子育てを振り返ってみた 0. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.











子育てを振り返ってみた8.
に進む前に 
結婚する前からの
エピソード0.を
書いてみた

























わたしは独身のある日
付き合っていた元夫の部屋で
突然元夫に
結婚しようかと言った














それは22才の時だったのもあり
まったく結婚自体考えておらず
元夫とは真面目に付き合っていたが
彼とは結婚しないと思っていたし
二人で結婚の話はした事が無かったし
母にもそう言っていたので
そう言ったわたしが
誰よりびっくりしたが













元夫は「うん」と言い
それは付き合って丸二年経った頃で
その一年後の丸三年経った時に
わたしたちは結婚したのだが
その10年後くらいに元夫は
「最初から三年後に結婚しようと思っていた」
と言った












そして
結婚式の二週間くらい前に
わたしは激痩せするほど
結婚が嫌で嫌でたまらなくなり
「やめる」と言い 笑
それはわがままなのか
今後の人生を予感したのかは分からないが 笑
わたしはこれを突き通し
元夫はわたしの両親に破談の挨拶にきた











でももちろん彼は嫌だったので
わたしの気持ちとの間で葛藤しながら彼は
「この話は無かったことに…」
というドラマのようなセリフを
何度も何度も言おうとしたが
1時間以上経っても
自分の本音ではないその言葉を
言うことは出来ず













わたしの父がそれを見て
「もう(結婚したら)ええやないか…」
と言い母も
「愛子は彼と結婚しないと後悔するよ…」
と言い
わたしは父の言葉がスッと入ってきたし
母の言葉にもハッとしたので
結婚した














そして結婚式誰もが
「こんな楽しい結婚式は初めて!」
と言ったくらい
飲めや歌えや、鯛やヒラメも大騒ぎで 笑
そこでは精神を病んでいて
何年も誰にも会わずにいた身内が
式に出席し笑顔を見せてくれ
皆が泣いて喜ぶなど奇跡も起きた
















わたしは結婚式場のことも新居のことも費用のことも一切考えず結婚を口にし、でも、新居も結婚式場も費用も車も全て両家の両親が考え用意してくれ 、恵まれすぎな結婚生活が始まったが、誰もその後こんな人生が待っているとも離婚するとも、この時は思っていなかった()












そして結婚生活は楽しく
わたしたちは最初共働きだったし
比較的早くに結婚したこともあり
5年くらいこのままの生活を楽しみ
その後子どもは出来たら嬉しいけど
出来ないならそれでもいいと思っていたら
結婚して半年後に突然妊娠した












それは本当に予想外でびっくりしたが
わたしは産婦人科で妊娠を告られたとき
その場で号泣し
家に帰ると母がたまたま来ていて
母と抱き合って泣き元夫も喜び
突然だったが
皆が本当に喜んだ妊娠だった











そしてわたしは
悪阻が酷く7ヶ月まで吐き続け
それまで体重も1㌔も増えず
その頃仕事をその職場のパートに変え
9ヶ月くらいになったら今度は
切迫早産で入院し仕事も辞めたのだが
妊娠している事は本当に幸せで仕方がなく
予定日の3日前に無事長女が生まれた













出産はそれはそれは
想像以上の世界だったが
比較的スムーズに進み元夫も立ち会い
実母と義母は陣痛室で見守り
わたしは生まれてきた長女を見て
もう可愛い過ぎて
「わたしか父に似てる?」と笑った














そしてわたしは出産翌日
個室のベッドに一人で静かに横たわり
全てがキラキラと輝くその世界で
大安心と喜びの中で佇んでいたら
母がやってきてそれを見て
それが後に覚醒だとわかった















生後1ヶ月半のこの頃長女は鼠径ヘルニアと診断され、それを聞かされたわたしは、泣きながら家に帰り元夫に報告し、4ヶ月の時に長女は大学病院で手術をしたのだが、それは盲腸くらいの簡単な手術だったのだが、全身麻酔で術後初めて熱が出たのでわたしは泣いていて、わたしもそんな可愛い、普通の人間の時もあったんだな 笑。













そして元夫は何も言わなくても
協力的だったし
隣人は子どもたちは小学生になるまで
自分には祖父母が三人ずついる
と思っていたくらいお世話になり
両親はいつも傍にいて
わたしたち三人を助けて愛してくれて











義両親は隣県だったが
経済的な協力を物凄くしてくれたし
子どももだがわたしも
物凄く可愛がって貰っていたので
わたしはそんな恵まれすぎる環境の中
余裕を持って子育てができたし
長女が本当に面白い子だったので
本当に楽しかった












そしてわたしは
家族も元夫も普通に好きだったし
普通に恋愛もしてきたが
でもずっと〝愛する〟ということが
わからずにいたのだが 
子どもの存在が愛おしくてたまらなくて
「ああ、愛とはこれだったのか…」
とそれはまさに
人生の衝撃的な出会いと気づきでもあった













だから
長女が1歳になった頃すぐに
二人目が欲しくなったが全く出来ず
ま、いっか…とそれを手放した
長女が1歳4ヶ月の頃
わたしは突然妊娠し
それがわかった日は
世界が一瞬で輝き嬉しくてたまらず
それは長女の妊娠がわかった日の
二年後の同じ日だった













長女は、言葉は遅かったのだがそれは動く事が忙しかったみたいで、いつもご機嫌で室内用ジャングルジムで生活をしている多動気味の野生児で、一時期ジャングルジムから床に唾を垂らし、ある程度垂らしたらそれを吸うという、〝唾ヨーヨー〟にはまっていて 笑、ティッシュの空き箱はいつも靴として履いていた 笑。(洋服を着たら、臨月の、前からも後ろからも誰からも産婦人科医からも妊婦と気づかれなかった、小さ過ぎるお腹のわたしと、唾ヨーヨー名人 笑)













そしてその妊娠は
悪阻が7ヶ月まで続いたのも
7ヶ月までわたしの体重が1㌔も
増えなかったことも
8、9ヶ月でやっと3㌔太り
9ヶ月で切迫早産で入院し
入院中点滴の副作用か毎日吐き続け
体重が一切増えず
10ヶ月になり退院しその後3㌔増え
結局計6㌔しか増えなかったことも
全て同じだった














そして
同じ総合病院の産婦人科で出産したのも
三人いた産婦人科医の中で
立ち会った医師は選べないのに同じで
出産時に入院した個室も
何十室もある中で同じ部屋で
性別が女の子だったことも同じで
予定日は次女のが3日遅かったが
生まれてきた日は
二年違いの6月2日と全く同じ日で
出産体重は40gしか変わらず
星座はもちろん血液型も同じで












名前は女の子ならひらがなだと
元夫との意見が一致していて
長女の名前『あおい』は
わたしが高校生くらいに読んだ漫画で
いいなと思っていた名前で
次女の名前『ねね』は名付け本の中で
わぁ、可愛いと思った名前で













どちらもたまたま本で選び
たまたま歴史に関係していて
どちらも字画も調べず意味も無く
柔らかい響きで古いようで新しいような
老若男女誰からも愛される名前
というのも一致していた











そして今度の出産は
「わたし一人で行ってくると言い
多分元夫は立ち会う気だったのだろうが 笑
多分これは次女とわたしの意見で
長女は父に預け実母と元夫を陣痛室に残し
わたしは一人で分娩室に向かい
次女を見た瞬間
「なんて小さくてまん丸で可愛い子…」
と思った













そして出産した翌日に覚醒したのも
母が「菩薩様みたい」と言ったのも
退院した日も同じで
どちらも梅雨前の曇りで
同じベテランの助産師さんに
セレモニードレスを着せて貰ったのも
わたしが着ていたワンピースも
実家に静養する前に自宅に寄り
隣の叔母さんにお披露目したのも
その日叔母さんが滅多に着ない服を
来ていたのも全て同じで












その後生後一ヶ月で
長女は鼠径ヘルニアになり
次女は臍ヘルニアになったのも
可愛い天然パーマだったのも同じで
わたしはまた皆に協力してもらいながら
楽しく豊かで忙しい子育てをし
次女が二歳を過ぎた頃
三人目が欲しくなった












次女とわたしが退院した日に実家で荷物の整理や片付けをしていたら次女が泣き出したのだが、わたしや母が忙しかったので泣かせたままバタバタしていたら、長女は、赤ちゃんの泣き声が初めてだったので、「ママママ!ねねにゃんねねにゃん!」とオロオロしていて、わたしがそれでも片付けをしていたら、痺れを切らした長女が、「オッパイ!オッパイ!」と言いながら、自分の洋服をめくりオッパイをあげようとしていた  笑





 









それを元夫に言ったら
彼はずっと男の子が欲しかったみたいで
「次も女の子だと思うから二人でいい」
と言われたがわたしはなぜか
また自分でもびっくりし 













でもわたしは三姉妹も可愛いな
と思っていたのでどちらでもよく
そして排卵日を付けていなかったが
なぜか「今日!」と言い
わたしは妊娠した











そしてその頃は
わたしも長女との関係に悩んでいたのだが
息子を妊娠したと同時に
長女が穏やかになり多分わたしもで
一切問題が無くなり
「このお腹の子凄いな…」と思った













そしてわたしは
男の子でも女の子でも良かったが
妊娠中に7、8回男の子の夢を見たので
多分男の子だろうなと思ったし
娘たちの時は普通に
「女の子がいいなとか五体満足がいいな…」
と思ったりしていたが












息子の時は妊娠5ヶ月くらいの時突然
「この子が男の子でも女の子でも
健常でも障害でもそんなの関係ない…
ただ、この子に会いたい…」
という思いが溢れ
号泣した事があり
それは後に無条件の愛だとわかり













人生でこんな経験は初めてだったし
何か足を踏み入れてはいけない
神聖な領域に足を踏み入れたようで
怖くて震えた事があり
この妊娠は今までの妊娠と何か違う
と感じていた













生後2ヶ月頃のある日、ベビーベッドにいた次女がギャーと泣いたので飛んで行くと長女が、自分で水を入れた哺乳瓶を次女に飲ませていて 笑、でも蓋がきちんと締まっていなかったので次女の顔に水がバシャーンとかかり泣いていて 、次女は長女にとってぽぽちゃんだった 笑。











そして産院はわたしは実は
独身の時から電車の窓から見える
線路脇にある助産院が気になっていて
妊娠をしたらそこに行こうと思っていたし
長女や次女を妊娠中も何度も過ぎったが
どちらも切迫早産で入院した事で
結局大きな総合病院で産み
結果それが良かったのだが











次はそこで産みたいと思っていたら
娘たちを連れてできる
子連れヨガに初めて行った日に
ある育児サークルの人たちが数名いて
その人たちが三千人を取り上げた
その助産院の助産師さんの講演会を
企画しているチラシを配り始め
そこで産んだ人もいたので
「あ、今度はそこで産もう!」と思った












そして何度か検診に行き
8ヶ月くらいの時に逆子と言われたが
特に体操をしなさいとも言われず
その後もその事には一切触れられず
わたしも気にせず過ごし 有り得ない…
そして助産院では性別も分からないので
今度は生まれてくるまで楽しみにし












ただわたしは切迫早産の体質があり
もう今回は入院はしたくないと思ったので
臨月に入った頃には赤ちゃんに
「2300gまではお腹にいてね」
といつも話しかけながら
娘たちを日中はなるべく母に預け
昼間は自宅で安静にしていたら
予定日より10日早いある日の夕方
自宅でおじゃる丸を見ているときに
突然破水した











そして産院に行くと
「赤ちゃんは降りてきているけど
まだまだやから一回帰りな」
と米寿を過ぎた助産師さんに言われ
娘たちと元夫と実家で待機をしていたら
おしるしがいつもより緑茶色かったので
「あれ?胎便?お尻がはまってる?」
とこの時初めてわたしは
逆子を産むことに気づいた












そして仮眠をとり深夜2時くらいに
陣痛が10分を切ってきたので
今回は畳みの上での
家族皆の立ち会い出産だったので
娘たちを起こし
母と元夫と産院に行こうとすると












寝起きが悪い次女は
「行かない!」と泣きわめき 笑
もうそんな事聞いていられないので
「お菓子買ってあげるよ!」
食いしん坊次女に奥の手を出すと
「行く!」と一瞬でご機嫌になり 笑
陣痛がどんどん来る中コンビニに寄り 笑
皆で助産院に向かった













そして着いてすぐに先生に
「逆子なんですか?」と聞くと
「あんたが怖がると思ったし
あんたは三人目やし赤ちゃんも小さめやし
上手に生まれてくると思ったから
言わなかった」と言い
わたしは元々不安も無かったが
「わたしはもうこの先生がそう言うなら大丈夫だ…」と思った













そしてその時89才で
手が輝くように白く長く美しく
「わたしは神様のお手伝いをしているんや」
と言う先生は
「お尻から出る子は
手を交差させて肘を曲げて
ちゃんと上手に出てくるので
お尻と足が出た後は
交差させた肘が出るまで慎重に待つんや」
と言いそれは儀式のように美しく











春の気配を少しずつ感じる
凜とした寒さがまだ残る
2月24日の朝
電車の音だけが響く中
小さな娘たちも息を飲むほど
それは静かに進んでいった













弟の誕生は、息を飲み静かに見守っていた二人だったが、産後の処置を助産師さんがわたしにしてくれていると、ずっとわたしの頭の方にいた次女は、下に回り 笑、「ママのチンチンから、血が出とるー!!!」と叫んでいた 笑(長女4歳8ヶ月、次女2歳8ヶ月)













そして朝の9時過ぎ
無事に息子は生まれ元気に泣き
「元気な男の子ですよ!」
と言われた瞬間
「男の子って!!!!」
と元夫を見ると元夫は泣いていて
顔を見たら物凄く美しい子でわたしは
「わぁ、綺麗な子だな…」と思った














そして先生が息子の体重を測ると
わたしがお腹に話しかけていた通り
2300gピッタリで













全てが夢か現実かあの世かこの世か
わたしの思い通りなのか
わたしが神の思い通りなのか
分からないくらい
この妊娠や出産は
不思議に美しく無駄なく奇跡しかなく
何かに守られた中で進み













両家の両親ももちろん喜んでくれ
実父はわたしは二人姉妹だし
孫もここまで四人皆女の子で
それに何かを言われた事は一切無いが
待望すぎる男の子に
自分が産んだかのように喜んでいた 笑













そして名前は
男の子なら漢字一文字で中性的というのが
元夫と意見が一致していたが
今回は彼の待望の男の子だからか
二人の意見がなかなか合わず
だからわたしは4才8ヶ月の長女と
2才8ヶ月の次女も入れて
皆で決めようと二人にも聞いたら
『カズマ』(おじゃる丸)
『サトシ』(ポケモン)と言い 笑













だからわたしがまた
意味は考えず字画も調べず 
響きと字面の美しさで『凜(りん)』はどうか
と言うとそれだけが全員一致をしたので
息子は凜(りん)』と名付けられ
息子を産んだ翌日もまた母が
「穏やかで美しくて菩薩様みたいよ」
とわたしに言った

名前は4人で決めたと思っていたが
息子と5人で決めたんだなと、ふと











そしてわたしは高校生の頃何となく
結婚するのは22歳で
相手は建築士で
子どもは女女男で
最初の子の名前は『葵(あおい)』で
わたしはごちゃごちゃと育てたいから
子どもは二歳違いで
20代で三人産みたいと
なぜか思っていて





 




三人の子どもを産み終えて
しばらくしてから
すっかり忘れていたこの願いを思い出し
それが全て叶っていることに
気づいた


























そして
その後の子育てはこの
続いていく