く806年、空海、唐より帰国。

20年の予定だった留学期間を大幅に短縮して帰ったため、入京を許されず、大宰府・観世音寺に留め置かれた。


今回の旅の宿泊は博多駅前だったので、太宰府には、ライナーバス「旅人号」で行こうと思ってバス停に並んだ。

すると、案内の人に、「今日は渋滞で天満宮の到着が大幅に遅れています。電車で行った方が早いし、安いですよ。」と言われた。

別に急ぐ旅でもなかったが、渋滞もキツいなぁと思って電車で行くことにした。


太宰府といえば通常は、太宰府天満宮を指すことが多い。

しかし、私の旅の目的は観世音寺に空海を訪ねること。

西鉄の電車の中はゴールデンウィークの観光客が多く、終点の太宰府駅まで乗って行く人がほとんどと思われたが、私はひとつ手前の五条駅で下車。


10分ほど歩いて観世音寺に到着。





天台宗清水山普門院観世音寺。


天智天皇が母、斉明天皇のために発願、686年に一応の完成をみたが、その後鎮護国家の目的で正式に746年に正式に発足。


こちらは五重の塔の心礎。

1064年に火災で消失。



観世音寺境内。

僧坊があったんですね。

空海はそこに滞在して、入京の許しが出るのを待っていたのだろう。



講堂。



観世音寺の宝蔵。

こちらの仏さまは圧巻でした。

迫力は、東寺の立体曼荼羅に引けをとらない。

一番大きな馬頭観世音菩薩さまは像高5メートルを超える。




こちらは戒壇院。

日本三戒壇の一つ。







観世音寺の東には、大宰府政庁跡。

大宰府展示館で歴史のお勉強ができる。



大宰府政庁の跡は、広い公園になっていて、親子連れの姿やダンスの練習をしている若者たちの姿が見られた。





三基の石碑。



観世音寺にも大宰府政庁にも空海が滞在していたことを示す名残りを見ることはできない。

しかし、空海のことだ。

ここに滞在中も、寺の僧侶や大宰府の役人を捕まえては、自身の唐での活躍や今後の密教の布教について話をしていたのでは、と思う。


どこか奈良大和の地に雰囲気が似ている。

空海の生きた時代への想いがまた深まる。


博多の旧市街にも空海ゆかりのお寺がある。


地下鉄祇園駅から地上に出るとすぐそこ。



真言宗別格本山南岳山東長密寺。



唐から帰国した空海が密教東漸を祈って建立。



東長寺には、高さ10.8mの福岡大仏がある。

日本一大きな木造坐像。



大仏さまの台座の中が「地獄・極楽巡り」となっている。

最初に地獄、そして幕の中の通路に入ると真っ暗闇。

マジでやばいくらい真っ暗で光がない。

手探りで闇の通路を抜けるとそこは極楽。

ああ、よかった。



こちらは五重の塔。

5月の緑と青空に映える。





東長寺は交通の便がよく福岡大仏もあるので、お参りの方々も多かった。

外国人も多く、英語の案内をよく目にした。


祇園界隈はお寺めぐりをするのもいい所。

爽やかな気候の中、のんびり散策することができた。

本ブログの「空海を訪ねてシリーズ」はついに九州上陸。


今回は福岡県宗像市にある、真言宗御室派別格総本山屏風山鎮國寺。


意外なところに空海ゆかりのお寺が。


宗像市といえば世界遺産宗像大社が有名である。


鎮國寺は、宗像大社に対して釣川という川を挟んだ向こう岸にある。


JR東郷駅からバスで10分、道の駅むなかた館で下車。



バスは制服を着た学生さんの集団や観光の方々が大勢乗っていて、むなかた館の所でほとんどの人が下車した。


私は鎮國寺のある橋の方に向かったが、私以外は宗像大社の鳥居の方に向かっていた。


橋を渡ると鎮國寺の入口の階段へ。


入口の石の柱。




風化しているが、弘法大師最初…と読める。


階段を登り切る。



お寺の略縁起によれば、入唐の際に空海は大暴風雨にみまわれたが、海の守護神宗像大神に祈誓を込めたところ無事唐に辿り着いた。

その後、帰国した空海は宗像に礼参し、この地に鎮護国家のための鎮國寺を建立した、ということである。



この日はどんより曇っていた。(この後暴風雨となる。)


お庭がきれい。



お休み処もあります。



立派な護摩堂。



ご本堂。



ご本堂の仏さま、素晴らしかった。

特に如意輪観世音菩薩さまが印象的だった。

大日如来さま、釈迦如来さま、薬師如来さまは、伝弘法大師作。



奥の院は空海が修法した岩窟があるそう。

奥の院の入口。

ここから山道を登ります。





奥の院の不動堂。

月に一度お護摩が焚かれる。



宗像の地は宗像三女神が古くから信仰された独特の神気を纏った場所。


帰国直後に、この地で密教寺院を開いた空海の志はいかに。