”障害は治る ⒍(多弁 ⒈)” | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.

















診断される前
息子は











言葉は遅めだったが
ママ、とって
などの
二語文が出始めた
ところで











脳症を
発症した当時は
言われた言葉に
反応するかのように
オウム返しをするだけで












それを
意味があって
使っている
とは思えなかった












そして
オウム返しも
次第になくなって
きたころ

























言葉のアウトプットを
促すための
知性のプログラムの
インプットや











言葉が出ない
大きな問題と言われる
呼吸を改善する
呼吸のプログラムや










肺や胸囲を
鍛えるための
運動のプログラムを










一日8時間
365日休みなしに
3年半続けた結果











息子は
話したいという欲求が
どんどん現れ











言葉の頭文字から
単語へ
と繋がっていった











そして
社会生活を
始めてからも











二語文、三語文と
少しずつ
言葉は増えていき












こちらが
選択肢を幾つか
提示し
選べるようにしたり












質問のやり取りを
細かく
繰り返すなど











息子が
本音を言いやすく
わたしも
息子の本音を
掴みやすい環境に
していった結果












さらに
コミュニケーションが
取りやすく
なっていった












でもまだ
真逆のことを言ったり
同じことばかり言ったり
本音かどうか
分からないことも多く












その上
どんどん
多弁になっていき













それは
わたしにとって
何より
厳しいものだった

























わたしにとって
息子の発作
かなり
厳しいものだった











でも
発作は
体調が悪いときや
夜に多かったが











多弁というのは
息子が起きている
全てで











わたしは
専業主婦で
息子は
養護学校高等部を
卒業してから











アーティスト活動に
専念するため
ずっと自宅におり
24時間一緒に
過ごしていたので












それは
わたしにとって
24時間支配されている
と思うくらい
苦しく











わたしは
何度も
ノイローゼや
パニックにもなり














わたしは
それが無くなるような
あらゆる
あらゆる努力を
してきた












でもふと
左脳の脳卒中を
体験した











言うように













息子の多弁は
左脳のおしゃべりではないか
と思った













そして
それが
わたしの前で
起こるなら











それは
息子の
左脳のおしゃべりで
ありながら











わたしの
左脳のおしゃべりでも
あり












だから
それは
過去を後悔したり
未来を憂いたり












目の前のことに
善悪の判断をしたり












無意識に
生きているときに













人が一日
6万回は考えると
言われている
内語と言われるもので












わたしが
それを無くしていけば
いいのだと思った











そして
それが












現在過去未来
という時空を越えた
ということで











お茶碗を洗うときは
お茶碗を洗いながら
あーだこーだと
考え事をするのではなく












お茶碗を洗うことに
集中するという













1:1で生きる
ということで











瞑想状態で












それを
わたしが
生きれば生きるほど











わたしの
余計なおしゃべりは
もちろん













息子の多弁も
なくなっていった