

 

ルイス・アルベルトは「本映画祭を立ち上げた故ウンベルト・ソラス監督が代表作『ルシア』を撮ったとき、わずか27歳だった」ことを例にとり、「若いことの素晴らしさ」を強調し、次のように続けた。

「若者たちは夢を見るため、ユートピアを信じるため、それを実現に近づけるための途方もない能力をもっている。だからこそ、私は今日4人の娘のうち2人をここに連れてきている。娘たちが夢のために戦うことを学ぶように」「何かを信じるなら戦わねばならない。だから今日、この賞を私は若者たちのグループに捧げたい。彼らは私に信念を取り戻させてくれたから。そして、信念のために戦う甲斐のあることを教えてくれているから。この賞をキューバの映画人集会と分かち合いたい」(会場から歓声があがる)「我々の映画は自由になるか否か」