朝カル新宿にて「サンスクリット語で学ぶ『般若心経』」を受講した。
講師は、渡邉郁子先生。
この講座は当初3月に開講の予定だったが、コロナの関係で6月に延期され、さらに10月に延期されたものが、今回やっと受講できた。
講座は、文字通り、サンスクリットで書かれた般若心経の解説だった。
3時間半の講座の冒頭30分は、渡邉先生の自己紹介や講座の概要説明だったが、先生の「言葉」あるいは「言語」に関する感性というか考えが興味深かった。
サンスクリット語を通じて言葉の深淵に触れてみたい、と。
その人の言葉には、その人のそれまでの人生が背景にある。
先生は、高校で教えられていたこともあるそうだが、高校生のような、たった15、6年しか生きていなくても、そのような背景をしっかり持っている。
そんなお話に感銘を受けた。
さて、本題のサンスクリットの般若心経。
写真は、講座テキストにもあった法隆寺貝葉心経(e国宝より)
サンスクリットの文字は、デーヴァナーガリーというユニークなヒゲ文字みたいなやつ。
私が学んでいる「梵字」とは違うの?
というと、渡邉先生によると、梵字は縦書きのサンスクリット、現代でいえば、同じ文字にも様々なフォントがあるのと似たようなことらしい。
梵字は、シッダマートリカー(悉曇の語源は
siddham)というそうだ。
デーヴァナーガリーもシッダマートリカーも、もとは、ブラフミー文字というのが進化したものらしい。
ちなみに、ブラフマーは梵天のこと。
梵天の文字だから梵字なのか。
さらに、ちなみ情報だが、ブラフミー系文字って、いっぱいあるみたい。
講座では、デーヴァナーガリーで書かれた般若心経、そのローマ字読み、若干の文法の説明がありつつ、サンスクリットの直訳を説明していただいた。
私たちが現在読んでいる般若心経は、玄奘三蔵訳のもの。
これはこれで名訳に違いないだろうが、やはり原文にあたってみてはじめて分かることもある。
例えば、照見五蘊皆空の「照見」は原語では「見させる」。
使役なので、観自在菩薩は「五蘊皆空」を見せられたのである。
玄奘三蔵の訳ではそこまでわからない。
昨年の夏、私は、京都の仏教サロンで、サンスクリット語会話のほんの入門編を学んだ。
サロンの主催の女性は社会人になってから佛教大学に入り、サンスクリットで観音経を学んだとおっしゃっていた。
サンスクリットの原語で学ぶことで、やっと観音経が理解できた、とも。
漢訳があることで、日本での仏教の布教が進んだ。
まんが大乗仏教中国編でみたように、羅什三蔵や玄奘三蔵はじめ、多くの僧侶のおかげで私たちは現代に至ってなお、様々なお経を学ぶことができる。
密教の経典も、善無畏三蔵や金剛智三蔵、そして不空三蔵が、漢訳してくれているが、原文、読んでみたい。
空海は読んだのかな。
手に入れることができたなら読んでいるだろう。
般若三蔵あたりから渡されたかな。