病から社会復帰まで立ち直った
ひとつの記録です。



今、戦っている子供達が
もしこれを読んでいて何かヒントになったり
背中を押せたらいいなと思いました。



今回は引きこもり、不登校にフォーカスして記録します。
紫のアネモネの花言葉 あなたを信じて待つ。







16歳の頃 大病を患いました。
致死率20%といわれるもので
入院生活は大変長かったです。

それは一瞬も甘い世界はなく
生きている事は戦いでした。 



長い入院生活の中
朝目覚めて病室の天井が見れた時は
涙がでました。

わたしに朝が与えられた!
と身体を震わせて感謝しました。


毎朝 そんな 今日を迎えました。







退院後は学校の協力を頂きながら
通学をはじめました。

担任の先生はとても優しい先生でした。

生徒を下の名前で呼び捨てをし
ビール腹のまんまるなお腹を
ポンポンと叩きながら
俺のこどもはもう20年くらい出てこんぜ。
がははははは
と笑わせてくれる先生でした。



退院後の初登校の日。

授業の開始チャイムが鳴り終わる頃
先生は廊下でわたしが教室に来るのを待っていました。

階段を登るのが大変で
はぁはぁと息を切らしながら登りきったわたしを、
先生はニコッと 顔をしわくちゃにして笑い
こう言いました。


俺はお前がここにいる事が嬉しいとぞ!

やったー!りもがきた!って
俺の心は晴れてますよ。

りも。 
困った事があったら俺にゆーとぞ。

俺が りもを守ってやるからな。

何かあったら

俺の胸にどーーんと飛び込んでこいよ。

お前をひとりには絶対にさせんぞ!

先生は自分の胸をポンと大きくたたき
両手を広げて わたしを抱きしめるような仕草をしました。

はい ありがとうございます
と頭を下げて教室へ入りました。
それがその時出来る精一杯の表現でした。

授業中、先生の気持ちが嬉しくて何度も涙を拭きました。





病気は内臓の全身の機能を滞らせました。
寒くて寒くて震えも止まりませんでした。

髪の毛は抜け落ち
背中に毛が沢山生え
排泄コントロールも出来ず
下着には厚手のシートをとめ
脳まで進行していた事で記憶障害もありました。
歩く事も痛みを伴いました。



わたしは保健室で時々休みながら
自分の身体の不調と
学校の勉強と向き合いました。




保健室のベッドの目の前にある
大きな窓から空を眺めながら思いました。


病院のベッドから
学校のベッドに変わった だけ。

わたし いま なんでここにおるんやろ。

何のためにここにおるんやろ。


もう 学校に行きたくないな、、、


青々とした美しい空を見た わたしの心は
曇っていました。




友人達は痛々しいほどに変わり果てたわたしに
驚いていました。


無遅刻無欠席で学校へ行き

運動会では応援団をつとめ
次はりもが団長だからね
任命され、団長や先輩達から かわいがられ

リレーの選手に選ばれ アンカーを走り

文化祭では愛情を歌い、準優勝しました。

 

愛情 Original Version/小柳ゆき4thシングル 2000リンクYouTube

 


元気いっぱいな わたしは

もう どこにもいませんでした。






わたしは 早退するようになり

それから 学校を休むようになりました。



あれだけ、朝が来る事を感謝していたのに

朝がくるたびに怖くなりました。



もう 学校に行きたくない、、、、



もうこれが

重くて重くてたまらない大荷物でした。





変わり果てた自分。

かわいそうな目で見られる自分。


なんでこんな状態なのに

休ませてもらえないんだろう。


なによりも

全然元気じゃない身体を引きずるには限界で

支えきれなくなりました。



それから

母親と喧嘩をしながら

家の中で引きこもりました。





出席日数を気にし

高熱が出ても

AM3時に叩き起こされ

母親の信仰に付き合わされ、


心臓発作が出ても待ってくれませんでした。


訴えても訴えても伝わりませんでした。





担任の先生は

毎週水曜日に自宅に来てくれて

毎週金曜日に電話をかけてくれました。



りも。ごめんな。


りもはクラスで一番

心配いらんやつと思いよったったい。


明るくて元気で友人関係も良好で。


俺も、まさか りもがそんなに苦しんでいたなんて気付かんでな。


教師生活 もう定年前やけど

俺は生徒の何を見とったんかって

反省しとるんや。


本当 ごめんな。


お前の中学校にも行って

どんな子やったか 聞いてきたんや。


俺は お前のこと ずっとまっとるぞ。




愛情深くて大好きな先生でした。


ですが

先生が来るたびに、

先生の思いに応えられない自分が

情けなくなりました。


心臓を吐き出してしまいそうなほど

怖くなりました。




もう誰にも会いたくありませんでした。





それから

出席日数の関係で卒業出来ないと分かったのが

高校三年生の1月でした。


お父さん、お母さん

せっかく大変な中、学費を払ってくれていたのに、卒業出来なくて本当にごめんなさい。


わたしは、、

もう、、、どうしても頑張れません。


今は 自分の身体が回復することだけに集中したいから学校を辞めさせてください。

頭をさげて両親にお願いしました。



数日後、許可が下り

大きな大きな荷物が降りて

とても楽になりました。



担任の先生はその年、教師を辞められました。





学校の事を気にしない時間が出来ると

誰かの体裁のための朝ではなく

自分のために朝がきたと思いました。


自分の心のあるがままを受け入れながら

ゆっくり 自分の身体を休ませる事が出来るようになりました。



わたしは記憶障害で 途切れ途切れで忘れてしまった日本語や計算を取り戻す為に

小学生の教科書を図書館で借りてきてはノートに書き、一から学び直しました。




運動不足解消にバイトで貯めていたお金で

スカイウォーカーを買い

毎日 時間を決めてリハビリを行いました。




夜には翌日のタイムテーブルを作り

あしたの自分の行動を決めていました。


料理、ダンス、ウォーキング、ヨガ、読書、掃除、日本語の勉強、数字の勉強など 

未来の自分に繋ぐ選択

今のわたしが心地よく感じる事を選びました




この全て、親がアドバイスをしたり

関与したことは一切ありません。



自分で考え 深く内観をし

生き続けるという事と向き合うなかで

一つ一つを考えながら過ごしました。

大いにヒントになったのは、この時期に聞こえてきた植物や鳥の声でした。彼らは生きるヒントを伝えてくれました。



この時、内在する とてもピュアな部分が

表に突き出している自分を感じていました。


これは美しくもありますが

危険でもあるなと客観的に自覚していました。





今 わたしの脳や意識の中で

何らかの爆発が起きていて

今入る情報は潜在意識に根付く

という事を感じとっていました。


ですから

情報の制限や選択をしました。


絵画や心地よい音楽〔クラシック、ゴスペル、民族楽器など〕でリラックスをしながら


どんな人生を送りたいか。

どんな生き方をするのか。


どんな情報と言葉を

今の自分にギフト出来るか。




そういう事をとても慎重に選択しながら

過ごしました。






続きの②はこちらです。

 

『②引きこもりの子供はどうなった?』①引きこもりの子供はどうなった?の続きです。 『①引きこもりの子供はどうなった?』病から社会復帰まで立ち直ったひとつの記録です。今、戦っている子供達がもしこれ…リンクりもっちSpecial daily〜こどもと私の記録


 


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