Lezama Lima: Soltar la lengua (仮/レサマ・リマ:饒舌な話者)
メキシコ/2018年製作/120分 (英語字幕付き)/ドキュメンタリー
監督・脚本・編集:エルネスト・フンドーラ・エルナンデス
製作:Video Vueltas Producciones y TV UNAM
内容:キューバの作家、レサマ・リマの人生と作品をめぐり、2009年から2015年にかけてキューバ・メキシコ・マイアミで関係者に取材し、2018年10月に完成した自主製作ドキュメンタリー。
※エルネスト・フンドーラ・エルナンデス監督について
1977年、ハバナ生まれ、ISAで学ぶ
現在メキシコ在住、映画監督、作家
トレーラー
本編の構成:
以下のスペイン語のサブタイトル(番号はMarysolが任意で追加)が示す通り、章立てになっている。
1. Cercanías
レサマが生まれ育ち、生涯を送ったトロカデロ街の様子。売春街に隣接
2.Visitaciones
暮らしは貧しくても文化的には豊か…ラムやポルトカレロなどの絵画コレクション多数
プリンシペ刑務所の図書館長だった・・・囚人の友達
革命後、すべてが国有化される。(物がなくなる)
1962年 家族はキューバを去るが、レサマは留まることを望み、母ロサと元子守のバルドビナと暮らす。
母の死、マリア・ルイサとの結婚(孤独な者同士)
3.Orientación sexual(性的指向)
ホモセクシュアルかバイセクシュアルか?諸説あり
4.Humor y Cubanía
並外れた教養と世俗的な話題が混在。
クリオーリョらしく何でも取り込む(リミットがない)。
詩は、見知らぬ世界に入るための手段
言語活動(lenguaje)の革命を実践。 前衛的メタファー
カリブは超シンクレティズモ(混合)で境界が無い。
それゆえタオイズム(老僧哲学)や俳句とも繋がれる。
レサマは何にでも魅了された。 それは、レサマに内在するアフリカ的世界の影響
5.Influencias Literarias y Categorías Filosóficas
ケベードとゴンゴラに言及、マリア・サンブラーノにも。
レサマの詩の分析と解釈
レサマは文化的“カテドラル”のような存在
6.El viajero inmóvil
メキシコ旅行・・・バロック:プエブラのカテドラル
レサマはひとつの図書館、コントラストに満ち、トロピカルで官能的で豊潤な世界
7.Teología Insular: el destino y la finalidad
政治・革命と関係付けて考える必要がある(シンティオ・ビティエル)
チェ・ゲバラについて書いた短いエッセイで、チェをキリストになぞらえる。
理想のために命を捧げる生き方に心を動かされた。(イデオロギーや政治的理由ではない)
レサマは、チェやマルティ、メリャを尊敬していた。
革命を賛美した。
★最後の"進歩主義世代”:「キューバを未来化せねばならない」と言っていた。
理想主義、ユートピア、文化に信をおく。 彼の詩は21世紀の詩
「限界を越えていかねばならない」と言っていた。
未来に投企する(ヘーゲルの影響)
再構築:いかにして個人の声を大勢の声にフィットさせるか。
「〈崇高な声を岸辺まで届かせる〉ために我々は必要とされている」
8.El Barroco
「バロックはそもそも教育的なアートで、反宗教改革のアートとして新大陸に渡った。
だが、バロックは新大陸に居場所を見つけ、順応し定着する。」
(La expresión americana, 2章、Curiosidad barroca)
バロックは、"反征服(コントラ・コンキスタ)"のアートであり、我々の解放や政治的解放の出発点でさえある。
レサマは、バロックをスタイルとしてではなく、生のあり方と見なしていた:食・衣・言語・風習
レサマのバロックは、アメリカから生れた。*ポルトカレロの絵
一方、カルペンティエルのバロックは、(ラテンアメリカの豊穣な多様性を理解しようとする)ヨーロッパ的眼差しから生れた。
9.Coloquio con Borges(注:このタイトルだったかどうか不確か)
ボルヘスの著書はキューバで禁じられていたが、レサマは所持していた。
10.Curso Délfico
「オリヘネス」:キューバの文化を案じる
(例えば、当時はキューバに出版社がなく、アルゼンチン、メキシコで出版)
「オリヘネス」は、ロドリゲス・フェオの私費で出版
文学と芸術の雑誌 → キューバ文化の柱
文化的貧困の背景
・20年代初め、キューバの前衛芸術家たちは、他のラテンアメリカ諸国と比べても非常に貧しかった。
原因:独立戦争による国土の荒廃、3人の優れた詩人(マルティ、カサルス、ボレロ)の死
・ホルヘ・マニャック:「ハイカルチャーの危機」
・フェルナンド・オルティス: 「キューバの退廃」
・唯一の前衛:Surco (Navarro Luna) 1929年出版
レサマは、そのアバンギャルド(前衛)の頂点のような存在+新しいもの→「オリヘネス」
「アバンセ」(モデルニズム)に対抗
キューバの知識人:50年代(革命前)と60年代(革命直後) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)
★革命前のキューバは、文化に関心が払われていなかったので、革命の初期、文化人は革命にシンパシーを抱いた。
革命後、「オリヘネス」は「ルネス」に激しく攻撃される。
アントン・アルファト:「我々は、宗教的でなかったから、オリヘネスの超越主義(先験主義)を信じなかった。互いの間には多くの違いがあった。私はレサマを最も攻撃したひとりだ」
レサマは「詩の王国を築きたかったが、『ルネス』に壊された」と言った。
口語対バロック
「オリヘネス」の中でも、口語詩に転向する者が出る:レタマール、ファヤッド、パディーリャ
11.Orígenes y Octavio Paz (オリヘネスとオクタビオ・パス)
レサマとパスは書簡を交わしていた。
1949年、分水嶺となる出版物 → ラテンアメリカ文学のブームへ
・Fijeza, viñeta de Rene Portocarrero (オリヘネス出版)
・Libertad Bajo Palabra (オクタビオ・パス著、パリで出版)
・El Aleph (ボルヘス、ブエノス・アイレス出版)
12.Lezama y Martí (レサマとマルティ)
13.Paradiso
詩的作品、多声による壮大なシンフォニー
《知識人への言葉》について某氏の発言:
「〈社会主義リアリズムである必要はない〉という点は、非常に開放的だ。しかし、〈キューバで創造された文学は革命的でなければならない〉という点は非理性的である。さらに、〈革命の内ならすべて認められるが、革命の外なら一切認められない〉という文言は、恐ろしく威圧的である。批判やプロセスにおける調停が妨げられてしまう。こうして多くの作家が周縁に追いやられた」。
14.Las correcciónes de Paradiso
レサマはコルタサルに発見される。
”Fragmentos a su imán” :シンティオ・ビティエルの序文付きでキューバで出版
6年間の国内追放状態が雄弁に表現されている。
15.Oppiano Licario
タイトルを“La secuela de Paradíso”から“Oppiano Licario”に変更(出版を容易にするため?)
レサマの死により未完、
“Esboso para el infierno”は、口述をマリア・ルイサが筆記
晩年のレサマの苦しみ
16.60 Cumpleaños de Lezama
1970年、60歳の誕生日
1969年頃から、文化的教条主義が起こり、標的となったレサマは〈貴族的だ〉と非難される(が、すべて嘘だった)。
17.Caso Padilla (パディーリャ事件/1971年)
*『群衆』の粛清裁判シーン
「パディーリャはスターリニズムについて幅広く読んでいたから、演じてみせた」(レイナルド・ゴンサレス)
レサマはソ連のことを知らなかった。
恐ろしい時代だった。キューバの文化が突然に硬直化した。
パディーリャの「Fuera de Juego」は良書だが、体制に合わなかった。
文化をコントロールしようとした者たちは、レサマが好きではなかったから、彼を利用し排除しようとした。
*「灰色の5年」は実際にはもっと長く続いた。
1971~76年、レサマは検閲され、一行も出版されなかった。
レサマに言及することも出来なかったし、引用すれば削除された。
ガルシア・マルケス、コルタサル、ボルヘスについても言及できなかった。
人々はレサマを訪問しなくなる。
公安は、知識人たちを監視していた。各知識人に担当員がいた。
レサマは、孤独とコミュニケーションの欠乏に苦しんだ。
18.El Ostracismo
1974年から1976年8月に亡くなるまで、レサマは40ページしか書いていない。
最後の詩は「床の間」
レサマはキューバとキューバの人々にひどく幻滅していた。
19.Crísis Final de Lezama
外国のメディアに載ったレサマの2枚の写真:革命前の若々しいレサマと革命後の老いて疲れた様子のレサマ
レサマとの関係を改善しようとした党中央委員会は、レサマに執筆を続けるよう言う。
レサマは、「執筆は続けているが出版されない」と答える。
そして、届いた雑誌には、彼の詩が掲載されていなかった。
レサマは、雑誌を壁に投げつけ、それ以来、書くのを止めた。
レサマの死の様子
〈弁護士、レサマ・リマが亡くなった。〉という訃報。〈詩人〉とは書かれなかった。
注:このドキュメンタリーを見ると、グランマ紙の訃報には〈著名な作家で詩人〉と書かれている。
1981年、シロ・ビアンチが「Imagen y Posibilidad」を出版するまで、レサマについて誰も何も言わなかった。
レサマは、右からも左からも攻撃された。
監督の言葉(Zoomインタビュー)
砕かれた祖国キューバにとって、レサマは和解の手立てになる。
我々〈新しい人間〉は、偉大な人物たちを通してキューバを再建せねばならない。
レサマは我々の文化にとって第一に必要な人物だ。
8歳で父を亡くしたレサマは、母を守る。母が執筆の原動力。女性たちの重要性。
父の不在。レサマのバロックは、不在を満たす。
Marysolより
・配信期限の前日に駆け込みで観たので、上記メモの内容に誤りがあるかもしれません。
・オープニングの写真が美しく、引き込まれた。音楽も良い。
・レサマ作品の難解さが偲ばれる一方、多くの人を魅了したこと、巧みな話術、そして晩年の苦悩に触れることができた。
・バロックの意味、〈キューバらしさ〉への理解の助けになった。
・監督の今後の活躍に期待!(Zoomインタビューを見て)
下のサイトでも監督インタビューのほか、本作を断片的に見ることができます。
(1) Pantalla Indiscreta, TV Martí, José Lezama LIma: soltar la lengua - YouTube
追記:
その後ネットで視聴した別のインタビューで、本作を撮った動機として「母国で知られていないレサマの作品をキューバの新世代のために紹介したかった」と語っていたのが印象的でした。監督本人もキューバではレサマについてあまり知らなかったらしい。
また、後日『エロイサへの手紙』を見て、キューバでは大学の文学の授業でもレサマについて教えなかったこと、だからこそ映画『苺とチョコレート』で文学青年のダビッドがレサマの写真を見ても誰か分からなかったことが納得できた。