元気いっぱいな わたしは
わたしは 早退するようになり
それから 学校を休むようになりました。
あれだけ、朝が来る事を感謝していたのに
朝がくるたびに怖くなりました。
もう 学校に行きたくない、、、、
もうこれが
重くて重くてたまらない大荷物でした。
変わり果てた自分。
かわいそうな目で見られる自分。
なんでこんな状態なのに
休ませてもらえないんだろう。
なによりも
全然元気じゃない身体を引きずるには限界で
支えきれなくなりました。
それから
母親と喧嘩をしながら
家の中で引きこもりました。
出席日数を気にし
高熱が出ても
AM3時に叩き起こされ
母親の信仰に付き合わされ、
心臓発作が出ても待ってくれませんでした。
訴えても訴えても伝わりませんでした。
担任の先生は
毎週水曜日に自宅に来てくれて
毎週金曜日に電話をかけてくれました。
りも。ごめんな。
りもはクラスで一番
心配いらんやつと思いよったったい。
明るくて元気で友人関係も良好で。
俺も、まさか りもがそんなに苦しんでいたなんて気付かんでな。
教師生活 もう定年前やけど
俺は生徒の何を見とったんかって
反省しとるんや。
本当 ごめんな。
お前の中学校にも行って
どんな子やったか 聞いてきたんや。
俺は お前のこと ずっとまっとるぞ。
愛情深くて大好きな先生でした。
ですが
先生が来るたびに、
先生の思いに応えられない自分が
情けなくなりました。
心臓を吐き出してしまいそうなほど
怖くなりました。
もう誰にも会いたくありませんでした。
それから
出席日数の関係で卒業出来ないと分かったのが
高校三年生の1月でした。
お父さん、お母さん
せっかく大変な中、学費を払ってくれていたのに、卒業出来なくて本当にごめんなさい。
わたしは、、
もう、、、どうしても頑張れません。
今は 自分の身体が回復することだけに集中したいから学校を辞めさせてください。
頭をさげて両親にお願いしました。
数日後、許可が下り
大きな大きな荷物が降りて
とても楽になりました。
担任の先生はその年、教師を辞められました。
学校の事を気にしない時間が出来ると
誰かの体裁のための朝ではなく
自分のために朝がきたと思いました。
自分の心のあるがままを受け入れながら
ゆっくり 自分の身体を休ませる事が出来るようになりました。
わたしは記憶障害で 途切れ途切れで忘れてしまった日本語や計算を取り戻す為に
小学生の教科書を図書館で借りてきてはノートに書き、一から学び直しました。
運動不足解消にバイトで貯めていたお金で
スカイウォーカーを買い
毎日 時間を決めてリハビリを行いました。
夜には翌日のタイムテーブルを作り
あしたの自分の行動を決めていました。
料理、ダンス、ウォーキング、ヨガ、読書、掃除、日本語の勉強、数字の勉強など
未来の自分に繋ぐ選択と
今のわたしが心地よく感じる事を選びました。
この全て、親がアドバイスをしたり
関与したことは一切ありません。
自分で考え 深く内観をし
生き続けるという事と向き合うなかで
一つ一つを考えながら過ごしました。
大いにヒントになったのは、この時期に聞こえてきた植物や鳥の声でした。彼らは生きるヒントを伝えてくれました。
この時、内在する とてもピュアな部分が
表に突き出している自分を感じていました。
これは美しくもありますが
危険でもあるなと客観的に自覚していました。
今 わたしの脳や意識の中で
何らかの爆発が起きていて
今入る情報は潜在意識に根付く
という事を感じとっていました。
ですから
情報の制限や選択をしました。
絵画や心地よい音楽〔クラシック、ゴスペル、民族楽器など〕でリラックスをしながら
どんな人生を送りたいか。
どんな生き方をするのか。
どんな情報と言葉を
今の自分にギフト出来るか。
そういう事をとても慎重に選択しながら
過ごしました。
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りもっち人生のあるがまま記録