En un rincón del alma (仮:魂の片隅で)/2016年/ドキュメンタリー/エル・サルバドール、キューバ/100分
監督:ホルヘ・ダルトン
原作:エリセオ・アルベルト著 Informe contra mí mismo(仮:自らを告発する報告書)
脚本:エリセオ・アルベルト、ホルヘ・ダルトン
撮影・芸術監督:ホルヘ・ダルトン
編集:エドソン・アマヤ
音楽:ジョエル・バラサ、ホセ・マリア・ビティエル
プロデューサー:スシ・カウラ(ダルトンの妻・キューバ出身)
内容
革命が勝利したとき7才だったエリセオ・アルベルト(愛称リチ)。
彼の父は高名な詩人で、レサマ・リマが率いる文芸誌「オリヘネス」の一員だったが、革命後の文化政策で周縁に追いやられる。そして、青年になったリチは、諜報機関から家族の言動を報告するよう命じられ、葛藤する。そんな彼の記憶を通して語られる革命の50年と、引き裂かれた祖国の再建に向けたメッセージ。ダルトン監督は、リチの証言に伴走するように、雄弁なアーカイブ映像と多彩な音楽で映画化し、エモーショナルで説得力のある〈キューバ革命史〉にまつわるドキュメンタリーに仕上げた。
※ エリセオ・アルベルト(愛称リチ)
1951年にハバナ郊外で生まれる。詩人・作家、ジャーナリスト、脚本家。
1990年、メキシコ移住。
本作の元になった「Informe contra mí mismo(仮:自らを告発する報告書)」は、祖国を二分した革命を自らの体験に基づいて検証した本で、1996年にメキシコで出版。
それから約10年後、自らダルトン監督に映画化を依頼。
撮影は、2010年1月から翌年7月に亡くなるまで、メキシコ・シティの自宅で行われた。
※ ホルヘ・ダルトン監督は、1961年、エル・サルバドルで生まれる。父は高名な詩人で革命家のロケ・ダルトン。
1965~67年、一家でプラハ(チェコ・スロバキア)で暮らす。
1967年12月末、一家でキューバ(ハバナ)に移住
ハバナで育ち、映画人となり、経験を積む。ICAICのアーカイブ映像に精通。
※ 1972年、父ロケ・ダルトンは武装闘争に参加するため帰国するが、75年に内部紛争により処刑される。
1983年頃、エリセオ・ディエゴ一家と知り合い、懇意になる。
1992年、マイアミに移住
1993年、メキシコに移り、リチと再会する。
1998年、キューバ人の妻とエル・サルバドルに帰国
トレーラー
本編の構成:リチの証言
・母の糖尿病の発作(革命軍兵士に命を救われるが、1961年には出国計画の挫折を招く)
・革命:キューバの伝統にはない暴力、社会主義体制の到来。
前体制的なものやキューバ人のあり方が全て否定された。
それは、キューバの現実、気質的特徴、歴史に対する恐るべき単純化だった。
・抹殺されようとした過去のなかに「オリヘネス」もあり、新国家建設の設計図から除外される。
革命体制と異なる意見は受け入れられなかった。
・民族主義的革命は短命だった。
指導層は(革命にほとんど加わらなかった)人民社会党(PSP)に接近
革命は政治化し、ゲリラ兵たちは取り残される。
・知識人たちの沈黙。その背景には、チェ・ゲバラの発言:「革命に参加しなかったキューバの知識人には発言の権利はない。原罪を負っているからだ」がある。
・「オリヘネス」のメンバーたちは、知的リーダーたちの助けで居場所(国立図書館など)を与えられた。
しかし、レサマやシンティオ・ビティエルのように抑圧(監視)された場合もあった。
「オリヘネス」は、民族主義者でマルティ主義者=反帝国主義者で、社会正義を唱えた点で革命と同調できた。
・革命の勝利と共に、新たな知的前衛が台頭。監督の父、ロケ・ダルトンやガルシア・マルケスも含まれる。
キューバは新たな文学的共謀の中心となる。
レサマも“発見”され、コルタサルは彼を「20世紀のラテンアメリカに存命する最も偉大な知識人」と評した。
・1966年、レサマの「パラディソ」とマルケスの「百年の孤独」が出版される → “ブーム”
3 bombos:カルペンティエル、レサマ、G.C.インファンテ
レサマ作品を理解できない文化官僚たちは、絶大な求心力をもつレサマの存在を疎み、彼が国を出るよう、あらゆることをした。
レサマ:抵抗と知的高潔さのシンボル
・第1回UNEAC(作家・芸術家連盟)大会
2つのグループ:〈左派〉対〈ブルジョア派(オリヘネス)〉
政治リーダーたちは、反同性愛、反カトリックで、神を信じることは〈原罪〉だった。
・60年代という時期が革命の成功に味方した。
若者たちはテレビを通して共通のアイドルをもつ:ビートルズ、ストーンズ、ゲリラ
イデオロギー的に超急進的思想が起こる:モラルの自由、パリ5月革命
・キューバ革命は、もともとイデオロギーの無い政治勢力だった。
倫理的掟を創ったことがなく、マチスタで、悲寛容で、気まぐれだった。
〈モラルの自由〉を排除、抑圧する。
・1965~68年:Diversismo ideológico(イデオロギー的陽動主義)
徴兵年齢の青年たちが、イデオロギー的陽動主義と非難され、矯正労働キャンプ(UMAP)に送られる。
対象:宗教の信者、同性愛者、イデオロギー的非同調者、ヒッピー、アーティスト、知識人
フィデルの演説:「若者たちは、帝国主義者のプロパガンダに影響され、己の放蕩ぶりを誇示し始めている。突飛な生き方をしている」
「革命が提供するのは、労働、犠牲、戦いである」「革命家のために歴史が、祖国が提供するものはただひとつ:犠牲である!」
・共和国ハバナの終焉:1967年(革命大攻勢・自営業の消滅)と1970年(砂糖黍一千万トン収穫計画の失敗)
60年代の努力(革命のラテンアメリカ志向)が無になる。
破産したキューバはソ連化。社会主義共同体への参加(台無しになった革命)
・ソ連化に抗い、ラテンアメリカとしての灯を燃やし続けた文化人の闘い
カサ・デ・ラス・アメリカス(アイデー・サンタマリア)
ICAIC(アルフレド・ゲバラ)
国立バレー団(アリシア・アロンソ)
彼らは誤りも犯したが、「グランマ」やICRT(ラジオ・テレビ局)など他の組織とは異なっていた。
・キューバは、スペインとアフリカの最良のものが到来した地だった。
働き者のスペイン(ガリシア、アストゥリアス、アンダルシア、カナリアス)
アフリカのヨルバ族(戦士ではなく、歌う人たち、詩人)
・原作:「(仮)自らを告発する報告書」
70年代半ば、諜報機関から家庭内における言動を報告するよう求められる。
拒否すると、友人によるリチに対する報告書を見せられた。(スターリン流メカニズム)
惨めな人間ほど公安にとって便利(使いやすい)
・傷ついた記憶
チェコ侵攻事件(1968年)、アジェンデ政権の崩壊(1973年)、ロケ・ダルトンの処刑(1975年)、グレナダ侵攻(1983年)、 サンディニスタ政権の堕落、アンゴラ戦争(2289人のキューバ人が戦死)、
天安門事件(民主化を求める平和的デモ)・・・影響を怖れ、当初キューバでは報道されず。
ベルリンの壁崩壊(1989年)・・・キューバの報道は〈バナナの収穫〉をトップ記事に掲載
ソ連の消滅・・・誰も“鎌とハンマー”を守ろうとしなかった。
・キューバの未来についての提言
記憶を集積し、国を再建し成長させる必要性。分裂から団結へ。キューバ人同士の助け合いが必要。
歴史には必ず勝者と敗者がいるが、敗者にもより良い生活の権利を与えよ。
・リチの要請で、ダルトンがメキシコシティの彼の自宅で、ホーム・ビデオカメラで撮影を開始したのが2010年1月。だが翌年7月31日、リチの健康状態(腎不全)が急速に悪化し、他界(享年59歳)。帰国への夢は叶わなかった。彼の娘、マリア・ホセにより、遺灰は生地アロヨ・ナランホに撒かれた。
補足情報:"En un rincon del alma(仮:魂の片隅で)":補足情報 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)