革命後のキューバ映画の中で、観客に最も大きな影響を与えた作品といえば『苺とチョコレート』。
そのストーリーの背景は、70年代。
そう、“灰色の時代”と言われる、革命の文化が大きく変容・後退した時期。
その時代に、今年はいよいよ(ようやく💦)踏み込んいきたいと思います。
まず、『苺とチョコレート』について最近読んだコメントの中で、私がぜひ紹介したかったのが、グスタボ・アルコス氏(映画批評・大学教授)の発言。
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本作の背景には、ソ連崩壊を受け、国を団結し再構成する意図の呼び掛けがあった。違う勢力も受け入れる統合的な論調が本作を可能にした。そのわずか1年前には『Alicia en el pueblo de Maravillas(仮:不思議の村のアリス)』(1991年)を巡り、ICAICと党中央委員会イデオロギー局が激しく衝突したばかりで、これはICAICを葬り去ろうとした事件だった。すでに政府も認めていたこの決定を映画人たちは回避せしめていた。
『苺とチョコレート』が俎上に載せたのは、不寛容の問題、一方通行の論調しかない国に潜む危険性だった。と同時に、何十年も無視され曲解されていた“他者(otro)”について語るためだった。
“他者”というのは、“革命家のモデル”に当てはまらない人のことだが、元はと言えば、“革命家のモデル”も、党の理論家たちや権力が称揚するマチスト的な文化が押し付けた、恐るべき類型化の産物だった。
アレアとタビオ(注:共同監督)が警告したのは、我々のアイデンティティや文化を形成する価値観の喪失、国の将来を脅かしかねない悲劇だった。
ディエゴはキューバを象徴する人物で、彼の存在、特に彼のアパートには、過去および現在の我々そのものが秘蔵されている。キューバと呼ばれる宇宙の中心がある。もし不寛容のせいで、その中心が壊されたなら、すべてが失われ、国の未来はないだろう。
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Marysolより:ディエゴの部屋のスクリーンショット
セルバンド・カブレラ(同性愛者で70年代は不遇をかこつ)と思われる作品
ホセ・マルティの下は、キューバの文豪レサマ・リマ(同性愛者で不遇な晩年を送る)
バレーシューズが象徴するのは、アリシア・アロンソか?
右下は歌手リタ・モンタネール、その上は画家アメリア・ペラエス?
マリリン・モンローの写真
ウォーホル作のマリリン・モンロー
ウィスキーは資本主義側の酒
★《ディエゴ》と同じく”革命家”でない《セルヒオ》(低開発の記憶/アレア監督)の部屋
『低開発の記憶』の主人公セルヒオは自分のことを〈ヨーロッパかぶれ〉と自嘲気味に書いていましたが、部屋を見る限り、キューバやラテンアメリカのものが目につき、〈ヨーロッパ的〉には見えません。では、彼の趣味を何と表現すれば良いのでしょう?
私には「ルネス」の特長を表す「折衷的」という言葉が一番しっくり来ます。
「ルネス」が牽引した時代(1959~60年) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)
追記:ディエゴの世界~音楽編~