真言宗室生寺派大本山室生寺。

680年天武天皇の勅命により役小角が創建したと伝わる。


奈良からはJRと近鉄線、そしてバスを乗り継ぎ到着。

バスは室生側に沿った山深い道路を走って行く。


バスを降りたら少し歩いて室生川にかかる太鼓橋を渡ると。


室生寺の境内へ。


824年空海が来山して真言道場とし、やがて室生寺五重塔は空海が一夜にして建てたという伝説があるらしい。

空海と室生寺の関係は伝説レベルだが、場所的にも歴史的にも在世中の空海と関連があった可能性は高いと私は考えている。


江戸時代には、五代将軍綱吉の母桂昌院が帰依し、早くから女性の参詣を認めていたので、「女人高野」の名で親しまれるようになった。

仁王門。


仁王門を入って鎧坂を登ると弥勒堂(重文)と金堂(国宝)。

こちらは弥勒堂。


さらに登ると本堂(国宝)。

御本堂では僧侶の方が声明を唱えていらっしゃった。


今回見たかった五重塔は、なんと工事中😢

よく考えたら国宝が常に雨ざらしってすごいことだな。

京都や奈良にはそんな建造物の国宝が山ほどあるのだ。

メンテナンスも大変だ。

伝説の空海なら修繕も朝飯前かもしれないが。


そこから奥の院までは山道を登って行く。

小雨と汗で身体中ジメジメの中で頑張って登った。

そこでは御影堂で弘法大師空海さまがお迎えくださる。


御影堂の前に向かい合うように置かれた常燈堂の中では、若いお坊さんたちが、御影堂に向かって理趣経を唱えていた。

まるで空海先生の前で生徒たちが教科書を音読しているかのよう。


そのあと、若いお坊さんたちは声明を唱え始めた。

山奥で聴く声明はなんと雄大に響くのだろう。

大自然の風景を眺めながらの声明の調べにしばし時を忘れる。


美しい室生寺の五重塔を見ることができかったが、また来よう。

写真はパンフレットにあった雪の中の五重塔。



京都宇治にある黄檗宗萬福寺。

久しぶりのお参り。(10年以上ご無沙汰。)


江戸時代の初めに中国から渡来された隠元禅師の開創。




黄檗宗は禅宗の一派であるが、鎌倉時代(中国では宋代)に請来された臨済宗や曹洞宗とは異なる明代の文化が色濃い。


三門(重文)。左手にかわいいお船が。


こちらかわいいお船。隠元禅師が乗っていらっしゃった?


法堂、大雄宝殿、天王殿は国宝。

こちらは大雄宝殿。


斎堂(重文)。左手にこれまたかわいい開梆(かいぱん)。


こちらが開梆。叩かれた跡がそこだけ木肌が若くて痛々しいよ🥺


以前のブログにも書いたが、ここは風(気)の流れが素晴らしい。


伽藍に張り巡らせた屋根付きの廻廊(重文)を歩きながら風の通りの良さを感じる。




どこからか風鈴の音がサラサラと流れてきた。

廻廊に吊るされたたくさんの風鈴。


萬福寺の風は龍の風。

いつまでも佇んでいたいと思う、風の寺。


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く806年、空海、唐より帰国。

20年の予定だった留学期間を大幅に短縮して帰ったため、入京を許されず、大宰府・観世音寺に留め置かれた。


今回の旅の宿泊は博多駅前だったので、太宰府には、ライナーバス「旅人号」で行こうと思ってバス停に並んだ。

すると、案内の人に、「今日は渋滞で天満宮の到着が大幅に遅れています。電車で行った方が早いし、安いですよ。」と言われた。

別に急ぐ旅でもなかったが、渋滞もキツいなぁと思って電車で行くことにした。


太宰府といえば通常は、太宰府天満宮を指すことが多い。

しかし、私の旅の目的は観世音寺に空海を訪ねること。

西鉄の電車の中はゴールデンウィークの観光客が多く、終点の太宰府駅まで乗って行く人がほとんどと思われたが、私はひとつ手前の五条駅で下車。


10分ほど歩いて観世音寺に到着。





天台宗清水山普門院観世音寺。


天智天皇が母、斉明天皇のために発願、686年に一応の完成をみたが、その後鎮護国家の目的で正式に746年に正式に発足。


こちらは五重の塔の心礎。

1064年に火災で消失。



観世音寺境内。

僧坊があったんですね。

空海はそこに滞在して、入京の許しが出るのを待っていたのだろう。



講堂。



観世音寺の宝蔵。

こちらの仏さまは圧巻でした。

迫力は、東寺の立体曼荼羅に引けをとらない。

一番大きな馬頭観世音菩薩さまは像高5メートルを超える。




こちらは戒壇院。

日本三戒壇の一つ。







観世音寺の東には、大宰府政庁跡。

大宰府展示館で歴史のお勉強ができる。



大宰府政庁の跡は、広い公園になっていて、親子連れの姿やダンスの練習をしている若者たちの姿が見られた。





三基の石碑。



観世音寺にも大宰府政庁にも空海が滞在していたことを示す名残りを見ることはできない。

しかし、空海のことだ。

ここに滞在中も、寺の僧侶や大宰府の役人を捕まえては、自身の唐での活躍や今後の密教の布教について話をしていたのでは、と思う。


どこか奈良大和の地に雰囲気が似ている。

空海の生きた時代への想いがまた深まる。