キューバの知識人:50年代(革命前)と60年代(革命直後) | MARYSOL のキューバ映画修行

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個人的メモです。革命前(50年代)と革命直後(60年代)の知識人のタイプとメンバーの大雑把なまとめ。

 

1. 50年代(革命前)の知識人の世代別特徴と活動母体

 

a. 30年世代:「レビスタ・デ・アバンセ」から派生した共産主義および前衛主義   
  *文学雑誌「レビスタ・デ・アバンセ」1927~
   前衛主義。(米国の影響に逆らうが、ドス・パソスやエズラ・パウンドなども紹介)。 黒人詩、実験的詩。  
   ホルヘ・マニャク、フランシスコ・イチャソ、ファン・マリネーリョ、 アレホ・カルペンティエル

 

b. 40年世代:新しい表現と現代精神の探求、コスモポリタン。
 *総合文芸誌「オリヘネス」(1944~56年) 
     ホセ・レサマ=リマ、シンティオ・ビティエル、フィナ・ガルシア=マルス、エリセオ・ディエゴ

 

c. 50年世代:リベラル 
   *文学雑誌「シクロン」(1956~57)      
   *文化活動組織「ソシエダ・デ・ヌエストロ・ティエンポ」(1954~59)・・・ ICAICの母体

 

1959年1月1日 革命勝利(革命運動の母体:「7月26日運動」)

 

2. 60年代の知識人の各陣営:特徴と主な人物

 

旧知識人
A. 人民社会党(共産党)出身者:(ソ連の)社会主義リアリズムに追随
   ファン・マリネーリョ、ブラス・ロカ、ミルタ・アギーレ、ニコラス・ギジェン

  ホセ・アントニオ・ポルトゥオンド、エディス・ガルシア=ブチャカ

 

B. 30年世代と40年世代
  アレホ・カルペンティエル、ホセ・レサマ=リマ、シンティオ・ビティエル、フィナ・ガルシア=マルス、

  エリセオ・ディエゴ

 

C. 50年世代:リベラル(キューバ性を探求しつつコスモポリタン性も受容)、批評精神、

         社会主義(アンチ社会主義リアリズム)、権力から距離を置き、適度な自立性を保つ。

         イデオロギーや階級の厳格な公式化を嫌う。
  「シクロン」「ルネス・デ・ラレボルシオン」出身: ビルヒリオ・ピニェーラ、エベルト・パディーリャ、

   ホセ・ロドリゲス=フェオ、トマス・グティエレス=アレア、アントン・アルファ、リネ・レアル、

   エドムンド・デスノエス、ロベルト・フェルナンデス=レタマール、リサンドロ・オテロ、

   パブロ・アルマンド・フェルナンデス、アンブロシオ・フォルネ

 

新知識人 (新エリート)
D. 「7月26日運動(反バティスタ闘争)」闘士:反社会主義リアリズム、ラテンアメリカ主義 
  カルロス・フランキ (「7月26日運動」機関紙「レボルシオン」紙主筆/ルネス・デ・ラレボルシオンは月曜版)
   アイデー・サンタマリア (1959年、カサ・デ・ラス・アメリカス初代長官)
   アルフレド・ゲバラ (1959年、ICAIC初代長官)
   アルマンド・ハート (1976年、文化大臣)

 

3. 革命後の知識人をめぐる状況(60年代)

 

① 1961年7月 統一革命機構(ORI)結成

② 1963年、社会主義リアリズムをめぐる論争:ブラス・ロカ対アルフレド・ゲバラ 

                             (アルフレド・ゲバラがフィデルの支持を獲得)
   * アンドレイ・ジダーノフが提唱しスターリン体制の一翼を担った〈社会主義リアリズム〉を

   Aは公に奨励していたが、C・Dは反対

 

③ 1965年3月 チェ・ゲバラによる〈社会主義リアリズム批判〉と〈知識人批判〉
 *チェの政治的前衛主義は知識人軽視を生む。 

 

④ 1965年10月 共産党政府の樹立
   A陣営とリベラル派の間に緊張が高まる。(追記参照)

 

⑤ 1966年「カイマン・バルブード」(編集長:ヘスス・ディアス)
  ドグマは文化の発展にブレーキをかけることを意識していた編集者たちは、共産主義下で表現の場と

  知的厳密さを創造しようとする (→不可能)。

 

★ 60年代のまとめ
1961年にAが文化の指導権を一時握ったが、最終的にDに帰した。
Dは常にAと対立する一方で、Cに対しては睨みをきかせ抑圧的だった(1961年PM事件)。
Dのカルロス・フランキは、PM事件でアルフレド・ゲバラと対立し劣勢に。1968年、フィデルのチェコ侵攻支持を非難し革命から離れる。

 

★ 文化をめぐる論争が活発に繰り広げられた60年代は、批評的芸術(革命の社会主義的価値観を擁護しつつ、新しい権力エリートの全体主義的な力を拒否する、洗練された芸術)を夢見ることがまだ可能だった。 (下記文献より)

 

参照:HISTORIA DE LAS ANTILLAS Vol.1 Historia de Cuba(Coordinadora:Consuelo Naranjo Orovio)
      CONSEJO SUPERIOR DE INVESTIGACIONES CIENTIFICAS
      EDICIIONES DOCE CALLES,S.L.

 

☆関連記事:https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12435882411.html

  イデオロギーのない革命:https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12145525044.html

 

追記(9月6日 同資料より)

☆2人のカルロスのジレンマ

「革命家はまず何に対して忠実であるべきか?」

1965年、カルロス・ラファエル・ロドリゲスは、 New York Timesのインタビューで上の問いに対し次のように答えた。
「多くのキューバ人は、おそらく共産党よりもフィデルのことを考えるだろう。しかし我々にとっては、フィデルと党は同じだ。我々にとって、党とフィデルに対する忠誠は同じ忠誠心なのである」。

本文の筆者いわく 「ロドリゲスのような党の規律に従う共産党員の視点からすると(キューバの革命的ナショナリストの多くが示していたように)党ではなくてフィデルに忠実なタイプは、不安定で、党への忠誠心を含め、もっと高い意識をもつよう進化すべきであった。

 

一方、カルロス・フランキは、米国の干渉同様、ソ連の干渉に対しても懐疑的だった。
彼は、亡命後まもない1972年、雑誌Libreで、相変わらずの反ソ連主義からキューバ共産党に忠誠を示すことはなかったものの、フィデルやチェへの支持は表明しているほか、中国やベトナムからユーゴスラビアやルーマニアまで、モスクワから独立したあらゆる社会主義に共感を示している。