2歳0ヶ月で
障害を負う前の
息子は
言葉は
少し遅めだったものの
それは全く
気にならないほど
人見知りは
したものの
誰とでも仲良くする
驚くほど
器用で
優しい
子どもだった
でも
最重度の知的障害と
自閉傾向がある
と診断されたときは
目は合わず
言葉は
オウム返しで
意味は感じられず
便器に入ったり
キッチンのシンクに入ったり
水溜まりの水を
飲んでしまうほど
水に執着し
異常行動もあり
母親のわたしや
家族を
認識しているとも
思えず
全く
コミュニケーションは
取れない状態だった
そして
三人の子どもたちを
生まれてから
そう育ててきたように
脳が傷つき
秩序が無くなったように
思えた息子も
観察し
そして
娘たちはもちろん
息子の
気が遠くなるような
どれが本音か
分からないような
結果
目が合い
言葉が増え
異常行動もなくなり
親の認識が薄く
迷子になっても
不安や恐怖を
一切感じていなかった
息子が
混沌の中を
生きていたような
息子に
秩序が現れ始めた
そして
リハビリに
限界を感じ
一区切りをしたあとは
という思いで
引き続き息子を
観察していると
それまで
障害者の息子と
健常者のわたし
という視点で生きてきたが
ふと
この
自閉傾向特有の
こだわりなどは
わたしの鏡ではないか
と思うようになった
そして
それからは
息子や娘たちを
見ながら
自分を知り
自分が
不必要なこだわりを
手放すほどに
息子のこだわりも
なくなり
さらに
息子は
生きやすく
なっていった
そして
わたしたちは
松山先生に
出会い
同じものを
毎日食べたがる
いつも
同じコンビニで
同じ商品を買う
サラダやお寿司には
ドレッシングも
醤油もいらない
などや
洋服をたまに
前後反対に着る
暑くても
寒くても
着たままの洋服で過ごす
他人の目を
一切気にせず
恥の感覚が少ない
などの
自閉傾向にある
感覚の問題や
こだわりだと
捉えがちな症状は
全て
そして
そう気づくほどに
わたしの世界は
気づけば
息子の
生きにくいこだわりは
さらになくなり
わたしは
逆に
大切なこだわりを
思い出し
息子が
自閉傾向と
診断されていたことも
忘れるように
なっていった