わたしの母親は
発話障害を持っています。
相手に不快な思いをさせないように
いつも 笑顔でこう言っていました。
こここここごごごごごごごめんなさいね…
あのぉぉぉぉ
わわわわわ… あの…わわわわわわたし
ききききききぃ緊張すると
ここここここ声がつまるんです。
こここここごごごごめんなさいね…。
母は
緊張はしていませんでした。
焦ってもいませんでした。
人の事が苦手でもありませんでした。
むしろ
初対面から誰とでも仲良くなれる
特殊能力を持っていました。
それでも
吃音はでました。
☆*・:。〇。:・*☆*・:。〇。:・*☆*・:。〇
吃音とは
言葉が滑らかに出ない発話障害の事を言います。
日本では100人に1人の割合で
吃音を持っていると言われていますが
まだまだ理解が少ないのが現状です。
100人いれば100通りの症状の違いがあり
成長と共に自然治癒する方もいれば
吃音と共に過ごす方もいます。
吃音を持っていた有名人は
・マリリン・モンロー
・田中角栄
・徳川家光
・細田守
・ニコール・キッドマン
・重松清
・小倉智昭
・ジョー・バイデン
などが あげられています。
吃音をテーマにした作品は
などがあります。
おおおおかあさんね
ううううたが好きとよ。
おおおおおお母さん
ようと しやしゃしゃしゃべりきらんとやけど
前 言われたとよ。
“そういう人は
ううううう歌が上手いよね〜”って。
そういえば
わたし うううううたなら
うううう歌えるって思って…
それから
うううう歌を歌う事が
すすすすすすす好きになったとよ…
家の中では
母親の自作の歌が時々響きました。
そんな
吃音と母とわたしについて
今回は記録いたします。
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わたしが
小学校に上がった6歳の時に
友達に言われました。
りもちゃんのお母さんのマネ!!
ああああああああ
友達数人で 何度も何度も真似をしては
ゲラゲラと笑いました。
全く分からない出来事でした。
何故マネをされるのか?
何故笑うのか?
何故話題になるのか?
とても不思議でした。
それから
不思議な感覚のあとに
嫌な気持ちになりました。
かなしくて 悔しくなりました。
母親の良いところを沢山知っているので
なんで 話し方だけで評価をされるのか
意味が分かりませんでした。
当時のわたしは
その友人達の事を
わからんよね。
笑う人にはわからんよね…
と察しました。
涙をこらえて
母親のマネをする友達の笑顔に合わせて
笑顔を作りました。
一緒になって
がんばって笑いました。
母親に対する罪悪感でいっぱいになり
心の中は墨汁でたぷたぷに溢れているような
気持ちでした。
きょうも こころのなかに 墨がでた…。
溢れた心の墨が 漏れてきそうで
自分の胸元の服をぎゅっと掴みながら
前屈みに帰宅しました。
そんな学校の帰り道が何年も続きました。
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わたしは友達と遊ぶのも好きでしたが
友達のお母さんと話す時間も好きで
友達とは遊ばずに
よくある ご近所ママ会の中に
こどものわたしが一緒に混ざるのが
普通にありました。
ママ会に参加するのは
社会勉強の一つでした。
大人の人はこういう考え方するのか とか
そういう価値観があるのか とか
子供同士の会話にはないものが飛び交いました。
そもそも
母親が群れないタイプでしたので
母親の代わりに
学校や子供会イベント等の
情報収集をしようというのが
最初のきっかけでした。
知らない事で
思いがけない事がある事を知っていたからでした。
ママ会の人たちは
よく悪口も言っていました。
さっきまでいた人の事も
その人がいなくなったら言い出し
子供ながらに
この会合には心を開いている人は誰もいない
と察していました。
大人2人と子供のわたしの3人の場合は
本音トークになりますが
4人以上になると
良い環境では無くなり
人数が増えれば それはどんどん悪くなるのも
その時に学びました。
※ちなみに高波動オーラを持っている大人が1人いると
全体のエネルギーが整うので 影響を受けない事も感じました。
ある時に
りもちゃんは好きなんやけど
りもちゃんのお母さんは すかんとよね!!
と あるママさんが言い出しました。
すると 他のママが
そ! わたしもそう。
りもちゃんのママ きらーい!!
親があーやったら
こどもはこー育つんやねって思うよ。
りもちゃんがしっかりしすぎてて
かわいそうになってくるよ。
この前もさ…と
わたしの目の前で
母親の悪口合戦がはじまりました。
え? わたしいるよ?
わたしここにいてもいいと?
と
心の中はクエスチョンでいっぱいでしたが
長々とそれは続きました。
それはどれもくだらない内容でした。
お母さんがすみません。
わたしがしっかりして気をつけます。
妹の事も わたしがもっとみます。
また何かあったら
わたしに言って下さい。
といいました。
9歳の頃でした。
吃音だけではなく
あらゆる特性をもった母親でしたので
誤解をされるのも分かっていました。
わたしがマトになったら
大人の人達もスッキリするかな…
お母さんを傷つける事はやめて欲しい
と思いました。
人は勝手に見たいように 人を見て
想像力や思い込みの種は
その人がこれまで生きてきたモヤモヤから出来て
事実とは関係なく
その人の価値観で仕上がる
バケモノのようなものなんだと気付きました。
わたしは そのバケモノを知ると
まっすぐ帰宅する事が出来ませんでした。
自宅とは反対方向に歩いて
たどり着いた場所は 幼馴染の家でした。
おばちゃん…
わたし、おばちゃんに話したい事があるんです。
どうしたと?
さっき ◯◯ママの家で
ママ達 数人で集まって
話とったんです。
そしたら
◯ママと◯ママが
うちのお母さんの事 嫌いって…
わたしに言ってきて…
えー?
そんな事 ゆったと?
りもちゃんの前で?
はい…。
それは嫌やったね。
でも気にせんでいいとよ。
あの…
あのですね…
言葉が沢山出る人は
人の悪口も
早口で話せるんですか?
言葉が詰まらん人(吃音がない人)は
いけん事も
なんでも言葉にするんですか?
うちのお母さんは
他のお母さんみたいに しゃべれんし
出来ん事もあるし
変なところもあるけど
人の悪口は絶対にゆわんし
こどもの
わたしの前でも言った事ないです。
せっかく
言葉がスムーズに話せるなら
自分の声を
あんな風な使い方したら
いかんって思ったんです
もしお母さんが普通に話せたとしても
絶対に絶対に人の悪口はいわんと思います。
おばちゃんも
悪く言わん人やけん
わたしの気持ち 聞いてくれるかなって思って
ここに来ました。
わたしは
話しながら
悔しくて 堪えた涙が止まらなくなりました。
そうやったとね。
それはおばちゃんがゆっとく。
もう何も聞かんでいいとよ。
りもちゃんが頑張る事なにもないとよ。
おばちゃんがママ達にゆっとくから。
それは やめとってください。
ゆっても わからんと思います。
人を馬鹿にする人は
なんでも馬鹿にする…
それに
わたしはここに住んどるけん…
りもちゃんは どうしたい?
分からないです。
だけど
お母さんがここにいなくて良かったです。
おばちゃんに聞いてもらってよかったです。
ありがとうございます。
この日の出来事は
わたしにとって
とても大きな気づきになりました。
自分の声を
無駄遣いしている人がいる
という事と
母親のように
〝あいうえお〟の あ行などが言いづらく
ありがとう と言うのが難しい中で
あああああああありあああありがとととととと
絞り出しながら
感謝を伝える人がいる
という事。
同じ言葉なのに
まったく違う生き物のように感じました。
できない事が沢山あるけれど
普通のお母さんみたいじゃないけれど
言葉もスムーズじゃないけれど
誰かの毒を吐いて生きる人ではない。
そっちの方が 圧倒的に美しい。
それを知った出来事でした。
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わたしが11歳の頃の事です。
父親が 急激な腹痛に襲われました。
今まで見たことないような痛がり方に
母親は激しく動揺しました。
母は救急車に連絡しますが
パニックになった事から余計に吃音が出てしまい
いたずら電話だと勘違いされました。
※今では考えられない事だと思います。
いいいいいいいいいい
りりりりりりりりりりりりもちゃん
ああああああああああのののののぉぉぉ
きゅきゅきゅ…
ああああのののきゅきゅきゅ きゅうきゅ…
ででででででででんんん
ででででででででで
うん。救急車に電話する!
母親の変わりに
救急車に電話をし 状況を説明し
救急隊が来た時も
すみません。
お母さんは 言葉が出にくいので
わたしが説明します
といい
父親の容態説明はわたしが行いました。
搬送後、
父親は集中治療室に1週間入院し
それから
長期間 一般病棟へ入院する事となりました。
とても危険な状態でしたが命をとりとめました。
少し父親が落ち着いてきた頃
わたしは 色々な気持ちがこみあげました。
救急隊という 医療従事者でありながら
何故
母親の声を
最後まで聞けないのか?
と。
悔しくて悔しくて
ぎゅっと握った手のひらは爪で血が滲みました。
わたしが もしいなかったら
父親は助からなかったんじゃないか?
同じような事があったら どうすると?
そん時
わたしがおらんかったらどうすると?
11歳の心は
色々な出来事が積み重なり
静かに静かに真っ赤になりました。
ドキドキして怖くなりました。
何があっても
分かり合える
世界になりませんか?
わたしに何が出来ますか?
わたしの手のひらだけじゃ
なにも変えられない…
なにも出来ない…
力をください。
わたしにもっともっと
力を下さい。
家族みんなを守ってください。
もう、感情は残っていないけれど
ぐったりとした父親。
肩を落とした母親の背中。
まだ幼い妹。
神様に向かって叫んで祈り
無我夢中で生き
無力を感じた
幼い日の出来事をよく覚えています。
*--。-*-。-*-。-*-。-*-。-*-。-
吃音は 本人やその家族にとって
様々なところで
踏ん張る場面があります。
息子も
3歳頃 一過性の吃音がありましたが
自然となくなりました。
言いたい気持ちが高まって
言葉の成長が追いついていないと分かったので
心が先に豊かに成長したんだ
と理解しました。
わたしは気にしていませんでしたが
幼稚園の先生は息子が詰まっている様子を
毎回笑ってマネをしていました。
息子は先生にマネをされるので
話すのを途中で諦めるようになり
話しの途中で泣きだすようになりました。
幼稚園へ行くのを嫌がっていました。
先生は
成長期のこどもに吃音が出る事をしらないのか…
先生に説明し
言葉に触れず
成長を見守って欲しい事を伝えました。
すると
数ヶ月程度でなくなりました。
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先日 母にこちらの本を紹介している
動画を聞いた 母からの返事は
様々な特性を持っていて
色々な事を乗り越えた母。
楽観的でなんでもすぐ忘れる。
もしかしたら
母よりも わたしの方が
吃音から学ぶ事が多かったのかもしれません。
人に気付きを与え
成長させる人って
存在そのものがギフトだな
とこれを記録しながら感じました。
っということは
やっぱり
母はわたしへのギフトなんだ!
お母さんは
本当に色々な事を気付かせてくれるね。
本当に有難う。
今回もとても長い記録になりました。
最後までお付き合い下さり
有難う御座います。
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りもっちのあるがママなすがママ
●妹なもちゃんに届いた花火の贈り物
●点と点が繋がった 人生の本質が見えた出来事
●一生幸せであって下さい。
●“生きる”と向き合う事
●自分に何をギフトするのか?
●妹なもちゃんが乗り越えた病