先日、森美術館で開催されている
ロン•ミュエク展へ行ってきました。
初めて作品を見たとき、多くの人がまず驚くのは、そのあまりにもリアルな身体表現ではないでしょうか。
肌の質感、血管、しわ、髪の毛、爪、瞳。
今にも呼吸を始めそうなほど、生々しいです。
実際に作品の前に立ってみると
わたしが強く惹きつけられたのは
人間の心の奥にある部分です。
孤独、疲労、葛藤、不安、悲しみ、苛立ち。
普段の生活では見えにくい
人間の陰の部分でした。
ロン•ミュエクはどんな方?
ミュエクは1958年にオーストラリアのメルボルンで生まれ、1986年からイギリスを拠点に活動されています。
もともとは現代美術の彫刻家だったわけではありません。
映画や広告業界で20年以上働き
映像作品のための人形や模型などを
制作していました。
子ども向けテレビ番組の
クリエイティブ・ディレクターを務めた後
映画業界へ進み
ジム・ヘンソンとも仕事をしています。
そして1990年代半ばから彫刻を
制作するようになります。
1996年に、ピノキオで現代美術の世界にデビューし、翌1997年には、亡くなった父親を実物より小さく表現した《死んだ父》が「センセーション」展に出品され、大きな注目を集めました。
ここに、ミュエクという人の原点があるように思います。
彼は本物そっくりな人間を作りたいのではなく
人間の身体を通して
人間そのものを見つめている。
だからこそ
巨大な身体や極端に小さな身体を作る。
現実とは違う大きさにすることで
わたしたちが普段当たり前だと思っている
「人間を見る」という感覚まで揺さぶってくるのではないかと思いました。
印象的だった作品
⚫️イン•ベッド
6.5メートルにも及ぶ巨大なベッド。
そこに横たわるのは、一人の中年女性です。
わたしの視線が吸い寄せられたのは
彼女の顔でした。
頬杖をつき
遠くを見つめる女性の表情には
深い苦悩や憂鬱が滲んでいるように感じました。
わたしたちは普段
他人のこうした表情をここまでまじまじと見ることはありません。
人前では、そこまでの苦悩を顔に出さないからです。
ましてや、
「私は今、こんなに疲れています」
「私はずっと悩んでいます」
なんて、わざわざ人に見せることもない。
その表情を見ているうちに、
「この人は、今日だけこんな顔をしているのではないのではないか」と思えてきました。
長い間、憂鬱な日々を過ごしているような…
何かを考え続け、疲れ果て、それでも日常を生きているような…
森美術館の解説でも
彼女の表情には、不安、切望、思索など、さまざまな解釈が開かれているとされています。
しかも彼女の視線は鑑賞者と交わらないため、わたしたちは人と人との対面とは違う距離から、彼女を見つめることができます。その距離感が、かえって彼女の孤独を強く感じさせました。
⚫️ゴースト
10代の足が長く大きな少女です。
と思いました。
今にも涙がこぼれそうな、真っ赤に腫らした瞳。
苛立っているような
悲しんでいるような
自分自身を持て余しているようにも見えます。
大人でもない。子どもでもない。
自分が何者なのか
自分自身でもまだ掴みきれない時期。
自分や他人に対して感じる感情を
まだ上手に受け止めることができない。
そんな揺れが、表情から伝わってくるようでした。
⚫️エンジェル
宗教画などに描かれる天使といえば
ふっくらとした色白の赤ちゃん。
愛らしい笑顔、幸福や祝福の象徴、そんなイメージがあります。
ところが、ミュエクのエンジェルは、まったく違いました。
翼を背負っているのは、中年の男性です。
憂鬱な表情を浮かべています。
「神の遣い」という言葉から想像する姿とは、かけ離れていて、この人こそ、誰かに助けてもらわなければならないのではないかと思ってしまうほどでした。
大きな翼を持っているのに、飛び立つ気配はなく、誰かを救うどころか、今にもこちらから手を差し伸べなければならないように見える。
この作品は、ミュエクが18世紀のティエポロの宗教画に描かれた「時」を象徴する翼のある老人から着想を得て制作したものだそうです。
1997年の《エンジェル》は、今回の展覧会でも日本初公開となっています。
天使という言葉が持つ幸福なイメージを
見事に裏返しているように感じました。
⚫️買い物中の女
買い物袋を両手に抱え
コートの中には赤ちゃん。
一見すれば、どこにでもいる母親の日常の一場面ですが、彼女の表情は明るくありません。
疲れている。重そう。何かを考えている。
どこか遠くを見ている。
その姿を見ていたら、いつかの自分と重ねて泣きそうになりました。
単純に
赤ちゃんを抱いていて大変そう
買い物袋が重そう
というだけではありません。
そこには、日々の生活の中で積み重なっていく、さまざまな悩みや葛藤が見えるように感じたのです。
母親として。
妻として。
一人の女性として。
やるべきことに追われながら、大きな責任を感じながら、それでも毎日を生きていく。
この作品には実際のモデルとなった女性がいたそうです。
ミュエクはロンドンのスタジオ近くの交差点で、オレンジ色の買い物袋を抱え、赤ちゃんを連れた母親を目にし、その姿を駐車券の裏にスケッチしたのだそうです。
特別なモデルでもなく
神話の人物でもなく
歴史上の偉人でもなく
街を歩いていた一人の母親。
その何気ない一瞬の中に、
「生きる」ということの重さを
ミュエクは、見逃さなかったのだと感じました。
ミュエクが見つめているもの
ロン・ミュエクの作品には
ほとんど物語の説明がありません
見る側がその人物の人生を想像していきます。
「この人は何があったのだろう」
「何を考えているのだろう」
「今、どんな気持ちなのだろう」
不思議なことに、作品の人物について考えているはずなのに、いつの間にかわたしは、自分自身のことを考えていました。
《イン・ベッド》を見て
この人は、長い間苦しんでいるのかもしれない
と思ったとき、過去の自分の中にある、疲れた自分や未来が見えず、苦しみを苦しいと感じれないほど真っ暗だった若き日の自分を思い出していました。
《ゴースト》を見て、思春期の少女の揺れを感じたとき、わたし自身もこんな表情をした時期があったと思いました。
《買い物中の女》では、また小さな乳幼児を抱え、大きな責任を背負う中で、少しでいいから眠りたい、少しでいいから荷物を下ろしたい、一人の時間が15分だけでも欲しいと思った日々を思い出しました。
人間の陰
この展覧会でわたしが感じたことは
人間の陰でした。
人には見せない表情。
言葉にしない感情。
誰にも知られず抱えている疲れ。
それでも日常を続けていく強さ。
ミュエクは、人間を美しく飾らず
弱さも、老いも、孤独も、疲労も、ためらいも、そのままそこに置いていきました。
だからこそ、怖いほどリアルなのに、どこか優しいのだと思います。
目の前の作品に勇気づけたくなる。
抱きしめたくなります。
彼の作品が心に残るのは、
こんな人がいると思わせるからではなく、
自分の中にも、こんな部分があると気づかせるからなのかもしれません。
人間には、光だけではなく陰がある。
でも、その陰があるからこそ
人間はこんなにも複雑で、愛おしく、未熟さが芸術になるのだなぁと思いました。
ロン・ミュエク展は
9/23まで森美術館で開催中です。
あなたは作品をどのように感じますか?