今回は父の話をします。

父は昔から仙人思考(造語)の人です。

そんな言葉があるのか知りませんが笑


不思議と父なのに昔の人という

認識が子どもの頃からありました。


父が数字を数える時は

いちにさんし…ではなく

ひーふーみーよーいつーむー…と数えるので

わたしが最初に数字を覚えたのは

古代読みからでした。


スター

娘から見た父は 達観しているというか

悟っているというか

物静かでありながら 動じないので

世俗的でないというか

人間っぽくないなぁーと

小さな頃から思っていました。




少し前に 妹の出産で東京に来た時

スマホを持っていないのにも関わらず

路線図だけで

羽田から必要な電車の乗り換えを3回無事にし、

1時間半🚃乗って 妹の最寄駅まで

到着していました。

※東京には殆どきません。


タイムスリップして

この世界にいるような人なのに

福岡在住のおじいさんが

都内の路線図を理解して

はじめての土地へ行けちゃうなんてと

妹と感動していました。

都内に住むわたしでもはじめての場所は

調べないと無理笑い泣き



数年前に父にこんな事を言われました。

そんな事したら

いつまでたっても

仙人には なれんぞ!

水がいつまでたっても

あると思うな。

もし家が無くなったら

どうやって生き抜くんか!

じぃじとお風呂に入った子供達をみて

身体を洗っていない事がわかり

じいじが洗わなくていいって言ってたからー

出てきたので

馬油塗ってるし 野良猫触ったから

石鹸で洗った方が良いよ

と言うと このように言われました。


わたしを仙人にしあげようとしてたんだと

気付いた言葉でもありました🤣

父が本気でそう思って生きているのも

娘だから分かりますが

わたしは仙人の枠には入らないと伝えました。

父は何かに属した信仰の対象はありません。


🪽


父の事を最初に記録したのはこの記事※1

ですが

生前からの記憶があったわたし※2

にとって

話しが通じる感覚があったのが

父でした。


わたしは幽体離脱※3 

をする回数がとにかく多くて絶望

赤ちゃん時代〜幼稚園時代は

それは自然なものと とらえていました。


小学生くらいになると年齢を重ねる事に

恐怖に感じるようになっていました。

魂の抜け方?も激しい時がありました。


りもちゃんの魂が抜けんよう

身体抑えて欲しいと。

夜中 何回も抜けるんよ😭

こんなに抜けよったら 

身体に戻れんごとなるかもしれん😭

幽体離脱だと認識している時は

雨ほどの頻度で起こっていた為

今夜抜けるかも…と

離脱予測(造語)が出来るようになり

抜けそうな夜は

父にお願いしていました。

結局抜けるんですが😅安心の為に頼んでいました。


抜けやすい時期は 父の隣で寝て

肉体に戻った時に

今また抜けとったぁー😭

泣きながら起きる事もありました。

この話 殆どの人にとっては意味不明だと思うので

スルーしてくださいね。


小さい頃のように

魂が自由に遊びに行く感覚を

楽しめれば良かったのですが

わたしの経験上

年齢を重ねて思春期に近づいていくと

重くする?落とす?馴染ませる?

ような感覚があり

楽しむ心より不安になる感覚を

地球の重力によりグラウディングさせ

一時的に引き出されていたように思います。

地球に馴染ませる必要があるのかな?と。)


こんなにも肉体を置いて

魂がお散歩に出掛けてしまう娘の状態を

驚く事も 焦る事もなく 飄々と

あるがままに受け入れていた様子でした。


中学生の頃、学校を休んで

遊びに行く事がありましたが

叱られる事もなく

休んでもいいけど

どこおるか ゆーとぞ

理由を一切聞かずに

穏やかにやさしく伝えてくれました。


学校を途中で抜け出して帰宅した時に

たまたま父が家にいたのですが

その時も

おーおかえりぃー!学校おわったとか?

抜けてきたー

おー そーか。まぁいいたい。

にこにこしながら言い

学校の先生が家に迎えに来た時も

頼んでないのに

娘は帰ってきとらんですよ

ささっと先生をかえしてくれて

理由は一切聞かずに察してくれました。


🏠


高校時代、大病からの自宅療養期間から

そのまま引きこもり※4  になってしまった時も

父は わたしの状態について

質問してくる事はありませんでした。

悪かった心臓の具合すら

聞いてきませんでした。


話し合いに持ってこられたり
説得されるような事も一度もなく
励まされたり
勇気づけられるような事もなく
なんとなく状態を認識しながら
並走するようにいてくれました。

りもちゃん 一緒に◯◯山いくか?
りもちゃん お父さんの職場いくか?
りもちゃん お客さんとこ行くけど来んか?
来たくないなら 来んでもいいぞ?
無理強いする事なく
同じ空間に誘い出してくれました。
最初は行けませんでしたが
回復期に入ると一緒に行くようになりました。

こんな父でしたので
思春期特有の父を毛嫌いするような時期が
わたしには一度もなく
ずっと大好きな存在のままでした。

孫に対しても
子どもがやる事 どんなことも
口出ししたらいかんぞ。
なぁーんも ゆーたらいかん。
それだけは絶対親がしたらいかん事。
どーするか 見とけばいいとたい。
なんも心配することはこの世にはないとぞ。
心配するだけ損をするごとなっとる

と わたしに接してくれたやり方と同じように

孫にも手出し口出ししないという助言をし

父にとって一貫性のあるものでした。



ハイハイ


父は兼業農家で、田畑をもちながら

今はエンジニアとして働き

地域の組長を務め

毎年 博多山笠で神輿を担いでいます。

仕事の事故で 指が取れてしまい

小指がありません。


昔はエンジニアのみをしており

入退院を繰り返した後は自主辞職し

あらゆる資格取得に励んでいました。

印象にあるものでは

庭師の資格があり、父の作る庭が大好きで

造った庭の写真を見るのが好きでした。

調理師免許を持ち 料理が美味しくて

居酒屋をしていた時期もありました。


父が大きな手術をいくつかした後は

なぜか急に鉛筆画に目覚めて

あらゆる風景画を

スケッチに描いていました。

父の描く風景画が大好きで

毎日のように眺めました。



父も明晰夢※5 を観る人で

明晰夢の時のアクセスの仕方や

明晰夢の活用術のようなものは

小さな頃からレクチャーされていました。

わたしの覚えている夢がほぼ明晰夢なのは

父譲りです。

寝る前 枕元には

目覚まし時計 翌日の服の他に

夢で教えてくれたものを

メモするノートとペンは

常に置いておくように言われて育ちました。


他にも

遭遇した霊魂とどんな会話をした とか

本当の死神は怖いものではなく

魂を救いにきているとか


霊魂 神様 精霊 宇宙人の話を 

日常的にしてくれましたが

母や兄、妹にはしてこなかったというのは

大人になって知ったことでした。


きっと わたしがオーラが見えている話や

幽体離脱などをするので

諸々と察して

話してくれていたんだろうと思います。



👻


小学生の頃 わたしが学校で倒れた時

友人に

『〝お母さん〟って小さく言いながら倒れてた』と

言われた事を父にすると

そりぁそうたい。

もともと お母さんの中におったんやけん。

倒れたり 死にそうな状態になった時

魂は元にある場所にかえろうとする。

やけん お母さんって言うったい。

戦争に行った兵士も

『お母さん』って言って逝く。

そうなんや。なんでなんやろ。

でもお父さんの事 好きなんよ。

心でそう思っても

魂の繋がりはお母さんの方が強いとぞ。

父親という立場は繋がりが弱い。

そうなんや。


ねえ お父さん。

お父さんはなんでお母さんと結婚したん?

こんな事 子どもが言うのは

変な事なんやけどね。

なんかあったら 

りもちゃんが

お母さん守らんといかんけんって

思いよるけん感じる事なんやけど、

お父さんなら お母さんじゃなくても

いい人いくらでもおったと思うんよ。


いつも不思議に思いよったんよ。

お父さんはなんでも出来るのに

お母さんは出来んこと多いやろ

お母さんは純粋やろが。

言葉もしゃべれん※6

ところあるけど

人の事 悪くいわんやろうが。


純粋やけん一緒になったと。

お父さんが、お母さんを守らんと

お母さんは生きていけんやろな…

危ないやろうなって思ったったい。

お母さんをお嫁にしたってすごい事やと思う。

確かに お母さんからじゃないと

りもちゃんは産まれてこんかったし、

お母さんじゃないと

お父さんがお父さんじゃなかったよね。


この時の会話は印象的で

今でもよく思い出します。

この時不思議と、父が誰であっても

わたしは母を通過して

この魂で出てくると感じました。


父が違えば 父譲りの顔ではなくなりますが

わたしの中身である魂は

わたしのままであると思ったのです。

なので

実父にも関わらず

お父さんと出会えて良かったと

空に向かって感謝がこみあげました。


器用で寛大な父が、母を選んだ。

それは 父こそ美しい魂だと思った

時間でした。

父は仕事で不在が多かったり

長期入院を何度も繰り返していた為

 母が子どもを放置する事に対して

父は強く反対をしていました。

母は発達障害からきている無自覚の育児放棄

父は、大海原の愛の見守りを貫き

結果的に どちらからも

自主性が育まれるような環境にあったのだと思います。



今年に入ってすぐの事

わたしは父に電話でこんな話をしました。

お父さんに言いたい事があると。


きーくんが、高校進学するにあたって

色々学校の事を調べてたらね

自分の高校時代を思い出したとよね。


子どもの頃ね 

家も色々大変やったやん⤴︎

お父さんも入退院や手術繰り返しとったし。

でもさ、高校選ぶ時

費用をすごい気にしとった わたしに

なんもお金の事は心配せんでいい。

好きなとこ行け。』って言ってくれてさ

それすごい事だなぁって

改めて思ったんよ。


あの環境でそう言えるってすごい事よ。

あの時は本当にありがとう😭

それなのに今度はわたしが病気してさ

学校行けんくなって本当にごめんね。


有難うはこっちの方とぞ。

お父さんこそ りもちゃんに感謝しとる。

りもちゃんが元気になってくれて

よく育ってくれて

お父さんの方が感謝しとるとぞ。

有難うね。

何も気にせんでよかとぞ。


感謝を伝える電話だったはずが、

すっかりおばさんになった わたしに対して

大人に成長して 生きている事を

父に感謝されました。


通話を、スピーカーにしていたのか

わたしが泣きながら父に感謝を伝えていたので

奥から母が鼻をすする声が聞こえてきました。



仙人父さんがいてくれたから

わたしがこの世界に

繋ぎ止められていたのだなと思いました。

お父さん 本当に有難う。



ただね 

あなたの隠しもったエロ本を見つけた時は

仙人ではなく 凡人だと思ったのでした🤣


UMAくんりもっちママのあるがママなすがママ。

※4


※5


※6